愛が為
文字数 2,892文字
「……辛くはないんですか?」
ゆうきはようやく氷の溶けたコップを持って一口飲んだ。冷めてない白湯を口にした時とは反対の刺激が口腔を襲って、コップを置く。
「その、家族と離れて」
ゆうきの冷たく麻痺した舌から、ずっと誰かに聞いてみたかった言葉が飛び出す。
「んー、俺は大人だからね」
チラリとユキオンナを見てから、たくやはそう答えた。
「俺の場合は愛した相手が妖怪だったってだけで。駆け落ちなんて話は太古の昔からある、大して珍しくもないことだよ。両親よりも愛した人を選ぶなんて話」
「でも、悲しんだでしょう?ご両親」
ゆうきは、たくやから欲しい答えが何であるのか分からないままに聞く。
「怒ってた……かなぁ。孫の顔を見せられない俺は両親にとって親不孝な生き方選んだことになるから」
たくやはユキオンナから受けとった鍋を囲炉裏に吊して穏やかな表情で答えた。
「トト様とカカ様のこと、嫌い?」
のぞみが口を挟んだ。
「トト?カカ??……あぁ、のぞみちゃんは父親と母親のことをそう呼ぶんだね。もちろん、好きだよ。ただ、選ばなくちゃいけなくなって、選んだのがこの人ってだけで」
凍っていた鍋の中身が囲炉裏の火によって溶かされて行くのを見ていたタマモが聞く。
「だが、同じ温度の物を食べられないのは、辛くはないか?」
「同じ温度のものを食べる一体感よりも、俺はおいしそうな笑顔が見たいからなぁ」
照れたように頭をかいてたくやが答えた。
「その、選択は正しいの?」
のぞみの言葉が、周囲の音を奪った。尋ねたのぞみの薄黄色の瞳は、囲炉裏の炎で赤みを帯びて輝いている。たくやの答えを聞いて、何か重要な答えをだそうとしているんだ、とゆうきは思った。その場にいた全員がのぞみの真剣さにのまれたのだろう、張り詰めた糸のような緊張が場を支配した。
迂闊に触れれば指を切ってしまいそうな緊張の糸を無神経に引きちぎったのは、カッパだった。
「タマモ、猫舌。鍋食べられない」
「あぁ、じゃあ、別の物を用意するわね」
ユキオンナが立ち上がる。
「……そんなことをせずとも、ただ私の皿を数秒持ってくれれば良い」
タマモがユキオンナの行動を止めた。
「あら、やっぱりバレてましたのね。私の触れた物が凍ってしまうこと」
ユキオンナは舌をチロリと出していたずらっぽく笑い、座り直す。
「ウチ、トト様とカカ様との約束を破って今ここにいるんよ。ゆうきに、間違っているって言われたから。でも、せめて役立とうと思って、自分にできる精一杯のことをして来たん。だけど、全然役に立ててない」
のぞみはそういうと俯く。
「なるほど。のぞみちゃんは、正しく役立って生きたい子、なんだね」
たくやが長く息を吐いてから、確認するように呟く。のぞみがコクリと頷いた。
「いい子だねぇ」
眩しいものでも見るように、ユキオンナが言う。その瞳から、ぽろりと何かがこぼれた。床を転がったのは小さな氷の粒。
「なぁ、こんなにいい子を騙すようなこと、俺はしたくない」
たくやが、ユキオンナを見て言う。
「私は、でも。せめて1度だけでもたくやさんに触れたい。そのチャンスがあるのに、見なかったことにはできない」
ユキオンナが強く首を振って、のぞみにつかみ掛かった。
タマモが毛を逆立てて、のぞみとユキオンナの間に身をねじ込む。
「何をする」
うなり声混じりのタマモの声は今にもユキオンナに飛びかからんばかりだ。
「あんた、カマイタチに手をあげた子だろ?ねぇ、お願いだよ。私に、左手を頂戴」
