映画:海獣の子供(ネタバレなし)
文字数 2,347文字
映画:海獣の子供
感想・ネタバレなし
2019年6月
アニメーション長編映画「海獣の子供」を鑑賞させていただきました。
スケールがでかすぎて上映前の予告、なにをやったか記憶が消し飛んでいます。
ではあらすじを、と言いたいところですが。それまでも消し飛んでいます。
それでもなんとか、かいつまんで言うと。ちょっとやさぐれている多感な中学生の女の子が、夏休みに不思議な兄弟と出会い、命のつながりとか人と人のつながりの意味を知る。
映画見てあらすじが消し飛ぶ……わけがわかりません。しかしながら壮大な生命の誕生は伝わっているのです。
【祭り】と呼ばれる現象が始まる後半戦。アニメーションの表現力の強さと可能性に、観ているほうは宇宙にいるのか海の中にいるのかわからなくなり、人がひとりが存在していることの奇跡というものに感謝すらしてしまう。
宇宙にも海にも人間にも、無駄な関係やつながりなど存在しない。宇宙も海も大地もすべてひっくるめての【世界】がある。
命が生まれる瞬間の真ん中に放り込まれる少女。
こんな壮絶な体験をしては、日々の生活で舌打ちをしてしまうような出来事が、いかにちっちぇえ(小さい)ことであったかを認識せざるを得ない。主人公の少女はそれを知ってしまう。
ひと夏の経験で少女は成長しました。などというレベルではないことは明白で、序盤に主人公に起こる青春群像劇的深刻な出来事も、ラストには遠い目をしながら「あたしもちっぽけな人間だったわ」となる。
それは観ているこちらにも激しく同調できてしまい、たとえばSNSでこっちは正論言っているのに煽るようなリプされて、ついカッとなって正論でレスしたら火に油。相手も、相手なりの正論で言い返してきて、それが火種になって他の人が絡んできて炎上していく、ような出来事が糞がつくほどちっぽけなことに思えてしまう。
自分はいったい、なにを悩んでいたんだろう。
そう感じ取ったタイミングで、この映画のために書き下ろされた米津玄師の「海の幽霊」が流れる。
絶妙すぎるわけです。
制作したSTUDIO4℃の、流行りに流されないセンスが炸裂です。
ここまで理解できただろうか? 自分でもまったくうまいことが言えた気がしない。とはいえ、まったくトンチンカンなことを言っているわけでもないと思う。
話の世界観を考えれば考えるだけ、真っ白な毛糸玉が絡まってしまい、水の中の泡をつかむような感じでしか表現ができなくなる。
このアニメーション(特に後半)は考えてはいけない。
考えてしまうと波に乗れなくなる。流れ星のように頭上を通過してしまうから、感じることに集中したほうがいい。
でないと、つまらなくなる。
主人公の両親の問題。
研究者たちは不思議な少年たちになにを期待し、なにを目的に調査していたのか。
水族館に勤務していた学者と長髪イケメンと老婆とのつながりってなんだろうか。そもそも長髪イケメンなにか謎ありそうなんだけど、長髪イケメン好みなんだけど。
そもそも、生物的には100%人間という少年たちの正体はなんだったのか。
など、振り返ると物語的にわからないことが多々あって、原作読まないと描かれていない部分もあるのかな、とも思えるのですが。
そんなことは映画を観終わってしばらくしてから思えることであって、上映中、つまり【命の世界に入り込んでいる時間】では、そんなことはどうでもいいか。になってしまう。
逆にそういう見方をしないと、このアニメーションにはついていけないだろう。
考えてはいけない、感じたほうが得だ。
星の数ほどのアニメ会社(エンドロール参)がつながりあってつくりあげたひとつの作品を全力で体感しないと勿体ないではないか。
アニメーション映画にしかできない映像美と迫力は、大画面で体感したほうがいいに決まっている。
命に感謝し、つながりに感謝し、ひとつの世界を作っている自分という存在にも感謝だ。
そんな淡い光みたいなものを本作から受け取れたらいいのかなとも思う。
ところで、本作でも本業声優ではなく、俳優さんを起用しているわけですが。
主人公の声をあてた芦田愛菜が想像以上に上手くて驚愕してしまいました。
昨日までマルマルモリモリなどと歌って踊っていたと思っていたのですが、それはもう「いつの話?」なのですね。
当時の子供役者は、自らの努力で有名私立中学に進学し、人間的にも成長していた。
主人公と同世代だから入り込みやすかったのだろうとは思いますが、特に前半部分の青春群像劇的パートのやさぐれ具合は絶妙です。
先生(CV 渡辺徹)とのやりとりは必聴です。
これからは芦田愛菜さんと呼ばせていただきます。
そして鉄コン筋クリートにも出演していた蒼井優さん。今回はお母さん役で参加していますが、器用な人ですよね。鉄コンは10歳ほどの子供役だったのに、どちらも声優さん並みに使い分けてます。
たまたまなのか、本作公開とほぼ同時に結婚発表。なにか持っている人なのでしょうか。
声の出演に関しては、残念に思う人もいましたが、映画のスケールがすごすぎるので、そんなことはどうでもいいや、と思えます。ハイパー映画マジックです。
また言いますが、後半の【祭り】は深く考えないほうがいいです。感じてください。圧倒されたほうが元が取れます。
最後に、心に残った言葉。
【誰かに見つけて欲しいから光るんだ】
道端で拾う真っ黒な炭石を、自分の手で少しずつこすっていって。隕石のかけらみたいに光りはじめたら、誰かに見つけてもらえる。そう信じたいですね。
