お迎え
文字数 2,763文字
「お迎えに上がりました」
すき間風が吹くような声がした。未だ月は頭の上に煌々(こうこう)と輝いている。寝ぼけ眼をこすりながら、さおりが玄関に近づく。ゆうきはそれを薄目を開けて見ていた。ドアをさおりが押し開けるが何かに引っ掛かって開かない。
「お迎えに上がりました」
すき間風のような声が、わずかに開いたドアから明瞭に響いた。タマモが耳をピンと立てて顔を起こす。のぞみの腰を優しくくわえ、警戒するように玄関を見た。タマモの口から力無く垂れ下がっているのぞみを見たゆうきは、生きているのか疑うように目を凝らす。小さく身じろぎをして、薄く目を開けたのぞみは、そのままガクリと頭を垂れた。どうやら眠気が強すぎて、起きられないらしい。
さおりは、開かないドアを訝しんで何度か乱暴に、ドアの開閉を繰り返した。
「お迎えに……ちょっ、痛い、痛いって。すねにガンガン当たってる」
控えめな悲鳴がドアの向こうで上がる。
「何かに引っ掛かってるのか、開かないんですよね……あと、眠いので、夜が明けてからにしてくれませんか?」
さおりが、あくびを噛み殺しながら提案した。
「それ、引っ掛かってるの多分。ワシの脛っすわ。というか、寝てたんですね。ごめんなさい。何時頃起きられます?」
ドアの向こうの何者かがそう問い掛けてくる。
「うーん、用事あるなら、日がしっかりと昇ってからで」
さおりは言いながら玄関に鍵をかけてそのまま寝床にもどった。
「では、その頃にまた、お迎えに上がります」
心なしかしょんぼりした声が、そう答えた。ゆうきはこんな時間に尋ねてきた非常識さと、来客を追い返す非常識さ、どちらが上だろうかとぼんやり考える。
来客が部屋に入ってこないことを知るとタマモは気が抜けたように尻尾を下げ、のぞみをその腹にソッと横たえた。のぞみは毛の触り心地を堪能するように頬ずりした後、規則正しい寝息を立て始めた。尻尾がその上に柔らかく被さる。
三人の寝息が部屋いっぱいに満ちたのを感じて、ゆうきも目を閉じた。
ニワトリの声がけたたましく辺りにひびく。太陽が山の向こうから顔を出しはじめていた。
さおりがむくりと体を起こし囲炉裏の灰を混ぜた。そのまま、食材と水を入れて鍋をかけ、手首に付けておいた髪ゴムで髪を結う。金色の束がさらりと揺れて、馬の尻尾のようなまとまりを見せた。ちらりと見えたうなじに、ゆうきは見てはいけないものを見たような心地で目をそらす。
「おはようございます」
ゆうきがかけた声にさおりが振り向き、「朝食はちょっと待ってね」と返事した。
「夜、誰か来ませんでしたか?」
ゆうきがまだぼんやりする頭の中から記憶を探し出して聞く。
「どうだったかな……あたし、一度寝ると起きないのよね」
さおりは眉間にしわを寄せ、思案するように人差し指を唇にやった。
「いや、玄関まで行って対応してたの、さおりさんですよ」
ゆうきが思い出しながら説明すると、さおりは目を丸くした。ゆうきの肩を掴んで顔をずいと近づける。
「それ、本当に!?あたし、全然記憶にないのだけど」
「えぇ。それとも、僕が寝ぼけてたんですかね」
ゆうきは、さおりの気迫に圧されて自信なさげに発言を撤回しようとする。
「いや、昨日ドア越しに聞こえたのは、間違いなくヌリカベだった」
ゆうきの言葉を裏付けるようにタマモが発言する。空気の匂いを嗅ぐように鼻を揺らし、「まだ近くにいる」と言葉を紡いだ。
「はー、じゃあ。あたし、寝ぼけたまま客人相手してたのか」
さおりは腕を組んで独り言のように言った。そのまま囲炉裏の中にある灰に何かを突き刺して火の周りをぐるりと囲った。丁度それが一周した、その時。すき間風のような声が当たりに響く。
「お迎えに上がりました」
「はいはーい」
さおりは跳ねるようにして玄関に向かい、ドアを開こうとノブを回した。しかし、ドアの向こうに何かがつっかえているのか、子猫が入れる程度にしか開かない。
「あれ?なにかが突っ掛かってる?」
さおりが引っ掛かっているものを押しのけるように勢い良く開くと、コンクリートにぶつかるような鈍い音がした。
「い、痛い。ワシのすねが悲鳴あげてるっすわ」
ドアの向こうで悲鳴が上がる。
「ごめんなさい、ドアが開かないの」
さおりがそう言って謝罪すると、ドアの向こうから笑い声を含んだ声が返事した。
「当たり前ですわ。ワシがドアを塞いで閉じ込めてるんだから。さぁ、この家から出たければ、村の花嫁を渡せ」
