親の心
文字数 2,367文字
「どうぞ」
公園のベンチに腰掛けたゆうきは、体温よりわずかに温かいあんまんをのぞみに渡した。のぞみは受けとったあんまんを半分に割り、片方をタマモの口元に差し出す。幸せそうな顔でタマモは一口食み、のぞみに向かって頷いた。
「毒は入ってない」
「入ってる訳が無いだろう」
ゆうきはその言葉に半ばあきれつつ、手元に残る紙袋を覗き込んだ。白いあんまんが一つ、取り出される時を待っている。
「早く!早く!!早く!!!」
ゆうきの動きに焦れたカッパが急かした。ベンチに座って、浮いている足をバタつかせる。もらったばかりの靴がカポカポと鳴り、帽子の下で水の跳ねる音がした。ゆうきはたった一人が立てる多様な音に苦笑しつつ、取り出したあんまんを半分に割った。真っ白いふわふわの生地の中央で、つぶあんがキラリと光る。中はまだ十分に温かいようで、割った途端にゆうきの鼻腔を甘い湯気がくすぐった。
「そんな慌てなくても……」
半分に割ったうちの片方をゆうきはカッパに差し出した。カッパは真ん丸の目で品定めするようにゆうきの手の中にあるあんまんを見比べる。
「こっちの方が大きい!!」
ゆうきが差し出したのと反対のあんまんを、カッパが選んだ。次の瞬間。あんまんは、かっぱの大きな口の中に消えていた。
「どっちも似たようなものだと思ったけど」
ゆうきは残った方のあんまんを口に運ぶ。足元に三粒、小豆色の丸いものが転がってきて、ゆうきは顔を上げる。
「のぞみ、帰るぞ。婚礼をすっぽかすなんて、お前はいつからそんな悪い子になったんだ」
カッパと同じぐらいの背丈で髪の疎らな男が、腰に手を当てて立っていた。
「トト様」
のぞみの言葉を聞いたゆうきは、目の前にいるのが、のぞみの父親だと知る。トト様と呼ばれたアズキアライは、ゆうきにも、カッパにも、タマモにさえ目もくれず、のぞみの手を強く引いた。
「帰るぞ。今ならまだ、村長様も許してくださるだろう」
「トト様……それは、本当に正しいことなのでしょうか?」
のぞみはアズキアライに抵抗するように手を引く。困ったような目をしてアズキアライに問い掛けた。
「すぐに熱を出し、妖力も、知恵も無いお前を、村が囲ってやることの何が不満ぞ?これ以上ない幸福ではないか」
アズキアライは首を傾げてのぞみを見た。アズキアライの無精髭が風に揺れる。ゆうきは手に持っていたあんまんをカッパに押し付けると、立ち上がった。カッパはそのあんまんを口の中にしまう。のぞみとアズキアライの間に割り込んだゆうきは、頭一つ分小さなアズキアライを見る。
「それは、お前達にとって都合のいい話だろう」
「なんぞ?子供の幸福を願う親の気持ちを否定するというのか?」
アズキアライがぬちゃりと湿った音を立てて笑った。その隙間から不揃いの黄ばんだ歯が見える。
「逆に問うが、私の娘を勝手に連れ出すような人間が、私以上の幸せをこの子に渡せると言うのかい?」
「村中の男の相手をするのが、幸せなことだと言い張るつもりか」
ゆうきの声に怒りがにじんだ。
「勢力は時間の経過とともに変わる。トップに立つ可能性のある者すべてと関わっておけば、勢力の変化によって立場が危ぶまれることもなかろう。実に効率的な話だと思うが。……まぁ、いい。盗人に常識があるとも思えん。もともと用事があるのは、娘にだけだ」
アズキアライはそう言うと短く口笛を吹いた。アズキアライの周囲に小さな粒が集まっていく。アズキアライはそれを両手でまとめると、ゆうきへと放った。
「くっ……」
ゆうきは迫って来るそれの勢いに思わず目をつぶった。勢いは衰えぬまま、ゆうきの腹にぶつかった。ゆうきは思わず呻く。しかし、覚悟していた痛みはいつまでも来ない。ゆうきは片目を開けて足元に散った粒を見た。小豆が散らばっている。
「……」
