第19話 騎士と支援者

文字数 6,603文字

※――――――――――――――――――――――

 体の疲れを感じなかった。一日中暴れん坊の馬に揺られ、騎士の後ろ背を追ったはずの下半身には錨を降ろした船くらいの重量があってもおかしくない。不自然なまでの現実との乖離が、この世界を夢なのだと気づかせた。

 俺は――ルミー・エンゼはこんなところで眠りこけている場合ではないのだ。救うべき人が居て、その手がかりを一刻も早く手に入れなければならない。急がなければ全てが手遅れになってしまう。

「待っていて」

 ――お前にできるのか?

 自問自答するかのごとく内側から声が聞こえた。曇り雲の中のような真っ暗な世界で、何かの形が象られる。目の前に浮かんだのは俺とよく似た背格好の影。顔は見えないが、直感的に俺の内に潜むもう一つの心だと理解した。

「できる。俺は絶対にマイを救い出す」

 ――誰よりも弱者であることを理解しているのに?

 影は的確に抉る言葉を選んだ。“呪術”によって呪われたルミー・エンゼの力を憐れむように。俺の全てを知っているからこそ、成功する可能性の低さに「無謀だ」と告げに来たのだ。

「それでも誓ったんだ。あの子の運命を助けるって。これ以上、光を与えるだけじゃ駄目なんだ」

 俺はマイに何度も希望を抱かせた。絶望の淵に立つ少女があまりにも不憫で、悲しくて。しかし誰かを救いたいと願うのなら、何もできないままなんて罪だ。抱かせた希望の数と大きさに見合うだけの強さを手に入れなければいけない。

 内なる影は俺の答えにしばらく押し黙っていた。真っ黒な中から僅かに覗いた瞳はあたかも別人を見据えるが如く、じっと俺を見ている。

 ――なら、弱い俺はこのまま眠っているとしよう。

 言うなり影はみるみる身を小さく潜めていく。そして最後に、俺の決意の強さと同じくらい強い口調でこう言い残した。

 ――必ず救い出せ。さもなければ、いずれ……



「起きろ。支援者」

 肩を揺すられるとか、そんな生易しい表現が当てはまらないくらい体がぐわんぐわんした。硬い地面で強ばった筋肉が忘れていた疲れを思い出させる。

「が、ガルシアン……?」

 青い髪に山吹色の吊り目。声の主はいつも通り圧の強い視線とともに、太い腕を俺に伸ばしていた。

 何かおかしな夢を見ていた気がする。残された記憶は曖昧で、朧気な質問とその答えが微妙によぎる程度。しかしそれよりも重要なのは彼の容体である。俺はがばっと起き上がると、破れて血が染みてしまった彼の麻生地の服をまじまじと見る。

「もう大丈夫なのか? 背中と腹以外に目立った傷は無かったけど」

「起きて早々、人の心配か。(うな)されていた奴とは思えん呑気さだな」

「魘されてた? 俺が?」

「あぁ。随分と情けない顔だったから、見せてやりたかったぐらいだ」

 ガルシアンにそう言われても、別に悪い夢を見たような気もしない。思い出せない記憶を探っても仕方ないし、今は時間が無いことを重要視すべきだ。

「あんたこそ、意地の悪いことが言えるくらいには治ったんだな」

「……あぁ」

「勝てそうか?」

 聞いたのは、無論あの鈍色の騎士のことだ。突如として俺たちの前に現れた巨大な障害。すぐにでも「当然だ!」という怒鳴り声が響くことを期待していたけれど、ガルシアンはぐっと唇を結んでから冷静に言う。

「悔しいが、厳しいと言わざるを得ない。瞬間移動、おまけに再生能力まであるときた。封し鳥と同じ、人智を超えた存在と対峙していると言っても過言ではない」

「あいつ、一瞬だけ体が粒子みたいにバラバラになっていたよな。そんな芸当できるものなのか?」

 瞬間移動に再生。そのどちらもの予備動作として、鈍色の騎士は粒子状に変化していた。まずはあの現象を解明しない限り、同じ轍を踏んでしまうだろう。

「理論上は可能だが、絶対に不可能だ」

「……机上の空論ってやつか?」

「それほど役に立たない訳ではない。ハリウェル・リーゲルが提唱した『人体魔術化理論』に基づく正式な知見だ」

「ここでも出るか、ハリウェル・リーゲル」

 流石は魔術学校を首席で卒業したと聞く男だ。本人は俺と同じで魔術を使えなかったと聞くのに、広い見聞には脱帽するしかない。ガルシアンは生徒に講義でもするように、その理論について語った。

