第23話 誓いの暁鐘

文字数 8,508文字



 目の前に燐光を纏う炎が迫った。その軌道を両目で追って、ぎりぎりのところで方向を見定める。一直線に飛来することを察知して、横っ跳びしようとした時には、灯火が脇腹に当たっていた。

「ぎゃっ」

 自分でも情けないと思う悲鳴がこぼれる。手加減されているとは言え、その魔術には人を突き飛ばすくらいの威力があった。王宮内にある庭の柔らかな芝生を転がり、とんがった植物の先が頭皮をぷすぷす刺して、深緑髪に芝生が混じる。間抜けな姿を見て、炎の魔術を撃ち出した張本人が足早に駆け寄って来た。

「大丈夫ですか。ルミー殿」

「は、はい。あつつ……」

 伸ばされた手を掴み、引き寄せられるように体が持ち上がる。相変わらず細身の体には尋常ならざる筋力が隠されており、立ち上がる時は体が浮くのではないかと思った。もしも俺が彼のように凄まじい力を持っていたら、このような醜態を晒しながら努力する必要も無かったのだろう。

「くそ……全然うまくいかないな。魔術は見えてるのに」

「このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、やはり無謀ではないでしょうか。“呪術士”である貴方が敵の魔術を避けられるようになるのは」

 正直な忠告には俯くことしかできない。シュリクライゼさんに手伝ってもらっているのは、魔術を避ける訓練だ。本来戦いに参加しない支援者には必要のない努力。しかし俺は無駄だと嘲笑う自らの心をぶんぶんとかき消した。

「無謀でもやるしかないんです。今度の作戦では、俺があの芸術家と戦えることが一番成功に繋がるはずですから」

「だからと言って、このままでは戦いに挑む前に倒れてしまいます。何か他の方法は無いのですか?」

「……嫌なんです。確かに俺は真っ当に戦うことはできないけど、今回は後ろで見ているだけなんて絶対にしたくない」

「ルミー殿……」

 シュリクライゼさんの心配を無下にするのも罪悪感がある。彼は俺の身を案じてくれているからこそ、厳しい現実を突きつけようとしているのだから。

 息が切れる間、酸素の行き渡らない頭で考える。意地にならず別の作戦を用意すべきか。しかしそうなっては、このやり場のない感情をどこへ捨て去れば良いのだろう。マイを奪った敵に対して、我が身可愛さを優先させるだなんて納得いかなかった。

「やっているな。支援者」

 野太い声がだだっ広い庭に響く。階段を降りてやって来たのは、大きな建築物の中でも存在感を放つ巨躯の男だ。

「ガルシアン。もう用事は済んだのか?」

「ああ。【青の騎士団】全員に語りかけて来た。必ず仇は取ると」

 魂を抜かれてしまった騎士たちは王都の一番大きな病院に体を置いている。そしてその中にはマイも。同じタイミングで見舞いに行ったら、俺の方が帰りが早くなるのは当然だった。

「訓練はどうだ。順調か?」

「それが……」

 ガルシアンはシュリクライゼさんから訓練の顛末を聞いた。すると彼は何やら思案顔になって、俺たちに提案した。

「なるほどな。支援者、フレイミア。同じ方法で訓練をして見せろ」

「わかりました」

 意図はわからないままだったが、シュリクライゼさんは常人が十歩で歩く距離をひとっ跳びする。さっきとまったく同じ間合いになり、俺は集中力を携えて彼と向き合った。

「行きます」

 短い掛け声の後で、シュリクライゼさんの右手にはオレンジの光が淡く灯り始める。微弱な火をじっと観察し、それが鳥よりも早く打ち出される。ぎりぎりまで軌道を見て体を動かした。

