安心を
文字数 2,973文字
さおりの家に飛び込んだ一行は、それぞれ肩で息をしながら早鐘のように打つ鼓動とドアの音を聞いた。
ドアを叩いているのは大量の紙人形だろう。タマモを追いかけてきていたやつだ。
それが代わる代わるドアに体当たりをしている。家の中で外の風景が見えなくても、切れ間のない音で想像はついた。
のぞみがタマモの目元に張り付いた紙人形を取り、囲炉裏にくべる。
紙人形は足の端から炎に舐められ黒ずみ崩れて灰に混ざった。
「あーもう、うるさいね」
さおりが苛立った声を上げてオニビを呼ぶ。
「焼き払っちゃって」
さおりの言葉に応えるに一瞬窓の外が青く光り、すぐにドアの外が静かになった。カッパが感動したようにぺチンぺチンと拍手をしている。
「ありがとう」
タマモの背に乗っていた幼い子がぺこりと頭を下げた。着ているのは赤い生地の着物。金の糸で細やかな刺繍が施されている。厚みと光沢のある生地。そこに反射した光が幼子の動きに合わせてなめらかに移動した。耳たぶの長さで切り揃えられたおかっぱ頭は黒く、つやつやと輝いている。眉毛の上でまっすぐ切り揃えられた前髪の間から小さな突起が2つ。角のような形のそれがなければ、ただのお金持ちの子供と見間違う容姿をしていた。
幼子のいたいけな瞳は感謝の気持ちで満ち、血色のよい頬は見る者の心を溶かすような温かさを持っていた。
「君がザシキワラシ?」
ゆうきの問い掛けに、幼子はこくりと頷く。
「連れて来ちゃったパターンね……。とりあえず、どうぞ」
さおりが額の汗をぬぐう。それから、水瓶から酌んだ水をそれぞれの前に差し出していく。
タマモにはカレー皿、カッパには汁椀、ザシキワラシにはティーカップ。ゆうきの手元には湯のみ、さおり自身にはマグカップ。一人暮らし用に整えられた食器でうまく水が分配されて行くのをゆうきは目で追いかける。冷えた水を口に流し込み、体のすみずみに染み込んで火照った体を冷やすのを感じた。
のぞみの手元にはザシキワラシと対になったティーカップがある。一人分の生活を無駄なく整えているのに、誰かとお茶を共にする準備があったことに驚く、ゆうき。長くのぞみの手元を見つめていたゆうきは、ティーカップを持っていない方の手が目に入って顔をしかめる。さらに、のぞみの光っている範囲が広がっていることに気づいた。のぞみの着物の裾から見える足も淡く光り輝いている。
「それ」
慌てて飲み下した水が、気管に入り、むせながら、ゆうきが指差す。
「あげたの」
のぞみは、あっさりと答えた。
「ザシキワラシのいた部屋の周辺には踏むと痛みを発生させる呪が仕掛けられていたからな」
タマモが補足する。
「別の方法だってあっただろうに」
ゆうきが大きなため息をついた。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうにザシキワラシが謝る。ゆうきは今、のぞみに話して聞かせることが、ザシキワラシを責める事になるのを知り、首を振った。
「いや、僕が悪かった」
「さて、どうしようかなっと……」
さおりは天井の角を睨むように呟いた。
「どうする?」
状況を飲み込めていない顔でカッパが首を傾ける。チャポンと跳ねた水がタマモの毛に散り、タマモが大きな息を吐いた。
「今あたしの手元には、お金持ちの大切なモノがあるの。で、紙人形がこの家を知っちゃった訳だ。ザシキワラシ泥棒として怒られるだろうね」
カッパに説明するようにさおりが言葉を紡ぐ。
「お金払う?」
カッパが腕を組んで、聞いた。
「……。あの家はあたしが一生かけても手に入れられないほどのお金を持ってるからなぁ」