「人間は魔術を行使する時にエネルギーを消費する。しかし何らかの拍子に脳や体のリミッターが外れてしまった場合、爆発的な現象を引き起こすと同時に人体そのものを欠損する可能性があるのだ」

「ま、魔術ってそんなに恐ろしいものだったのか?」

「普通にしていればまず起きん。実例は少なからずあるようだが、本当に稀な現象だ」

 便利かつ強力な魔術だが、まさか体力を消耗する以上の危険を孕んでいたとは。初めて魔術を使えなくて良かったと思ったかもしれない。

「それで、その摩訶不思議理論とあの騎士にはどういう関係があるんだ?」

「『人体魔術化理論』だ。貴様の研究者の端くれなら、正確な名称くらい……」

「わかったって! 人体魔術化理論だな。覚えたよ」

「ふん」

 戦闘は粗野な癖に、研究となれば随分と几帳面なやつだ。お互いに悪態を飲み込んでから顰め面のガルシアンが続ける。

「人間の瞬間移動を可能にする方法として提唱されているのが、人体を魔術の粒子に変え、空気中を伝うという方法だ」

 簡単に説明したつもりの偉丈夫に疑問の目を向ける。実際、俺の想像力が足りないのか、魔術を使えないから実感が湧かないだけなのかわからないところだ。はぁ、といつの間にか慣れを感じ始めた溜め息の後で詳細が飛んできた。

「事前に目的の場所に伝導率の高い物質……例えば空気中に鉄の欠片を生成しておき、次におのれの体を雷に変える。そして鉄を伝い、目的地で体を元に戻すよう魔術をコントロールする。これで魔術化した体による高速移動が可能になるという訳だ」

「な、なるほど……? 伝導率の高い物が生成できるのと、雷の魔術を微細に操れることが条件か」

「鉄の魔術を使える人間はごくごく稀だ。貴様ら呪術士ほどでは無いにせよ、そもそも限られた才覚であることは間違いないだろうな」

 実はその稀な人間を知っているのだが、彼に話したところで栓のないことだろう。とかくカラクリがわかったのなら、あとは謎の騎士の正体を探ることが必要だ。

「じゃああの騎士は、偶然それらの条件を全て満たしている凄腕魔術士だってことか」

「最初に言ったことを忘れたのか? 絶対に不可能だと言ったはずだ」

 しかし当のガルシアンがそれを否定する。俺は遠慮なく、下手な講師に怪訝な顔を向けた。

「体を魔術化してから元に戻るまでの時間、術士は仮死状態だ。つまりそこから元の姿に粒子状の魔術を集めなくてはならないのだ……そんなこと、どんな高名な魔術士であろうとできようはずもない」

 求められているのは意識を欠いた状態での魔術操作。先んじて準備をする呪術ならばともかく、全てを即席で行う魔術において無意識での使用は不可能ということだ。先に説明された『人体魔術化理論』に沿えば、だからこそ身体欠損の事例があると言えるのだろう。

「加えて完全な魔術化制御のためには、脳や体の限界を自らの意思で打ち破る必要がある。生命の危険を感じながら冷静な判断を下すなど……」

「できようはずもない、か」

 台詞の終わりを盗むと、山吹色の瞳にキッと睨まれた。

「だけどあの騎士はやってのけた。学術的に不可能だとしても、事実は認識するしかない」

 相対しているのは未知の力。それは“封し鳥”だって同じことだ。ここで立ち止まる選択肢が無いのなら、その不可能を受け入れて攻略するしかない。ガルシアンは短く唸った後でこう言った。

「あの騎士が“英雄”シュリクライゼ・フレイミアをも超える化け物か、痛みすら感じない死体でもないと説明がつかんな」

 普通なら前者の方が現実的に聞こえるはずなのに、シュリクライゼさんの力を何度も目の当たりにすると、それすらも絶対に有り得ない話だと思えてしまう。加えてもう一つ意外な言葉も聞き取れた。

