出会い
文字数 3,260文字
空が赤く染まり、カラスの群れが家路を急いでいる。その光景にゆうきは一抹の不安と焦りを自覚しながらも山を下りない。肌を撫でていく風が冬の到来を予感させる。ゆうきの自宅に備蓄されている食料は、冬を越すには心許なかった。動物達は早々に冬眠を始めたのだろうか。背中に背負った猟銃とその弾はただの荷物に成り果てている。ゆうきは、足元に転がる木の実に気づくと、一つ一つ拾いはじめた。小さい木の実でも無いよりはマシだろう。すこしでも多く収穫しようと欲張っているうちに日がとっぷりと暮れていた。
どこかで夜を明かそうとゆうきが顔を上げると、すこし行った先から光が漏れているのが見えた。ゆうきの今立っている場所から数歩のところに庭を挟んで大きな日本家屋が建っている。このあたりにに人が住んでいる話は聞いたことが無いから、妖怪の住家だろうかとゆうきは思案した。人を食う妖怪の住家であれば恐ろしいが、妖狐に化かされるぐらいならば時間つぶしにちょうどいいと結論づける。ゆうきは庭の生け垣からそっと顔を出して様子を伺う。
縁側にいたのは十六、七歳に見えるおかっぱ頭の少女。白い髪の毛が満月に照らされて発光しているように輝いていた。簡素な着物を身につけた少女のの視線がゆうきを捉える。
「だれ?」
鈴の転がるような声で問われたゆうきは、吸い寄せられるように少女に近づいた。
「僕の名前はゆうき。食料を取っているうちに日が暮れてしまってね。申し訳ないが屋根を貸してくれないだろうか?」
驚くほど流暢にでた言葉にゆうきは内心で驚きながら、少女に向かって微笑んだ。
「それはできない。ここは妖怪の家だから。きっと、無事では済まない」
少女が首を左右に振るとそれに合わせて髪の毛がサラリサラリと揺れる。
「君は、いきなり襲ってきたりはしないんだね」
ゆうきは少女の髪の毛に触れたい衝動を堪えて、問い返す。
「ウチには人の畏れが必要ないから」
少女は小刻みに頷くとそう答えた。ゆうきはその言葉に引っ掛かる。妖怪は人の畏れによってアイデンティティを確立しているはずだ。それが必要ないとはどういうことだろう。
「妖怪なのに?」
ゆうきの問い掛けに少女は「ウチには妖力が無いから」と、答えて俯いた。
「今日まで生かしてもらったから、明日から、ウチが”村の花嫁”になって畏れを村中に渡して回るの。一生」
少女は俯いたまま、説明を始めた。村の花嫁とは、少女が村にいる男衆すべてと寝室を共にすることだと。
少女の村には多種多様の妖怪が住んでおり、少女は父、アズキアライ。母、フタクチ。その二人の子供。しかし、妖怪であれば持つはずの妖気を少女は持たず、まるで人の子のように体が弱い。弱肉強食の妖怪社会で本来なら少女は捨て置かれ、育ててもらうことは叶わないはずだった。それが、人類が絶滅寸前であるおかげで自分にも役割ができたのだ。妖怪は「畏れ」がなければ自らの存在が揺らぐ不安定な存在だ。人類が減った今、弱々しい少女とそれに産ませた子供から「畏れ」を奪うことは村にいる妖怪すべての希望。少女が役割を拒否すればやがて村中の妖怪は弱り、実体を保てず、概念だけの存在へとなっていく。概念だけになったところで語り継ぐものがいれば、何度でも蘇ることができるのではあるが。しかし、人類が絶滅の危機に瀕している今、概念だけになることは実質的な消滅と同義。
淡々とした調子で説明を終えた少女にゆうきは驚いた。周囲を畏れて生涯生きるのはとても幸せそうな提案には思えない。まして、その子供までも運命が決まって居るのは……。
「そんなの、間違ってる」
ゆうきは、思わずそう口にしていた。ゆうきの言葉を聞いた少女は首をかしげる。やけに明るい月明かりに照らされて光る少女の白い髪。それが天秤が傾くみたいにさらりと流れた。薄い黄色の瞳がゆうきの言葉の意味を探るように瞬く。