さおりが苦笑してカッパを見やった。
「小豆の弁償とは訳が違うよ」
ゆうきが、さおりの言いたいことを続けた。
「どうする?」
カッパがお手上げだと言うように両手をあげて問い掛ける。
「謝って、ザシキワラシをあの家に帰そっか」
人差し指をピンと立ててさおりが満面の笑顔をした。
「嫌です」
怯えた目をして、ザシキワラシが首を振る。
「どおして?見たところ、ひどい扱いは受けてないわよね?その着物、私の月収ぐらいの値段するわよ……下手すると、年収かも?」
意地悪そうな笑顔をザシキワラシに向けるさおり。
「私は人の笑顔が好きです。人と遊ぶのが好きです。今のあの家ではどちらも得られません」
ザシキワラシはのぞみの背に身を隠しながら答えた。
「だけど、安心で安全で贅沢な暮らしでしょうに。まったく、あたしが欲しい環境を手に入れてる癖に、それが不満だなんて腹が立ってくるわ」
さおりが唇を尖らせながら文句を言った。
「ごめんなさい」
ザシキワラシが謝る。
「……全く」
息を吐くとともにさおりが腰に手を当てた。眉間に寄ったシワと不機嫌そうに曲がった口元がその先の言葉を想像させた。
「僕が連れていきますから」
ゆうきは、さおりに頭を下げる。少し遅れてのぞみが頭を下げたのが見えた。タマモがそのあとに続く。
「この家は、もうバレてんのよ?あんた達だけで逃げるつもり?逃げ遅れた私に償いさせるの?」
さおりの冷たい目がゆうきを射る。カッパが不安げにさおりの顔色を伺っていた。
「ごめんなさい」
謝る声が再び、ザシキワラシの元から上がる。
「謝罪は、事態を解決する魔法の言葉じゃないの。一番簡単なのはあなたが、あの家に戻ることなんだけれど?」
さおりが鋭く切り捨てる。
ザシキワラシの体が強張った。
「望まない場所で生きることを強要するのは、ダメでしょう」
ゆうきが間に立って、ザシキワラシを助ける。
「だけど、ザシキワラシが立ち去るってことは、あの家が不幸になるってことよ?」
ゆうきに噛み付くようにして言ったさおりは、カッパが怯えているのに気づいて、表情を和らげた。
「不幸、とは決まってません。元々あの家は笑顔に溢れ、遊びと勤勉のバランスが整ってました。私はただ、その楽しげな雰囲気に引き寄せられただけです。私にできるのは、人の疲れを癒すことだけ。無限に気力を沸かせることはできても、幸・不幸を操れるわけではないです。でも、私の姿を見た家人がちょっとした幸運を私のおかげだと騒ぎ出して。私が立ち去ると、それまでのように気力が湧かないのでそのまま没落する家は確かにありますが」
ザシキワラシが反論する。しかし、その声は尻すぼみに小さくなっていく。直接手を下しているわけではないが、結果として家が没落するのは事実らしい。
「それでも、あの場所で私は暮らしたくないのです」
ザシキワラシが蚊の鳴くような声で呟いた言葉をゆうきが後押しした。
「誰かの幸福のために、誰かが不幸になるのは違う」
「……裏手にリアカーがあるから。行きましょ」
まるで、コインを裏返すように明るい笑顔に切り替えたさおりが言う。
「え?でも、折角、こんなに生活環境が整っているのに」
ゆうきは部屋を見渡した。
「そうね。ここまで整えるのは大変だったわよ」
さおりは目を閉じてうんうんと、深く頷く。
「じゃあ……」
ゆうきの言葉を遮って、さおりが言った。
「お金さえあれば、生活を整えるなんて何度だってできるし。それに……」
さおりは言葉を切ると、タマモ、のぞみ、ゆうき、カッパ、ザシキワラシを順番に見て、それから、ゆうきを見据えた。