「ぎゃっ」

 しかし、やはり先程と同じように体を吹っ飛ばされた。芝の上で一回転した後、頭上には熊のような男が逆さまに現れた。

「やはりな……支援者。貴様、放たれた魔術を見ていただろう」

「あ、ああ。実際、シュリクライゼさんもそう避けてるって」

「そのような芸当が可能なのは、一部の限られた天才だけだ。類まれなる反射神経と勘の鋭さ。これらが無いと、放たれた魔術を見てから避けるなど簡単にはできん」

「そうなのか?」

「詰まるところ教え方の問題だ。凡人である貴様と“英雄”とでは土俵が違う」

 指南役を否定されたシュリクライゼさんは悲しげな表情をした。彼なりに尽力してくれていたのは間違いないので、俺は感謝しつつ巨漢に向いた。

「正しい方法なら、俺でも魔術が避けられるようになるのか?」

「ガルシアン殿は多くの騎士を束ねる長です。僕よりも的確な助言をなさってくれるはずですよ」

 構成員一名の騎士団長が言った。鼻を鳴らしたガルシアンは「重要なのは二つだ」と前置いて、人差し指を立てる。

「まず、どんな攻撃も見るべきは相手の全身だ。攻撃の軌道を見てからでは間に合わない。そして魔術を行使する場合、体のどこかに力が入る。多くは腕や手だ」

 言いながらガルシアンの手には泡のような水が浮かび上がる。指先が僅かに力み、あたかも小さなボールを持っているように見えた。

「そして視線や体、爪先の方向からどこに攻撃が繰り出されるか判断することができる」

 山吹色の瞳は体ごと真っ直ぐに俺を捉え、指同士を弾くと鼻くらいの大きさの泡が顔面を襲った。わっ、と叫び声を漏らした頃には鼻から首の辺りにかけてが湿っている。

「ある程度の予測をつけたら、後はそれに従って身を動かす。これを極めれば、理論上は如何なる攻撃をも避けることが可能になる」

「何で濡らしたんだよ……」

 突然のパフォーマンスのせいで顔を拭う羽目になった。しかしガルシアンは悪びれる素振りもなく、必要だったと言わんばかりに二本目の指を立てた。

「それが重要項目の二つ目だ。恐怖に屈さず、常に目を開いておくこと。幸い貴様は目が良いようだからな」

 観察を忘れないことが大切なのは理解できる。しかし後者についてはまったく身に覚えがなかった。

「目が良い? 俺が?」

「貴様はあの鈍色の騎士との戦いで、一度奴の剣を躱していた。並の動体視力であればなかなかできぬ芸当だぞ。俺はてっきりどこぞで身に付けたものだと思っていたが」

「そんなこと言ったって、支援者の俺に戦いの場なんて……」

 言葉の途中で一つ思い当たる節が見つかった。つい先日――とは言え、今となっては随分昔にすら感じられてしまうが――“厄災”ドゥーマと戦った時のことだ。極限の命のやり取りの中、俺は支援者の癖に身分不相応な場所で抱えられていた。

「そう言えばドゥーマと戦っていた時、間近でクイップさんたちの剣筋を見てたな……」

 開拓者ギルド最強と謳われたクイップさんとその弟子、アレス・ミークレディアの剣技。それらに援護されながら“封印術”を完成させようとした。戦いの最後には、少しだけ彼らの剣閃を追うことができていた気がする。

「人は極限の状態で思いも寄らない力を目覚めさせる場合があります。命懸けの戦いが貴方の動体視力を活性化させたのでしょう」

 シュリクライゼさんが言うと、ガルシアンはそれを受けてこう続けた。

「つまり貴様は、剣より遅い相手であれば目で追える道理だ。しかし体は追いつかない。ならば敵の行動を予測して動いておくしかあるまい」

 難しさに変わりはないが、シュリクライゼさんの直感的なアドバイスよりも成すべきこと的確に見据えられた気がする。しかし言葉で捉えることができただけでは、実戦で使えるレベルにはならない。仕上げられるかどうかは残り数日の努力次第であろう。

 不安を拭い切ることができない俺は、かねてより持ちかけようと思っていた相談事を言おうとした。

「シュリクライゼさん。お願いがあります」

「当日の『作戦』に参加して欲しい、というご依頼ですね……残念ながら、それはできません」

 まるで思考を読まれたみたく先んじて断られ、交渉の言葉に詰まる。内容は全てその通りで、王国軍が手段を選ばずにアルト・ワイ・ヘロスリップを討伐してしまう前に、俺やガルシアンと奴を倒して欲しいというものだ。カードを失った俺は情に訴えるように叫ぶ。

「頼むシュリクライゼさん! 奴に勝つためには、あなたの力が必要なんだ」

「おい、俺だけじゃ不服ということか」

「そうじゃない。だけど今のままじゃ、間違いなくあんたへの負担が大き過ぎる」

 たった二人でも“封し鳥”を倒す算段をつけたつもりだが、残っている謎がある以上はどんなイレギュラーが起きてもおかしくない。

「シュリクライゼさんが居た方が作戦の成功率は上がる。もう誰も奪わせたくないんだ」

 俺は真剣さを汲み取ってくれたのか、ぶすっとした表情のガルシアンも口を閉じた。そんな様子を見て、シュリクライゼさんは「僕も」と続ける。

「できることなら共に戦いたいと思っています。しかし僕の立場はガルシアン殿ようにはいきません。四つの騎士団の内、半分の騎士長が不在となればそれだけで王国の信用に関わります」