「なぁ。ヌリカベよ、一つ聞くが、お前昨日からずっとそこにいたのか?」
タマモが声をかける。
「タマモは帰ってこなくていいとのことだ」
ヌリカベの声が心なしか、強張った。
「誰があんな村」
タマモが鼻を鳴らし、臨みが腹を鳴らした。
「……食べましょうか」
さおりが囲炉裏の鍋を指差す。周囲にはご飯を巻付けたものが串に刺さって炙られ、きつね色していた。炭火の跳ねる音が心地良い。
「食べる!食べる!」
チャポチャポと皿の水を揺らしてカッパがさおりの腰元で跳ねた。
「いつの間に帰ってきたんだ?」
ゆうきは、突然出てきたカッパに驚いて聞いた。
「さっき」
イソイソと皿の準備を手伝うカッパが、玄関扉とは対角にある勝手口を指差した。
「……食べようか」
ゆうきは目を伏せて、頷いた。夜更けから準備していたであろうヌリカベの苦労は考えないことにする。
腹も満ち、旅路の支度を終えたゆうき達一行が勝手口から外に出た。さおりの仕事現場へと数歩歩いた後、さおりが振り返って叫ぶ。
「行ってきます!!」
ドスドスと砂袋を落とすような音を立てて玄関側から、玄関ドアより一回り大きな壁が出てきた。四角い体に短い手足がおまけのようについている。
「いつの間に!!」
ヌリカベは驚愕の声を上げ、行く手を阻むように両手を広げた。
「だが、この先は通さないぞ。通してほしければ村の花嫁を……」
ヌリカベの言葉を最後まで待たずにさおりが「今日そっち方面に用がないので」と、あっさりした表情で答えた。右手を軽くあげて、そのまま回れ右すると、スタスタと歩く。
ゆうき達も後に続いた。
「……覚えておれ!!」
穴だらけの作戦を恥じたのかヌリカベはそういった次の瞬間、白い煙だけを残して
その姿を消した。
「……メモする?」
カッパがさおりを見上げてつぶらな丸い瞳で問い掛けた。
「しなくていいよ」
さおりは、カッパの頭の縁を優しく撫でた。
ゆうきはタマモを見る。
「随分と、追っ手は優しいんだね」
「あぁ……」
タマモは雲一つない空を見上げ、金色の目をゆっくりと閉じた。
「じゃあ、気を取り直して、依頼のあったカマイタチの所へ急ぐよ!!」
さおりが拳を天高く突き上げて宣言する。そこにカッパが勢いよく応え、のぞみは無表情のままカッパに倣った。
すき間風が吹くような声がした。未だ月は頭の上に煌々(こうこう)と輝いている。寝ぼけ眼をこすりながら、さおりが玄関に近づく。ゆうきはそれを薄目を開けて見ていた。ドアをさおりが押し開けるが何かに引っ掛かって開かない。
「お迎えに上がりました」
すき間風のような声が、わずかに開いたドアから明瞭に響いた。タマモが耳をピンと立てて顔を起こす。のぞみの腰を優しくくわえ、警戒するように玄関を見た。タマモの口から力無く垂れ下がっているのぞみを見たゆうきは、生きているのか疑うように目を凝らす。小さく身じろぎをして、薄く目を開けたのぞみは、そのままガクリと頭を垂れた。どうやら眠気が強すぎて、起きられないらしい。
さおりは、開かないドアを訝しんで何度か乱暴に、ドアの開閉を繰り返した。
「お迎えに……ちょっ、痛い、痛いって。すねにガンガン当たってる」
控えめな悲鳴がドアの向こうで上がる。
「何かに引っ掛かってるのか、開かないんですよね……あと、眠いので、夜が明けてからにしてくれませんか?」
さおりが、あくびを噛み殺しながら提案した。
「それ、引っ掛かってるの多分。ワシの脛っすわ。というか、寝てたんですね。ごめんなさい。何時頃起きられます?」
ドアの向こうの何者かがそう問い掛けてくる。
「うーん、用事あるなら、日がしっかりと昇ってからで」
さおりは言いながら玄関に鍵をかけてそのまま寝床にもどった。
「では、その頃にまた、お迎えに上がります」
心なしかしょんぼりした声が、そう答えた。ゆうきはこんな時間に尋ねてきた非常識さと、来客を追い返す非常識さ、どちらが上だろうかとぼんやり考える。
来客が部屋に入ってこないことを知るとタマモは気が抜けたように尻尾を下げ、のぞみをその腹にソッと横たえた。のぞみは毛の触り心地を堪能するように頬ずりした後、規則正しい寝息を立て始めた。尻尾がその上に柔らかく被さる。
三人の寝息が部屋いっぱいに満ちたのを感じて、ゆうきも目を閉じた。
ニワトリの声がけたたましく辺りにひびく。太陽が山の向こうから顔を出しはじめていた。