「親は、子供の幸せを願うもんだ」
ゆうきは苛立って言葉を継いだ。少女が着ている簡素な着物はこの季節にしては薄く、とても少女が周囲から大切にされているようには見えない。風がザワザワと周囲の木々を揺らし、ゆうきの着ている着物の裾を弄んだ。身じろぎもせずに、ただ瞬きを繰り返す少女の手をゆうきは掴む。
「君は、ここにいてはいけない」
ゆうきは少女の手を引き、返事も待たずに駆け出した。少女は手を引かれるまま、ゆうきの後を付いて一歩踏み出す。なだらかな山の斜面を二人は駆け降りてゆく。周囲に生えた木々の小枝がゆうきにぶつかり、頬を裂いた。履いた下駄の鼻緒が足の親指の付け根に擦れて血がにじむ。
びゅうと強い風が吹き、二人の行く手を阻むように金色の狐が立ちはだかった。その体躯はゆうきの三倍以上はありそうだ。金色の毛並みが月光を弾き、キラキラと神々しいまでに輝いていた。狐は空気の臭いを嗅ぐように鼻をヒクつかせ、金色の瞳をヒタとゆうきに向けた。
「どこへ行く?」
人を一口で飲み込めそうなほど大きな口を開き、狐が言う。犬歯がぎらりと光った。
「この子は僕と共に行く」
ゆうきは少女を庇うように一歩踏み出した。、背負っていた猟銃にそっと手を伸ばし、目の前の狐を睨み上げた。目の前の狐は恐ろしかったが、いまさら少女を目の前の妖狐に明け渡すほど、ゆうきは愚かではない。
「小賢しい。たかだか人間ごときが、私からその娘を奪うつもりか。身の程を知れ」
狐は憎々しげに言い、ゆうきを一瞥した。気圧されたように、ゆうきの足がジリッと後ずさる。後ろで少女が「タマモ、止めて」と微かな声を上げた。
「……私の花嫁になるのはそんなに嫌か?この小僧はお前の名前すら呼ばなかったぞ。幼少期より共に過ごした私よりも、その小僧と行く方がそんなに大事か?」
少女の声を聞いた途端、タマモと呼ばれた妖狐は、しっぽを後足の間に丸めるようにして入る。頭を垂れ、上目遣いになった金色の瞳が寂しげに光り、ゆうきを超えて少女へとその視線が注がれる。
「……わからない。だけど。ゆうきはウチが”村の花嫁”になることを間違っていると言った。ウチは、トト様にもカカ様にも”役立つように”と習い、育った。でも、ゆうきはトト様とカカ様が間違っていると言う。ウチはどうすれば良いのかわからない」
少女はそう言って、不安げにゆうきの着物の裾を掴んだ。今にも消え入りそうなその声はしかし、夜の静かな森にはよく響く。
「小僧、余計なことを」
タマモは歯を食いしばり、その隙間から怒りの言葉を吐いた。
「何が、余計なものか。お前らは、この子から好き勝手に力を貪ろうとしているだけだろう」
ゆうきはタマモに食ってかかった。視線を素早く走らせ、猟銃を抜くために相手の隙を伺う。
「……」
タマモは目を閉じ、長く息を吐いた。予想外の動きに、ゆうきは猟銃に手をかけたまま動けない。そのまま時間が経ち、やがてフクロウが鳴きはじめる。ゆうきは背にいる少女を振り返った。少女の薄黄色の瞳がただ、タマモに強い意思のこもった視線を投げかけている。
「のぞみは、小僧と共に行きたいのか?」
ゆっくりと目を開けたタマモは、少女の意思を確認するようにその姿を見つめた。少女ーーのぞみがゆうきの前に踏みだして、はっきりと頷いた。
「ならば乗れ」
タマモは四つ足を曲げ、その背を差し出す。のぞみが駆け寄り、そのままタマモの背によじ登る。のぞみは自らの腹をタマモの背にぴたりとつけて首もとの毛を掴んだ。
「……小僧、何をしている。乗れ」
タマモは苦々しげに首を振って背中を指した。
「のぞみが願うのならば、私はどんなことでも叶えると決めている」
