決断時
文字数 2,404文字
「また一人ぼっち」
カッパが寂しげな声をあげる。
「一人ぼっちは、ザシキワラシだろ」
ゆうきが返した言葉にカッパが期待するようにゆうきを見上げた。ゆうきはその視線を避けるようにして宿の手続きをしようと受付に向かう。
「お客様、申し訳ございませんが、ペットの入室はご遠慮いただいてます」
事務的な声が帰ってきて、ゆうきは思わずタマモを見た。
「大丈夫です。部屋を汚したりしません。ちゃんと言葉もわかりますし、人と変わらないんです」
ゆうきが説明するのを受付の女性は微笑んで聞いた後、首を振った。
「申し訳ございません。アレルギーや衛生面を考慮してすべてのペットは泊まれない決まりなんです」
「じゃぁ、別の宿を探します」
「ここらの宿はどこも同じ返事をすると思いますよ」
「そんなの差別じゃないですか」
「区別です。この土地にはいろんな人がやってきます。全員の都合を聞いていたのでは誰も生きられません。少しずつ、みんな我慢してるんです。どうか、ご了承ください」
受付との押し問答の末、ゆうきは宿を出た。
理想の暮らしができると思ってやってきた町で、ただ身体を休めようとしただけ。それだけで人と衝突する。その事がゆうきの気力をひどく奪う。
ゆうきの俯いた耳に知らない親子の会話が聞こえてきた。
「今夜はカレーよ」
「わぁ!!うれしいな」
微笑ましい会話を交わす親子の外で大きな買物袋を下げた小柄な妖怪が独り。先を行く親子の後を小走りで追いかけていた。
「小僧、何を思う?」
タマモの声にゆうきが振り向く。タマモはのぞみが寒くないようにと尾の角度を調節しながらゆうきの様子を伺うように目を細めた。
「ここは、期待した場所じゃないのかも、なぁって」
ゆうきが肩をすくめる。
「ならばどうする?」
タマモが問い掛けて来たのを、ゆうきはイライラと跳ね返す。
「何でもかんでも、僕に決めさせないでよ。うまくいかなかったら、それを背負うのは苦しいんだ」
「わぁ、おっきいねぇ」
先ほど、夕飯がカレーである事を喜んでいた子供だった。いつのまにかタマモの側に立ち、目を輝かせている。
「撫でても良い?」
「否。止めてくれ」
タマモが耳をパタリパタリと不愉快そうに動かして言った。
「わっ!喋った!!」
子供が驚いて目を丸くした。毛を撫でようと伸ばした手は、そのまま空で固まっている。
「妖狐を見るのは初めてか?」
タマモは鼻を鳴らし、得意げに胸を張った。
「うん!あ、飴食べる?」
子供はポケットから飴を一つ取り出してタマモに掲げて見せた。タマモがいらないと返事をする前に子供は母親に呼び戻された。タマモの前足の間に飴玉をおいた子供は、小さく手を振ると母親に向かって駆けて行った。小さかった背中がさらに小さくなるのを、ゆうきはぼんやりと眺める。
「飴、要らない?くれ」
カッパがタマモの前で飛び跳ねて催促し、タマモは前足で器用にカッパの手元へと飴玉を滑らせた。
「……誰かに、決めてほしいよ。これからどうしたら良いのか」
ゆうきは誰に聞かせるでもなくただ呟いた。
「それは、正しい事なのか?」
タマモが首を傾げる。
「わかんないけど。でもさ、自分で決めるよりもすごく楽なことではあると思う」
ゆうきは目に付いた石を蹴った。何度か道路を跳ねた石は排水溝へと転がり落ちていく。
「楽、じゃなかったよ」
まだどこかフワフワとした様子でのぞみが言った。眠たそうに何度も瞬きを繰り返す瞳に疲れが残っている。
「ウチ、なにも判らなかったから、カカ様やトト様の笑顔を基準にして生きてた。知らなかったから、トト様やカカ様から離れた後も全部、人がしてほしい事をして今日まで生きた。けど、楽だと思ったことはないよ。役に立てば良いだけだから迷うことは少なかったけど、でも役に立てなくなったら、ウチの価値が無くなる気がして。だから、助けてと言われたのに、助けないのがすごく怖くて選択できなかった」