 それこそがたった一人の騎士を助けに向かわせることができない理由だ。ただでさえガルシアンも世間的には“封し鳥”に飲まれた身分である。そうまでしなければ動けないもどかしさには、彼自身が最も歯痒い思いを持っていた。

 彼は言わば最終兵器。俺たちが作戦を失敗した時には、囚われた全ての魂ごと滅する役割を担っている。しかし本人は“英雄”たる人格を持っている人で、できることならば囚われた人々を助けたいと願っているに違いない。

「騎士長って立場が問題なんですよね?」

「そう……ですが」

「そ、それなら!」

 勢いのある言い方をした俺に、黒い瞳が訝しむ。一応閉じられなかった目と耳に向かってこんな屁理屈を言った。

「俺は“騎士団長シュリクライゼ・フレイミア”には協力を仰ぎません。代わりに、めちゃくちゃ強い知人に頼み事をしたい」

 一層困り顔になってしまうシュリクライゼさんと呆れ顔になるガルシアン。二人の反応に冷たさを感じ、身をすくめた。

「……やっぱり駄目ですか?」

「申し訳ありません、ルミー殿。そればかりは……」

 頭に浮かんだ子どもの駄々がお国に仕える騎士に通用するはずも無し。そもそも頓智のような道理で許しが出るのなら、きっとシュリクライゼさんは最初から参加してくれたはずだ。俺はがっくりと肩を落とす。

 やはり危険を承知の上で、ガルシアンとともに“封し鳥”を攻略するしかない。せめて少しでも彼の負担を軽減できる作戦に練り直そうと思った時、さっきのガルシアンみたく、同じ階段から聞き覚えのある声がした。

「――良いではないか、シュリクライゼ」

 嗄れ気味ではありながら、張りと威厳のある声量で空気さえ震える。木々がざわめいたのは神風というやつが吹いたからなのではないかと錯覚してしまった。

 一重まぶたに長い口髭、高い鷲鼻。特徴がある中年男性の顔を同じ高さで見たことはなかった。謁見した大広間の玉座ではない場所にフェアザンメルン・ヘロ・ルディナ――現ルディナ国王が姿を見せたことに驚きを隠せなくなる。

「王様!?

 二人がすぐさま頭を垂れたのを見て、俺も膝を折って芝生に着ける。どうして国王がこんな場所に。いや、ここは王宮だし当然か。そんな疑問と解答がいくつも頭を巡り、勝手にシュリクライゼさんかガルシアンに何か用立てるつもりなのだろうと考えた。

 しかしルディナ王の影がすぐ頭上に落ちてくる。用があったのは騎士たちではなく、俺だった。

「ルミー・エンゼ。貴様にとって、シュリクライゼとは何だ?」

 あまりに予想していなかった質問で、驚き声を抑えるだけで一杯になる。顔を上げると、そこには厳しさと僅かな期待を孕んだ瞳があった。

 俺にとってのシュリクライゼ・フレイミアは、国民から“英雄”と呼ばれるほど遠くない。彼も思い悩むことが常なのだと知ってから、開拓者ら戦う人間と本質は変わらないと思った。

 それなら俺は、彼の悩みに寄り添えるくらい強くなりたい。戦う力ではなく、助ける力で。いつかに“ギルド最強”と謳われたクイップさんと並べるような支援者になりたいと思ったように、それ以上の強さを持つかもしれないシュリクライゼさんは俺にとっての新しい目標の形でもある。

「友達です。戦う者と支援者として、俺は対等でありたいと思っています」

 前方に居た細身の騎士の肩が揺れた。しかし王様も騎士たちも何も発することはなく、辺りは微風が通り抜けるのみ。不穏な空気を察して、正直に語った理想はあまりに尊大な物言いだったのではないかと冷や汗が浮かんだ。

「戦う力を持たずして“ルディナの英雄”に並ぶ、か」

 ルディナ王の顔はより険しいものになる。首を切るならせめてマイを助けた後で、と言おうとした時、王は大口を開けて機嫌良く笑った。洗濯物がよく乾きそうな日の太陽を彷彿とさせるカラッとした笑い声が王宮に響く。彼は一頻り辺りの不穏さを振り払うと、丸まっている黒髪の騎士の背に手を置いた。

