第7話 二重苦

文字数 5,611文字



「では落ち着いたらハリエラさんに言伝(ことづて)をお願いしますから、ぜひみなさんでいらしてください」

「さらっと年上を使いっぱしりにするんじゃないよ」

「あぁ、恩に着るぜぇ店主さん。それじゃあな」

 【ソールサー】の面々と握手を交わし別れを告げると、俺とハリエラさんは【アメトランプ】に向かった。否、俺とハリエラさんともう一人。例の赤毛の少女をハリエラさんが背負って三人での移動である。夜も遅く、人通りの減った石畳の道を歩く。

「気の良い人たちでしたね。新人開拓者間で『開拓者至上論』っていうのが唱えられてるらしくて、少し心配もあったんですけど」

「アイツらは新生クランではあるけど、歳はそこそこ積んでるからねぇ。そんじょそこらの若手みたいに、周りの都合の良い考え方に流されたりはしないよ」

 久し振りの遠征からの帰り道。以前まではギルドが所有する宿泊施設を利用していたが、もうそちらに世話になることはない。なにせ【アメトランプ】という店舗兼自宅があるのだ。いつまでも帰ることができれば良いなと思ってはいるが、そのためには日々の経営に手は抜けない。『開拓者至上論』とやらに惑わされて、若手の開拓者を敬遠するわけにもいかないだろう。

「はぁ……先が思いやられますね」

「先が思いやられるってんならこっちさね。身元不明の少女を連れて来て、下手すりゃ誘拐だよ?」

「その時は、二人揃って自首しましょう」

 ハリエラさんの背にいる小柄な少女を見遣る。今さらながら、あの場で助けを求められたとは言え放置しても良かったはずだと思ってしまう。触らぬ神に祟りなしとも言うし、後悔がゼロというわけではない。

「――でも、放って置くのはもっと後悔する。そんなとこかね」

「え?」

 俺はハリエラさんに頭の中を覗かれたような気分になった。どうやら数年来の付き合いの女性には、大体お見通しらしい。

「アンタがお人好しだってことは知ってるさね。アタシもアンタのそういうとこが好きで、こうやって支援してもらってるんだからね」

「え、えっと、ありがとうございます?」

「なんで疑問形さね……とにかく、好いたヤツと付き合うなら、ソイツの性格を認めてやらなきゃいけない。それができなきゃ、ソイツはアタシが好いたソイツじゃなくなっちまう」

「……同じ人間が別人のようになったら、そうですね。俺も認められないかもしれません」

 憧れた人や気前良く付き合ってくれる人。例えば俺にとってのハリエラさんやトウマのような人が変わってしまったら、果たしてこれまでと同じように接することができるのだろうか。一緒に在りたいと思うことは、過去の思い出だけでは成り立たない感情なのかもしれない。

「でもその別人みたいな顔も、もしかしたらそいつの本来の性格の一部かもしれない。見極めて見極めて、ホントに大事にしたいって思った人をちゃんと守ってやるのが――」

 ハリエラさんは少女の重さを感じさせない足取りでこちらを向くと、満面の笑みでこう締めくくった。

「友だちってヤツさね」

 俺はその言葉に大きく頷いた。友人たちを失くしたくなければ、せめて俺だけは変わってはいけない。もし仮に妄執に囚われることがあったなら、きっと大切なものを失ってしまうのだ。そんな未来が訪れないことを願いながら、二つの足音は閑散とした郊外を踊った。


 俺たちは【アメトランプ】に着くと、まずは普段使っているベッドを空けて少女を寝かせた。相変わらず顔色は優れず、時々うなされているのを見ると、夢の中だけでも幸せというわけではなさそうだった。

「とりあえず今晩は応急処置をして様子を見ます。もし回復が見込めなければ、知り合いの医者に相談してみましょう」

「わかったよ。アタシはこの部屋の椅子で寝るから、アンタは好きにしな」

「まるで自分の家みたいな言い草しないでくださいよ……じゃあ俺は薬を調合して来ますから」

「はいよ。何か異常があればすぐ知らせる」

 ありがとうございます、と言ってから、俺は接客を行うカウンター付きの部屋に戻った。【アメトランプ】は一階建てで、今いる接客部屋であるロビー。左奥の扉の向こうの洗い場兼調理場だ。そして今出て来た右奥の扉に入ると、現在ハリエラさんと少女が居る俺の私室となっている。一人で店をやるには十分な広さだが、いかんせん三人が宿泊するには手狭であった。

 カウンターに備え付けられたガラスケースからいくつかの小瓶を取り出し、成分をよく確認してから少量をすり鉢に移して混ぜ合わせる。苦々しい緑と青が色を重ねて、殆ど黒に近づいたものを少女の眠る部屋に持ち込んだ。それを見たハリエラさんはこれ以上ないほど表情を強張らせる。