ユキオンナのお下げ髪をくくっていた赤いゴムが弾けて囲炉裏に転がった。囲炉裏の炎がゴムを焼いて、悪臭が部屋に満ちる。
「お前、止さないか」
たくやがユキオンナへと声をかけた。
「人間と妖怪では、生きる理が違う。どんなに私がたくやさんを愛していたって。私はこの人を温めてはやれない。たった一杯のお茶すら、差し出すことができない。のぞみちゃん、あんたの力なら、私を助けられるんだろう?」
ユキオンナの瞳から零れた氷の粒が次々とタマモの体毛で跳ねて床に転がった。
「それが目的だった訳だ」
さおりが鼻で笑う。
「……いくらでも、お礼はする。俺ができることなら何でも」
たくやは床に頭をすりつけるようにして言った。
「ユキオンナさんにウチの腕をあげたら、役立つ?」
のぞみが首を傾げた。
「あぁ、私も、たくやさんも嬉しい」
髪を乱したまま、何度もユキオンナは頷いた。
「ウチがユキオンナさんに腕をあげるのは、正しい?」
のぞみが淡々と放った言葉をゆうきが否定する。
「間違ってる。君を、君の体をそんなふうにバラバラにしたくて連れだしたんじゃない」
「じゃぁ、泣いてるユキオンナさんの声を無視するのが正しい?」
ゆうきを見たのぞみの瞳には炎が映り込み、ゆうきが口先で誤魔化そうものならその身を罪ごと焼いてしまいそうな迫力があった。ゆうきはその瞳から逃げるように目をそらした。
「忘れたの?安易に腕をあげたせいで、カマイタチがどうなったのか」
さおりの冷たい声がのぞみを突き刺した。
「ユキオンナさんが、普通の手になったら殴る?」
のぞみは、たくやを見て問い掛ける。
「この指輪を、左手の薬指にはめてあげたい」
たくやはゆっくりと首を振って、ポケットから出したダイヤ付きの指輪をのぞみに見せた。
「ウチには、左手が残ってる」
のぞみは自分の左手を見て呟いた。
「違う。あげなくて良い。あげちゃダメだ」
ゆうきは必死に叫んだ。何としても止めたかった。のぞみがここで左手を失えば、もう後戻りはできない気がした。
「あげちゃダメな理由が、分からない」
のぞみがは、そう呟いた。続いて、ゆうきが何度か聞いたことのある絶望の音がのぞみの口からもれはじめる。
ゆうきが立ち上がって無理矢理にのぞみの口をふさごうとしたのを、タマモが止めた。
「のぞみの決めたことの邪魔をするな」
犬歯を剥き出して、タマモが唸る。
「ここで見守ることが正しい訳無いじゃないか」
ゆうきの絶叫はしかし、ユキオンナがあげた歓喜の声に掻き消された。
「本当にありがとう」
「どういたしまして」
のぞみは微笑んで、そのままタマモの腹へと倒れ込んだ。
「ゆうき、ちょっと外へ出ましょうか」
さおりがゆうきの肩を抱くようにして立ち上がらせる。
「ど、どうしたらいい?」
一連の流れについていけなかったのであろうカッパがオロオロしている。
「ご馳走になったら良いんじゃないかな?」
ザシキワラシは肩をすくめて煮えた鍋から具材を自分の器に盛りつけた。
その様子を隠すようにして引き戸が閉まる。肌を刺すような冷たさが、ゆうきの両肩に添えられたさおりの手の熱を意識させる。
「なんで」
ゆうきの胸に渦巻く感情は胸でつっかえてその三文字だけを出すのが精一杯だった。
「……人の幸せはね、決められないの。どんなに、相手が大切でもね」
さおりの花のような香が強くなって、ゆうきは抱きしめられたことを知る。
「でも……」
「ゆうきの感じている気持ちもまた、誰にも間違っているなんて言わせないよ。大丈夫」