「あんたもシュリクライゼさんのことは認めてるんだな。驚いたよ」

「フレイミアの家系は代々強さだけは本物だ。第一、奴を侮るようなことを言った覚えはない」

「言ってただろ。『一人きりの騎士団』とかって」

 ガルシアンの部屋を訪ねた時に俺たちそっちのけで繰り広げられていた言葉の応酬――とは言え、一方的に仕掛けていたのは目の前の青髪騎士団長だけだった。彼は大した自覚もなさそうに語る。

「馬鹿にした訳ではなく、言葉通りの意味だ。歴代のフレイミア家の者は騎士団の一つである【煌炎】の団長を担当してきた。しかし当代のフレイミアへ引き継ぐ際に、奴の父親が王にこう提言したのだ」

 ガルシアンはおもむろに目を瞑り、昔の記憶をたどった。

「『シュリクライゼは強過ぎる。おのが役割を全うする四つの騎士団の均衡が崩れかねない』と」

 均衡を崩す。それはつまり、それまで平等な実力や地位であったはずの四つの騎士団の中で、【煌炎】だけが突出してしまうことを示していた。

「シュリクライゼさんは、たった一人で【青の騎士団】にも匹敵する強さだってことか?」

「わざわざ我々を引き合いに出すな。嫌味のつもりか」

 剣幕が鋭くなった強面の男にぶんぶんと首を横に振る。思えば渓谷での戦いで、シュリクライゼさんは単独で“封し鳥”を足止めしていた。奴らが分離する能力を持っていなければ、あのまま炎の檻に閉じ込めておくことも可能だったのだろう。

「王は騎士団の力の比重が偏ることを懸念し、元々あった【煌炎】の団員全てを他の騎士団に割り振った。そうしてシュリクライゼ・フレイミアは一人で騎士団を名乗る奇天烈な状況に陥ったという訳だ」

 説明の前にも後にも深い溜め息をついたガルシアンは、話のレーンを目先の出来事へと戻す。

「無駄な話を挟んだが……要はそれほど卓越した能力を持つシュリクライゼ・フレイミアであっても、意図して体を魔術化することはできない。あの謎の騎士にそこまでの力があるとは思えなかった」

「つまりあんたは、あの騎士が死体だって言いたいのか?」

 さっきガルシアンの用意した二つの仮説は、凄腕魔術士か命の危機を感じない体の持ち主の二択。前者が否定されたことで、彼の答えは自ずと伝わった。

「斬った時に痛みを感じていた素振りすらなかった。奴は自らの危険を切り離すことができる……もしくは知覚できない体である可能性が高い。そう考えれば魔術化にもある程度の説明がつく」

「よりにもよって、また死を超越した存在なのかよ……」

 いつかにも似たような感想が口をついた覚えがある。不死の悪魔、封し鳥、そして再生する鈍色の騎士。つくづくとんでもないワードと関係がある人生だ。

「本当に呪われているのは、俺の方なのかもな」

 薄ら笑いと一緒にタチの悪い冗談が口をついた。

「あの娘のことを思い出していたのか」

「……忘れるわけない」

 セアル家という大きな運命の歯車になったマイと違って、ルミー・エンゼは至って平凡だ。しかし過酷さは一層激しさを増して、彼女の人生を奪って尚、牙を剥く。これはもしかすると、俺という呪われた存在がマイをさらに不幸にしてしまっているのではないか――慙愧(ざんき)に堪えない気持ちがずっと脳裏を掠め続けているのだ。

「フレイミアの倅から聞いた。身代わりとなって助けられたそうだな」

 ズキリと胸が痛む。押し出された背中に伝った熱が彼女の最後の意思だった。

「本当は俺が助けなくちゃいけなかったんだ。マイが夢を叶えられるようになるまで守ることが、俺の……」

 そうして伝えられる全てを教えた先に、マイは誰よりも凛々しく、そして優しい主になる道が繋がっていたはずだ。

「ふん。力の無い者が随分と理想を語るではないか。俺には貴様に賭けようとした娘の気持ちが微塵も理解できん」

 ガルシアンは吐き捨てんばかりに言った。身の丈に合わない希望を抱く俺のことがこれ以上なく愚かに思えたのだろう。簡単に立つ推測を裏付けるみたいに付け加えた。

「貴様は弱い。守ってくれる人間が居なければ、支援者は成り立つまい」

「支援者は自分の身を守れて初めて支援者なんだ。あんたからしてみれば説得力は無いかもしれないけど、俺はギルドで教わったことを今でも忘れていないつもりだよ」

 【アメトランプ】を開業して暫くは外に出ることも無かったが、それまでは俺だってかなりの修羅場に追い込まれた経験がある。開拓者や、酷い時には同業者の死体だって間近にした。