続いて背中に登ったゆうきは、のぞみに倣ってタマモの毛を掴んだ。その瞬間、ゆうきの体がタマモのしっぽに向かって置き去りにされるような重力を感じる。タマモが一歩踏み込む度にゆうきの体が跳ね、木々が流れていく。ゆうきは自分の手の平に爪が食い込む痛みも厭わず、しっかりと握りしめた。振り落とされれば命はないだろうと本能が警鐘を鳴らす。
どこかで夜を明かそうとゆうきが顔を上げると、すこし行った先から光が漏れているのが見えた。ゆうきの今立っている場所から数歩のところに庭を挟んで大きな日本家屋が建っている。このあたりにに人が住んでいる話は聞いたことが無いから、妖怪の住家だろうかとゆうきは思案した。人を食う妖怪の住家であれば恐ろしいが、妖狐に化かされるぐらいならば時間つぶしにちょうどいいと結論づける。ゆうきは庭の生け垣からそっと顔を出して様子を伺う。
縁側にいたのは十六、七歳に見えるおかっぱ頭の少女。白い髪の毛が満月に照らされて発光しているように輝いていた。簡素な着物を身につけた少女のの視線がゆうきを捉える。
「だれ?」
鈴の転がるような声で問われたゆうきは、吸い寄せられるように少女に近づいた。
「僕の名前はゆうき。食料を取っているうちに日が暮れてしまってね。申し訳ないが屋根を貸してくれないだろうか?」
驚くほど流暢にでた言葉にゆうきは内心で驚きながら、少女に向かって微笑んだ。
「それはできない。ここは妖怪の家だから。きっと、無事では済まない」
少女が首を左右に振るとそれに合わせて髪の毛がサラリサラリと揺れる。
「君は、いきなり襲ってきたりはしないんだね」
ゆうきは少女の髪の毛に触れたい衝動を堪えて、問い返す。
「ウチには人の畏れが必要ないから」
少女は小刻みに頷くとそう答えた。ゆうきはその言葉に引っ掛かる。妖怪は人の畏れによってアイデンティティを確立しているはずだ。それが必要ないとはどういうことだろう。
「妖怪なのに?」
ゆうきの問い掛けに少女は「ウチには妖力が無いから」と、答えて俯いた。
「今日まで生かしてもらったから、明日から、ウチが”村の花嫁”になって畏れを村中に渡して回るの。一生」
少女は俯いたまま、説明を始めた。村の花嫁とは、少女が村にいる男衆すべてと寝室を共にすることだと。
少女の村には多種多様の妖怪が住んでおり、少女は父、アズキアライ。母、フタクチ。その二人の子供。しかし、妖怪であれば持つはずの妖気を少女は持たず、まるで人の子のように体が弱い。弱肉強食の妖怪社会で本来なら少女は捨て置かれ、育ててもらうことは叶わないはずだった。それが、人類が絶滅寸前であるおかげで自分にも役割ができたのだ。妖怪は「畏れ」がなければ自らの存在が揺らぐ不安定な存在だ。人類が減った今、弱々しい少女とそれに産ませた子供から「畏れ」を奪うことは村にいる妖怪すべての希望。少女が役割を拒否すればやがて村中の妖怪は弱り、実体を保てず、概念だけの存在へとなっていく。概念だけになったところで語り継ぐものがいれば、何度でも蘇ることができるのではあるが。しかし、人類が絶滅の危機に瀕している今、概念だけになることは実質的な消滅と同義。
淡々とした調子で説明を終えた少女にゆうきは驚いた。周囲を畏れて生涯生きるのはとても幸せそうな提案には思えない。まして、その子供までも運命が決まって居るのは……。
「そんなの、間違ってる」
ゆうきは、思わずそう口にしていた。ゆうきの言葉を聞いた少女は首をかしげる。やけに明るい月明かりに照らされて光る少女の白い髪。それが天秤が傾くみたいにさらりと流れた。薄い黄色の瞳がゆうきの言葉の意味を探るように瞬く。
「親は、子供の幸せを願うもんだ」
ゆうきは苛立って言葉を継いだ。少女が着ている簡素な着物はこの季節にしては薄く、とても少女が周囲から大切にされているようには見えない。風がザワザワと周囲の木々を揺らし、ゆうきの着ている着物の裾を弄んだ。身じろぎもせずに、ただ瞬きを繰り返す少女の手をゆうきは掴む。
