第5話 王都の街並み

文字数 5,075文字

 無言の騎士二人を脇にしながら、俺は王宮内の来た道を戻る。そうしてしばらく前にマイと別れた部屋の前に着くと、勢い良く扉が引き開かれた。

「店主さん!」

「わっ。ま、マイ……びっくりした」

 飛び出して来たのは真っ赤な毛を揺らす少女。王に会う前よりも白い顔をしていてこっちが不安になる。忙しなく青藍の瞳を泳がせては俺の体を隅々まで注視していた。

「大丈夫でしたか? 何か悪いことになったり……」

「ひとまず、落ち着いて。何もなかったから」

 詰め寄るマイの両肩に手を置いて動きを止める。その体から小さく震えが伝ってきて、彼女がどれほど俺の身を案じてくれていたかわかった。蚊帳の外にしてしまった騎士の内の一人が我慢の限界と言わんばかりに鋭い口調で告げる。

「明日、お前たちを送る。それまではこの部屋で休んでいろ」

「ありがとうございます」

「ふん」

 話をしていなかった方の騎士が鼻を鳴らして去って行く。やはりシュリクライゼさん以外の騎士たちには快く思われていないようだ。彼らの足音が聞こえなくなった頃、部屋に入って扉を閉める。そして未だ落ち着きのない様子で言葉を待つマイに、これまでのことを話した。

「王様と話してきたよ。ドゥーマの件で、マイが罪に問われることはないってさ」

「……やっぱり私のことだったんですね」

 尻すぼみの声で言う彼女は、強い責任感から罪の意識に似たものを抱え込んでしまっている。ドゥーマの解放を許してしまったことや多くの開拓者、支援者が巻き込まれたことを未だに自分のせいだと思っているのだ。そして何より、一番救いたかったはずの兄を死なせてしまったことも。

 きっとこの傷はまだまだ癒えないのだろう。しかし幸いにして時間はある。マイが立ち直るまで【アメトランプ】で過ごした後、笑顔でセアル家の復興に取り組むことができれば俺の役目はお終いだ。それはそれで悲しくもあるが、彼女の本懐を遂げられるならば笑って見送らねばならない。いつかやってくる悲愴感に思ったよりも心を抉られながらも、今は淡々と事実を伝えようと努めた。

「それは俺から話したこと。王様は最初から俺に聞きたいことがあったみたい」

「聞きたいこと?」

「王様が面識のあったクイップさんのことと、宮廷呪術士にならないかって話」

 その言葉でマイは驚きとともに少しだけ表情を曇らせた。横にあった机に視線を逸らしながら何かを聞きにくそうにするのは、宮廷呪術士が何たるかを知っているからだろう。

 彼女には俺の師とも呼べるハリウェル・リーゲルのことを教えている。マイから教わることは多いにもかかわらず「私にとっては店主さんが先生です!」という一言によって、彼女の師匠ポジションになってしまったのだ。だから俺が学んだハリウェル・リーゲルについても知っている限りのことを話した。

 実際に彼と会うことはできなかったが、俺の憧れの気持ちはマイも知っている。目標する人物と立ち並べる可能性があるのなら喜んで受けるのが道理だった。

「じゃあ店主さんは、これから王宮で働くんですか?」

「ううん。断って来たよ」

「そう、なんですね」

 俺が即答すると、マイは再び目蓋を持ち上げた。同時にほっとしたような吐息を漏らす。

 その心情を推測するに、俺が【アメトランプ】を去ればマイは呪術を学ぶ場所を失ってしまう不安があったのだろう。稀有な才能であるが故に、おいそれと次の誰かという訳にはいかない。ましてや働く店の存続の危機。身分を差し引けば、彼女の働き口は引く手あまたのはずだが、突然食い扶持が無くなっては困るに違いない。

「でも、どうしてですか? 宮仕えになれば、それこそ一生困らない保証を戴けるのに」

「簡単だよ。俺が支援者に拘ってる。それだけさ」

 くだらないと思われても仕方のない答えに、彼女は驚くよりも納得していた。優しげな目で「店主さんらしいと思います」と言われたら、俺は自分自身の決断が正しいものだったと胸を張れる。

 いつかに話した俺が『支援者』たる理由。諦めの悪いそんな態度をマイは真剣に聞いてくれた。こうして認めてくれる人が居るから、【アメトランプ】から去る選択肢なんて無かったのだ。