「大丈夫なのかい、それ。毒にしか見えないんだけど」

「舌が痺れるくらいには良く効きますよ」

「……アタシには死んでも飲ませんでおくれ」

 嫌そうな顔をするハリエラさんを横目に、木の匙ですくい上げた薬を少女の口に近づけた。

「聞こえますか? 飲んでください」

 呼びかけてはみるものの反応はない。仕方なく匙で少女の脣をこじ開け含ませてみたが、小さな咳に拒絶されてしまった。

「口移しでもしてやったらどうだい? 王子サマ」

「緊急事態でもないのに、年頃の女の子にそれをするのは可哀想でしょう……でも困ったなぁ。疲労回復にはこれが一番効くんだけど」

 少女に現れている症状は栄養失調や過度な疲労による体力の減衰と見られる。安全が確約されている今の状態なら、本来はゆっくりと療養することが一番良い解決策だ。ただ正直なところ、俺にもハリエラさんにも支援者や開拓者としての仕事がある。いつまでも寝ていられるわけにもいかず、あの鉱山に居た目的よってはその処遇を決めなければならない。

「目的も素性も一切不明。全く、厄介な案件を抱えちまったねぇ」

「言わないでくださいよ。とにかく栄養を取らせて目を覚ましてもらわないと……少し強引だけど、水で流し込むか」

「……アンタ、時々無茶なことするよね」

 俺はじっとりとした呆れ顔から目を背けて、呼吸のために少しだけ開いた少女の口に薬を落とした。そして手早く近くのコップに匙を漬け、同じ要領ですくった水を流し込む。コップの水はすぐに黒くなり、調合した成分がいかに濃厚であるかを知らせていた。

「……んっ、ぐっ」

「お、何とかいけそうですよ。もう二回も繰り返せば必要な量が摂取できるはずです」

「この不審さしかない状況を知ったら、口移しの方がマシだったって言うかもしれないね。アタシは新しいコップに水を入れてくるよ。薬味の水じゃ、さすがに可哀想だ」

「お願いします」

 ハリエラさんは「よいせ」と言いながら立ち上がって部屋を出て行った。俺は彼女が水を取ってきてくれている内にもう一度少女に薬と水を含ませる。再び咽ながらも、薬は間違いなく喉を通っていった。苦みに険しくなる顔を見ている間、過ぎる思考に意識を傾ける。

 なぜ、彼女はあのような鉱山に居たのだろうか。不十分な食糧事情を見ても、日常的にあそこに住んでいたわけではなく一時的な滞在だと思われる。すると考えられるのはどこかへ向かう途中だったか、あるいは身を守る、避難場所としての利用か。

「そう言えば、森の方で火事があったって言ってたな……」

 洞窟内での火柱や、彼女が見せた炎の魔術を思い出していた。もしかするとそのボヤ騒ぎの原因は彼女にあるのではないか。しかし炎という接点が感じられても、彼女が犯人という確証には至らない。森には怪しい人間たちも居たと言うので、関係者や敵対者であっても何らおかしくはないのだから。

 俺は改めて少女の特異さを考えつつ、通算三度目のやや強引な投薬を試みた。最後の黒い液を垂らし、水をすくって向き直ると、美しい青い目と視線が重なった。

 目が合った。

「――変ッ態!」

 ――へんたい?

 俺は彼女の発言をしっかりと理解し訂正しようとした。しかし発言を許されるよりも早く、胸の辺りに凄まじい熱を感じる。

「うおぁぁっ!」

 唐突に発された炎は爆発力を伴って、俺の体を部屋の扉まで吹き飛ばした。ドアノブが腰に突き刺さり、自分のどこから出たかわからない変な声が漏れ出して悶絶する。少女が衰弱していたことが幸いしてか引火するほど勢いのある炎ではなかったようだが、腹部は焦げ目が付いているんじゃないかと思えるほどに熱い。

「にっがっ! あなた、何飲ませたの!」

「た、ただの、くす……うっ!」

「ルミ坊!」

 言葉の途中で扉が勢いよく開いた。今度は外開きのドアの角が起き上がりかけの俺の体を打ち付けて、部屋の壁に衝突したことでさらなる痛みを受ける。ずるずると床に倒れ、とうとう声も出なくなり、現状を見たハリエラさんが形相を変えて少女に近づいた。

「お前ッ」

「っ」

 霜が降りた臨戦態勢の右手。それを見た少女がすぐに両手を向ける。このままでは巻き添えを食らうどころか【アメトランプ】が破壊されかねないので、俺は肺に鞭を打ってどうにか声を張り上げた。

