映画:JOKER(ネタバレなし)

文字数 2,863文字

 2019年10月、映画「JOKER」を鑑賞させていただきました。

 架空の都市ゴッサムの平和を守るバットマンの敵役として登場する【ジョーカー】という人物にスポットを当てた物語。
 なぜ彼は悪に染まったのか。どのようにしてバットマンの宿敵ジョーカーは誕生したのか。その経緯と、悪とはなにかを教えてくれる物語です。
 のちに悪を許さない男となってジョーカーと対峙するバットマン、になる前の少年も登場します。

 主人公アーサーは、元々精神疾患を抱えており、そのために生きづらさと闘っています。病弱な母親を支えながら生活している、悪の化身ジョーカーになってしまう男です。

 バットマンもジョーカーも超人ではありません。最初は正義も悪もない普通の人間としてそれぞれの暮らしを送っていました。
 裕福な家庭に生まれ、親の愛情を受けて育っているバットマンになる前の少年。
 貧しい家庭に生まれ、愛情を知らずに育ってしまったジョーカーになる前のアーサー。
 正義と悪が同時に誕生する物語は、だれにでも、どちらにも転べる可能性を示していると思えます。

 バットマン少年は裕福な家に生まれたから正義の心が生まれた? いや、それは違うだろう。悪を許すことができない心が生まれるのはそう簡単なことではない。
 アーサー青年は貧しい生活をしているから悪の心が生まれた? いや、それも違うだろう。それが違うのは映画を観て、各個人が衝撃を受けて欲しい。これはアーサー青年の物語だから。

 そもそも、ゴッサムシティーが悪い。
 こんな街には住民票を置きたくないと思えるほどの荒れようだ。裕福層に優しく、貧困層に冷たい街。
 それに合わせるかのような映像の暗さ、音楽の重さ。覇気のないキャラクターたち。浮かれているのは上から目線の金持ちとピエロだけ。街自体の病的さが画面いっぱいに迫ってくる。
 映画だから、わかりやすく街のひどさを誇張しているが、こんな病的な街、おかしな国家。どこかで見たことあるんじゃなかろうか。ひょっとして、いま住んでる?
 貧富の差が激しく、弱者に徹底的に冷えた視線がむけられ、拳が振り下ろされる街。同じ弱者のなかでも精神的弱者のアーサーにはさまざまな理不尽がふりかかる。
 アーサーもすでにおかしくなっている精神を抱えながら、それでも必死にこらえていた。我慢していた。母親のためにいい子でいなくてはという気持ちもあった。
 そんなアーサーは悪なのか? 生まれた時からえげつない笑い方をする悪人だったのか? 違うなら、だれがジョーカーを作った? どうして彼は悪になった?

 徐々にボロボロはがれていくいい子の仮面。かわりにかぶせられるピエロの化粧。

 花粉症には限界の器があって、器の容量を超えるとアレルギーを発症する。それと同じような原理で、アーサーの理性の器から、狂気がこぼれ落ちる。
 我慢することはなかったのだ。なんで自分だけがいい子でいなくてはならなかったのか。我慢することになんの美学があったのか。

 アーサーに襲いかかるたくさんの敵意と裏切りと侮辱と嘘。それに耐えられなくなった瞬間。人間性ははじけて、見たことも考えたこともない違った自分が生まれてしまった。悪い方向に。

 こうして悪の心は芽生えるのか。それが同じように我慢を強いられてきた民衆に飛び散って暴動が起こる。
 ジョーカー、あれよと言う間にフォロワー10万人越え状態(個人の想像です)。ジョーカーに乗っかる支持者は暴徒と化す。

 精神疾患があるとはいえ、ただの人間である一人の男が群衆に【悪の教祖】のように祭り上げられる。集団心理を掻き立てるものをカリスマというわけで、その瞬間ジョーカーというゴッサムシティーの悲しい怪人は誕生するのだ。

 だれが生んだ、悪のジョーカーを。

 主演のホアキン・フェニックスという俳優さんですが。ただの男が怪人になっていく工程には最初から最後まで瞬きを許さない迫力がありました。
 突然笑い出す場面がたくさん出てくるのですが、すべての場面で同じ意味の笑いはありません。本気で面白いと思って笑う、病気で自分の意思とは関係なく笑ってしまう、悲しくて笑ってしまう、意図して悪意で笑いあげる。
 アーサーが笑い出すたびヒヤッとする。彼の感情は笑いに込められていて、観ているこっちに投げつけられる。それがドッヂボールの威力で胸に当たっていつまでも痛いのだ。
 さらに裸の場面が多い本作。おむつのような下着に浮き出るあばらが見ていて痛かった。あそこまでガリガリにやせるの大変だったろう。病的肉体をさらけだしています。

 余談かもしれないが、ワーナーに対して思ったことがあります。
 ヒーローものではワーナーは有名どころはバットマンとスーパーマンしか持っておらず、バットマンvsスーパーマンという映画を上映したが、どうしてもライバル会社のヒーロー団体戦には勝てなかったと思う。
 それなら、どうすれば徒党を組んで地球を救うヒーロー団体に勝つことができるのか。違いを見せつけることができるのか。
 そういう考えだったとしたら、悪役にスポットを当てた本作は大成功だった。これはバットマンのスピンオフだからできた偉業。やった者勝ち。ワーナー大成功ですね。

 観客は人間ジョーカーの生き様に自分の弱いところを重ねてしまい、闇の心を震わせてしまう。
 ヒーローは、ただかっこよければいいってものではない。そんなことを思わせる作品でした。

 ただ、欲をいうならアーサーの子供時代の映像が欲しかったです。三つ子の魂百までということわざがあります。精神をおかしくした元がそこにあったはずです。
 それを見ることができなかったので、アーサーに対して、精神の壁が崩壊することの怖さはわかりましたが、悲劇を感じ取ることが出来ませんでした。
 アーサーは子供時代にも辛い目にあっていたはずです。無力な子供はなすすべなく暴力や理不尽に流されていたことでしょう。
 どうすれば幼いアーサーを救うことができたのか。どうすれば危険な思想を持ってしまうジョーカーの種を育てずにすむのか。それを現代社会に照らし合わせて考えたかったです。

 そして。のちにバットマンになる少年にはたくましく育っていただいて、ゴッサムシティーを陽のさす、差別のない、人々の笑顔がたえないまともな街にしていただきたいと切望してしまいます(先がわかっていても言いたくなる)。
 なので、この先、彼には有り余る遺産で真っ黒な強化スーツを作り、空も飛ぶ改造車をバンバン作って、悪の権化と言われるジョーカーを問答無用でコテンパンにして親の仇をとっていただきたい。正義の名の下に。
 双方の事情を知ってしまうと、たいへん胸が痛みますけれど……。

 本作を観てしまうと、バットマンもジョーカーもゴッサムシティーの犠牲者で、二人が闘う理由はなんだろうとも考えてしまうのです。
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