第26話 永遠――Always with you

文字数 5,708文字

 背中を襲う矢のような衝撃が内蔵を揺らし、森を走り回ったことが可愛く思えるほど呼吸ができなくなった。十以上の刃によって突進の勢いは殺され、膝を突く。頭まで地面に落ちそうになる前に、いつの間にか近づいて来ていた芸術家の足が割り込んだ。

「ほぅら……終わりじゃあ、ないですよぉ!?

 爪先で下顎をぶち抜かれ、世界がひっくり返る。背中が固い地面に当たってヤマアラシみたいになった体に激痛を走らせた。そして傷口に塩を塗るがごとく、腹の上に靴裏が降ってくる。

「がっ、ふ」

「さっきまでの威勢はどこに行ったんですかぁ? ほら、ほぅら!」

 腹や顔、太腿とあらゆる場所を踏みつけられる。溜まりきったストレスを吐き出すためのサンドバッグにされ、既に血を流す箇所が衝撃の度に鈍痛を走らせる。湿った土の匂いよりも、鉄の異臭が体内から鼻腔に漂っていた。

「貴方のッ、ようなッ、雑魚がッ! 一度でもッ、ワタクシにッ、勝つなどとッ! そう思ったことすら――腹立たしいんですよぉッ!」

 刺さった風の刃は形を失い、氷でできた刃は血と混ざりながら溶けつつある。男は台詞にリズムを刻みながら、容赦なく風穴だらけの体を害虫みたく躙った。

「決してッ、対等などと思うなッ! 呪術を持つ人間の人生は常に呪われている! 逃れられぬ不幸が付き纏う! それが呪術士の宿命だッ!」

 男は息を荒らげていた。ようやく足に自制をかけたものの、全身を貫き続けた痛みは俺を動かしてくれない。

「ワタクシはこの世で唯一、その理を脱する。この身を魔女に捧げることで、ねェ」

「それが、お前の目的なのか……」

 男が度々言う“魔女”ともなれば、定められた運命から抜け出すことすらできるとでも言うのか。例え眉唾でも、呪術が未開拓の分野であるからこそ否定はし切れない。

「ええ。そうしてワタクシはこの世界を手に入れる。貴方はその礎となり、ワタクシにその痣を捧げ……」

 慢心し、べらべらと無駄話をする男に気づかれないよう腕を動かしていた。腰にある四本目の“遠隔爆裂札(ピック)”から、びり、と紙を破く音が立ち、すぐさま真上にぶん投げた。俺と芸術家の間に小さな爆発が生まれ、煙幕代わりとなったそれを利用して、どうにか三歩分の距離を取る。熱風を受けて息が詰まる。男は往生際の悪い獲物を見る目で忌々しそうに睨んでくるが、今の俺は猫の爪にでも噛みつく鼠だ。

「魔女に身を捧ぐ、か……それだけのものを持って生まれても、呪術に呪われていたらどうしようもなかったか? “ルルー・ジュンシュ”」

「……っ! その名は捨てたァッ!」

 ただでさえ余裕のない顔が歪む。逆鱗に触れてしまったことで洞窟に雷が走った。わかりやすい一撃を辛うじて躱したが、視界は勝手に横倒しになってしまう。潔く命を差し出さない俺を見て、男の表情はより一層憤怒に染まった。

「ワタクシは! この不条理な国を! 世界を覆す! 後世に伝わるアルト・ワイ・ヘロスリップだッ!」

 もう長くは戦えない。そろそろか、と心の中だけで呟いていると、息を切らして唾液が絡まるような声がねっとりと響く。

「――本当はぁ、貴方もお分かりでしょう?」

 同情的かつ無理やりに理解を促すような一言を皮切りにして、芸術家は身勝手な作品を綴り始めた。

「呪術を生まれ持ち、世界は貴方をお認めになりましたかぁ? そんなわきゃあないでしょう。『才能』は『特異』に置き換えられればお終いだ。誰かを恨んだことなんて日常でしょう。それを許す国を、世界を、貴方は一片でも愛したことがありますかぁありませんよねぇ? 忌むべき力は認めさせる他ない。『特異』を『才能』に描き直さなければワタクシたちは認められない。そのために力を行使することの何が悪でしょうか。誰もが自らの持つ普遍的な力を誇示しているというのに、なぜワタクシたちが持つ力だけは拒まれなければならない? 誰かに決めつけられた価値観だけでどうして害を被らなければならない? 善悪の価値観なんてのは時代によって違う。ワタクシが求める世界は間違いなく貴方にとって利のある時代ですよ? なのにどうして否定するのですか? たくさんの騎士たちを奪ったからですか? それとも十日前に抱えていた少女が巻き込まれたからですか? 彼らは皆、貴方なんかよりもずっとこの時代で良い思いをしてきたはずでしょう。純然な力ごときでのし上がった彼らが眠って安堵しませんでしたかしましたよね。呪術が強者を蹂躙する光景は貴方だって一度くらい夢に見たことがあるでしょう。そんなにボロボロになるまで戦わずとも、物語の“英雄”のように伝説を残したいと思ったことくらいあるでしょう。わかりますよぉ力無き物が一度は必ず憧れる夢ですからねぇ。ですが現実はどうですか? 貴方は外の規格外の男たちと肩を並べることなんてできない。封し鳥からは逃げ惑うしかできない。真っ向から迎え撃つ彼らに嫉妬したでしょう? 本当はその綺麗事を吐く口の中にどす黒い感情を押し殺しているのでしょう? どうして我慢するのですか。そんなことは無意味です。どうせ誰も貴方の努力なんて見てやしない。だって『特異』なだけなのだから。おかしいと認識される側の人間なのだから。ああそうだ貴方もワタクシを手伝うと良い。部下になって呪術を研究してください。特異な仲間は一人でも多い方が良い。誰からも認められない人生にいい加減決着をつけましょうよ。気味が悪いと蔑まれる世界をひっくり返すんですよ。呪術はそれができる。つまり貴方は特別になれるんです。“英雄”の素養があるんです。それを理解してなおこんな腐った世界に甘んじるんですか? 才能を活かしましょう。ワタクシたちが生きやすい世界を創りましょう――さぁ」