さおりの手がゆうきの頭を何度も撫でた。
ゆうきはようやく氷の溶けたコップを持って一口飲んだ。冷めてない白湯を口にした時とは反対の刺激が口腔を襲って、コップを置く。
「その、家族と離れて」
ゆうきの冷たく麻痺した舌から、ずっと誰かに聞いてみたかった言葉が飛び出す。
「んー、俺は大人だからね」
チラリとユキオンナを見てから、たくやはそう答えた。
「俺の場合は愛した相手が妖怪だったってだけで。駆け落ちなんて話は太古の昔からある、大して珍しくもないことだよ。両親よりも愛した人を選ぶなんて話」
「でも、悲しんだでしょう?ご両親」
ゆうきは、たくやから欲しい答えが何であるのか分からないままに聞く。
「怒ってた……かなぁ。孫の顔を見せられない俺は両親にとって親不孝な生き方選んだことになるから」
たくやはユキオンナから受けとった鍋を囲炉裏に吊して穏やかな表情で答えた。
「トト様とカカ様のこと、嫌い?」
のぞみが口を挟んだ。
「トト?カカ??……あぁ、のぞみちゃんは父親と母親のことをそう呼ぶんだね。もちろん、好きだよ。ただ、選ばなくちゃいけなくなって、選んだのがこの人ってだけで」
凍っていた鍋の中身が囲炉裏の火によって溶かされて行くのを見ていたタマモが聞く。
「だが、同じ温度の物を食べられないのは、辛くはないか?」
「同じ温度のものを食べる一体感よりも、俺はおいしそうな笑顔が見たいからなぁ」
照れたように頭をかいてたくやが答えた。
「その、選択は正しいの?」
のぞみの言葉が、周囲の音を奪った。尋ねたのぞみの薄黄色の瞳は、囲炉裏の炎で赤みを帯びて輝いている。たくやの答えを聞いて、何か重要な答えをだそうとしているんだ、とゆうきは思った。その場にいた全員がのぞみの真剣さにのまれたのだろう、張り詰めた糸のような緊張が場を支配した。
迂闊に触れれば指を切ってしまいそうな緊張の糸を無神経に引きちぎったのは、カッパだった。
「タマモ、猫舌。鍋食べられない」
「あぁ、じゃあ、別の物を用意するわね」
ユキオンナが立ち上がる。
「……そんなことをせずとも、ただ私の皿を数秒持ってくれれば良い」
タマモがユキオンナの行動を止めた。
「あら、やっぱりバレてましたのね。私の触れた物が凍ってしまうこと」
ユキオンナは舌をチロリと出していたずらっぽく笑い、座り直す。
「ウチ、トト様とカカ様との約束を破って今ここにいるんよ。ゆうきに、間違っているって言われたから。でも、せめて役立とうと思って、自分にできる精一杯のことをして来たん。だけど、全然役に立ててない」
のぞみはそういうと俯く。
「なるほど。のぞみちゃんは、正しく役立って生きたい子、なんだね」
たくやが長く息を吐いてから、確認するように呟く。のぞみがコクリと頷いた。
「いい子だねぇ」
眩しいものでも見るように、ユキオンナが言う。その瞳から、ぽろりと何かがこぼれた。床を転がったのは小さな氷の粒。
「なぁ、こんなにいい子を騙すようなこと、俺はしたくない」
たくやが、ユキオンナを見て言う。
「私は、でも。せめて1度だけでもたくやさんに触れたい。そのチャンスがあるのに、見なかったことにはできない」
ユキオンナが強く首を振って、のぞみにつかみ掛かった。
タマモが毛を逆立てて、のぞみとユキオンナの間に身をねじ込む。
「何をする」
うなり声混じりのタマモの声は今にもユキオンナに飛びかからんばかりだ。
「あんた、カマイタチに手をあげた子だろ?ねぇ、お願いだよ。私に、左手を頂戴」