「シュリクライゼ――良き『友人』を持ったな」

 ルディナ王の言葉に青年が振り返った。いつも表情の起伏が少ない彼だが、今は目が丸くなるくらい何かに驚いている。俺はその意味を知る由もないまま、うるさい心臓を宥めるのに必死だった。続けてルディナ王は言った。

「貴様らが友人同士と言うのなら、臨時の休暇にその会合を邪魔する権利は誰にもあるまい」

「……仰る通りですね」

 シュリクライゼさんが言った言葉に、思わず「じゃあ……!」と期待の声が出てしまう。彼はこちらを見ると、微笑みとともに頷いた。俺は勢いよく腰を折って深い感謝を伝える。

「ありがとうございます。王様、シュリクライゼさん」

「はて、何のことやらわからぬな」

 顔を上げた先には、とぼけるルディナ王が笑っていた。隣で主を見るガルシアンはやはり呆れたままで、遺跡で俺にお小言をくれた時と似た表情である。

 思わぬ僥倖に喜びを感じる最中、シュリクライゼさんは俺の目の前に立ち、いつになく柔和に綻んだ顔を向けて言った。

「そんな堅苦しく呼ばないでくれ。ユウジン、なのだろう? ルミー」

「そうで……そう、だよな。えっと、シュリクライゼ」

「シュリ、で良い。僕を唯一略称で呼ぶ人が、そう呼んでいる」

 王以外に彼が心を許している人。もしやその人とは、三年前に姿を消してしまった俺の憧れの人物ではないだろうか。

「わかった。よろしく頼むよ、シュリ」

 彼と並び立つためには、呪術士の中で最も高名なハリウェル・リーゲルと同等の者でなければいけない。見たこともない背中にいつかはたどり着き、追い越してみせる。上等だ、と心の中で呟いた。

 俺とシュリはどちらからともなく差し出した手を握り交わす。力強く慈愛に満ちた手のひらの温度は、その体に背負う一国の重さすら感じられた気がした。

 すると、一連のやり取りを傍観していたガルシアンが咳払いで場を正した。

「しかし“英雄”が味方とて、あの珍妙な呪いを破るためには、貴様の地力を身に付ける必要があるのは変わらんのだろう」

「ああ。もちろんだ」

「訓練を続けるぞ。言っておくが、俺は王やそこの騎士ほど甘くはないからな」

 訓練に付き合ってくれるだけ十分お人好しだと思ったが、口に出すと面倒なことになるのは火を見るより明らかなので止めておいた。その後“魔術避け”の訓練は作戦の二日前まで続いたのだった。



 部屋の扉がノックされる。夜分遅く、開拓者を相手する【アメトランプ】ならともかく、ここは王国に貸し与えられた王宮の客室だ。

「どなたですか」

 声色を高くして応じると、扉の向こうからは敬語を取り払って馴染み深くなった友人の声が聞こえた。

「僕だよ、ルミー。シュリクライゼだ」

 「どうぞ」と返すと、彼は深いお辞儀をしないでツカツカと部屋に入ってきた。しかし驚くべきは些細な変化ではなく、シュリの他に青髪の騎士団長まで居ることだ。

「お邪魔するよ」

「ガルシアンまでどうしたんだ?」

 次の作戦への相談事かと考えたが、ガルシアンに酒瓶を見せつけられたことで堅苦しい話し合いの場ではないと悟る。

「景気付けだ。もう何度日を浴びられるかわからんからな」

 見るからに上等な赤ワイン。庶民には縁遠いもののはずなのに、俺にはどうしてか既視感があった。

「あれ、このワイン……」

「なんだ。知っていたのか」

「多分。ハリエラさん……馴染みの開拓者が隠して店に置いて行くんだ。俺は仕入れたことすら無いんだけどな」

 【アメトランプ】では日頃から俺が酒を選んでいるが、常連であるハリエラさんはどこからともなく目の前と同じボトルを持ってくる。前にカウンターの下で見つけて以降、時折その中身が勝手に減っているのを確認済みだ。

「これは『│誓いの暁鐘(オース・ベル)』というワインで、貴族の間では広く親しまれている上等な酒だ。その開拓者は相当な稼ぎがあるのだろうな」

「まあ、ハリエラさんだしな……」

 開拓者ギルド内でも五指の中に入る、実力ある魔術士だ。日頃飲んだくれている様子ばかり見ているせいで、俺の中には威厳なんか残っちゃいないが、傭兵としては超一流なのである。

