第15話 選定

文字数 3,782文字

「ただいま」

「お帰りなさい、店主さん」

 ギルドから【アメトランプ】へ帰ると、朝から待機してくれていたマイが出迎えてくれた。
待っている間は、どうやらあの刻時石を片手に謎を探っている途中だったようで、彼女はそれをカウンターに置き直して俺に駆け寄る。

「何も……ありませんでしたか?」

 朝来た時からこの調子で不安顔を作るマイ。実は彼女も【ソラティア】の交渉に付いてくると言ってくれていたのだ。しかしながら俺は彼女の申し出を断った。マイの存在を迂闊に露呈させられないという事情もあるが、何より客を危険とわかっている場所に立ち入らせるわけにいかなかったのだ。案の定、副リーダーのソラウという男は支援者に危害を加えることを厭わない危険思想の持ち主だった。もしも開拓者に武力行使されてしまえば、俺では彼女を守れない。

「大したことはなかったよ。同行の約束も、まぁ何とかなった。ただちょっと機嫌を損ねちゃったみたいだから、遠征に行くときは要注意かな」

 軽く笑いながら言ってみるが、やはり先日のアレス・ミークレディアの一件のせいで、彼女の中にはかなりの心配があるらしい。長い赤髪で表情を曇らせながら、マイは責任を感じるような声で言う。

「やっぱり私が直接行った方が……危ないことなのに、『厄災』の件も含めてご迷惑しかかけていなくて」

 また俯いてしまった彼女は、いつも何かに笑顔を奪われてばかりだ。それを重い宿命を背負っているからなんて言葉で安易に片付けたくはない。これまでの境遇で気分が落ち込むことは当たり前だろう。だけど誰にだって笑うくらいの自由はある。気づけば俺は彼女の小ぶりな頭に手を置いていた。

「大丈夫だよ。それに、マイは俺に封印術を教えてくれてる。きみと、きみのお母さんが守った刻時石もきっと何か意味があるはずだ。俺がその何かを必ず証明してみせるよ」

「……」

 いつの間にかマイがぽかんとした表情になっているのを見て、俺はふと自分の行動に違和感を覚える。

「あっ……ご、ごめん。昔よくこうされてたから、つい。マイはお客さんなのに、こういうのは良くなかったね」

「い、いえ。大丈夫です」

 俺は伸ばしていた腕を慌てて引っ込める。ちょうど妹くらいの年齢とは言え、マイは立派な依頼人だ。懐かしく温かな記憶が胸の内によぎったとしても、彼女への行為としては相応しくなかっただろう。

 マイは少し触られた頭部を気にしながら、ぷいと後ろを向いてしまった。口では問題無さげだが実際は芳しく捉えられていない気がする。俺は少し気まずくなってしまった店内にわざと大きめの声を出してみる。

「あー、そう言えば、朝食がまだだよね。何か作るけど、食べる?」

「……いただきます」

 手短に準備を済ませ、二人してカウンターの椅子に並んで朝食を取る。彼女は大丈夫と言ってくれたが、何だか目に見えて言葉数が減ってしまった。客との関係値は些細なことで悪化してしまうもの。信用業なこともあって、行動には反省しなくてはいけない。俺はそんなことを思いながら、使った二人分の食器を洗っていた。

「手伝いますね」

 マイが乾いた布巾を持って横に立ってくれたので、俺はその厚意を受け取る。よろしく、と薄い皿を渡そうとして、彼女がどこか上の空なことに気がついた。

「えっと、マイ?」

「……あっ、はい!」

「これ、頼んでも良い?」

 濡れたままの食器がシンクからはみ出てしまわないくらいにマイの手元に寄せる。彼女はそれを慌てた様子で受け取り――損ねた。お互いに力を抜くタイミングと入れるタイミングを間違えて、落ちた皿はかちゃん、という破砕音を立ててバラバラになってしまった。

「わっ」

「あっ! すみません」

 二人して皿が割れたことに驚き、揃って屈んで破片を拾おうとする。慎重に、という注意をマイに促そうとしていたのに、俺は自分の手が濡れたままのことを失念してしまっていた。

「あづっ」

 摘もうとして滑った破片が、俺の親指の先を浅く切り裂いた。血が膨れるみたいに出てきて、小さな切り傷を作る。

「大丈夫ですか?」

「う、うん。ちょっと切ったみたい。マイも気をつけてね」

 どの口が言うのだと言わんばかりの注意喚起だった。彼女は多分、俺のことを反面教師にでも思ってくれることだろう。欠片をゆっくりと片付け終えると、俺は医療用具の入った箱を探しに行った。

「確か、このへんに……」

 さっきまで食事をしていたカウンターの内側に回り、机の下部分にある戸を開く。中にあるのは開拓者たちに売ることもある日用品の数々。医療用具は需要が高いのですぐに出せるようにしているのだが、いかんせんここ数日のドタバタのせいで整理整頓は不十分だ。

