第39話 「対話の精神」

文字数 1,517文字

 椎名麟三に、駆け込む。

「私は、今、芝居を書こうとして書きあぐねている。ということは、自分の才能のなさに絶望し、こんな仕事を引き受けた自分に絶望し、そして絶望していながら大して絶望していないらしい自分にさらに絶望している真っ最中なのである。

 しかもそれが私の毎度飽きもせずにくり返している状態なのである。今度も明石の夜の海浜を歩きながら、遂に、たすけてくれ! と海に向かって叫んだ。しかし海は、ざわざわいっているきりで、私の言葉にこたえてくれなかったのである。私は、実に残念な気がした。対話不能だったからだ。

 そのとき、バカヤロウでもいい、海の波が私に一言でもこたえてくれたとしたら、私は、涙を流しながら、どんなにその海に愛を感じたかもしれないに違いないのだ。

 私は、全く沈黙のなかに暮らしているようなものである。世界中の誰とも、ホントの対話をもったことがない。何十年と一緒に暮らしている妻はもちろん、生まれたその瞬間から一緒に暮らしてきた私自身との間にさえ、一度もホントの話をしたことがない気がするのである。

 そこには世界と私との間に、そしてさらには私自身と私の間に、超えることのできない断絶がある気がするのだ。
 私の、誰かと話ができたことは、天気のことや女優のスキャンダル、政治の動き、せいぜい高尚なところで、宇宙や人類の一億年先の話など、本人とは一向に関係のないことにすぎない。

 私は、海辺を歩きながら、ほんとに自分はまだ誰ともホントの話をしたことがないと考えざるを得なかった。
 そのとき孤独が私の心をしめていたのだ。その孤独に、世界に対する、また私自身に対する裏切りを感じていた。またそしてそのことに、罪を感じてもいた。

『 石が叫ぶ 』ということが、芸術の本質だとする私の考えは、まだ変わっていない。しかし、石が叫び始めたら、少なくとも石が口を利き始めたら、そのときはこの世の終わりだろうということも、はっきり理解される。
 夜、寝床のなかでふと目を覚まして、部屋の壁を見た時、その壁がブツブツ何かをあなたに語りかけていたら、どうだろう。
 あなたは恐怖のために気絶するだろうか? それとも歓喜のあまり、発狂するだろうか?
 いずれにしても、壁があなたに話しかけたとしても、きっと、今度は壁の方が、あなたのために対話不能の状態に陥って、その悲しみを味わうに違いないことだけは、確かである。」

「私たちは、おたがいに話しあっていながらも、石や壁などの、モノを相手に話をしている気がするときが、どんなに多いか、考えてもわかるのである。
 私たちは、おたがいに、相手に対して一方的にしか話をしていない。私のような人間にいたっては、いつもそうなのである。そして対話が不能であるということは、『モノ』が私たちに対してそうであるように、一方が他方に対して絶対者になっているということが多いようなのである。
 あの戦前の天皇に対しては、私たちは全く対話不能とされていたようにだ。

 とにかくモノでなく、人間と人間の間においては、対話が回復されるということは、愛が回復されるということかもしれない。
 対話ができるということは、どちらも『モノ』でなくなるということであり、だからお互いに人間として認め合うということであるからだろう。
 だが、根本的には、対話不能であるということを、私は自分の運命として、また同時に人間の運命として感じるのである。

 私たち人間にできる対話というものは、どんなに高遠そうに見えても、その本質は私が自分の妻とやっているように、電気代はどうしたかということや、ナントカさんは昨日すべって転んだとかいうようなものにすぎないものらしい。」
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