第25話 小咄――Impact!

文字数 8,198文字

 向かい合う敵には明らかな余裕が見て取れる。舐られるように全身を観察され、ぎょろぎょろと動く眼球に寒気を覚えながらも、決して視線は外さなかった。少しでも油断しようものなら、俺はこの男の前で十秒と立っていられない。なぜなら同じ“呪術士”の土俵なれど、有効な攻撃手段を持っているのは奴だけだからだ。

「貴方ァ……最初から随分とボロボロですねぇ。どこかで転んだりでもしましたかぁ」

 三日月形の口が白々しく煽ってきた。“封し鳥”の視野を共有することができるのは知っている。だからこそ渓谷に踏み込んだ最初に宣戦布告をして“封し鳥”を引き寄せたのだ。しかしボロボロの風体なのは先の鬼ごっこのせいだけじゃない。この渓谷に入る以前から、俺はシュリやガルシアンとの訓練で傷と包帯だらけだ。見た目の痛々しさで言ったら、スラム街で襲われた時に次ぐくらい酷いかもしれない。

「それに、舐めた大見栄を切ってくれましたが……貴方ごときにィ、何ができるんですかねぇ? まともに戦うこともできない癖に」

「それはお前も同じだろ。“呪術士”である以上は戦いに不向きな体だ。だったら立場はイーブンじゃないか?」

 “呪術”を扱える人間には飛躍的な身体能力の向上は有り得ない。ハリウェル・リーゲル受け売りの反論をくれてやると、芸術家は堪えるようにクツクツと嘲った。

「ワタクシを貴方などという出来損ないとぉ、一緒にしないでいただきたい。その剣、まさに貴方がぁ、魔術すらも使えないという証でしょうに」

 病的に細い人差し指が、俺の腰に携える剣を示す。王国騎士団からの貰い物である長剣は、前回の敗走からずっと吊っているエモノだ。きっとこの剣も仲間たちの雪辱を晴らしたくて仕方がないことだろう。馴染んできつつある相棒を引き抜いて、切っ先を向き返してやった。

「ああ。だからそんなにやせ細ってちゃいられないんだ。お前も吊ってみろよ。お守りくらいにはなるかもしれないぞ」

「ワタクシは天に愛されたのですよぉ。“呪術”と“魔術”、両方の才を与えられたことこそがぁ――その証拠なのです!」

 芸術家が両腕を前方へと伸ばし、指を広げた。それぞれの手の中心部が黄色く光って火花が跳ねるような音がする。

 ――くる。

 見るべきは軌道ではなく、魔術を発する相手。フードを外してくれたおかげで視線がはっきりとわかる。体の重心は真っ直ぐ俺へ。そうして芸術家の行動を予測する。稲光がほぼ一直線に放たれた。幾重にも重なった雷の糸は渓谷を抜け出そうとした時、梯子を崩してくれた一撃だ。バリバリと空気を破く音がつんざいて、迸る電気を“躱す”。

!?

 火花の音が耳の横を通り過ぎた時には、俺は芸術家との距離を一気に詰めていた。驚きに満ちる顔は奴自身が彫刻作品になったようだった。まさか“呪術士”を狙った攻撃が避けられ、あまつさえ切り込んでくるとは思わなかったのだろう。

「せあッ」

 斬り上げた長剣が敵の頬を僅かに掠めた。薄皮を切り、新品の紙で剃ったような血が滲む。直後に芸術家は魔術で風を起こして、自らの体を一気に後退させた。距離を取った先に見える表情には冷や汗が浮かんでいる。

「随分と焦った顔をしたな。才能に満ちた人間じゃなかったのか?」

「なぜだ……! “呪術士”の肉体が騎士のような成長することはあり得ない! それは揺るがぬ事実だ!」

 この数日で身に付けた“魔術避け”の技術――などととても思い上がれる代物ではない。想いや努力でどうにかなる願いならとうに叶っている。死ぬ気でようやくここまでの形に仕上げたが、その実態は欠陥だらけだ。後はこの芸術家がどれだけ勘違いをし続けてくれるかで、俺がこの場所に立てる時間が決まる。

「現実を見ろよ。俺は戦えるぞ!」

 剣を構えて走り出す。無論大した速度が出るはずはない。その間に、動揺を隠せない男は再び腕を構え、魔術を放つ体勢を取った。走りながら芸術家を観察する。どこに力が溜まり、視線がどの場所を向いているか。それさえわかっていればどんな攻撃でも避けることができる。ガルシアンの言葉を思い出しながら、次なる電気も、上体を傾けて躱した。

「またっ……!?