「ストーップ! 二人とも誤解だぁー!」

 なぜか不貞の男のようなセリフになってしまった。しかしこの状況では間違いはなかったと思う。言葉は効力を発揮し、ハリエラさんの足を止めさせた。

「何が違うんだい? 明らかに火の匂いがする。こいつがやったんだろう!」

「その男が私に危害を加えようとしてたのよ! 大方私で人体実験でもするつもりだったんだわ! だって口の中がこんなに苦いんだもの!」

「話聞いてくださいって! あぁもう熱いし痛いし何で俺が諌める立場に居なきゃいけないんだよーっ!」

 話が通じない彼女らに対してやけくそに思いの丈をぶちまける。冷静に考えてみれば被害者は俺一人でしかないのだからこの状況は些か理不尽だろう。俺の憤慨する様子に気づいたハリエラさんがようやく心配の眼差しを向けてくる。

「る、ルミ坊? 大丈夫かい? 頭とかぶつけたかい?」

「痛みの原因の半分はあんただよ!」

「お、おぅ。なんか、ごめん」

 制御し切れなかった感情が勢い余って敬語を飛ばしてしまったが、そんなことはどうでも良かった。むしろ吹っ飛ばされたのは俺の身の方なのである。

 その張本人である赤髪の少女はと言うと、ぽかんと口を空けて毒を抜かれてしまっていた。結果的には攻撃的な目つきが消えて良かったのかもしれないけれど、焦げてしまった服は新調しなくてはならなそうだった。

 やがてたっぷり十秒かけて状況を正しく理解した赤毛の少女は急いで頭を下げた。体調の悪さとは違う蒼白な顔をして謝ってくる。

「ご、ごめんなさい。てっきり男の人に襲われているものかと。口も何だか気持ち悪いし……」

「それはただの薬だよ。疲労と栄養失調が酷かったから飲ませたんだ。無理矢理押し込んだのは謝るよ」

「いえ、そんなこと……あれ」

 ふっと、上体を起こしていた細身の少女が揺れた。そのまま仰向けにベッドに倒れてしまい、困惑した様子で狼狽えてしまう。勘違いに気づいたハリエラさんはゆっくりと歩み寄り、はだけていたタオルを少女のお腹に戻してあげた。

「ほら、とっくに体力は限界なんだ。もう一度寝ると良いさね」

「そんなわけには……! 私、凄くお世話になってしまっていたみたいで……」

「自分じゃわからないかもしれないけど、アンタの顔色めちゃくちゃ悪いよ」

「でもっ」

 なおも食い下がろうとする少女は、俺たちを警戒するというよりも、本気でこれ以上の面倒を申し訳なさそうに感じているようだった。ハリエラさんが少女を説得しようと試みるので、俺も続くように近づく。

「無理に動いてもらうよりも、早く体調を戻してから落ち着いて事情を話してくれたら良いよ。ここは王都の郊外でギルドの本部も近い。きみは安全だよ」

「王都……」

 ぽつりと呟いた言葉とともに青藍の瞳が見開かれた。透き通った綺麗な色は、目立つ赤髪と相まってどことなく神秘的な印象を与える。

「そっか、私、辿り着けたんだ」

 少女はほっと息をつくように独り言ちた。今にも涙を溢しそうなくらいの安堵を見て、ハリエラさんは諭す言葉を選んだ。

「こいつは稀に見るお人好しだよ。襲われることはないから、安心して宿扱いしてやんな。アタシも居るしね」

 彼女の言葉に少女は少しだけ力を抜いた。ハリエラさんのあっけらかんとした性格は開拓者同士で打ち解けるだけでなく、こういった場面でも役立つのだと感心する。しかし少女はすぐにはっとした顔になると、急いで服のポケットを探り、顔色をさらに悪くしながら俺たちに尋ねてくる。

「私、石を持っていませんでしたか? 小さな、刻印のある石なんですけど……」

「それって、これのこと?」

 俺は机に置いてあったそれを彼女の前に差し出すと、もの凄い勢いで腕が飛んで来た。驚いて見ると、他を意に介さない集中力で石を凝視している。そして一頻り確認が終わった直後。

「――良かった、無事だった」

 言うなり少女はその石を大切そうに握り締め、すぐに寝息を立て始めた。やはり相当疲れが溜まっていたようで、俺はハリエラさんと顔を見合わせると思わず吹き出した。

「なんだったんでしょうね?」

「さぁ? でも、どうやら悪い子じゃあないらしい」

 根拠など一つもないはずの彼女の言葉が、なぜか一番の証拠だった気がした。俺はひとまず安心して長い息を吐くと、足が少しだけもつれてしまう。

「アンタも疲れてるみたいだね。予定通りアタシはこの部屋で寝ておくから、アンタはロビーでゆっくり寝な」

「はい、お願いします」

 散らかった部屋を手早く片付けると、俺はすぐにカウンターに向かった。そこの椅子に腰掛けると、先の少女よろしくすぐに眠気に襲われる。

 まだまだ謎は多い。少女の素性も目的もわからず、進展らしいものは何も無い。けれど彼女の目覚めが何か大きな変化をもたらす予感がして、胸のざわつきが深い微睡みの中に落ちていった。
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