人の罪
文字数 2,572文字
「じゃぁ、先に頂戴」
ゆうきは両手を出してカッパにねだった。カッパはゆうきが反応したことで、嬉しそうに飛び起きる。そのまま小走りに岩の影から手の平ほどの小瓶を持ってきて、ゆうきに手渡す。
「背中向けて」
ゆうきがカッパに向かって静かに命令した。カッパは首を傾げながらも素直に従う。ゆうきは受けとった小瓶の中身を、擦り傷のついたカッパの背の甲羅部分に垂らしてみた。液が触れたところから青白く光り、見る間にその傷が塞がれて行く。それを確認したゆうきは、自分の手の平や鼻緒で擦り切れた足の指に塗った。傷口はほのかに温かくなった後、その熱が引くとともに痛みも引いた。
「なぁ、カッパ。お前、カッパにむいてないよ」
ゆうきは綺麗に治った自分の手の平を見つめ、あきれたようなため息とともにそう吐いた。
「なんでだ?ちゃんと傷薬を渡したぞ」
カッパは慌てたように振り返って、ゆうきの両肩を掴もうと身を乗り出した。しかし、ゆうきの方が先に身を引いたため、その手は空振りに終わる。
「……。こういう場合はさ。偽の薬を渡して、欲しい情報だけを抜き取るのが普通なんだよ」
ゆうきは、カッパの甘さに首を振った。風の冷たさに体に震えが走る。ゆうきは周辺を見渡して身につけられるものを探したが、めぼしいものは見つけられなかった。
「そういうものなのか」
カッパは感心するように何度も頷き、近くにあった大振りの葉にメモを取る仕種をした。
「なぁ、カッパ。お前、仲間から、くそ真面目とか、馬鹿正直とか言われない?」
ゆうきはカッパの姿勢をみて頭に手をついた。小バカにしているのを隠そうともせず、静かな調子で問い掛ける。目の前にいるカッパから何か着るものをもらおうかとの考えが頭を過ぎった。カッパが何も着ていない以上その成功率は低そうだと思い直す。
「その言葉好きじゃない。だから、俺、ここで一人」
悲しそうに俯いたカッパの態度はゆうきの言葉を肯定していた。
「くそ真面目過ぎるのも大変だね」
ゆうきは同情の眼差しを向けると、そのまま歩き始めた。
「なっ、人類が妖怪より少ない理由をまだ聞かせてもらってない」
カッパは目を大きく見開いて、ゆうきを呼び止めた。ゆうきは小さく口元で笑う。
「ね?利益だけを持って行かれるかもしれないんだから、交換条件を出すなら報酬の受け渡しタイミングは慎重にしなきゃ」
ゆうきは仕方なく近くにあった大岩に腰掛けると、話しはじめた。
人類は火の力を手に入れ、科学を発展させた。非科学的な妖怪や生物的本能ーーつまり生殖行動ーーを無価値なものとして軽んじ、伝統や繁殖よりも瞬間的利益を追い求め続けた。結果、後継者、世継ぎの概念も薄れていく。産まなくても人は老い、いずれは現世から去る。引き算だけを繰り返せばどうなるのかは、子供でもわかるだろう。今や地球上における人類の割合は全盛期の一万分の一にまで落ち込んでいる。この数字はかつての栄華を取り戻すには絶望的で、人類は生きるために、かつての生活を勉強し直した。それまでの便利な生活は、多くの人がいてこそ成り立つもので、それが崩壊した後は、金儲けのために使われてきた個人の時間は衣食住を整えることに裂かれるようになった。
「最近、尻小玉がなかなか来なかったのは……」
カッパは合点がいったというように右の握りこぶしを左手の平に打ち付けた。
「あぁ。なるべくチームを組んで生活した方が楽だからね。もともと都市部集中の傾向はあったようだけど。最近では一層顕著だね。ここいらに住んでいるのはほんの一握りの嫌われ者ぐらいじゃないかな」
ゆうきはそう言って自嘲すると手をヒラヒラと動かして大岩から飛び降りる。カッパの視線を感じたが、ゆうきは振り返らずに歩を進めた。カッパがゆうきの背に飛びついて来ることは、もうなかった。
「ただいま」
ゆうきがタマモとのぞみの休んでいた場所に戻ると、ちょうど二人とも目を覚ましたところだった。
「近くにカッパのいる川があるよ。水は澄んでいるから飲めると思うけど、二人とも動ける?」
ゆうきがそう答えると、タマモが「聞こえていた」と返事をした。
「へぇ、耳が良いんだ」