「うおおおおっ!」

 わかりやすい気迫とともに、魔術で空けられた距離を詰める。数歩踏み込んだ先で剣を振るも、再び生み出した突風によって体を大きく弾かれた。今度は掠りもしなかったが、奴を狼狽させるには十分過ぎたようだ。

「見て……避けている、だと!? 馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ」

 芸術家の右手に霜が降りた。とても既視感のある光景で、次の突進する足に急停止をかける。

「これなら、どうですかぁッ!?

 マントを翻しながら右手が振り回された。無作為に迸る氷の刃。乱雑な攻撃に思わず飛び退き、身をかがめて近くにあった岩を壁にする。辺りからカシャカシャと薄氷が砕ける音が連鎖した。

「くそっ! 一体、何種類の魔術が使えるんだ!」

 確認しただけでも雷、風、氷の発生。前回の戦いではシュリの炎に対して水の魔術で応戦していた。加えて渓谷内の洞穴は、土を操作できる魔術によって創られたものである。ついた悪態の通り、これほどの種類の魔術を扱える人間には出会ったことがなかった。

「言ったでしょぉ。ワタクシは天に――魔女に選ばれたのですよォ!」

 今度は火の玉が暗闇に浮かぶ。今度はシュリやマイも得意とする炎系の魔術。殴りつけられる岩が持ちこたえられないことを察して、いち早くその場を離脱した。炎は投げられたボールよりも早く俺を襲う。呪術に加えて多種多様な魔術。マイ以上に恵まれた才覚だ。“暗視のまじない”で見える景色より明るい光を避けるも、連発される魔術によって行く手を阻まれ続けてしまう。

「逃げ回っているだけですかぁ」

「そんな訳、無いだろっ」

 逃げながら腰のピックを引き抜いて投げた。取り付けられた“爆裂札”は奴の手前で小さな爆発を起こし、辺りの土石を飛び散らせる。砂煙を利用して再び切り込んだ。しかし奴の手を狙って振った剣は、盛り上がるようにして現れた氷の盾に弾かれてしまう。じんと腕が痺れて、苦悶の声が漏れた。

「くっ」

「何やら凝った細工ですねぇ。わざわざ呪術を使わなくても――ほぅら」

 両手に魔術の反応が見えた。右手は炎、左手は風。まずいと直感して横っ跳びをした直後に、火吹き芸よろしく勢いの増した炎が通り過ぎる。爆発よりも遥かに殺傷能力のある一撃はものの四秒で出来上がっていた。

「こうする方が手っ取り早い」

「『何かの代わりに何かを食べれば良い』なんて言うお偉い様は、嫌われると思うけどな」

「確かに仰る通りですねぇ。ではこんな攻撃はいかがでしょう?」

 芸術家はマントを大きく開き、その下にある枝のような体を露にした。真っ白な体には“封し鳥”に封印された魂と連結する“身代わりの呪い”の術式たち。そして翻したマントの裏側の方には大量の呪術札が仕込まれていた。その内の一枚を剥ぎ取り、あまりに聞き覚えのある言葉がねっとりとした口内から響いた。

「“陽光札”」

 途端、辺りに朝日のような眩しさが照りつけた。思わず目を閉じたところに、腹の辺りを何か硬いものが打ち付ける。

「うぐっ」

 半目開きの世界では、グラスに入れるアイスボールを大きくしたような氷が深々とめり込んでいる。的確に内蔵を刺激され、唾混じりの二酸化炭素が吹き出た。

「さすがにィ、視界を眩まされては避けられませんかぁ」

 岩肌に肩をぶつけるが倒れている暇はない。すぐに飛んできた追撃の氷に、無理やり剣の腹を当てて防御する。どうにか膝を突くだけで済ませようと努力するも、慢心しきりの男は楽しそうに語り出した。

「ですが、如何せんコストパフォーマンスが悪い。貴方のような雑魚相手にィ、いちいち呪術の札を使わされたくないのでねぇ。この後は“ルディナの英雄”サマを相手にしなければならないのでぇ」