「僕は止めたのに」
卑怯だと気づきながら、ゆうきはそう返していた。直前にのぞみの身体を奪うような願いをした者が使っていい言葉じゃないと理解していながら、舌先を離れた声がのぞみの鼓膜を揺らすのをどこか他人事のように見る。
「そうだね」
のぞみは町の入口とは逆方向を見るようにして答えた。潮の匂いが、のぞみの白髪を揺らした。
「あれ?あたし、死んだつもりだったのに」
さおりが頭を掻きながら身体を起こす。
「お腹に穴空いてなかった?」
あっけらかんとそう口にできるのは、さおり自身現実かどうか自信がないからだろう。
「お腹あげた。……ゆうきにあげてって言われたから」
のぞみがゆうきの胸元を指差して言う。
「命の恩人てわけね、ありがとう。……いや、でも複雑」
さおりが髪留めを外して金髪をサラリと下ろした。再び束ね直しながら、「ザシキワラシは?」と辺りに視線をはしらせる。
「元居た場所に話を付けに行くってさ。……紙人形があまりにしつこいから」
言葉を選んでゆうきが説明する。
「ふぅん。それで、ヘットヘトなんだけど、宿の前で立ち往生してるのはなんで?」
遠慮のない事実確認の言葉がゆうきへと降りかかる。経緯を聞いたさおりは、短く「そっ」とだけ言い、のびをした。
「ここって、本当に東の端?」
のぞみがゆうきの目を見た。
「そう、看板には書かれてたよ」
ゆうきが答えたのを聞いて、のぞみは目の前を通りすがった男性に声をかけた。
「これより先に、町はないんですか?」
「この町より先は、海だよ。渡れば町があるのかもしれないが、海はヒシャクユウレイのたまり場になってて、とても渡ってみようって気にはならないね」
のぞみの背丈にしゃがんで、目線を合わせながら男性はゆったりと答えた。
「そう。ありがとう」
のぞみが礼を言うと男性は微笑んで、自分の目的地へと歩きはじめた。
「決めた」
のぞみの声に、タマモの耳がピンと立った。
「ウチは、海を超える」
カッパが寂しげな声をあげる。
「一人ぼっちは、ザシキワラシだろ」
ゆうきが返した言葉にカッパが期待するようにゆうきを見上げた。ゆうきはその視線を避けるようにして宿の手続きをしようと受付に向かう。
「お客様、申し訳ございませんが、ペットの入室はご遠慮いただいてます」
事務的な声が帰ってきて、ゆうきは思わずタマモを見た。
「大丈夫です。部屋を汚したりしません。ちゃんと言葉もわかりますし、人と変わらないんです」
ゆうきが説明するのを受付の女性は微笑んで聞いた後、首を振った。
「申し訳ございません。アレルギーや衛生面を考慮してすべてのペットは泊まれない決まりなんです」
「じゃぁ、別の宿を探します」
「ここらの宿はどこも同じ返事をすると思いますよ」
「そんなの差別じゃないですか」
「区別です。この土地にはいろんな人がやってきます。全員の都合を聞いていたのでは誰も生きられません。少しずつ、みんな我慢してるんです。どうか、ご了承ください」
受付との押し問答の末、ゆうきは宿を出た。
理想の暮らしができると思ってやってきた町で、ただ身体を休めようとしただけ。それだけで人と衝突する。その事がゆうきの気力をひどく奪う。
ゆうきの俯いた耳に知らない親子の会話が聞こえてきた。
「今夜はカレーよ」
「わぁ!!うれしいな」
微笑ましい会話を交わす親子の外で大きな買物袋を下げた小柄な妖怪が独り。先を行く親子の後を小走りで追いかけていた。
「小僧、何を思う?」
タマモの声にゆうきが振り向く。タマモはのぞみが寒くないようにと尾の角度を調節しながらゆうきの様子を伺うように目を細めた。
「ここは、期待した場所じゃないのかも、なぁって」
ゆうきが肩をすくめる。
「ならばどうする?」
タマモが問い掛けて来たのを、ゆうきはイライラと跳ね返す。
「何でもかんでも、僕に決めさせないでよ。うまくいかなかったら、それを背負うのは苦しいんだ」
