第24話 あっち/こっち

文字数 1,261文字

「結局、生きるということは、どういうことなのかね」
「どうということもないね。ただ生きて、死んでの繰り返しの一貫を、ただこの身がするに過ぎない。『私』などというものは、『私』があると思っているだけで、あったところで、どうなるわけでもない。地位や名誉、富や宝石を手にしたところで、何も変わりはしないよ」
「変わるだろうよ、生活が」

「変わったところで、それは形態・仕様といった、小手先のかたちが変わるだけのことだよ。そんなものはしょっちゅう変わる。変わるということには、何も変わらないよ。生活が、生きるということだとしたら、それが生きるということになるだろう。だから、どうということもないんだよ」
「変わらないものは、ないということか」
「そう。お前さんが『自分』だとしている『自分』も変わる。自分らしく生きよう、なんて幻想はすてて、変わるがままになるがいい」

「永遠というものは、ない?」
「生きて死ぬ。それが万物の繰り返しで、その繰り返しが永遠だよ。100年そこらしか生きれない人間に、永遠なんて口にするほどのものはないね。この世が生まれ、この世が滅する、個人としてのそれでなく、その繰り返しを何億年か掛けて最後まで見続けるものが、永遠を観じることができるだろう。最後があればの話だが」
「ソクラテスやブッダ、荘子は、人間だったけれど、かなり永遠的だね。まるで今でも生きてるみたいに」

「あっちの世界に、彼らは生きた人だった。紀元前には、そういう人間がけっこういたね。歴史の薄っぺらな紙だけの人間ではなかった。そういう要素をもった人間は現代にもいるけれど、およそ企業の求めない人材だね。善だとか徳だとか、そこに重きをおいたら、なかなか融通がきかないことになる。この世では必要のない人間と見なされる」
「人を殺すのが善だった戦国時代。殺すのが悪になった現代、ってか」

「ところで、徳というのは、前記の3人がよく尊んでいたものだった。荘子によると、徳(はたらき)という。これは、はたらくということだ。労働の意味ではないよ。周囲のものたちと、和合するという意味で、かたくなな自分であってはならないということだ。
 自分の中で、この自分に対するあらゆるものと、自分とを、和合するよう、自分をはたらかせる、ということだ。ソクラテスはそれを対話の中で、相手と自分との間から真実を見つけだそうとした。真実つまり永遠を…。

 ブッダは、真理という云い方をした。荘子は、道という言葉であらわした。まことのことわり、道理、すべてはあるがままで、それでいて微妙に、霊妙に依存しあって存在していると彼らは云う。古代の思想家たちは、まさに頭からではなく全身で、あっちの世界を体験したんだ。だから彼らは、ほんとうだった。
 われわれも、そういう世界があることを知っている。ただ、知っているに過ぎない。悲しいことだ。もう知識でなく、それを自分の体験とすることだ。これ以上、風船みたいに頭でっかちになりたくないからね。それでもう、ぼくは何も思わず考えず、生きようとしているんだよ」
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