第23話 ソラウ

文字数 5,608文字

「ソラウ……」

 見るも無惨なほどにボロボロな体は、彼の命が危機に瀕していることを意味していた。羽織っていたジャケットは所々が繊維になって解れ、もう布切れとも言えない。

「……支援者どもか」

 潰れた喉で吐き出した声までも嫌悪感に満ちていた。太い木の幹に上体を預け、腕をだらりと伸ばしながらこちらを見上げる。あまりにも痛々しい姿にトウマとともに駆け寄った。

「お、おい。あいつら全員、あんたがやったのか?」

 来た道に点々と転がっていた死体の数々。全てキッグの部下と思しき男たちだったから【ソラティア】の活躍によるものとはわかっていた。しかし、その正体が最初に重傷を負わされたソラウだったとは。

「うる、せぇ。まだ、まだ足りねぇよ……! 奴ら全員ぶっ殺すまで、俺は止まれねぇっ……!」

 ソラウは途切れ途切れの声を発しながら全身に力を込めた。細い枝が刺さる腹や、石で深く切ったのであろう皮膚が限界を迎えて出血する。ぼたぼたと血が落ち、そのまま行動を許せば彼がどうなるかなんて目に見えていた。

「やられた全員分の借り、オレが返さなくて誰が返すってんだ……!」

「無理に動こうとするな! もうあんたは戦えるような体じゃ……」

「黙れ! お前らに心配される筋合いなんざねぇ!」

 叫んだ直後、ソラウの喉から血反吐が溢れた。胃酸混じりの嫌な臭いが届いて視界がくらりとする。とうに限界を迎えているにも関わらず、ここまでに見た何人もの敵を倒して見せた。まさに不屈の精神だと言えよう。しかし。

「このままだと死んじまうぞ」

 トウマの言ったことが全てだった。一刻も早く治療を施さなければソラウは間違いなく命を落としてしまう。その証拠に、こうして話をしている間にも彼の表情はどんどんと蒼白く変色していた。だが彼はこれっぽっちも聞き入れはしない。

「テメェらみたいな弱者が、一丁前に人のことを気にかけてんじゃねぇぞ。その辺に転がってるクソ野郎みたいになりたくなきゃ、さっさと消えやがれ」

 その言葉を聞いて、今までもぶつけられていた彼の嫌悪感の中に、ある種の憎しみを感じ取った。ソラウの言葉の中にはいつも、俺やトウマ個人に対してではなく、別の一緒くたになった怨みの対象がいる。

「ちっ……おい、行こうぜルミー。どうやら開拓者至上主義のお方には、俺たちなんて必要ないらしい」

 悪態をついて先を急ごうとしたトウマのことを片手で制止した。驚きかつ呆れたような表情を作られたのは、おそらく彼の中で諦念があったからだろう。俺としてもすぐにこの場を動きたい気持ちはあるが、だとしても彼の答えを聞きたいと思った。

 その様子を見たソラウは少しだけ顔を上げて再び俺のことを睨んだ。青痣で腫れ上がった顔は、先日返り血を浴びた俺よりも痛ましさに溢れている。

「なんだ……? 滑稽か? 散々お前らを揖斐(いび)ってた野郎がこのザマでよ」

「ソラウ。あんたはどうして、そこまで支援者を……いや、弱者を嫌うんだ?」

 異常なまでの実力固執に、ただ周囲の雰囲気に当てられただけでは得られない強い怨念。命の危機に瀕してまで俺たちを拒絶するのには、絶対に理由があるはずだ。

「テメェには関係ねぇだろ!」

「あるよ。俺はどれだけ嫌われてても、一応は【ソラティア】の支援者として雇われた身だ。あんたの治療を済ませるまで、ここを動く気はない」

「はっ。矜恃だけは無駄に持ち合わせてやがるんだな、集り野郎」

 会話は平行線を辿るばかりだ。互いに視線をぶつけながら根比べしている間に、さっきまでは気にならなかった風が木々でざわざわと音を鳴らした。痺れを切らしたトウマが俺の肩を掴む。

「ルミー、もう良いだろ。こいつには何を言っても無駄だ。この開拓者サマは、支援者を受け入れる気持ちが微塵もねぇんだ。こんなやつより、お前には助けに行くべき子が居るだろ」

「助けに行く……? お前らみてぇな雑魚がか? ――そんな甘っちょろい感覚だから、開拓者が犠牲になるんだろうが!」

 怒りに震えた声は、痛覚のせいで揺れているのではなかった。本気の言葉、本気の瞳で、支援者を相容れない存在だと確信している。血よりもずっと透明な雫が、彼の頬から地へと落ちた。