「もう勝ったつもりでいるのかよ。気が早いんじゃないか」

「いぃえェ? ワタクシの中では一つ予想ができてしまいましたよぉ」

 芸術家は突如として言い出し、両手に別々の光が宿らせた。左手に空気の集合、右手に洞窟を照らす火花を起こしているのはさっきと同じだ。ハッタリかどうかを考える間もなく、奴の手のひらが俺に向く。

「ほぅら……避けてご覧なさい」

 俺はすぐに左へ飛んだ。男の左腕が大きく振られ、岩肌を崩す威力を持った風の魔術が右耳を掠めていく。しかし皮膚を切り裂かんとする魔術を躱した直後に、右手から青い炎が線を描いて放出されていた。バーナーのような一撃が左肩に刺さり、たっぷり浴びせられた筋肉からは、焦げたステーキみたいな臭いが漂った。

「ぐ……ああっ!」

 痛みを堪えようとするも、炎を当てられた箇所が見えてしまって嫌でも感覚を認識した。外套の左肩の辺りは焼け焦げ、その下の皮膚は若干の血とともに赤くなっている。訓練の時、いかにシュリが手加減してくれていたかよくわかった。

「ははぁ。やはりそうでしたかぁ」

 ようやく意図して魔術を命中させた芸術家が高笑う。上擦る引き笑いは、子どもが授業で出された問題を当てた時のように純粋な喜びだった。

「貴方ァ……最初の一撃しか避けられないのですねぇ?」

 こぼれそうになった舌打ちを苦悶と一緒に飲み込んだ。本来、殺し合いの場では数手先までを読み合うことになるのだと言う。しかしそれは、同程度の実力がある者同士の戦いで起きる現象でしかない。

 ――貴様は支援者だ。弱者という立場が故に、相対した敵に『戦いではなく蹂躙』という油断を誘う。つまり初撃で全ての決着がつくという『勘違い』を利用するのだ。

 魔術を避ける訓練をしている最中、ガルシアンはそんな風に言った。厳しい現実だが、最初から追撃を考えている戦い慣れした人間に出会っては、どの道生き残る術はない。俺は二人の騎士団長との猛特訓で『一撃目だけを躱す』ことを身に付けたのだ。

「無言は肯定ですよぉ。嘘が下手でぇ、随分と不憫だァ」

 安い手品を看破されてしまった以上、ここからの攻撃は奴もそれを見越してくる。再び両手に異なる魔術が備えられ、今度は両方の腕が白く冷ややかに染まった。

「まァ、試してみればわかることですねぇ」

 雹より危険な氷がばら撒かれる。全て正面から飛来するのであれば、ある程度の予測で避けられる。しかし体勢も視界も崩れたところに新たな攻撃を投げ込まれたら為す術がない。時間差で狙い撃たれた氷塊がこめかみを打ちつけた。

「がっ」

「ほぅら、命中」

 衝撃で頭が揺れ、地面に這い蹲る。倒れた瞬間に額を打って、血が頬に涙と同じ轍を描いた。

「一瞬だけ驚かされましたが、やはり呪術士は呪術士。魔術も使えぬようではぁ、まともに戦うことすら許されないのですよぉ」

 頭を押さえて体を動かせない俺に対し、実感のこもったような声を出しながら数歩近づいてくる。両腕に纏った霜はまだ消えていない。

「さぁて、そろそろ――死になさい」

 周囲の空気が冷え込み、奴の頭上に身長を優に超える氷塊が現れた。体をくの字に曲げながらそれを投げつけてくる。押し潰さんとする岩のような氷塊に対して、俺は止血するために頭に置いていた手を、急いでポーチに突っ込んだ。取り出すのは一枚の呪符。

「“魔術封印”!」

 前方に掲げた紙に氷塊が吸い込まれていく。物理法則をあまりに無視した防御手段は、鈍色の騎士にも見せた“封印術”の応用技だ。

「何ッ!?