「わぁ、おっきいねぇ」
先ほど、夕飯がカレーである事を喜んでいた子供だった。いつのまにかタマモの側に立ち、目を輝かせている。
「撫でても良い?」
「否。止めてくれ」
タマモが耳をパタリパタリと不愉快そうに動かして言った。
「わっ!喋った!!」
子供が驚いて目を丸くした。毛を撫でようと伸ばした手は、そのまま空で固まっている。
「妖狐を見るのは初めてか?」
タマモは鼻を鳴らし、得意げに胸を張った。
「うん!あ、飴食べる?」
子供はポケットから飴を一つ取り出してタマモに掲げて見せた。タマモがいらないと返事をする前に子供は母親に呼び戻された。タマモの前足の間に飴玉をおいた子供は、小さく手を振ると母親に向かって駆けて行った。小さかった背中がさらに小さくなるのを、ゆうきはぼんやりと眺める。
「飴、要らない?くれ」
カッパがタマモの前で飛び跳ねて催促し、タマモは前足で器用にカッパの手元へと飴玉を滑らせた。
「……誰かに、決めてほしいよ。これからどうしたら良いのか」
ゆうきは誰に聞かせるでもなくただ呟いた。
「それは、正しい事なのか?」
タマモが首を傾げる。
「わかんないけど。でもさ、自分で決めるよりもすごく楽なことではあると思う」
ゆうきは目に付いた石を蹴った。何度か道路を跳ねた石は排水溝へと転がり落ちていく。
「楽、じゃなかったよ」
まだどこかフワフワとした様子でのぞみが言った。眠たそうに何度も瞬きを繰り返す瞳に疲れが残っている。
「ウチ、なにも判らなかったから、カカ様やトト様の笑顔を基準にして生きてた。知らなかったから、トト様やカカ様から離れた後も全部、人がしてほしい事をして今日まで生きた。けど、楽だと思ったことはないよ。役に立てば良いだけだから迷うことは少なかったけど、でも役に立てなくなったら、ウチの価値が無くなる気がして。だから、助けてと言われたのに、助けないのがすごく怖くて選択できなかった」
「僕は止めたのに」
卑怯だと気づきながら、ゆうきはそう返していた。直前にのぞみの身体を奪うような願いをした者が使っていい言葉じゃないと理解していながら、舌先を離れた声がのぞみの鼓膜を揺らすのをどこか他人事のように見る。
「そうだね」
のぞみは町の入口とは逆方向を見るようにして答えた。潮の匂いが、のぞみの白髪を揺らした。
「あれ?あたし、死んだつもりだったのに」
さおりが頭を掻きながら身体を起こす。
「お腹に穴空いてなかった?」
あっけらかんとそう口にできるのは、さおり自身現実かどうか自信がないからだろう。
「お腹あげた。……ゆうきにあげてって言われたから」
のぞみがゆうきの胸元を指差して言う。
「命の恩人てわけね、ありがとう。……いや、でも複雑」
さおりが髪留めを外して金髪をサラリと下ろした。再び束ね直しながら、「ザシキワラシは?」と辺りに視線をはしらせる。
「元居た場所に話を付けに行くってさ。……紙人形があまりにしつこいから」
言葉を選んでゆうきが説明する。
「ふぅん。それで、ヘットヘトなんだけど、宿の前で立ち往生してるのはなんで?」
遠慮のない事実確認の言葉がゆうきへと降りかかる。経緯を聞いたさおりは、短く「そっ」とだけ言い、のびをした。
「ここって、本当に東の端?」
のぞみがゆうきの目を見た。
「そう、看板には書かれてたよ」
ゆうきが答えたのを聞いて、のぞみは目の前を通りすがった男性に声をかけた。
「これより先に、町はないんですか?」
「この町より先は、海だよ。渡れば町があるのかもしれないが、海はヒシャクユウレイのたまり場になってて、とても渡ってみようって気にはならないね」
のぞみの背丈にしゃがんで、目線を合わせながら男性はゆったりと答えた。
「そう。ありがとう」
のぞみが礼を言うと男性は微笑んで、自分の目的地へと歩きはじめた。
「決めた」
のぞみの声に、タマモの耳がピンと立った。
「ウチは、海を超える」