ゆうきはタマモを見て、それからのぞみに問い掛ける。
「お水持ってこようか?」
のぞみが首を横に振る。それに合わせておかっぱの白い髪も揺れる。朝日を反射したその白髪が薄水色にきらきらと光った。
「小僧、嫌われ者なのか?」
遠慮のないタマモの問い掛けが、ゆうきの頭上から下りてきた。
「まぁ?」
ゆうきは答えるとタマモと視線を合わせ、下まぶたを人差し指で引っ張った。舌を出さずにあっかんべーをしているかのような表情にタマモは苛立った声を上げる。
「からかっているのか。小僧」
「あははは。さすが動じないよねぇ、桜の花に見えるピンクの光彩ぐらいじゃ」
ゆうきは心底可笑しそうに笑うと、のぞみを見て安心させるように言った。
「君はその髪の毛を黒く染めればうまく溶け込めると思うよ。女の子はどの集落でも大切にされるから安心するといい。集落での暮らしが嫌なら僕と暮らすって手もあるけど、まぁ二人で生活するより集落での暮らしの方が負担は少ないし、オススメかな」
「タマモは?」
のぞみの問い掛けにゆうきは、「人型に変化すれば良い」と肩をすくめた。
「ふざけるな。私はそんなものになど変化せぬ」
タマモが唸った。
「じゃあ、僕と暮らすか?犬を飼ってみたかったからちょうど良い」
タマモが断るのを見越したからかうような調子でゆうきが言い、タマモを見る。
「小僧に飼われるなど」
タマモは鼻で笑った。
風が木々を揺らして、三人の間を吹き抜けた。ゆうきは身を震わせた。
「とりあえず、俺の家に向かおう。これ以上、体を冷やしたら風邪を引いてしまう」
「タマモ」
のぞみが言い、ゆうきをグイグイとタマモの後ろ足に押し付けた。
「……のぞみが、言うのなら」
タマモは鼻の頭に深いシワを刻み、渋々といった調子で頷く。そのまま、ゆうきを鼻先で足の内側に招いた。ゆうきの素肌を柔らかな毛が包んだ。冷えていたゆうきの体がやんわりと温められる。獣の匂いがゆうきの鼻腔を満たした。
「方角を言え」
のぞみを背に乗せたタマモはゆうきに問う。ゆうきの答えを聞いたタマモはグッと足に力を入れ、ゆうきの家を目指して走った。
ゆうきは両手を出してカッパにねだった。カッパはゆうきが反応したことで、嬉しそうに飛び起きる。そのまま小走りに岩の影から手の平ほどの小瓶を持ってきて、ゆうきに手渡す。
「背中向けて」
ゆうきがカッパに向かって静かに命令した。カッパは首を傾げながらも素直に従う。ゆうきは受けとった小瓶の中身を、擦り傷のついたカッパの背の甲羅部分に垂らしてみた。液が触れたところから青白く光り、見る間にその傷が塞がれて行く。それを確認したゆうきは、自分の手の平や鼻緒で擦り切れた足の指に塗った。傷口はほのかに温かくなった後、その熱が引くとともに痛みも引いた。
「なぁ、カッパ。お前、カッパにむいてないよ」
ゆうきは綺麗に治った自分の手の平を見つめ、あきれたようなため息とともにそう吐いた。
「なんでだ?ちゃんと傷薬を渡したぞ」
カッパは慌てたように振り返って、ゆうきの両肩を掴もうと身を乗り出した。しかし、ゆうきの方が先に身を引いたため、その手は空振りに終わる。
「……。こういう場合はさ。偽の薬を渡して、欲しい情報だけを抜き取るのが普通なんだよ」
ゆうきは、カッパの甘さに首を振った。風の冷たさに体に震えが走る。ゆうきは周辺を見渡して身につけられるものを探したが、めぼしいものは見つけられなかった。
「そういうものなのか」
カッパは感心するように何度も頷き、近くにあった大振りの葉にメモを取る仕種をした。
「なぁ、カッパ。お前、仲間から、くそ真面目とか、馬鹿正直とか言われない?」
ゆうきはカッパの姿勢をみて頭に手をついた。小バカにしているのを隠そうともせず、静かな調子で問い掛ける。目の前にいるカッパから何か着るものをもらおうかとの考えが頭を過ぎった。カッパが何も着ていない以上その成功率は低そうだと思い直す。
「その言葉好きじゃない。だから、俺、ここで一人」
悲しそうに俯いたカッパの態度はゆうきの言葉を肯定していた。
「くそ真面目過ぎるのも大変だね」
ゆうきは同情の眼差しを向けると、そのまま歩き始めた。