「君は、ここにいてはいけない」
ゆうきは少女の手を引き、返事も待たずに駆け出した。少女は手を引かれるまま、ゆうきの後を付いて一歩踏み出す。なだらかな山の斜面を二人は駆け降りてゆく。周囲に生えた木々の小枝がゆうきにぶつかり、頬を裂いた。履いた下駄の鼻緒が足の親指の付け根に擦れて血がにじむ。
びゅうと強い風が吹き、二人の行く手を阻むように金色の狐が立ちはだかった。その体躯はゆうきの三倍以上はありそうだ。金色の毛並みが月光を弾き、キラキラと神々しいまでに輝いていた。狐は空気の臭いを嗅ぐように鼻をヒクつかせ、金色の瞳をヒタとゆうきに向けた。
「どこへ行く?」
人を一口で飲み込めそうなほど大きな口を開き、狐が言う。犬歯がぎらりと光った。
「この子は僕と共に行く」
ゆうきは少女を庇うように一歩踏み出した。、背負っていた猟銃にそっと手を伸ばし、目の前の狐を睨み上げた。目の前の狐は恐ろしかったが、いまさら少女を目の前の妖狐に明け渡すほど、ゆうきは愚かではない。
「小賢しい。たかだか人間ごときが、私からその娘を奪うつもりか。身の程を知れ」
狐は憎々しげに言い、ゆうきを一瞥した。気圧されたように、ゆうきの足がジリッと後ずさる。後ろで少女が「タマモ、止めて」と微かな声を上げた。
「……私の花嫁になるのはそんなに嫌か?この小僧はお前の名前すら呼ばなかったぞ。幼少期より共に過ごした私よりも、その小僧と行く方がそんなに大事か?」
少女の声を聞いた途端、タマモと呼ばれた妖狐は、しっぽを後足の間に丸めるようにして入る。頭を垂れ、上目遣いになった金色の瞳が寂しげに光り、ゆうきを超えて少女へとその視線が注がれる。
「……わからない。だけど。ゆうきはウチが”村の花嫁”になることを間違っていると言った。ウチは、トト様にもカカ様にも”役立つように”と習い、育った。でも、ゆうきはトト様とカカ様が間違っていると言う。ウチはどうすれば良いのかわからない」
少女はそう言って、不安げにゆうきの着物の裾を掴んだ。今にも消え入りそうなその声はしかし、夜の静かな森にはよく響く。
「小僧、余計なことを」
タマモは歯を食いしばり、その隙間から怒りの言葉を吐いた。
「何が、余計なものか。お前らは、この子から好き勝手に力を貪ろうとしているだけだろう」
ゆうきはタマモに食ってかかった。視線を素早く走らせ、猟銃を抜くために相手の隙を伺う。
「……」
タマモは目を閉じ、長く息を吐いた。予想外の動きに、ゆうきは猟銃に手をかけたまま動けない。そのまま時間が経ち、やがてフクロウが鳴きはじめる。ゆうきは背にいる少女を振り返った。少女の薄黄色の瞳がただ、タマモに強い意思のこもった視線を投げかけている。
「のぞみは、小僧と共に行きたいのか?」
ゆっくりと目を開けたタマモは、少女の意思を確認するようにその姿を見つめた。少女ーーのぞみがゆうきの前に踏みだして、はっきりと頷いた。
「ならば乗れ」
タマモは四つ足を曲げ、その背を差し出す。のぞみが駆け寄り、そのままタマモの背によじ登る。のぞみは自らの腹をタマモの背にぴたりとつけて首もとの毛を掴んだ。
「……小僧、何をしている。乗れ」
タマモは苦々しげに首を振って背中を指した。
「のぞみが願うのならば、私はどんなことでも叶えると決めている」
続いて背中に登ったゆうきは、のぞみに倣ってタマモの毛を掴んだ。その瞬間、ゆうきの体がタマモのしっぽに向かって置き去りにされるような重力を感じる。タマモが一歩踏み込む度にゆうきの体が跳ね、木々が流れていく。ゆうきは自分の手の平に爪が食い込む痛みも厭わず、しっかりと握りしめた。振り落とされれば命はないだろうと本能が警鐘を鳴らす。