エピローグ 新しい居場所

文字数 5,742文字

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 かちゃ、かちゃ、と戸棚の中の配置を変えるのは、店主になってから毎朝の日課だ。客がどこを見るか、何を欲しがるのか。ギルド所属の支援者として学んだ知識は、店を構えることで大きく変容した。個人で雇われる時に比べて、出店している以上はまず不特定多数の需要を考えなくてはならない。そういう面では『呪術士』という不思議な状況にあったルミー・エンゼにとって、良い学び場なのだと思う。

 不意にドアベルが鳴った。店前の札を久し振りに『開店』に変えてから、まだ三十分と経っていないのに。随分と耳の早いお客さんだ、と思いながら入口を見遣ると、そこには見知った顔が居た。

「いらっしゃいませー……ってなんだ、トウマか」

「なんだとはなんだよ。せっかく再開祝いに来てやったってのによ」

 ギルド時代からの友人は、焦げ茶色髪をかいてやれやれといった仕草をしながら、慣れたようにカウンター席の真ん中を陣取った。同期で歳も変わらないともなれば、いつからか近くに居ることも珍しくなくなっていた。これからどこかに行くのか、担いでいた大きな麻袋をどさりと床に置く。トウマは店内を見回すと、驚きと感心の混ざったような顔で言った。

「それにしても、マジで一週間ぽっちで店を再開するとはな。あんな大事があった後なんだから、もっと休んでたってバチは当たんないぜ」

 トウマからは心配を隠し切れない様子が伝わってくる。彼が話しているのは、ほんの一週間前にあった夢物語のような出来事のことだ。

 “不死の悪魔”の伝承――厄災とも言われていたドゥーマと、その復活を目論んだキッグ・セアルの脅威は去った。たくさんの人たちが様々な犠牲と傷を負い、最終的にはセアル家に伝わる“封印術”によって物語を物語のままにした。たった一人の少女との出会いから始まった『呪術』を巡る戦いは、ようやく終わりを告げたのだ。

 俺もその立役者の一人ではあるのだが、いかんせん実感が湧かないでいる。なぜなら俺は戦う力を持たない、一介の支援者でしかないのだから。

「生憎と自営業なもんでね。働かなきゃ食っていけないんだよ」

「大打撃を受けた【ソラティア】のために報酬の殆どを引き渡しちまったからなぁ。全く、とんだ不味い仕事だったぜ」

 トウマはそう言うが、実は最初に報酬を明け渡したのは彼だということはハリエラさんから聞いて知っている。物資や馬を守れなかったのは開拓者の責任だけではないと言って、本来支払われるはずだった報酬は全て【ソラティア】へと引き渡したのだ。つまりはトウマなりの照れ隠しである。俺は作業の手を止めることなく、カウンターの下から商品を取り出しながら言う。

「仕方ないよ。彼らは仲間を失い過ぎた……開拓者として再開するにしたって、傷を癒すためには実利的な部分も必要だろ」

「ったく、お人好しが。一番活躍したお前が報酬を断ったせいで、他の支援者たちが欲しくても言い出せなかったってことを忘れるなよ」

 本当はソラウの事情を知ったトウマだけが報酬を贈呈するつもりだったらしい。しかしあの戦いでともに死線を潜った彼らに、あっけなくさようならを言うことはできなかった。

 【ソラティア】には本当に助けられた。曲がりなりにもあの場まで連れて行ってくれたわけで、ドゥーマに勝てたことだって俺一人では絶対に不可能だった。アレスやクイップさんが命を賭してくれたからこそ、俺もまたここに居られる。だから後悔はしていない。

 それよりも意外だったのは、支援者たちも報酬を譲り渡したことだ。トウマいわく「ルミーへの恩義の返しどころを失ったから」らしいが、それだけではないことは明らかである。【ソラティア】にも、そんな彼らの根底の良さが伝わっていれば良いと願う。

「怪我はもう治ったのか?」

「まだ節々痛むところはあるけどな。でも業務に支障は無いよ」

 心配そうなトウマに向かって、体を軽く捻る動作をしながら答えた。ドゥーマとの戦いの後、ハリエラさんが呼んでいたギルドの応援が追いつき、俺や【ソラティア】の生き残りを馬車で送り届けてくれたらしい。伝聞でしか言えないのは、俺自身は王都に着くまでずっと眠ってしまっていたからである。

 俺はその足で医者にかかり――なぜか王国有数の病院が率先して診てくれて――傷を治してもらった。千切れた腕はマイの施した呪術治療のおかげで問題無かったものの、足やあばら骨が何本か折れていたとか。しかしそれをものの数日で治してしまうのだから、王国の医療技術は凄まじいものだ。