ユキオンナのお下げ髪をくくっていた赤いゴムが弾けて囲炉裏に転がった。囲炉裏の炎がゴムを焼いて、悪臭が部屋に満ちる。
「お前、止さないか」
たくやがユキオンナへと声をかけた。
「人間と妖怪では、生きる理が違う。どんなに私がたくやさんを愛していたって。私はこの人を温めてはやれない。たった一杯のお茶すら、差し出すことができない。のぞみちゃん、あんたの力なら、私を助けられるんだろう?」
ユキオンナの瞳から零れた氷の粒が次々とタマモの体毛で跳ねて床に転がった。
「それが目的だった訳だ」
さおりが鼻で笑う。
「……いくらでも、お礼はする。俺ができることなら何でも」
たくやは床に頭をすりつけるようにして言った。
「ユキオンナさんにウチの腕をあげたら、役立つ?」
のぞみが首を傾げた。
「あぁ、私も、たくやさんも嬉しい」
髪を乱したまま、何度もユキオンナは頷いた。
「ウチがユキオンナさんに腕をあげるのは、正しい?」
のぞみが淡々と放った言葉をゆうきが否定する。
「間違ってる。君を、君の体をそんなふうにバラバラにしたくて連れだしたんじゃない」
「じゃぁ、泣いてるユキオンナさんの声を無視するのが正しい?」
ゆうきを見たのぞみの瞳には炎が映り込み、ゆうきが口先で誤魔化そうものならその身を罪ごと焼いてしまいそうな迫力があった。ゆうきはその瞳から逃げるように目をそらした。
「忘れたの?安易に腕をあげたせいで、カマイタチがどうなったのか」
さおりの冷たい声がのぞみを突き刺した。
「ユキオンナさんが、普通の手になったら殴る?」
のぞみは、たくやを見て問い掛ける。
「この指輪を、左手の薬指にはめてあげたい」
たくやはゆっくりと首を振って、ポケットから出したダイヤ付きの指輪をのぞみに見せた。
「ウチには、左手が残ってる」
のぞみは自分の左手を見て呟いた。
「違う。あげなくて良い。あげちゃダメだ」
ゆうきは必死に叫んだ。何としても止めたかった。のぞみがここで左手を失えば、もう後戻りはできない気がした。
「あげちゃダメな理由が、分からない」
のぞみがは、そう呟いた。続いて、ゆうきが何度か聞いたことのある絶望の音がのぞみの口からもれはじめる。
ゆうきが立ち上がって無理矢理にのぞみの口をふさごうとしたのを、タマモが止めた。
「のぞみの決めたことの邪魔をするな」
犬歯を剥き出して、タマモが唸る。
「ここで見守ることが正しい訳無いじゃないか」
ゆうきの絶叫はしかし、ユキオンナがあげた歓喜の声に掻き消された。
「本当にありがとう」
「どういたしまして」
のぞみは微笑んで、そのままタマモの腹へと倒れ込んだ。
「ゆうき、ちょっと外へ出ましょうか」
さおりがゆうきの肩を抱くようにして立ち上がらせる。
「ど、どうしたらいい?」
一連の流れについていけなかったのであろうカッパがオロオロしている。
「ご馳走になったら良いんじゃないかな?」
ザシキワラシは肩をすくめて煮えた鍋から具材を自分の器に盛りつけた。
その様子を隠すようにして引き戸が閉まる。肌を刺すような冷たさが、ゆうきの両肩に添えられたさおりの手の熱を意識させる。
「なんで」
ゆうきの胸に渦巻く感情は胸でつっかえてその三文字だけを出すのが精一杯だった。
「……人の幸せはね、決められないの。どんなに、相手が大切でもね」
さおりの花のような香が強くなって、ゆうきは抱きしめられたことを知る。
「でも……」
「ゆうきの感じている気持ちもまた、誰にも間違っているなんて言わせないよ。大丈夫」
さおりの手がゆうきの頭を何度も撫でた。