さおりがむくりと体を起こし囲炉裏の灰を混ぜた。そのまま、食材と水を入れて鍋をかけ、手首に付けておいた髪ゴムで髪を結う。金色の束がさらりと揺れて、馬の尻尾のようなまとまりを見せた。ちらりと見えたうなじに、ゆうきは見てはいけないものを見たような心地で目をそらす。
「おはようございます」
ゆうきがかけた声にさおりが振り向き、「朝食はちょっと待ってね」と返事した。
「夜、誰か来ませんでしたか?」
ゆうきがまだぼんやりする頭の中から記憶を探し出して聞く。
「どうだったかな……あたし、一度寝ると起きないのよね」
さおりは眉間にしわを寄せ、思案するように人差し指を唇にやった。
「いや、玄関まで行って対応してたの、さおりさんですよ」
ゆうきが思い出しながら説明すると、さおりは目を丸くした。ゆうきの肩を掴んで顔をずいと近づける。
「それ、本当に!?あたし、全然記憶にないのだけど」
「えぇ。それとも、僕が寝ぼけてたんですかね」
ゆうきは、さおりの気迫に圧されて自信なさげに発言を撤回しようとする。
「いや、昨日ドア越しに聞こえたのは、間違いなくヌリカベだった」
ゆうきの言葉を裏付けるようにタマモが発言する。空気の匂いを嗅ぐように鼻を揺らし、「まだ近くにいる」と言葉を紡いだ。
「はー、じゃあ。あたし、寝ぼけたまま客人相手してたのか」
さおりは腕を組んで独り言のように言った。そのまま囲炉裏の中にある灰に何かを突き刺して火の周りをぐるりと囲った。丁度それが一周した、その時。すき間風のような声が当たりに響く。
「お迎えに上がりました」
「はいはーい」
さおりは跳ねるようにして玄関に向かい、ドアを開こうとノブを回した。しかし、ドアの向こうに何かがつっかえているのか、子猫が入れる程度にしか開かない。
「あれ?なにかが突っ掛かってる?」
さおりが引っ掛かっているものを押しのけるように勢い良く開くと、コンクリートにぶつかるような鈍い音がした。
「い、痛い。ワシのすねが悲鳴あげてるっすわ」
ドアの向こうで悲鳴が上がる。
「ごめんなさい、ドアが開かないの」
さおりがそう言って謝罪すると、ドアの向こうから笑い声を含んだ声が返事した。
「当たり前ですわ。ワシがドアを塞いで閉じ込めてるんだから。さぁ、この家から出たければ、村の花嫁を渡せ」
「なぁ。ヌリカベよ、一つ聞くが、お前昨日からずっとそこにいたのか?」
タマモが声をかける。
「タマモは帰ってこなくていいとのことだ」
ヌリカベの声が心なしか、強張った。
「誰があんな村」
タマモが鼻を鳴らし、臨みが腹を鳴らした。
「……食べましょうか」
さおりが囲炉裏の鍋を指差す。周囲にはご飯を巻付けたものが串に刺さって炙られ、きつね色していた。炭火の跳ねる音が心地良い。
「食べる!食べる!」
チャポチャポと皿の水を揺らしてカッパがさおりの腰元で跳ねた。
「いつの間に帰ってきたんだ?」
ゆうきは、突然出てきたカッパに驚いて聞いた。
「さっき」
イソイソと皿の準備を手伝うカッパが、玄関扉とは対角にある勝手口を指差した。
「……食べようか」
ゆうきは目を伏せて、頷いた。夜更けから準備していたであろうヌリカベの苦労は考えないことにする。
腹も満ち、旅路の支度を終えたゆうき達一行が勝手口から外に出た。さおりの仕事現場へと数歩歩いた後、さおりが振り返って叫ぶ。
「行ってきます!!」
ドスドスと砂袋を落とすような音を立てて玄関側から、玄関ドアより一回り大きな壁が出てきた。四角い体に短い手足がおまけのようについている。
「いつの間に!!」
ヌリカベは驚愕の声を上げ、行く手を阻むように両手を広げた。
「だが、この先は通さないぞ。通してほしければ村の花嫁を……」
ヌリカベの言葉を最後まで待たずにさおりが「今日そっち方面に用がないので」と、あっさりした表情で答えた。右手を軽くあげて、そのまま回れ右すると、スタスタと歩く。
ゆうき達も後に続いた。
「……覚えておれ!!」
穴だらけの作戦を恥じたのかヌリカベはそういった次の瞬間、白い煙だけを残して
その姿を消した。
「……メモする?」
カッパがさおりを見上げてつぶらな丸い瞳で問い掛けた。
「しなくていいよ」
さおりは、カッパの頭の縁を優しく撫でた。
ゆうきはタマモを見る。
「随分と、追っ手は優しいんだね」
「あぁ……」
タマモは雲一つない空を見上げ、金色の目をゆっくりと閉じた。
「じゃあ、気を取り直して、依頼のあったカマイタチの所へ急ぐよ!!」
さおりが拳を天高く突き上げて宣言する。そこにカッパが勢いよく応え、のぞみは無表情のままカッパに倣った。