「全く……結局無茶しやがって。しばらくは外に出ようなんざ思うんじゃねぇぞ」

「悪かったって」

 この話題は些か分が悪そうだ。俺はわざとらしく咳払いをしてから、思考を過去から未来の展望に向けた。

「トウマは次の仕事、決まってるのか?」

「あぁ、実はな……」

 トウマは少し言い淀んだ。何か後ろめたさを含めたように視線を逸らして、人差し指で頬を何度か撫でる。

「俺、【ソラティア】に付いて行くことにしたんだ」

 思いがけない決断に目を丸くする。しかし同時に、人を見捨てられないトウマらしいと納得した。言い詰まったのは、俺が心配してしまうと思ったからだろう。だから理由を聞くことはせず「そっか」とだけ短く言った。

「お前はさっきあいつらの心配をしてたけどな。案外と根性のある連中だぜ。ルディナを出て、国渡りで実力を付けるんだってよ」

 国渡りとは、文字通り船や陸路を用いて国々を往来することだ。ただしこれを開拓者が行うと少しだけ意味が変わってくる。要するに、各国で傭兵としての腕試しをするということだ。

 ルディナ王国は現在、他国と友好な関係を結んでいる。数年前に南の国から大規模な侵略を計られたようだが、それはかの“ルディナの英雄”が止めたと聞く。自国の話なのに、その存在を噂話でしか伝えられていないのがルディナ王国の平和の証だった。

 そして開拓者たちは他国においても出番がある。特にルディナの開拓者と言えば、建国当時から続くギルドの出身という理由で、ある種のブランドになっているようだ。しかし逆に捉えれば、相応の働きや成果が望まれるということでもある。厳しい旅になることは間違いない。

「いつから?」

「今日の午後」

「えっ! また随分と急だな」

 開拓者には珍しいことではないが、緊急性の高いギルドの依頼と違って、彼らは流浪の旅に出るのだ。しっかりと準備をして行うことが本来ならば当たり前である。良くも悪くも、彼らの行動力には驚かされるばかりだった。

「それでそんなに大荷物なのか」

「そういうこった。全く、支援者の身にもなって欲しいぜ」

 焦げ茶髪が呆れるあまりぐしゃぐしゃと掻かれるが、国から出ようとするクランにまで付いて行くなんて並の決断ではない。名簿上はギルド所属のままとはいえ、事実上の『休業』になる。彼らにもしものことがあっても支援者は守ってもらえないし、最悪ルディナに戻ってくることさえ叶わなくなるかもしれない。トウマ自身も生半可な気持ちではないはずだ。

「まぁそんなわけで、俺はこれから行かなきゃならん。しばらく会えなくなるから、お前に釘を刺しておこうと思ったんだ」

 トウマに言われ、彼が朝一番にここを訪れた理由がようやくわかった。本来なら俺が向けるはずだった憂慮の眼差しを取られて、うぐ、と息が詰まる。ここで船出の気持ちを不安にさせては、友人を名乗る資格もないだろう。

「肝に銘じとくよ」

 久方振りに同じクランの支援者として仕事ができたのに、また暫くは別々の道を行くことになりそうだ。次に俺たちの物語が交わるのはいつになることやら。

「それと、今のは俺の言葉。別に二つ伝言を預かって来てんだ」

「伝言?」

 今度はトウマが咳払いで喉の調子を整えてから、誰かの真似をするようにきりっとした表情を作る。

「一個はアレスさんから。『クイップがあなたを認めた理由がわかった気がする。今度ルディナに帰った時は、ぜひもう一度お店に寄らせてもらうわ』だってよ」

 裏声混じりに放たれた台詞は本人と似ても似つかなかったが、どういう気持ちで言ってくれたのかはちゃんと伝わった。初対面の印象こそ最悪だったが、共に戦った今は彼女との付き合い方も少しだけわかる気がする。今度訪れた時には、ちゃんと商談をしようと思えた。トウマは普段の調子に戻ると、その口からは少々意外な名前が飛び出した。

「んで、もう一つはソラウから」

「そ、ソラウが?」

 面食らったように聞き返す。俺とソラウの関係は。誰もが知る通り険悪の一言に尽きる。彼が傷を負っていた時も、応急処置の後はトウマに任せ切りで立ち去ってしまった。この期に及んで不義理な俺に対する恨み節かと邪推するも、それは違っていた。

「『世話になった。借りはいつか返す』――以上」

 今度は声音すら変えず、実にあっけらかんとしていたから拍子抜けしてしまう。伝言というにはわざわざ伝える必要もないような言葉に笑いが溢れた。どうやら邪推だったのはこちらだったようだ。

「気にするなって伝えといてくれ」

「お前ならそう言うと思って、もう言っといた」

 トウマが笑顔なあたり、あれから二人の関係は良好なものと思われる。実質的に【ソラティア】を仕切っているソラウの態度が軟化したことで、執拗な支援者いびりは解決したかもしれない。少なくとも、これでトウマは遠征の間にゆっくりと休むことができるだろう。

