プロローグ 燃ゆる森にて

文字数 786文字

 鬱蒼とした森だ。山菜が育つような、苔の茂る肥えた樹林。日頃は規則によって立ち入りを禁じられているというのに、今はもう何人の人間がこの領域に踏み込んでいるのか想像もつかない。植物が吐き出していたはずの清涼な風は、既に炎を広げるための材料でしかなかった。燃え広がり続ける森の叫びを聞きながら、くるぶしまであるスカートの裾を汚し、走る。

 ――とにかく逃げなければ。

 焦燥によって熱を帯びる思考をどうにか落ち着かせて、私は手の中にある一つの石を確認した。

 石は傍目から見ても普通とは呼べない代物だ。その価値がわからない人間でも、精巧かつ綿密に凝らされた刻印が何かの意味を持つことに疑いを持たないだろう。事実、たったこの一つの石ころに、私は十六年間生きてきた命を懸けている。

 ――まだ人里は見つからないの?

 口に出したい悪態を飲み込んで、もたれていた木の陰から抜け出す。よくよく考えれば、人里に辿り着いたところで安全の保証なんてこれっぽっちも無い。いつの間にか“彼”は人を傷つけることを厭わない人間になってしまった。集落程度なら壊滅させるという手段も選びかねない。

 末恐ろしい想像を体現するように、森の遠くから爆発音と熱風が襲いかかってきた。森を蹂躙し、荒野を作り出すがごとく。辺り一帯を焼け野原にしてでも私を探し出す気だろう。母親からもらった自慢の赤髪に火の粉が散ってきて、火傷しそうになる熱の痛みを必死に堪える。

 全ては約束を果たすため。誰にも止められなくなる前に、何としてでも計画を阻止しなくてはいけない。まずは辿り着くんだ。一抹でも塵の一つでも、希望を見つけ出すために。ルディナ王国の王都へと。

「おい! こっちに小さな足跡があるぞ!」

 突如近くから聞こえた野太い声に身体中の内臓が底冷える。私は茂みを飛び出して無我夢中で森を駆けた。聞こえる怒号も脅迫も全部、後ろ背にして。
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