感想・ネタバレなし
2019年6月
アニメーション長編映画「海獣の子供」を鑑賞させていただきました。
スケールがでかすぎて上映前の予告、なにをやったか記憶が消し飛んでいます。
ではあらすじを、と言いたいところですが。それまでも消し飛んでいます。
それでもなんとか、かいつまんで言うと。ちょっとやさぐれている多感な中学生の女の子が、夏休みに不思議な兄弟と出会い、命のつながりとか人と人のつながりの意味を知る。
映画見てあらすじが消し飛ぶ……わけがわかりません。しかしながら壮大な生命の誕生は伝わっているのです。
【祭り】と呼ばれる現象が始まる後半戦。アニメーションの表現力の強さと可能性に、観ているほうは宇宙にいるのか海の中にいるのかわからなくなり、人がひとりが存在していることの奇跡というものに感謝すらしてしまう。
宇宙にも海にも人間にも、無駄な関係やつながりなど存在しない。宇宙も海も大地もすべてひっくるめての【世界】がある。
命が生まれる瞬間の真ん中に放り込まれる少女。
こんな壮絶な体験をしては、日々の生活で舌打ちをしてしまうような出来事が、いかにちっちぇえ(小さい)ことであったかを認識せざるを得ない。主人公の少女はそれを知ってしまう。
ひと夏の経験で少女は成長しました。などというレベルではないことは明白で、序盤に主人公に起こる青春群像劇的深刻な出来事も、ラストには遠い目をしながら「あたしもちっぽけな人間だったわ」となる。
それは観ているこちらにも激しく同調できてしまい、たとえばSNSでこっちは正論言っているのに煽るようなリプされて、ついカッとなって正論でレスしたら火に油。相手も、相手なりの正論で言い返してきて、それが火種になって他の人が絡んできて炎上していく、ような出来事が糞がつくほどちっぽけなことに思えてしまう。
自分はいったい、なにを悩んでいたんだろう。
そう感じ取ったタイミングで、この映画のために書き下ろされた米津玄師の「海の幽霊」が流れる。
絶妙すぎるわけです。
制作したSTUDIO4℃の、流行りに流されないセンスが炸裂です。
ここまで理解できただろうか? 自分でもまったくうまいことが言えた気がしない。とはいえ、まったくトンチンカンなことを言っているわけでもないと思う。
話の世界観を考えれば考えるだけ、真っ白な毛糸玉が絡まってしまい、水の中の泡をつかむような感じでしか表現ができなくなる。
このアニメーション(特に後半)は考えてはいけない。
考えてしまうと波に乗れなくなる。流れ星のように頭上を通過してしまうから、感じることに集中したほうがいい。
でないと、つまらなくなる。
主人公の両親の問題。
研究者たちは不思議な少年たちになにを期待し、なにを目的に調査していたのか。
水族館に勤務していた学者と長髪イケメンと老婆とのつながりってなんだろうか。そもそも長髪イケメンなにか謎ありそうなんだけど、長髪イケメン好みなんだけど。
そもそも、生物的には100%人間という少年たちの正体はなんだったのか。
など、振り返ると物語的にわからないことが多々あって、原作読まないと描かれていない部分もあるのかな、とも思えるのですが。
そんなことは映画を観終わってしばらくしてから思えることであって、上映中、つまり【命の世界に入り込んでいる時間】では、そんなことはどうでもいいか。になってしまう。
逆にそういう見方をしないと、このアニメーションにはついていけないだろう。
考えてはいけない、感じたほうが得だ。
星の数ほどのアニメ会社(エンドロール参)がつながりあってつくりあげたひとつの作品を全力で体感しないと勿体ないではないか。
アニメーション映画にしかできない映像美と迫力は、大画面で体感したほうがいいに決まっている。
命に感謝し、つながりに感謝し、ひとつの世界を作っている自分という存在にも感謝だ。
そんな淡い光みたいなものを本作から受け取れたらいいのかなとも思う。
ところで、本作でも本業声優ではなく、俳優さんを起用しているわけですが。
主人公の声をあてた芦田愛菜が想像以上に上手くて驚愕してしまいました。
昨日までマルマルモリモリなどと歌って踊っていたと思っていたのですが、それはもう「いつの話?」なのですね。
当時の子供役者は、自らの努力で有名私立中学に進学し、人間的にも成長していた。
主人公と同世代だから入り込みやすかったのだろうとは思いますが、特に前半部分の青春群像劇的パートのやさぐれ具合は絶妙です。
先生(CV 渡辺徹)とのやりとりは必聴です。
これからは芦田愛菜さんと呼ばせていただきます。
そして鉄コン筋クリートにも出演していた蒼井優さん。今回はお母さん役で参加していますが、器用な人ですよね。鉄コンは10歳ほどの子供役だったのに、どちらも声優さん並みに使い分けてます。
たまたまなのか、本作公開とほぼ同時に結婚発表。なにか持っている人なのでしょうか。
声の出演に関しては、残念に思う人もいましたが、映画のスケールがすごすぎるので、そんなことはどうでもいいや、と思えます。ハイパー映画マジックです。
また言いますが、後半の【祭り】は深く考えないほうがいいです。感じてください。圧倒されたほうが元が取れます。
最後に、心に残った言葉。
【誰かに見つけて欲しいから光るんだ】
道端で拾う真っ黒な炭石を、自分の手で少しずつこすっていって。隕石のかけらみたいに光りはじめたら、誰かに見つけてもらえる。そう信じたいですね。