「あたしが、親を見捨てた時にさ、そうやって言ってくれる人が欲しかったな……なんてね」
ドアを叩いているのは大量の紙人形だろう。タマモを追いかけてきていたやつだ。
それが代わる代わるドアに体当たりをしている。家の中で外の風景が見えなくても、切れ間のない音で想像はついた。
のぞみがタマモの目元に張り付いた紙人形を取り、囲炉裏にくべる。
紙人形は足の端から炎に舐められ黒ずみ崩れて灰に混ざった。
「あーもう、うるさいね」
さおりが苛立った声を上げてオニビを呼ぶ。
「焼き払っちゃって」
さおりの言葉に応えるに一瞬窓の外が青く光り、すぐにドアの外が静かになった。カッパが感動したようにぺチンぺチンと拍手をしている。
「ありがとう」
タマモの背に乗っていた幼い子がぺこりと頭を下げた。着ているのは赤い生地の着物。金の糸で細やかな刺繍が施されている。厚みと光沢のある生地。そこに反射した光が幼子の動きに合わせてなめらかに移動した。耳たぶの長さで切り揃えられたおかっぱ頭は黒く、つやつやと輝いている。眉毛の上でまっすぐ切り揃えられた前髪の間から小さな突起が2つ。角のような形のそれがなければ、ただのお金持ちの子供と見間違う容姿をしていた。
幼子のいたいけな瞳は感謝の気持ちで満ち、血色のよい頬は見る者の心を溶かすような温かさを持っていた。
「君がザシキワラシ?」
ゆうきの問い掛けに、幼子はこくりと頷く。
「連れて来ちゃったパターンね……。とりあえず、どうぞ」
さおりが額の汗をぬぐう。それから、水瓶から酌んだ水をそれぞれの前に差し出していく。
タマモにはカレー皿、カッパには汁椀、ザシキワラシにはティーカップ。ゆうきの手元には湯のみ、さおり自身にはマグカップ。一人暮らし用に整えられた食器でうまく水が分配されて行くのをゆうきは目で追いかける。冷えた水を口に流し込み、体のすみずみに染み込んで火照った体を冷やすのを感じた。
のぞみの手元にはザシキワラシと対になったティーカップがある。一人分の生活を無駄なく整えているのに、誰かとお茶を共にする準備があったことに驚く、ゆうき。長くのぞみの手元を見つめていたゆうきは、ティーカップを持っていない方の手が目に入って顔をしかめる。さらに、のぞみの光っている範囲が広がっていることに気づいた。のぞみの着物の裾から見える足も淡く光り輝いている。
「それ」
慌てて飲み下した水が、気管に入り、むせながら、ゆうきが指差す。
「あげたの」
のぞみは、あっさりと答えた。
「ザシキワラシのいた部屋の周辺には踏むと痛みを発生させる呪が仕掛けられていたからな」
タマモが補足する。
「別の方法だってあっただろうに」
ゆうきが大きなため息をついた。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうにザシキワラシが謝る。ゆうきは今、のぞみに話して聞かせることが、ザシキワラシを責める事になるのを知り、首を振った。
「いや、僕が悪かった」
「さて、どうしようかなっと……」
さおりは天井の角を睨むように呟いた。
「どうする?」
状況を飲み込めていない顔でカッパが首を傾ける。チャポンと跳ねた水がタマモの毛に散り、タマモが大きな息を吐いた。
「今あたしの手元には、お金持ちの大切なモノがあるの。で、紙人形がこの家を知っちゃった訳だ。ザシキワラシ泥棒として怒られるだろうね」
カッパに説明するようにさおりが言葉を紡ぐ。
「お金払う?」
カッパが腕を組んで、聞いた。
「……。あの家はあたしが一生かけても手に入れられないほどのお金を持ってるからなぁ」
さおりが苦笑してカッパを見やった。