 それは“アルト・ワイ・ヘロスリップ”の声には聞こえなかった。しかし耳に残る言葉ばかりだ。もし俺が、この世界で『普通』と呼ばれるような人たちと同じだったなら、もう暫くは挫折なんてしなくて良かったのかもしれない。間違いなく俺は、いや“俺たち”は、世界に呪われた存在だ。

 だから彼の人生と持論には同情も共感も抱く。もしこの世界が俺たちに都合の良い場所なら、きっと未来は希望に満ち溢れているのだろう。物語の中でしか夢見ることのできない“英雄”になれるのかもしれない。とても魅惑的で、切望してしまう新しい時代の夢物語に、俺は――

「うっっさいな」

 長ったらしい演説を蹴散らすように言い放った。もはや何を拒絶したかもわからないが、芸術家は幽霊でも見たかのように目をひん剥いている。

「確かにこの世界を恨んだことは何回だってある。ぶっ壊れてしまったら良いなってずっと思ってた。何度も妄想した。だけどな」

 望む力を持たないだけなら平凡で済んでいた。得体の知れない力があったせいで忌み嫌われ、夢を見ることさえ奪われた。

「――だったら尚更、こんな世界に負けを認めたくなんかないんだ」

 弱い心を奮い立たせるように、穴の空いた足で立ち上がった。もしこの身に背負う理不尽に抗うことを止めてしまったら、それはたくさんの出会いを否定することになる。トウマやハリエラさん。【ソールサー】や【ソラティア】といった数々の開拓者クランの人たち。冒険を乗り越えたからこそ友達になれたシュリや、わかり合えたガルシアン。そしてマイは、俺が“呪術士”だったからこそ信じ、救いを求めた。

 積み上げた出会いを否定したくない。こんな世界の中でも、俺が培ってきた大切な人たちとの繋がりは『子どもの夢』以上の価値がある。

「負けを認めたのが、お前だろ。勝手に一緒にするな。俺はこんなどうしようもない世界でも、綺麗なものがあるって知っているんだ。それを守りたいって思えたんだ」

 兄がくれた認めてくれる優しさ。それに背中を押され、俺を必要としてくれる僅かな人達に支えられてきた。そんな日々が呪術を“呪い”からただの繋がりの紐に変えてくれた。そしてマイと出会えたあの日から、誰かを助けることができるという俺だけの“まじない”になったのだ。あの日、気づかないまま、伝えることが叶わなかった言葉が溢れ出していく。

「――俺はマイが好きだ。どうしようもないくらい好きだ。マイが居るこの世界で永遠に生きていきたいと思えるくらい、愛してる」

 初めて彼女と出会った時、俺は一介の少女が家族を助けようとする、その心根の美しさに胸を打たれて依頼を承諾した。しかし、いかに知人から「お人好し」と称される俺も立派な人間だ。命は惜しいし、利益にならない無茶にはできるだけ応えたくない。

 キッグ・セアル、そして不死の悪魔との戦いは絶望の連続だった。何度も逃げ出したいと思ったし、死を覚悟したこともあった。それでも諦めずに過酷な戦いに挑んだのは、不憫な運命を与えられた少女を救いたかったのではなく、懸命に誰かを想える彼女に心底惚れ込んでしまっていたからなのだ。マイを笑顔にしたいのも、マイの前で強がりたいのも、全部マイが好きだから。ずっと不思議だった感情の名前を知ったから、ここに立っている。

「好きな人も守れないまま……誰かを支援(たす)けるなんて胸張って言えないんだよ!」

 失ってから気付くなんて、俺はなんて愚図だったのだろう。そのバカの清算を、今ここで果たさなくてどうすると言うのだ。

「俺は負けない! お前にも、この世界にも!」

 血反吐を吐いてもこの決意を叫ぶ。マイが蒼炎に包まれる間際、伝えてくれた「好き」という言葉。その答えを示すため、俺は走り出した。剣すら持たず、覚悟だけを手にして敵に向かって行く。

