親孝行

文字数 3,021文字

「カカ様!!」
 のぞみが驚いた声を上げた。
「もう、いい加減帰っていらっしゃい。外にあなたの居場所はなかったでしょう?」
 黒いロングドレスの裾を優雅に直しながらのぞみの母親ーーフタクチは微笑んだ。不自然なまでに整ったその笑みに、ゆうきの背中を寒いものが走る。


「カカ様、怒ってないん?」
 のぞみが、上目遣いにフタクチを見た。フタクチは笑顔を崩さずに、のぞみへとまっすぐに白い手を伸ばす。頭の上で結わえられた黒髪の団子、そこに刺さった金色のかんざしがチリンと音を立てた。
「あなたには、村のために生きるのが正しいってちゃあんと教えて育てたもの」
 フタクチは細めた目をわずかに開いて、ゆうきをみた。突き刺すような視線がゆうきの行いを責め立てる。
「この子は返してもらいます。文句はありませんね?おおかた、捕われの姫を助け出すヒーローにでもなるつもりだったのでしょうけど。あなたは、この子の何を知って、何を見て連れ出したんですか?何をこの子に与えましたか?あなたのしたことは人間の世界でも誘拐とかいう罪に問われるんじゃないですか?」

「アンタ、母親なのに。のぞみちゃんの手足の心配はしないのな」
 さおりが、低い声で言った。金色のポニーテールを手で跳ね上げ、鋭くフタクチを睨む。
「あら?気付かなかった。……あなた、子供はちゃんと産めるの?」
 まるで天気の話でもするようにフタクチが頬に手を当てて、のぞみに声をかける。のぞみが「お腹は誰にもあげてない」と答えたのを聞いたフタクチは頷く。
「なら何も問題はないわね。……村長様は残念がるでしょうけど。失ったのがその程度なら村の存続計画に大きな支障はないでしょう」

「良かった」
 のぞみは嬉しそうな声を上げ、一歩、フタクチへと近づいた。

 ゆうきの耳元で歯を食いしばる音が聞こえた。さおりが見たこともない顔で怒りをあらわにしていた。
「そうじゃないだろう。のぞみ、そんな風に自分を扱っちゃダメだ」

「どうして?」
 のぞみが、迷うように足を止めた。

「誰かに渡すだけじゃなくて、受けとる生き方を、知らなくちゃいけない。知って、その上で選ぶんだよ。生き方というのを」
 さおりが、のぞみに手を差し出す。

「受け取れるのは、強い者だけよ。誰よりも弱いこの子にそんな実態のない理想論を聞かせて、見せて。どうせ得られないのに。得られると期待させるだけの苦しみを与えるなんて、可哀相でしょう。聞く必要ない言葉に耳を傾けてないで。さぁ、カカ様があなたの失敗を謝ってあげる。帰りましょう」
 フタクチは眉間にしわを寄せていた。時間がかかっていることに苛立っている様子だ。
「……のぞみの名前を、呼ばないんですね?」
 ゆうきが口にした言葉に、フタクチが舌打ちを返した。
「……それが、何だって言いますの?」

「のぞみを連れて帰りたいのは、誰のためですか?」
 ゆうきはまっすぐにフタクチを見た。
「僕には、フタクチさんこそが、のぞみの可能性を潰そうとしているように見える」

「カカ様」
 のぞみが不安げにフタクチを見た。
「この子を育てたのは私。育ててもらった恩を子供が精一杯返すのは当たり前だろうに」
 フタクチはお話にならないといった口調で空を見上げた。
「親孝行って言葉、聞いたこともないのかい?」

「だけどそれは、のぞみ自身が決めることだ。フタクチサさんが誘導するんじゃなくて」
 ゆうきは体の奥から熱いものが込み上げて来るのを感じた。同時に頭の芯が冷えて行くような不思議な感覚。のぞみの心を聞かずにいたのは自分だって同じじゃないかと冷静に判断する頭と、フタクチの元に返したくないという心がゆうきの中でせめぎ合う。