 もしも支援者への憎悪が彼の思い込みではなく、経験に基づく怨恨なのだとしたら――きっと俺たちは、どうしたって受け入れられはしない。

「トウマの言う通りだな。問答は無駄だ」

 それならば俺の取る行動は決まっていた。困惑するトウマの横を通り過ぎて、ポーチを開きながらソラウに近づく。そして屈み込むと、全身にある夥しい数の傷跡を見た。

「テメェ……何してんだ」

 俺はソラウを無視して、取り出したガーゼを裂傷の酷い腹部に当てようとした。

「何してんだって……言ってんだよ!」

「うわっ!」

 服の襟を掴まれて、強い勢いで投げ飛ばされた。ギルドの一件の時よりも酷く青草の地面を転がり、視界の上下が二、三回入れ替わった辺りでようやく止まる。持っていた剣が腰の骨を打っていたようで、じわじわと痛みが巡った。

「ソラウ、てめぇっ!」

「いい、トウマ!」

 彼は「良い訳あるか!」と叫んでソラウの布切れを引っ掴むと、怪我をした体を容赦なく持ち上げた。体格差は明らかなのに、引き締まった体を膝立ちにするまで引き寄せる。

「てめぇがここで死ぬのは勝手だけどな! 俺のダチが傷ついて良い理由にはならねぇ!」

「うるせぇ! オレは支援者からの施しなんざ受けねぇ、絶対にだ!」

 二人は顔を間近にしながら唾をかけ合う。しかし攻勢だったのは日頃から尊大な態度を取るソラウではなく、彼を一番警戒していたトウマの方だった。

「あんな待遇を受けたお前ら相手でも、あいつは真っ先に助けようとしたんだぞ! てめぇみたいな野郎にあいつのお人好し加減がわかるか!?

 その言葉にソラウの瞳孔は大きく開かれた。しかしすぐに険しい表情に戻ると、ぎりぎりと奥歯を鳴らし始める。

「黙れ……! 支援者は、支援者だ! オレたちを食い物にしておきながら、いざとなったら足を引っ張ることしかできねぇ臆病者だろうが! だから……だからアーティアは!」

 ソラウは絶叫にも似た怒号を発しながら、トウマの手首を捻るように引き剥がした。しかし俺を投げ飛ばした時ほどの力は残っておらず、支えを失ったソラウは傷ついた顔を土に落とした。

 打ちつけた痛みが未だ残る中、聞き覚えのない名前に起き上げようとしていた体を止める。アーティアという名前は【ソラティア】の人員や有力な開拓者としては聞いたことがない。その人がソラウとどんな関係か考えていると、トウマが答えを知っていた。

「アーティア……聞いたことあるぞ。確かクラン創設時の元副リーダー、だったな?」

 この一か月以上、トウマが【ソラティア】の支援者として耐え忍んでいたからこそ知り得た情報だった。果たして、ソラウの返事は肯定を示すものだった。

「あぁそうだ。お前らみてぇな愚図な支援者を庇って、あいつは一人で死んだんだ!」

「死んだ……」

 その人物こそが、彼の心の淵から溢れる憎悪の根源。死は開拓者にとって最も身近にある存在の一つだ。それはこの世界に居れば居るほど実感する。何か一つの事故、事件に巻き込まれるだけで命を脅かされてしまう。開拓者も、携わる支援者であっても、死に対する認識が変わることは絶対にない。

 しかし、だからと言って身近な人間の死に慣れることもあり得ないことだ。ソラウは半ばヤケクソになって「あぁ、そうさ!」と叫んだ。

「国から東の鉱山の……簡単な調査のはずだった。でも、帰還に遅れた支援者の野郎が、突然起きた崩落に巻き込まれかけたんだ」

「――アルテナ鉱山の崩落事故」

 以前、ハリエラさんやクラン【ソールサー】とともに訪れ、そしてマイと出会うきっかけとなった東の鉱山。そこは何年か前に最深部が崩落して、手付かずの山となったと聞いた。つまりその被害を受けたのが【ソラティア】であり、アーティアという人物が死亡した原因なのだ。

「アーティアはその支援者を助け出したが、すぐに降ってきた落石に押し潰された。オレは助けようとしたが、クランメンバーに無理矢理山から引きずり出されることになって……」

 おそらく、【ソラティア】のメンバーが、崩落に巻き込まれても進もうとするソラウを引き留めたということだろう。もし彼らの判断が無ければ、今頃は彼もあの鉱山に埋まっていたに違いない。アーティアの死と引き換えに、その支援者とソラウは生き残ったのだ。

「だからって、俺たちには関係のねぇ話だろ」

 語気を強めたトウマの言い分は確かだ。恨むべきは不幸な災害であり、巻き込まれた支援者にも罪があるとは言い難い。気持ちはわかるが、割り切られるべきことだと思ってしまう。そしてソラウもまた、そんなことはわかっていると言わんばかりに殺気の込められた眼力を向けた。