「残念ですよ。愚か者」

 男は心底哀れみながら、両腕で魔術を準備した。それを見て、腰に携えた最後のピックを掴み、思い切り放り投げた。

 空中で、電光とピックがすれ違う。

 果たして、投擲したピックは、何も言わぬまま向こう側の壁へと突き立つ。一方で魔術は。避ける余力もない俺の腹を捉えた。脇腹を抉り、奴に手が届く前に岩肌へと吹っ飛ばされる。全身に響く衝撃は、鈍くなりつつある感覚すら突き抜けて、激しい痛みを与えた。がふ、と体内の奥にある液体たちが赤く染まって溢れ出る。

「悪足掻きの一本は不発ですかぁ。つくづく運が無いのですねぇ、貴方ァ」

 迎撃の用意をしていた男が馬鹿にするように鼻を鳴らす。俺はズルズルと崩れ落ち、その嘲笑に相応しい滑稽な姿を晒した。

「どれだけ威勢の良い啖呵を切ってもぉ、貴方のような雑魚ではぁ、やはりぃ、何一つも救えませんねぇ」

 再び近寄ってくる芸術家。もう一切の余力も無いと見て、その顔は愉悦に浸っていた。本来もっと早く訪れるはずだった光景を見れて、さぞ楽しそうである。

「良い余興でしたよぉ。貴方が死ぬことにより“英雄”たちの時間稼ぎは魔術を無駄撃ちしただけの徒労になってくれましたねぇ」

「勘違い、するなよ……俺じゃ届かなくても、俺たちはまだ、負けてない」

 意味がわからないという顔をする男に向かって、俺は愉快そうな顔を意趣返しにしてやった。

「――最後の一本はとっておきなんだ。簡単に爆発したら、危ないだろ」

 腰から伸びる糸を引っ張った。その先には壁に突き刺さる呪符付きのピック。そのままの形で残っている長方形の紙に、張り詰めた糸が真ん中から切れ込みを入れる。糸は“爆裂札”ごと千切れて、一気にこちらへと引き寄せられた。

「なっ」

 思わず驚きを漏らした芸術家。爆発は半身を翻した奴の眼前で巻き起こる。衝撃が洞窟を震わせ、さっきよりも強い熱気によって壁に磔にされた。

「うっ……げほっ。はぁはぁ」

 肺に雪崩込む土煙。顔は煤だらけになり、頭痛と耳鳴りが激しい。最後の“遠隔爆裂札”は、今までの四本よりも強い爆発が起こるようにしてあった。目眩しや岩を削ることが精々だったものとは違って、こちらは明確な殺傷能力を有しており、洞窟という狭い空間で使うにはあまりにも不相応だ。だからこそ、ベルトから抜く時に破れる細工ではなく、糸で紙を切る原始的な施錠(ロック)にしておいた。砂が落ちる静寂を、男の絶叫が割った。

「がっ……ああああッ」

 痛みに悶える呻き。奴は爆発の直撃を避けようとし、咄嗟に右手を出してしまっていた。そしてその手は小指だけを残して欠けている。

「お前……お前お前お前ッ! 僕のっ、芸術家たる僕の手をォッ!」

 ずかずかと近づいてきた細い左手が怒り任せに胸ぐらを掴む。抵抗できない体が浮き上がるも、感覚が薄くなっていた俺には恐怖さえ生まれなかった。正常な判断力を失った脳が顔に薄ら笑いを作らせる。

「何……だ。それが素なのか、ルルー・ジュンシュ?」

「黙れェ! 殺してやる……! 形も残ると思うなァ!」

 激昂した男は完全に冷静さを欠いていた。周囲が見えなくなっているであろう彼に、息も絶え絶えで忠告を送る。

「聞いてくれよ……お前に、謝らなくちゃ、ならないことがあるんだ。俺は、この戦いの中でずっと……嘘を吐いてたんだ」

「アァッ!?

「俺はな、支援者……なんだよ。戦いは、領分じゃないんだ。ここまでの強がりも……『一人でお前を倒す』なんて()も吐いてて、悪かった」

 本来ならば“封し鳥”から逃げることも、魔術を避ける技術も不必要だったのだ。強いて実利的な話をするなら、作戦の成功率を僅かに上げるに過ぎない。それでも自らを作戦に組み込んだのはたった一つの感情故――即ち、借りを返すため。

「だから、ここからが本番だ。“封し鳥”の目を借りて見てみろよ……用意してあるぜ、頼りがいのある本物の『矛』がな」

 俺の言葉を鵜呑みにした芸術家が瞳を紫色に光らせる。それが“封し鳥”と視界を共有する合図なのだろう。

!?

 そして男は、紫の目から光線を飛ばしそうな勢いで大きく開いた。奴の驚きは当然だ。なぜなら“封し鳥”を閉じ込めている魔術の檻は今頃、一色だけになっているはずだから。

「ぬううおおおおッ!」

 洞窟に野太い怒号が轟く。憎たらしくも安心できる声色が暗闇でも存在感を放った。入口へ向けた目を見張る芸術家。次の瞬間、電光石火の刃が綺麗な手の相を真っ二つにした。
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