デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION 絆(後半ネタバレあり)
文字数 2,082文字
2020年2月 長編アニメーション映画『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION 絆』を鑑賞しました。
デジモンシリーズ1STの最終話ということで、長きにわたってデジモンファンに愛されてきた物語をどのように決着させるのか。大いに期待が膨らむところです。
シリーズが始まったのは20年前。その頃主人公たちは小学生で、デジタルワールドの住人であるデジモンとパートナーとなって人間世界とデジタルワールドを冒険しながら救っていきました。
デジモンとパートナーを組むことになる主人公たちを人々は【選ばれし子どもたち】と呼び、シリーズが進むごとにパートナー同士の信頼、友情、困難に立ち向かう姿。同じ選ばれし子どもたち同士との共闘や仲間意識など、たくさんの夢と希望を与えてくれました。
デジモン進化~。も流行りましたよね。デジモンは出世魚のようにパートナーとの絆が深まるほどに進化して強くなっていきます。
デジモンシリーズ自体は何作かあって、その度設定や主人公を変えていってはきましたが、今回は元祖デジモンの最終話ですから、ファンの期待や、終わってしまう寂しさはハンパないものなのです。
物語は、選ばれし子どもと言われた、太一やヤマトはもう大学生で進路を決めないといけないところにまできています。
あんなちっちゃかった子がホルモン屋でビール飲んでいる姿には物語とは関係ないところなのに涙が落ちそうになりました。
変わらずパートナーデジモンのアグモンやガブモンと一緒にはいるのですが、事件は彼らがもう子どもではいられないという事実で始まるのです。
デジモンとは、子どもが抱える無限大の夢の形。大人になるにつれそれが狭まって、いつしか現実と向き合い、人として前に進んでいかなくてはならなくなる。
パートナーとは離れたくない。でも現実からは逃れられない。それを認めたくないがゆえに暴走してしまう選ばれし子どもとの葛藤が絡みます。
作画や背景や演出(窓の雨だれを涙にみせるところはすごいなと思いました)、戦闘シーンなどの力の入れようはスタッフさんたちの頑張りがみてとれて、見ている方も力が入りましたし、太一とヤマトがイケメンすぎてラストはすすり泣き寸前でした。
20年前、シリーズ見はじめて、アドベンチャーしてきた子どもたちの成長を見守ることができて大変よかったと思えました。
元が20年前の作品なので、劇場も観客に子どもがゼロ。
観客一心同体で「あぁ、もう子どもには戻れないんだな。大人への覚悟が求められているんだな」というため息があふれたことでしょう。
あの頃の冒険を知っている。はまっていた当時永遠の17歳…というか永遠の選ばれし子どもたちは見逃さないでほしい一作です。
ただ、ひとつ残念なことと、ひとつ納得できなかったことがあります。
まだ、映画を見ていなくて、楽しみにしている方はネタバレかもしれないので、ここで私の個人的感想を中止して頂くのかいいかもしれません。
なので間あけます。
いい話であったし、胸熱にはなれるので、オススメはします。
では、ここから残念なことと、納得できなかったことです。
残念なことは戦いから逃げたキャラがいることです。
「もう戦いたくない。ひっそりとパートナーと暮らしていきたい」と目を背けた人物も大人に近づいており、パートナーと一緒にいられる時間が狭まってはきていました。
それでも他のみんなを救うために、パートナーと一緒にいられる時間を潰した太一とヤマト。彼らと比較してしまうと、最後には助けに参加するものだと待っていたのに、最後まで参加しませんでした。
戦いを拒否する。もうそっとしておいて。残り少ない時間を穏やかにパートナーと過ごしたい。
そういう気持ちも【大人になること】なのかもしれない。そういうものあるという製作意図だったのかなと憶測するしかないのですが、20年前から一緒にいた仲間だったので、自分は目をそむけて「みんながんばって」と言うのは、ちょっと、それはどうなのよ。と思うことしかできまでんせした。
てっきり最後の最後でちょっと助けに来てくれると思ったんだけどな。
次に納得できなかったところ。
私の記憶が定かなら、子どもたちは大人になってもデジモンと一緒でした。
テレビ版の最終話はそういう終わり方でした。
なぜ矛盾させたのか?
これは違う次元の最終回なのか?