「とにかく、これで用事は全部終わりだね。何だか重りが取れた気分だよ」

「次はハリエラさんに怒られる準備をしなくちゃいけませんね」

 マイの言葉に頬が引き攣った。いくら国王の命令だったとは言え、あまりに無用心な対応をしたのは確かだ。自分の身もろくに守れない支援者は『支援者』失格。ギルドで散々叩き込まれた言葉だ。そんな基礎中の基礎を再びハリエラさんから怒鳴りつけられるのだと思うと、このまま王都に居た方が良いのではないかとすら感じてしまう。無論、店を営業しなければ食いっぱぐれるので戻るしかないのだが。

「さ、さっきの口振り的に、今日は丸一日休んでても良さそうだったね。だけどせっかく王都まで来たんだから、少し街を見て回れないかなあ」

 脳裏に浮かんでしまった鬼面のハリエラさんを追い払い、この後の予定を口に出す。言葉始めが震えるのはご愛嬌である。

「街に行くんですか?」

 小さな体が見に見えて跳ねた。その姿が昔に故郷で見た野うさぎと重なって愛おしく感じる。大きな瞳の青が爛々と輝いている気さえした。思えばマイはずっと王都から離れた森の中で過ごしていたのだ。大きな街には訪れた経験がなく、憧れを抱いていることは想像に難くない。

「もちろん休んでても良いけど……マイもくる?」

「はい!」

 予想していたよりも元気な声が溢れて、俺は必死に安堵の心を隠していた。


 門番をしていた王国騎士たちに話を通すと、これまた嫌そうな顔をしながらも渋々外出許可を取りに行ってくれた。おそらく俺たちが来賓扱いであることが伝わり、彼らも邪険にする訳にいかなくなったのだろう。夕方までの外出が許され、俺とマイはルディナ王国一番の繁華街へ繰り出していた。

「わぁ……!」

 隣に立つ赤毛の少女が感動の声を上げる。

 大通り沿いに隙間なく敷き詰められた木の骨組み屋台の数々。人の腰の高さに無数の商品たちが並べられ、見渡す限りに売り物たちの舞踏会が開かれている。八百屋、雑貨屋、宝石屋。さらに街中だというのに装飾華美な武具まで置かれている。日頃から開拓者の無骨な得物を見ている身からすれば「実用性に欠ける」という感想ばかりが浮かぶが、武具商は貴族相手に自衛とインテリアの両立を説いて売り捌いていた。

 屋台は祭りでもないのに常駐し、日々商売人たちがしのぎを削っているのだと知り合いに聞いたことがある。しかしこのような人通りが多い場所では相応に維持費が必要。何が言いたいかと言うと、このエリアで競合する人々は皆一流の先輩方で、俺が見習うべき成功例たちということだ。

「いつ来ても賑わってるなぁ。さすが王都のど真ん中」

「店主さん! あっちのお店が気になります! 行ってみて良いですか!?

 背伸びをしながら人差し指を屋台に向けたマイは、呪術の研究の時くらい生き生きとしている。昨日から溜まっていたであろう鬱憤を少しだけでも晴らすことになれば良いと思っていたが、王都の風景は期待以上の効果を与えてくれたようだ。

「良いよ。でも、はぐれないようにね」

 言いながらマイの手首を握る。小っ恥ずかしい気持ちもあるが、必要なことだと思って割り切った。しかし年頃のマイはそうもいかなかったようで、俺が掴んだ腕を僅かに自分の方へ引き寄せながら言う。

「て、店主さん。子どもじゃないんですから」

「そういう意味じゃないよ。昔トウマと来た時にはぐれちゃって、お互い一日探し回す羽目になったんだ」

 支援者としての仕事で一緒になった後、田舎出身の俺を案内してくれる形でトウマと共にこの辺りを訪れた。しかし彼は野暮用に巻き込まれてしまい、バラバラになってしまったのである。結局その日はたった一人で王都中心の人混みに揉まれる羽目になった。

「王都のすぐ隣はスラム街だ。間違って入っちゃうと人攫いにでも会いかねない」

 野暮用とやらもトウマがスラム街の出身だったことで起きてしまった一件だったらしい。しかし当事者ではない俺に対して、彼は頑なに何も語ろうとしなかった。おそらく友人として見てくれているからこそ、俺が介入する可能性を考えたのだと思う。以前からも頻りに「お前は無茶をする」と注意されているので、その辺りの信用がとても無いのは明らかだ。しかしながら支援者の端くれとして、俺も自分にできることはわかっているつもりである。