「あの方が本気を出せば、一国を氷漬けにすることすらできるでしょう。それほどの気迫を内に秘めた方でした」

 キッグ・セアルの件で行動を共にしていたらしいシュリもこの通りの大絶賛だ。さすがに一国を氷漬けは言い過ぎな気もするが、“英雄”にここまで言わせるハリエラさんはやはりただの飲んだくれではない。

 話が途切れたガルシアンは強めの空咳をし、ワインについて語った。

「オース・ベルの由来は、王国の古き伝承の中に登場する鐘の名前だ。祝い事の際に誓いの言葉とともに鳴らされていたという」

 歴史学者であるガルシアンが言うからには間違いないのだろう。その裏付けと言わんばかりにシュリがこのように付け足した。

「深い赤銅の色は血の色。つまり『血盟』の意があり、この酒に誓うことは、命を賭して成し遂げなければならないそうだよ」

 祝い事、つまりは婚約。永遠に添い遂げる相手とともに飲むのならば、これほどうってつけの酒は他に無い。血盟と言う割にはなかなかどうしてロマンチックで、一層ハリエラさんに似合わない気がしてきた。

 そんな意味を持つワインを持って来たガルシアンの意図は、まさか祝いのはずもない。彼の考えを察し、俺は気を引き締める。

「良いか。俺たちは必ず各々の目的を成し遂げる。例え、この中にいる誰がどうなろうともだ」

 ガルシアンの放った台詞で部屋中がぴり、と張り詰めた。一度敗北を喫した彼は、間違いなく次の作戦に命を賭けている。もしも仲間を救えないとわかっても必ずアルト・ワイ・ヘロスリップを討ち取るだろう。俺はその決断をさせないために隣に立たなければならない。

 乾いた汗が落ちそうな空間で黒髪の騎士がグラスを掲げた。

「僕は、この国を守るために」

 シュリの言葉は、さも王の御膳に立っているかのように凛と放たれた。ここには居ない主に誓い、人々から“英雄”と称されることに応えようとしている。

「俺は、王国に仇なす者を討つ矛となるために」

 シュリクライゼ・フレイミアが盾ならば、ガルシアンは剣。傷や犠牲の上に立ってでも敵を見据える覚悟を、もう人でなしだなんて思わない。

 ならば、ルミー・エンゼが口にすべき誓いとは。彼らの立てた誓いを守り、そして――

「マイを取り戻すために」

 たった一つの願いを叶える。血の色揺らぐグラスが、同時にからん、と打ち鳴った。


 その夜。高級ワインの舌鼓も程々に、誓いを立てた会合が解散となった後で、俺は病院を訪れていた。僅かな酔いを覚ますための散歩という名目だったが、本当はこの味を覚えている間に誓いを告げる相手が居るからだった。

 王都に来てから気づけば二十日近くが経過している。思い返せば色々なことがあった。連行された先で国王に謁見し、宮廷呪術士となることを断り、スラム街では人攫いに殺されかけた。大渓谷の戦いで絶望を味わい、気の合わない騎士団長とともに遺跡の謎に迫った。あまりに濃い数日間に、長く帰って居ない【アメトランプ】が恋しくなる。

 夜遅くの病院は酷く静かだった。いや、昼間に来ても井戸端会議をする患者の声すらない。そして【青の騎士団】の騎士たちの多くが眠るこの場所でたった一人、数日前に奪われた民間人の少女が居た。

 初めて出会った時より短くなった赤い髪と、少し痩けた頬。王都有数の医者が面倒を見てくれているとは言っても、ずっとこのままではやがて命を落としてしまうだろう。乱れた前髪を揃え、白い額にそっと手のひらを預ける。冷たさにいくら熱を与えても表情が動くことはない。

「待っててくれ。きみは絶対に俺が助ける」

 過酷な運命を乗り越えた少女、マイ・セアル。そして彼女に立ち向かうことを諦めさせなかったのは他ならぬ俺自身だ。借りも責任も、ルミー・エンゼが清算すべきものは山ほどある。そしてそれは、青藍の瞳と目を合わせてようやく始めることができる。

 ――その時に伝えよう。マイが居ない間に気づいた確かな感情を、今度は、俺から。

 夜が更けていく。朝が来て、また月が出る。幾つもの傷を抱え、それ以上の数の魂が待つあの場所へ。誓いは血脈に残ったまま、俺を戦場へと導いた。
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