攻撃の弱さにゆうきは声を失った。勢いこそあったものの、その攻撃は節分の豆を強めに投げつけられたのと違いがない。ゆうきは肩で息をしているアズキアライを見、頭を掻いた。
「小僧、何を考えている」
膠着したまま動かないゆうきに焦れたタマモが声を上げる。
「のぞみ、君は、アズキアライの手を振り払えるはずだ」
ゆうきが静かに言った。おそらくは、ゆうきを傷付けようとして放ったであろう攻撃が、ゆうきに傷一つつけられない。その程度の力で息が上がっている事がアズキアライの弱さを裏付けていた。
「……トト様」
のぞみはアズキアライを気遣うように見て、そっと捕まれた手を離す。掴み直そうとしたアズキアライの手がタマモによって遮られた。
「のぞみは、選んだ。のぞみの選択を邪魔するなら容赦はしない」
「親を捨てると言うのか」
アズキアライは小さな目をのぞみにだけ、向けた。その視線から逃げるようにのぞみは顔を逸らす。アズキアライは押し黙ったまま、何かを訴えかけるように見つめた後、「いつまでも、待っている」とだけ呟いて煙りのように消えた。地面に無数の小豆だけが残され、それを狙って鳩が数羽舞い降りてきた。
「ウチの行動は、正しかったんかな」
のぞみの声が、重たく当たりに響いた。
「……誰かの為に、不幸を背負う必要は無いんだ」
ゆうきは、のぞみの肩に手を置く。
「へぇー。良いこと言うじゃん。やるねぇ」
女の声がしたかと思うと、ゆうきを光が襲った。急に周囲が明るくなって目を細めたゆうきは、声の主にサングラスを奪われたことを遅れて知覚する。
「返せよ」
ゆうきは慌てて顔を伏せながら声のする方へと手を伸ばした。面白がるようなくすくす笑いは聞こえても、ゆうきの手を伸ばした手はただ空を切るばかりだった。
「思った通り、オシャレのためのサングラスじゃなかったね」
からかうような調子の女の声。目を開く訳にいかないゆうきは、ただその声の主の良心に賭けるしかなかった。
公園のベンチに腰掛けたゆうきは、体温よりわずかに温かいあんまんをのぞみに渡した。のぞみは受けとったあんまんを半分に割り、片方をタマモの口元に差し出す。幸せそうな顔でタマモは一口食み、のぞみに向かって頷いた。
「毒は入ってない」
「入ってる訳が無いだろう」
ゆうきはその言葉に半ばあきれつつ、手元に残る紙袋を覗き込んだ。白いあんまんが一つ、取り出される時を待っている。
「早く!早く!!早く!!!」
ゆうきの動きに焦れたカッパが急かした。ベンチに座って、浮いている足をバタつかせる。もらったばかりの靴がカポカポと鳴り、帽子の下で水の跳ねる音がした。ゆうきはたった一人が立てる多様な音に苦笑しつつ、取り出したあんまんを半分に割った。真っ白いふわふわの生地の中央で、つぶあんがキラリと光る。中はまだ十分に温かいようで、割った途端にゆうきの鼻腔を甘い湯気がくすぐった。
「そんな慌てなくても……」
半分に割ったうちの片方をゆうきはカッパに差し出した。カッパは真ん丸の目で品定めするようにゆうきの手の中にあるあんまんを見比べる。
「こっちの方が大きい!!」
ゆうきが差し出したのと反対のあんまんを、カッパが選んだ。次の瞬間。あんまんは、かっぱの大きな口の中に消えていた。
「どっちも似たようなものだと思ったけど」
ゆうきは残った方のあんまんを口に運ぶ。足元に三粒、小豆色の丸いものが転がってきて、ゆうきは顔を上げる。
「のぞみ、帰るぞ。婚礼をすっぽかすなんて、お前はいつからそんな悪い子になったんだ」
カッパと同じぐらいの背丈で髪の疎らな男が、腰に手を当てて立っていた。
「トト様」
のぞみの言葉を聞いたゆうきは、目の前にいるのが、のぞみの父親だと知る。トト様と呼ばれたアズキアライは、ゆうきにも、カッパにも、タマモにさえ目もくれず、のぞみの手を強く引いた。
「帰るぞ。今ならまだ、村長様も許してくださるだろう」