「探しましょうか?」

「いや、一つでも間違えたら雪崩が起きるから、やめておいた方が良いよ」

 言いながら商品を一つずつ、今度こそ慎重に取り出していく。瓶やら携帯食糧なんかも出てきて、それらをカウンターの上に退避させていった。その様子を見ていたマイなんかは、「色々あるんですね」と見慣れない世界に関心を抱いていたようだ。中には見覚えのないワインボトルがあり、半分くらいまで減ったルビー色の表面がゆらゆら揺れる。

「赤ワイン……さてはハリエラさんだな」

 あの人はたまに自分で酒を持って来ては、持って帰るのが面倒になって置いて行く習性がある。そんなことをしていれば好みの味を把握するなんてわけないが、果たして彼女はそれを自覚していないと思っていた。しかしこんな場所に突っ込んで行ったのを見るに、食えない確信犯であったらしい。

「まったく」

 俺はワインボトルを机に置こうとして、カウンターが結構な惨状になっていることに気がつく。片付けが面倒になったのを見てげんなりしながら、場所を確保しようと置いてあった刻時石を手に取ろうとした。怪我をしていない左手はワインに塞がれており、仕方なく切った右手で石を取った、その瞬間だった。

「えっ!」

 叫んだのは、俺だけではなかった。ここまで何一つの音沙汰も無かった刻時石が、突如として黄緑の眩い発光を始めたのだ。それはさながら、以前クイップさんに呪術治療を施したときのような部屋中に広がる閃光の数々。

「店主さんっ、何を?」

 マイが慌てて聞いてくるが、俺にも何が何だかわからない。刻時石を手に取る以外の行動はしていないのだ。

「い、いや。俺はただ触っただけで……」

 やがて直視できないほどの光は段々と収束し、すぐにまた元通りの小石になった。精密な刻印に変化は無く、あるのは俺の切り傷から滲んだ血の跡だけ。

「……血に反応したのか?」

 日頃刻時石に触れる中でこのような変化は一切無かった。それどころか、今回だって何の予兆も無かったのだ。

「マイ。今みたいな変化は、今までにあったの?」

「いいえ。それどころか、私が逃げている最中に、血の出た手で触れたことくらいあると思います」

 確かにマイと最初に出会った時は全身ぼろぼろで、軽いものとはいえ出血もちらほらと見受けられた。手なんて怪我のしやすい場所ならばなおさらだろう。

「じゃあ俺の血にだけ反応したのか? いや、それとも別の要因が……?」

 果たして今の変化は、俺とマイの相違点から生じたものなのか。だとすれば、それは一体何なのだろう。没落したとは言うものの、元が貴族のマイと違って、俺の血筋は高貴でもなんでもない。血で変化を及ぼすならばマイの方が相応しいと言えるだろう。

「俺にあってマイに無いもの。それか、マイにあって俺に無いもの。どっちの線も考えられるな」

「何にせよ、比較対象が少な過ぎて推測が立ちません。刻時石は幼い頃から秘匿してきた物ですし、店主さんのような変化を起こせる人が他にいるのかどうかもわからないですから」

「信頼できる人に、同じ条件で触れてもらう必要がありそうだね。そうなると、事情を知ってるハリエラさんくらいか」

 マイの身の危険や石の存在を知る彼女であれば、人材としてはこれ以上無いほど適任だろう。しかしながら、彼女は最近あまり店に顔を出していない。どうやら此度の一件で身を忙しくしているらしく無理強いはできないが、可能であればぜひ協力してもらいところだ。

「調べよう。とにかく進展があったのは間違いない。この謎を解くことが、ドゥーマ封印についての鍵になるかもしれないんだから」

「わかりました!」

 マイは両手に握り拳を作って意気込む。やはり彼女はどこか研究者気質であり、こういった変化は家や『厄災』に関係なく楽しめるのだろう。

「あ。でも、その前に」

 彼女は長い睫毛を揺らしながら、ぐちゃぐちゃに物が積まれたテーブルを見渡した。俺はマイの考えがすぐに伝わって、その言葉の続きを預かる。

「まずは片付けから、だね」

「治療が先です!」

「あ……そっか」

 うっかり主目的を忘れ去ってしまっていた。言われて気がついて、俺は何となくそのままにしてしまいそうだった親指を見る。

「あれ?」

 俺は右手の指を見て違和感を覚えた。さっきまで血が出ていたはずの場所に、何も残っていない。少しだけ赤ばんでいたはずの指は綺麗な肌色だった。

「怪我したのって、どっちの手だっけ?」

「え……? 確か右手を」

「だよね」

 俺は左手を広げて、右手と見比べる。そして大きな違和感の正体をようやく悟るのだった。

「傷が、塞がってる」
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