 俺は朝の準備を全て終えると、カウンター越しのトウマの正面に座った。これから国渡りが始まるなら、ゆっくり話せる機会もこれが最後かもしれないのだ。今は店主としてより、一人の友人として腰を据える。するとトウマが俺の右手に人差し指を向けてきた。

「お前、その手どうした?」

「ん? ああ、これか」

 彼の疑問の正体に勘づいて自分の手の甲を見遣った。そこにあるのは痣のようなもの。痣と言っても何かに打ち付けた感じではなく、まるで『描かれた』ように二本の湾曲した線が交差している。色も人間の皮膚より明らかに黄色く、ただの痣と断ずるにはあまりにも異質だった。

「あの一件の後、目が覚めたら付いてたんだ。“呪術治療”の痕跡かと思ってたんだけど、どうにも違うみたいでさ」

「紋様、みたいにも見えるな……また危ねぇもんに片足突っ込んだんじゃねぇだろうな」

「いやいや。これについては本当に謎なんだ。何かが起きるわけでも無いし」

 必死に弁解するも、トウマは「どーだか」と言ってまともに言い訳を聞いてはくれなかった。

「大丈夫なら良いけどよ。どうせお前のことだから、良い研究材料が見つかったくらいに思ってんだろ」

「そ、それほど楽観視してるつもりは……ない。多分」

「全く、呪術のことならマイちゃんにでも相談しろ……そう言えばマイちゃんはどうしたんだ? あれから話、聞いてねぇけど」

 マイに関しては俺と、二日と空けず見舞いに来てくれているハリエラさんしかその動向を知らない。しかしそれにも理由はある。彼女はあの事件の被害者であるとともに、首謀者の妹という複雑な立場だ。そんな人間の情報が無造作に広がれば、今後の彼女の道を奪いかねない。だから俺たちは彼女の存在をできるだけ秘匿することにしたのだ。それでもトウマにならば、行く末程度は教える義理があるだろう。

「彼女はいつか自分の家を復興したいって思ってるみたいだよ。お父さんとお母さんの分まで、立派に生きてくってさ」

「そうか……兄貴があんなのだったのに、頑張ろうだなんて、やっぱり良い子だな」

 彼の言う通りだった。彼女が負ってしまった心の傷が癒えるためには、この先何年も要するだろう。それでも正面から向き合い続けるという道を選んだ彼女の強さは、とても美しいと思える。

「じゃあマイちゃんは家に帰っちまったのかー。いやぁ、残念だなぁ! とうとう俺の友人にも春がやってくるものだとばかり思っていたのに!」

「だからマイはそういうんじゃないって。それにな……」

「ま、復興を目指すなら家から離れてもられねぇわな。可愛い子ちゃんが居なくなって残念だったな、ルミーくん」

「だから……はぁ、もういい。さっさと行ってこい」

 これ以上は面倒になりそうな話題だったから、詳しい説明は省くことにした。旧友はいたずらな笑みを浮かべると、わざとらしい口調を止めて言う。

「ハイヨ。じゃあ、ハリエラさんにもよろしく伝えておいてくれ」

「ああ、気をつけてな」

 トウマは麻袋を手にカウンター席を立ち上がった。真っ直ぐ進んでドアノブを掴んだが、ベルは鳴らない。

「あー……それとな、ルミー」

 背中を向けたまま、言いにくそうに頭をかく。数秒沈黙が流れるので、俺が「なんだよ」とせっつくと、トウマは改まったように言った。

「俺も今回のことは感謝してるんだぜ。ルディナに帰って来たら、ちったぁ俺にも借りを返させろよ。ただの従業員くらいなら手伝えもするんだから」

 いつものお調子者らしくない言葉に、俺の頬は一頻り決壊することとなった。トウマは【ソラティア】と遠征をする橋渡しをしてくれたのだ。もし彼が居なかったら、ルディナにどれだけの影響があったかは言うまでもない。ある意味で、彼は英雄なのである。

「ったく、人が気ぃ遣ってる時に笑うんじゃねぇよ」

「悪い悪い。でもそれには及ばないよ。なにせ、優秀な人材が雇えたからな」

「は、人材?」

 聞き返されたのと殆ど同時に、カランコロンとドアベルが揺れた。その先にある小さな人影を見たトウマが心底驚いた顔になって、とても気分が良い。

 ドレス調の服装の上に外套を羽織る少女。被ったフードの下には、隠しきれないほど綺麗な青藍の瞳が覗く。そこに、初めて出会った時の暗い眼差しはない。買い出しから帰って来た少女が色白な素顔を露わにし、短くなった赤毛を揺らして言う。ここで学び、いつか自分の夢を掴み取るために。

「ただいま戻りました、店主さん」

「おかえり、マイ」

 ――ここは開拓者支援店【アメトランプ】。ギルド出身の若手支援者と可愛らしい看板娘が出迎える、世にも不思議な呪術の店。新しいスタートとともに、新鮮な朝が通り過ぎて行く。
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