「それだけだったなら、オレだってアーティアの死を認められた――だけどな、その助けられた支援者はなんて言ったと思う……?」

 ソラウの尖った歯が砕けんばかりにぎちぎちと擦れる。犬歯が下唇を裂いて、他よりは余程軽く、しかし彼の精神を抉るには十分過ぎる赤い傷が刻まれた。

「『開拓者ならよくあることだ。報酬を寄越せ』って言いやがったんだ。自分が助けられておいて……! ふざけんじゃねぇよ! オレたちが失ったのは、どれだけの大金を積まれようが譲れねぇモンだったって言うのに!」

 一寸の力も入らないはずの拳が大地に小さな亀裂を作った。自身の傷口に誰かの返り血が混ざっても意に介することなく、ただ痛みだけが巡っているはずの体。俺にはそれすら、ソラウという人間にとっての戒めに見えた。

 きっとその支援者は、本質的に間違っていないのだろう。危険な場所に同行し、相応の働きをしたのであれば、報酬金を含めた契約は履行されるべきだ。

 ただし、その態度がクライアントである彼らと信頼関係を築く上での仁義を大きく欠いてしまった。支援者に限らず、どんな仕事だって信用が必要だ。それを蔑ろにし、あまつさえ人命を失う結果に繋がってしまった。ソラウはそんな『不届き者』の、言わば被害者なのである。

「本当はわかってんだ……戦うしか能のねぇオレたちには支援者が必要だってことくらい……! だから仲間のために雇い続けた! でも支援者が居なきゃ、アーティアが落石に巻き込まれて死ぬこともなかった! 親友のオレがお前らを認め続けちまったら、あいつはどこでその無念を晴らしゃ良いんだよぉ!」

「ソラウ……」

 それこそが彼の抱える排斥思想の根幹。友を失う原因を作った相手を恨みながらも、開拓者を生業とする以上は支援者の協力が欠かせない。そのジレンマが攻撃的な行動として表れていたのだ。

「オレは、せめて残された仲間のためにどんなことだってした。強いと評判だったアレスをリーダーの座さえ譲って呼び込んだ。支援者どもが出しゃばらねぇようにした。でも、それが、その結果がこれかよぉ……!」

 目頭を覆いながらも未だソラウの頬を流れ続ける涙は、彼の命運を分ける深手なんてちっとも気にしていなかった。仲間を守るとおのれに誓い、手段を問わず、文字通り全力で叶えようとしたのだ。そして彼を支えていた唯一の誓いは、今この瞬間に崩壊した。

 全身から嫌な色の体液を噴き続ける哀れな男を見て、俺は心が揺れるのを自覚してしまった。無論、彼が今まで支援者に行ってきた所業は、どんな理由でも許されるべきではない。トウマは疲弊し、マイは危うく命を失いかけた。彼に対する怒りはきっと今後も残り続けるだろう。

「でもそれじゃ、負の連鎖なんだ」

 俺は言いながら立ち上がった。水気のある草の葉がべたべたに貼り付いて一張羅の外套を濡らす。深緑色の髪も相まって、多分格好なんて一つもついていない。それでも心だけは堂々と。ソラウに伝えるべき言葉が俺にはあるから。

「俺だってお前のことが憎いよ。だけど、俺の友達がそれ以上に優しいってことも知ってるんだ」

 トウマは自分に降りかかる面倒事を俺のせいにはしなかった。マイはその身に押し付けられた運命を、母のせいにも、ましてや兄のせいにもしなかった。報復の念さえ抱かない彼らが望んだのは、決して誰かが傷つくような道ではない。

「俺の友達がお前を憎まなかったように、俺もお前を憎まない。だから助ける。アーティアさんも……優しいから、支援者を助けてくれたんじゃないのか」

「……!」

「アーティアさんがそんな人じゃないって言うなら、ここで俺を殺してくれ。俺は生きてる限り、治療の手を止める気はないから」

 言い切って、再びソラウの傷口へと手を伸ばす。隣では、はぁ、と呆れ果てたように重たい溜息をつく声がした。

「言っとくが、こいつのしつこさは半端じゃねぇぞ」

 そうは言いながらも、トウマも自分の手荷物から応急処置のできる道具を取り出していた。二人して彼の横を陣取り、傷ついた体に治療を施していく。ソラウがここまでみせたあの生命力なら、きっと生き残ってくれるだろう。

「オレは、オレは認めねぇ。強さだけが仲間を守れる。自分を守るだけの強さを、誰もが持っていなくちゃならねぇ。お前ら支援者を認めるなんてのは、オレには……」

 ソラウはされるがままでも、頑なに呟いていた。彼の抱える葛藤はおいそれと消えるものではない。だけど現在のソラウ必要なのは、思考を止めてその体を休めることだ。だから彼が少しでも穏やかに目を閉じていられるように言葉を紡ぐ。

「認めなくても良い。いつかあんたが本当に支援者を必要とした時……その時は、俺が助けるよ」

 ソラウの目は大きく開かれた。その瞳が琥珀色だということに、たった今気がつく。静かに目蓋が塞がるのを見て、俺は彼の本質を見ようとしていなかったことをただ悔いるばかりだった。
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