「他人の懐に手を突っ込んであーだこーだ言うなんてつくづく人間というのは面倒な生き物だね。もういいです。その口を閉じなさい」
 フタクチが髪に止めてあったかんざしを引き抜いた。次の瞬間、ゆうきは突き飛ばされる。強かに腰を打ち付けたゆうきが見たのは、横腹を赤く染めたさおりの姿だった。
「傷薬!!」
 カッパが大慌てでさおりの隣に膝をついた。一生懸命に小瓶を振っているが、そこからでる傷薬よりもはるかに赤い液体の方が多い。

「あぁ、やっぱり人の肉はおいしいねぇ」
 恍惚とした声が聞こえてきてゆうきはその声の主を見た。

 フタクチが結わえていた団子の部分に大きな唇があった。さおりの腹と同じ、赤い色を纏ってぬらりと光っている。その意味するところを考えるよりも先にゆうきは殴り掛かっていた。
「やめてくださる?正直、男の肉は固くて好みじゃないの」
 フタクチはゆうきの拳をヒラリとかわして言った。
「もうどうせ、長くないでしょ?私、おいしいものから先に食べたいタイプなの」
 フタクチの腕がまっすぐ、さおりを指した。
「一人食べれば十分お腹いっぱいになるから、黙って見てなさい。あなた、ちょっと待っててね」
 フタクチはゆうきを見て、それからのぞみに視線を移し、それぞれに向かって言った。


「カカ様、止めて」
 悲鳴のような声をのぞみが上げる。
「のぞみが、言うのなら」
 さおりへと近づいて来ていたフタクチの前にタマモが立ち塞がった。
「本当、憐れねぇ。誰の言葉を聞くべきか判断を間違った獣というのは」
 フタクチが腕をひとふりしただけで、タマモの身体が吹き飛んだ。
「私、事なかれ主義なのよ?本当よ?だって争うのってお腹すくじゃない?」
 フタクチの踏んだ雪がギュッと音を立てる。
「だから本当は、赤ちゃん拾ったときに食べてしまおうって思ってたもの」
 フタクチはのぞみを見た。唇を舌先で舐め、「よく言うでしょう?食べちゃいたいぐらい可愛い」出会った頃と変わらない完璧な笑顔で告げる。ギュッともう一歩足を出したフタクチの身体がぐらりと揺れた。
「のぞみの、為なら」
 タマモがフタクチのロングスカートの裾をくわえ、フタクチの動きを制する。

「ゆうき、どうすればいい?」
 のぞみの薄黄色の瞳が縋るようにゆうきを見た。
「どうするのが、正しい?」

 ゆうきはのぞみの視線から逃げるように血の気の失せた、さおりを見た。荒く息をしている。医学の知識がないゆうきにもそれが致命傷であることは明らかだった。カッパの薬が効かない以上、打つ手は一つしかない。……でも。

「ゆうき、教えて?」
 のぞみが、さおりの肩を抱き寄せるようにして問い掛ける。
 のぞみの力を使えば、さおりは助かる。それを、のぞみは嫌がらないだろう。それでも、ゆうきは決断したくなかった。これまでにのぞみへ教えてきた事と真逆の頼みをする事への自責の念が頭をうめつくす。

「のぞみちゃん?何を考えてるの?」
 フタクチが猫なで声を出した。さおりへ近づこうとしているがタマモがしっかりとワンピースの裾をくわえているせいでうまく前に進めないようだった。
 タマモの身体を、フタクチは石でも蹴るような無感情で何度も何度もけりつけている。
「のぞみちゃん。子供の産めないあなたは、誰にも必要とされなくなるわよ?」
 フタクチがのぞみに声をかける。

 耳が痛くなるほどの静寂が訪れて、ゆうきはさおりの呼吸が止まったのを知る。
「ゆうき、お願い」
 のぞみが泣き出しそうな顔で、呟いたのと同時にゆうきも言葉を発する。
「のぞみ、さおりさんを、助けて」

「のぞみ、止めなさい。村長様に言い訳できないわよ。あなた帰る場所を自分でたたき壊すつもり?」
 フタクチの絶叫が、昨晩のゆうきの絶叫に重なった。
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