「トト様……それは、本当に正しいことなのでしょうか?」
のぞみはアズキアライに抵抗するように手を引く。困ったような目をしてアズキアライに問い掛けた。
「すぐに熱を出し、妖力も、知恵も無いお前を、村が囲ってやることの何が不満ぞ?これ以上ない幸福ではないか」
アズキアライは首を傾げてのぞみを見た。アズキアライの無精髭が風に揺れる。ゆうきは手に持っていたあんまんをカッパに押し付けると、立ち上がった。カッパはそのあんまんを口の中にしまう。のぞみとアズキアライの間に割り込んだゆうきは、頭一つ分小さなアズキアライを見る。
「それは、お前達にとって都合のいい話だろう」
「なんぞ?子供の幸福を願う親の気持ちを否定するというのか?」
アズキアライがぬちゃりと湿った音を立てて笑った。その隙間から不揃いの黄ばんだ歯が見える。
「逆に問うが、私の娘を勝手に連れ出すような人間が、私以上の幸せをこの子に渡せると言うのかい?」
「村中の男の相手をするのが、幸せなことだと言い張るつもりか」
ゆうきの声に怒りがにじんだ。
「勢力は時間の経過とともに変わる。トップに立つ可能性のある者すべてと関わっておけば、勢力の変化によって立場が危ぶまれることもなかろう。実に効率的な話だと思うが。……まぁ、いい。盗人に常識があるとも思えん。もともと用事があるのは、娘にだけだ」
アズキアライはそう言うと短く口笛を吹いた。アズキアライの周囲に小さな粒が集まっていく。アズキアライはそれを両手でまとめると、ゆうきへと放った。
「くっ……」
ゆうきは迫って来るそれの勢いに思わず目をつぶった。勢いは衰えぬまま、ゆうきの腹にぶつかった。ゆうきは思わず呻く。しかし、覚悟していた痛みはいつまでも来ない。ゆうきは片目を開けて足元に散った粒を見た。小豆が散らばっている。
「……」
攻撃の弱さにゆうきは声を失った。勢いこそあったものの、その攻撃は節分の豆を強めに投げつけられたのと違いがない。ゆうきは肩で息をしているアズキアライを見、頭を掻いた。
「小僧、何を考えている」
膠着したまま動かないゆうきに焦れたタマモが声を上げる。
「のぞみ、君は、アズキアライの手を振り払えるはずだ」
ゆうきが静かに言った。おそらくは、ゆうきを傷付けようとして放ったであろう攻撃が、ゆうきに傷一つつけられない。その程度の力で息が上がっている事がアズキアライの弱さを裏付けていた。
「……トト様」
のぞみはアズキアライを気遣うように見て、そっと捕まれた手を離す。掴み直そうとしたアズキアライの手がタマモによって遮られた。
「のぞみは、選んだ。のぞみの選択を邪魔するなら容赦はしない」
「親を捨てると言うのか」
アズキアライは小さな目をのぞみにだけ、向けた。その視線から逃げるようにのぞみは顔を逸らす。アズキアライは押し黙ったまま、何かを訴えかけるように見つめた後、「いつまでも、待っている」とだけ呟いて煙りのように消えた。地面に無数の小豆だけが残され、それを狙って鳩が数羽舞い降りてきた。
「ウチの行動は、正しかったんかな」
のぞみの声が、重たく当たりに響いた。
「……誰かの為に、不幸を背負う必要は無いんだ」
ゆうきは、のぞみの肩に手を置く。
「へぇー。良いこと言うじゃん。やるねぇ」
女の声がしたかと思うと、ゆうきを光が襲った。急に周囲が明るくなって目を細めたゆうきは、声の主にサングラスを奪われたことを遅れて知覚する。
「返せよ」
ゆうきは慌てて顔を伏せながら声のする方へと手を伸ばした。面白がるようなくすくす笑いは聞こえても、ゆうきの手を伸ばした手はただ空を切るばかりだった。
「思った通り、オシャレのためのサングラスじゃなかったね」
からかうような調子の女の声。目を開く訳にいかないゆうきは、ただその声の主の良心に賭けるしかなかった。