 セアル家一子相伝の“封印術”には芸術家も目を剥いた。ただでさえ流布していない呪術の中でも一際特別な力だ。ただしガルシアンと一緒に戦った時のように、封印した魔術を放出することはできない。封印術の解放には「呼び出す」ことが必要で、技の名前がわからない限りはただの防御手段にしかなり得ないのだ。

 俺はふらつきながらも立ち上がった。まだマイを奪われた借りを返せていない。このままやられ役だけで終わってたまるかとエセ芸術家を睨み続ける。しかし奴の興味は、敵意よりも“封印術”に向いたみたいだった。

「……“封し鳥”の刻時石と似たような力ですか。ただの呪術士にしては色々とできるようですねぇ」

「そう言えば聞きそびれてたな。何でお前が刻時石を知っているんだ。あれは何百と手に入るような代物じゃないはずだ」

 刻時石の模造品と呼んでも差し支えのない造りをした“封し鳥”の(コア)。「魂を封印する」という性質からしてもドゥーマのそれとそっくりだ。碑文にも石についての記述は一切なく、その正体はずっとわからないままである。

「それはこちらの台詞ですよぉ……? 刻時石は『あの方』お手製の呪術媒体。ワタクシ以外に存在を知る人間はそう居ないはず」

 芸術家の呟いた一言にさらなる疑問が生まれる。つまり奴以外の誰かが“刻時石”を量産する技術を有しており、そいつがガルシアンの警戒している協力者の存在ということである。

「刻時石を作ることのできる人間がお前のバックに居るってことか。一体誰なんだ」

「好奇心旺盛ですねぇ。教えるとお思いですかぁ?」

「これでも研究者の端くれなんでね。ついでに“魔女の痣”についても詳しく教えてくれると助かるんだけどな」

 互いの疑問を解決し合えるなんて思ってはいない。しかし俺の言葉を聞いた男は不気味なほどに口角を上げ、にぃっと無邪気な笑顔を作る。

「では見せてあげましょう。この世の創造主たる“魔女”の力の一端を」

 言いながら右腕が向けられたのを見て、俺は魔術を警戒していた。しかし奴の腕からは風や雷が迸ることはなく、ただ手のひらが大きく開かれているだけ。

「これが私に授けられた庇護――『(よろず)を有す(かいな)』」

 瞬間、馬に跳ねられた以上の衝撃が背中に訪れた。あまりに突然のことで、手放してしまった剣が地面でカランと音を鳴らす。実際に何かがぶつかった訳ではなく、言うなれば突風に追いやられるようだった。全身が言うことを効かなくなるくらいの勢いで、文字通り体が引っ張られる。

「なんっ……だ、これっ」

 突然の出来事に声を出すのが精々だった。望まぬ行く先には、出目金の眼をギラギラとかっ開く男の姿がある。伸ばされなかった左手に、魔術で生み出した風を纏って。

「ア、はァ!」

 恐怖する間もないまま鎌鼬の拳が俺を襲った。逃げ場など無い一撃に、咄嗟に防御した左腕の肉が抉り取られる。風魔術の影響で、今度は後方に大きく吹っ飛び、じわじわと滲んだ血を理解し始めた。

「……ッ! ああああっ」

 背中をぶつけた衝撃を忘れるほどの痛みが走った。服ごと破られた左腕の皮膚からは真っ白な骨がちらりと覗いている。見えるはずのない物が余計に痛みを増幅させるようで、流血し続ける腕を片手で塞いだ。俺がもがき苦しんでいる間、芸術家はひたすら嗤っていた。封し鳥の正体を明かした時と同じくらい高らか、かつ楽しげに。

「これがァ! 他の誰にも成し得ないワタクシだけの特別ッ! 抗いようのない引力の力なのですよぉ!」

 紐を括って引っ張ったのとはワケが違う。あたかも俺にかかる重力の向きが変わったかのようだった。風の魔術を俺の背中から発生させたのかとも考えたが、単に吹っ飛んだのではなく、あたかも『落ちる』ように引き寄せられた。抗いようのない引力は、物質の生成と放出をする魔術では説明がつかない。つまり呪術に傾倒する何かだ。そこまで考えて、俺の中には確信めいた推測が成る。

「なるほどな……今のが“封し鳥”同士を寄せ集める力ってわけか……!」

「おやぁ、ちゃあんとわかりましかぁ。存外キレるんですねぇ、あなた」

「少し前に、今のお前と同じことを言ったやつが居たよ……! 敵に褒められたって嬉しくも何ともない」

「賛辞は素直に受け取るべきですよぉ? ましてやぁ、ワタクシはこれから一国を統べる王となる者なのですから」

 “封し鳥”のそもそもの特性は魂の奪取。一つ一つがバラバラの個体であるにも関わらず『巨大化』なんて芸当ができるのは、あいつが使った謎の引力の応用だ。“魔女の痣”が描かれた石碑にあった「力」の正体は十中八九これだろう。