「俺は戦いになると守れないからね」

 情けないことこの上ないが、キッグとの戦いで自らの力量不足は否が応でも自覚した。真の強者にはどれだけ手の込んだ小細工だって通用しない。だから俺にできるのは、せめて危険に飛び込まない道を選び取ること。

 人波の流れに乗って、時折足を止めながら出店を物色して行く。未知の世界の冒険に、頬を楽しそうな桃色に染めた少女と一緒に。



 出店が連なる通りはいくつも存在していて、ようやく片側の奥部に抜けることができた。しかし俺たちは王宮から来たこともあって、街のど真ん中から入り込んでしまっている。もう半分を探索する英気を養うために人の入りそうにない路地裏の段差に腰を据えていた。

「いやあ。見て回るだけでも大変だな、ここは」

 着の身着のまま店を引っ張りだされたせいで大した金銭も持たずに王都に来てしまった。それ故に単なる市場調査のつもりだったのだが、ギルド管轄のマーケットとは訳が違う。マイが人波に酔いかけているのに気づいたのはついさっきのことだった。

 彼女は深い呼吸を繰り返せど楽しそうな笑顔は消えていない。おそらく少し無理をするくらいまでは帰る気は無いだろうから、残りは駆け足になるように巡りたいと思う。するとマイは街を見ている途中でも呟いていたことを言った。

「やっぱり、王都でも呪術のお店は無いんですね」

「そうだろうね。そもそもが危険なものだし、表立って売り物にしても、怪しくって客が寄り付かないよ」

 即時的な効果を生み勝手に消えていく“まじない”はともかく、永劫残り続ける“呪い”の方は呪術士であっても取り扱いが危険な存在だ。光源程度ならいざ知らず、発火し続ける炎なんて作り出したら、下手をすると大火事の火種になりかねない。使い勝手が悪いものだからこそ一般市場に求められる商品ではないのだ。開拓者が訪れる【アメトランプ】だって客の殆どが探索への必需品目当てである。

「でも……危険かどうかは扱う人次第、なんですよね」

 マイは言いながら胸元に手を入れた。出てきたのは見覚えのある小瓶。昼間にもかかわらず無意味に光る様子で、それが何かを思い出す。

「まだ使ってくれてたんだね」

 最初に出会った後、【アメトランプ】で見せた呪術の産物。永遠と光を放ち続けるお手製のランプである。蝋燭と違って熱も持たなければ火種を入れ替える必要も無い。一見良いこと尽くめのようでも、その実メリットとデメリットは表裏一体に存在している。しかし彼女は平然とした顔でちらりとこちらに向けた。

「はい。せっかくの頂き物ですから」

 ずっと灯り続けるのも不便な気がするが、受け取ったマイが利便性を感じてくれているのなら呪術の性能には問題がないようである。他に懸念があるとすれば、既に小さな傷たちが目立つ使い回しの小瓶の方だ。

「そんなに重宝されるなら、もっと良い瓶に入れてあげたら良かったね。帰ったら作り直す?」

「い、いいえ。これが良いので! ……こ、これくらいがちょうど良いので」

「そう? 良いなら良いけど……」

 何にせよ気に入ってくれているようなので、これ以上は俺から言うべきことはない。もしも他のランプが欲しいと言われたら作ってあげようと心の中で誓い、さて、と吐き出しながら硬くなった足を奮い立たせた。

「それじゃ、もうそろそろ次を見て回ろうか。夕方頃には帰らないと、王国騎士たちがうるさそうだからね」

「そうですね」

 マイと苦笑し合いながら路地裏を来た方角に戻ろうとした。今は忘れることができている疲労感を夜まで思い出してしまわないようにしたい。見栄っ張りを自覚して通りに続く道に入りかけた時、後ろから砂利を踏む音が鳴る。

「あ、あの……」

 誰も居なかったはずの路地裏に俺たち以外の声がした。掠れ声と舌っ足らずが合わさって、酷く聞き取りづらい。俺とマイが揃って逆方面を見ると、そこには決して身なりが良いとは言えない子どもがこちらを向いて立っていた。
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