「なっ、人類が妖怪より少ない理由をまだ聞かせてもらってない」
カッパは目を大きく見開いて、ゆうきを呼び止めた。ゆうきは小さく口元で笑う。
「ね?利益だけを持って行かれるかもしれないんだから、交換条件を出すなら報酬の受け渡しタイミングは慎重にしなきゃ」
ゆうきは仕方なく近くにあった大岩に腰掛けると、話しはじめた。
人類は火の力を手に入れ、科学を発展させた。非科学的な妖怪や生物的本能ーーつまり生殖行動ーーを無価値なものとして軽んじ、伝統や繁殖よりも瞬間的利益を追い求め続けた。結果、後継者、世継ぎの概念も薄れていく。産まなくても人は老い、いずれは現世から去る。引き算だけを繰り返せばどうなるのかは、子供でもわかるだろう。今や地球上における人類の割合は全盛期の一万分の一にまで落ち込んでいる。この数字はかつての栄華を取り戻すには絶望的で、人類は生きるために、かつての生活を勉強し直した。それまでの便利な生活は、多くの人がいてこそ成り立つもので、それが崩壊した後は、金儲けのために使われてきた個人の時間は衣食住を整えることに裂かれるようになった。
「最近、尻小玉がなかなか来なかったのは……」
カッパは合点がいったというように右の握りこぶしを左手の平に打ち付けた。
「あぁ。なるべくチームを組んで生活した方が楽だからね。もともと都市部集中の傾向はあったようだけど。最近では一層顕著だね。ここいらに住んでいるのはほんの一握りの嫌われ者ぐらいじゃないかな」
ゆうきはそう言って自嘲すると手をヒラヒラと動かして大岩から飛び降りる。カッパの視線を感じたが、ゆうきは振り返らずに歩を進めた。カッパがゆうきの背に飛びついて来ることは、もうなかった。
「ただいま」
ゆうきがタマモとのぞみの休んでいた場所に戻ると、ちょうど二人とも目を覚ましたところだった。
「近くにカッパのいる川があるよ。水は澄んでいるから飲めると思うけど、二人とも動ける?」
ゆうきがそう答えると、タマモが「聞こえていた」と返事をした。
「へぇ、耳が良いんだ」
ゆうきはタマモを見て、それからのぞみに問い掛ける。
「お水持ってこようか?」
のぞみが首を横に振る。それに合わせておかっぱの白い髪も揺れる。朝日を反射したその白髪が薄水色にきらきらと光った。
「小僧、嫌われ者なのか?」
遠慮のないタマモの問い掛けが、ゆうきの頭上から下りてきた。
「まぁ?」
ゆうきは答えるとタマモと視線を合わせ、下まぶたを人差し指で引っ張った。舌を出さずにあっかんべーをしているかのような表情にタマモは苛立った声を上げる。
「からかっているのか。小僧」
「あははは。さすが動じないよねぇ、桜の花に見えるピンクの光彩ぐらいじゃ」
ゆうきは心底可笑しそうに笑うと、のぞみを見て安心させるように言った。
「君はその髪の毛を黒く染めればうまく溶け込めると思うよ。女の子はどの集落でも大切にされるから安心するといい。集落での暮らしが嫌なら僕と暮らすって手もあるけど、まぁ二人で生活するより集落での暮らしの方が負担は少ないし、オススメかな」
「タマモは?」
のぞみの問い掛けにゆうきは、「人型に変化すれば良い」と肩をすくめた。
「ふざけるな。私はそんなものになど変化せぬ」
タマモが唸った。
「じゃあ、僕と暮らすか?犬を飼ってみたかったからちょうど良い」
タマモが断るのを見越したからかうような調子でゆうきが言い、タマモを見る。
「小僧に飼われるなど」
タマモは鼻で笑った。
風が木々を揺らして、三人の間を吹き抜けた。ゆうきは身を震わせた。
「とりあえず、俺の家に向かおう。これ以上、体を冷やしたら風邪を引いてしまう」
「タマモ」
のぞみが言い、ゆうきをグイグイとタマモの後ろ足に押し付けた。
「……のぞみが、言うのなら」
タマモは鼻の頭に深いシワを刻み、渋々といった調子で頷く。そのまま、ゆうきを鼻先で足の内側に招いた。ゆうきの素肌を柔らかな毛が包んだ。冷えていたゆうきの体がやんわりと温められる。獣の匂いがゆうきの鼻腔を満たした。
「方角を言え」
のぞみを背に乗せたタマモはゆうきに問う。ゆうきの答えを聞いたタマモはグッと足に力を入れ、ゆうきの家を目指して走った。