 一方で、俺の持つ痣にはそんな力は無い。使いこなせていないだけなのか、もっと別の何かがあるのかはわからないが、知識が無いまま頼れるような代物でないことは確かだ。商談で鍛えた勘が、奴が調子づいている今が情報を引き出すチャンスだと告げ、痛みを堪えながら口を回した。

「じゃあ有難いお話ついでに、この予想も答え合わせさせてくれよ。お前は“ルディナの英雄”と戦うことをわざわざ十日後にさせた。それは“身代わり呪い”で捕らえた人たちを“封し鳥”に変換する時間稼ぎのためだったんだろ?」

 最小限の息継ぎで回答をぶつけると、芸術家は驚いたように目を大きくした。思っていたよりも腹芸が下手なおかげで推測は確信に変わる。

 ルディナ王国を崩すためには“英雄”シュリクライゼ・フレイミアを筆頭に数々の強者を倒す必要がある。その準備として、奴はできるだけ多くの身代わりを用意するために、偵察隊を襲って【青の騎士団】をおびき寄せた。そして目論見通り、奴は八十二に及ぶ魂を奪い去った。

 しかし捕らえた魂をすぐに身代わりや“封し鳥”に転用することはできない。だからこそ事前に用意していた魂でパフォーマンスして見せた。結果として、俺たちはあの場で囚われた魂たち全てが人質であると錯覚し、シュリは積み上げられてしまう犠牲者の数に立ち止まった。ガルシアンが攻撃し、すぐに退いたのはそのせいであろう。

「“身代わりの呪い”……それは『与えられる致命傷だけを肩代わり』する能力だ。全ての傷に反応していたらキリがないもんな。だから俺が最初に頬を斬った時には発動しなかった。違うか?」

 自らの頬を人差し指でつつきながら、矢継ぎ早に言った。ノーリスクで都合の良い“呪い”なんて存在するはずがない。“身代わりの呪い”は戦いで有用であると同時に、高度な準備が求められる呪いなのだ。紫の目は何も語らない。

「無言は肯定、だろ?」

 俺が言うと、芸術家は盛大に舌打ちをした。これで確証を得た。最初の敗走以降に捕まったマイはまだ生きている。それだけで、痛みに奪われた気力を再起させるには十分だ。

「いい加減、鬱陶しいですよ。さァ、何度でも……呪術のカラクリに気づいた程度で、ワタクシの力をどうにかできますかねぇ!?

 右手がこちらに向いて、またしても体が引き寄せられる。地面を削るほどの抵抗も意味を為さず、足はすぐに浮き上がってしまった。奴の左腕には先程と同じ風の魔術が発生している。これ以上受け続けていたら肉だけでは済まない。地面を滑るように動きながら、俺は腰に付けていたピックを芸術家に向かって投げた。

「チィッ」

 速度を増して進む太い針を見て、芸術家はやむ無しと引力を解除した。同時に直線上に居た俺の体も止まる。俺たちの間で爆発が起き、咳き込みそうになる煙の向こうに憎々しげに睨む顔が見えた。

「同じ手を食らってたら、支援者なんてやっていけないんでね!」

 ピックは残り二本。最後の一本は“作戦”のために必要なものなので、自由に使えるのは次の一本だけだ。チャンスは残り僅か。今度は自分の意思で前へ進む。

「お前は、俺が、倒す!」

「――でしたら、もっと面白いものをお見せしてあげますよ」

 その場から動かない男が不穏に呟いた。両手から放たれる風と氷が鋭利な形を創り出す。それぞれの指先と手のひらから、都合十二本もの刃が射出されるも、狙いはつけられていないようだった。無作為に広がる刃を躱しながら突き進み、剣が届く寸前、男はおもむろに左手だけを下ろした。

 掲げられたままの右手。その上に、どんな種明かしの時よりもずっと不気味かつ不敵な笑みが見えた。三日月に曲がる口から、はっきりと言葉が告げられる。

「“消失点(ラスト・サパー)”」

 不自然に空気がブレた。辺りの違和感に目を向けると、すれ違ったはずの魔術が全て引き戻されていく。

「まさか……!」

 “封し鳥”を形成するための能力とわかった時に気づくべきだった。この能力は、遠くで飛び回る“封し鳥”よろしく――引力の中心を自由に操ることも可能ということ。

 推測が脳裏を掠めた瞬間、必中必殺となった数多の刃が俺の体を貫いていた。
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