テレビ版のラストが印象的すぎていたので、180度ひっくり返されたのはモヤモヤがいまだに消えません。
とはいえ、今回の映画の終わり方がクソでは決してないからハンカチ加えて「なんでーっ!」と悔しがる反面「えーん、よかったよう」とハンカチを目に押し当てたりもするわけです。
テレビ版のラストを否定した意図も製作側に聞きたいです。
良作ではありました。あの頃、デジモンを見ていた【永遠の選ばれし子どもたちのみなさん】ぜひ劇場でご覧ください。
デジモンシリーズ1STの最終話ということで、長きにわたってデジモンファンに愛されてきた物語をどのように決着させるのか。大いに期待が膨らむところです。
シリーズが始まったのは20年前。その頃主人公たちは小学生で、デジタルワールドの住人であるデジモンとパートナーとなって人間世界とデジタルワールドを冒険しながら救っていきました。
デジモンとパートナーを組むことになる主人公たちを人々は【選ばれし子どもたち】と呼び、シリーズが進むごとにパートナー同士の信頼、友情、困難に立ち向かう姿。同じ選ばれし子どもたち同士との共闘や仲間意識など、たくさんの夢と希望を与えてくれました。
デジモン進化~。も流行りましたよね。デジモンは出世魚のようにパートナーとの絆が深まるほどに進化して強くなっていきます。
デジモンシリーズ自体は何作かあって、その度設定や主人公を変えていってはきましたが、今回は元祖デジモンの最終話ですから、ファンの期待や、終わってしまう寂しさはハンパないものなのです。
物語は、選ばれし子どもと言われた、太一やヤマトはもう大学生で進路を決めないといけないところにまできています。
あんなちっちゃかった子がホルモン屋でビール飲んでいる姿には物語とは関係ないところなのに涙が落ちそうになりました。
変わらずパートナーデジモンのアグモンやガブモンと一緒にはいるのですが、事件は彼らがもう子どもではいられないという事実で始まるのです。
デジモンとは、子どもが抱える無限大の夢の形。大人になるにつれそれが狭まって、いつしか現実と向き合い、人として前に進んでいかなくてはならなくなる。
パートナーとは離れたくない。でも現実からは逃れられない。それを認めたくないがゆえに暴走してしまう選ばれし子どもとの葛藤が絡みます。
作画や背景や演出(窓の雨だれを涙にみせるところはすごいなと思いました)、戦闘シーンなどの力の入れようはスタッフさんたちの頑張りがみてとれて、見ている方も力が入りましたし、太一とヤマトがイケメンすぎてラストはすすり泣き寸前でした。
20年前、シリーズ見はじめて、アドベンチャーしてきた子どもたちの成長を見守ることができて大変よかったと思えました。
元が20年前の作品なので、劇場も観客に子どもがゼロ。
観客一心同体で「あぁ、もう子どもには戻れないんだな。大人への覚悟が求められているんだな」というため息があふれたことでしょう。
あの頃の冒険を知っている。はまっていた当時永遠の17歳…というか永遠の選ばれし子どもたちは見逃さないでほしい一作です。
ただ、ひとつ残念なことと、ひとつ納得できなかったことがあります。
まだ、映画を見ていなくて、楽しみにしている方はネタバレかもしれないので、ここで私の個人的感想を中止して頂くのかいいかもしれません。
なので間あけます。
いい話であったし、胸熱にはなれるので、オススメはします。
では、ここから残念なことと、納得できなかったことです。
残念なことは戦いから逃げたキャラがいることです。
「もう戦いたくない。ひっそりとパートナーと暮らしていきたい」と目を背けた人物も大人に近づいており、パートナーと一緒にいられる時間が狭まってはきていました。
それでも他のみんなを救うために、パートナーと一緒にいられる時間を潰した太一とヤマト。彼らと比較してしまうと、最後には助けに参加するものだと待っていたのに、最後まで参加しませんでした。
戦いを拒否する。もうそっとしておいて。残り少ない時間を穏やかにパートナーと過ごしたい。
そういう気持ちも【大人になること】なのかもしれない。そういうものあるという製作意図だったのかなと憶測するしかないのですが、20年前から一緒にいた仲間だったので、自分は目をそむけて「みんながんばって」と言うのは、ちょっと、それはどうなのよ。と思うことしかできまでんせした。
てっきり最後の最後でちょっと助けに来てくれると思ったんだけどな。
次に納得できなかったところ。
私の記憶が定かなら、子どもたちは大人になってもデジモンと一緒でした。
テレビ版の最終話はそういう終わり方でした。
なぜ矛盾させたのか?
これは違う次元の最終回なのか?
テレビ版のラストが印象的すぎていたので、180度ひっくり返されたのはモヤモヤがいまだに消えません。
とはいえ、今回の映画の終わり方がクソでは決してないからハンカチ加えて「なんでーっ!」と悔しがる反面「えーん、よかったよう」とハンカチを目に押し当てたりもするわけです。
テレビ版のラストを否定した意図も製作側に聞きたいです。
良作ではありました。あの頃、デジモンを見ていた【永遠の選ばれし子どもたちのみなさん】ぜひ劇場でご覧ください。