「だけど俺は、誰かに助けられてばかりだ。弱い癖に無茶をして、俺を助けてくれる優しい誰かにツケを払わせている。最近はずっと、そればっかりだ」

 数か月前“厄災”ドゥーマと相対した時、奴を封印するために多くの味方の協力があった。ハリエラさんにアレス、そして命を落としてしまったクイップさん。

 スラム街と渓谷ではシュリクライゼさんとマイに。みんな、呪術しか使えない俺よりも凄く、強い人ばかりだ。これで何かを成し得たところで、俺は一生自らを誇ってなどいけなかった。目の前の男に言われた「未熟者」という言葉が突き刺さったまま抜けないのは、誰よりも俺自身がルミー・エンゼに期待できないからなのだ。

「あの娘は、そんな貴様を守りたかったのかもな」

「守る……?」

 不意にガルシアンに言われた言葉が魚の骨みたく引っかかる。

 確かに俺は弱いけれど、立場上はマイを守らなければならない存在だ。一度は全てを投げ出そうとした彼女に希望を抱かせ、そして救い出すことができた。自惚れても良いのなら、一人の人間に望まぬ生を与えてしまったのだ。

「そんなことあり得ないよ。守らなくちゃいけなかったのは、俺の方で……」

「貴様はあの娘をキッグ・セアルの呪縛から解放し、光の差す道へと連れ出したのだろう。いかに貴様が支援者とは言え、恩義には報いたいと思うのが人の(さが)だ」

 再び「そんなことは」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。例えば、シュリクライゼさんに救われた俺は、ハリウェル・リーゲルを見つけ出したいと思っている。彼のためだけではなく、マイのことを不問にしてくれたルディナ王のためにも。助けられたからこそ恩は返したい。

 マイが一緒に王都まで付いて来てくれたのは弱い俺を守るため。身代わりになる道を選ぶほど、あの時のことをずっと悔やんでいたのだ。俺はそんな彼女の気持ちを知ろうともせず、ただその身だけを守ろうだなんて考えていた。だからこの愚か者は、最後のあの瞬間まで――

「貴様らの関係は本当にただの店主と店員か? たった一人の娘に、そこまでして入れ込む理由は何だ?」

 ガルシアンの質問にズン、と心が揺れる感覚がした。それは王都に来てからずっと考えていたことだ。俺はマイの支援者で、彼女の家に巻き起こった悲劇を見届けた。唯一の肉親を失い、行くあてのない少女を助けたこと。それは本当に俺がただのお人好しであるからなのだろうか。

「人は誰かを助けたいと思って簡単に助けられるものではない。ましてや、自らの命を賭けるのなら尚更な」

 俺はドゥーマが蘇った後、どうして真っ先に立ち向かえたのだろう。悪魔に殺されかけた時、駆け巡った走馬灯に映ったのは誰だったか。考えることを避けて消してしまっていた泡沫に、何か大切な答えが浮かんだ気がした。

「あの娘にとって貴様が何なのか、よく考えることだ」

「……あんたに言われなくてもわかってる」

「減らず口が叩けるなら問題ないな。ならばさっさとあの男を倒す方法を考えるぞ」

 要らないお節介をかける男だ、とは言わなかった。弱みを見せるにはあまりにも気遣いの無い相手だけど、この場所に居るのが彼だけで良かったと心底思えた。これで倒すべき敵を見据えて頭を回すことができる。

「体を自由自在に魔術化する敵の倒し方か……」

 そもそも俺には感覚すらわからないのが魔術だ。その対策をするとなれば、思い返すのは“魔術”を使う知り合いたちのこと。

「――あ」

 開拓者や支援者、そして王国騎士。今までに様々な使い手と出会ってきたが、ヒントはとても身近にあった。俺は持って来たポーチの中にある紙を漁り出す。

「あるぞ、ガルシアン。魔術化する敵に有効な手段が。それもとっておきのな」

 怪訝に顰められた青い眉に向かって、にやりと笑った。
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