「小豆の弁償とは訳が違うよ」
ゆうきが、さおりの言いたいことを続けた。
「どうする?」
カッパがお手上げだと言うように両手をあげて問い掛ける。
「謝って、ザシキワラシをあの家に帰そっか」
人差し指をピンと立ててさおりが満面の笑顔をした。
「嫌です」
怯えた目をして、ザシキワラシが首を振る。
「どおして?見たところ、ひどい扱いは受けてないわよね?その着物、私の月収ぐらいの値段するわよ……下手すると、年収かも?」
意地悪そうな笑顔をザシキワラシに向けるさおり。
「私は人の笑顔が好きです。人と遊ぶのが好きです。今のあの家ではどちらも得られません」
ザシキワラシはのぞみの背に身を隠しながら答えた。
「だけど、安心で安全で贅沢な暮らしでしょうに。まったく、あたしが欲しい環境を手に入れてる癖に、それが不満だなんて腹が立ってくるわ」
さおりが唇を尖らせながら文句を言った。
「ごめんなさい」
ザシキワラシが謝る。
「……全く」
息を吐くとともにさおりが腰に手を当てた。眉間に寄ったシワと不機嫌そうに曲がった口元がその先の言葉を想像させた。
「僕が連れていきますから」
ゆうきは、さおりに頭を下げる。少し遅れてのぞみが頭を下げたのが見えた。タマモがそのあとに続く。
「この家は、もうバレてんのよ?あんた達だけで逃げるつもり?逃げ遅れた私に償いさせるの?」
さおりの冷たい目がゆうきを射る。カッパが不安げにさおりの顔色を伺っていた。
「ごめんなさい」
謝る声が再び、ザシキワラシの元から上がる。
「謝罪は、事態を解決する魔法の言葉じゃないの。一番簡単なのはあなたが、あの家に戻ることなんだけれど?」
さおりが鋭く切り捨てる。
ザシキワラシの体が強張った。
「望まない場所で生きることを強要するのは、ダメでしょう」
ゆうきが間に立って、ザシキワラシを助ける。
「だけど、ザシキワラシが立ち去るってことは、あの家が不幸になるってことよ?」
ゆうきに噛み付くようにして言ったさおりは、カッパが怯えているのに気づいて、表情を和らげた。
「不幸、とは決まってません。元々あの家は笑顔に溢れ、遊びと勤勉のバランスが整ってました。私はただ、その楽しげな雰囲気に引き寄せられただけです。私にできるのは、人の疲れを癒すことだけ。無限に気力を沸かせることはできても、幸・不幸を操れるわけではないです。でも、私の姿を見た家人がちょっとした幸運を私のおかげだと騒ぎ出して。私が立ち去ると、それまでのように気力が湧かないのでそのまま没落する家は確かにありますが」
ザシキワラシが反論する。しかし、その声は尻すぼみに小さくなっていく。直接手を下しているわけではないが、結果として家が没落するのは事実らしい。
「それでも、あの場所で私は暮らしたくないのです」
ザシキワラシが蚊の鳴くような声で呟いた言葉をゆうきが後押しした。
「誰かの幸福のために、誰かが不幸になるのは違う」
「……裏手にリアカーがあるから。行きましょ」
まるで、コインを裏返すように明るい笑顔に切り替えたさおりが言う。
「え?でも、折角、こんなに生活環境が整っているのに」
ゆうきは部屋を見渡した。
「そうね。ここまで整えるのは大変だったわよ」
さおりは目を閉じてうんうんと、深く頷く。
「じゃあ……」
ゆうきの言葉を遮って、さおりが言った。
「お金さえあれば、生活を整えるなんて何度だってできるし。それに……」
さおりは言葉を切ると、タマモ、のぞみ、ゆうき、カッパ、ザシキワラシを順番に見て、それから、ゆうきを見据えた。
「あたしが、親を見捨てた時にさ、そうやって言ってくれる人が欲しかったな……なんてね」