第27話◇確率

文字数 4,319文字


「おはよう、ウキネ」
「おはよう、シズネ、……ひどい顔色だな」
「う……、二日酔い」

 朝食の席につく、けど、食欲は無い。歩く振動だけでも、後頭部がガンガンと痛む。

「ボゥイ、今朝はヨーグルトとジュースでいい」

「酒か、アルコールはまだ残っているのか?」
「分解薬は飲んだけれど、頭痛い、まだ吐き気がする」
「今日は朝食のあとは、どうする?」

 ここのところは、朝食後に訓練をしてた。ウキネに監督してもらって。でも今日は、

「今日は私、使い物にならないみたい」

 いつものお粥を食べながら、ウキネが聞いてくる。

「なにかあったか? それとも、単に酒を試してみただけか?」
「お酒で憂さ晴らしになるかな、と。ダメだったけどね。頭が痛くなって、気持ち悪くなっただけだった」
「私も酒は体質に合わん。頭が鈍くなるだけだ」
「私もそうみたい、ぜんぜん気持ちよくならないよ」
「アルコールを含め、麻薬は使うときの環境や気分で変わる。バッドトリップもある」

「ドラッグって、どこの国でも人気あったんだね。お酒は、簡単に手っ取り早く幸せな気分になれると思ってたのに」
「そういう人もいる。ある程度、気分が高揚しているときに使えば、それを増幅させる。逆に気落ちしてるときだと、逆効果になる。悪い酒、という言葉もある。どうも、戦闘適性が高いと、感覚を鈍らせるものは身体が受け付けない傾向があるな」

「じゃあ、どうすれば、簡単に気分が晴れるのかな?」
「問題の根本が、解決すること。または、納得すること、だろうか」
「それが無理なときは?」
「さてな。私はどうにもならないことで、悩むことはあまりないから、わからん。大抵のことは、殺すか死ぬかで解決するから」

「ウキネがうらやましい。どうすれば、そんなふうに考えられるのか」
「どうなんだろうな。私は、感情を理解はできるが、強く実感したことがない。嬉しいとか楽しいといった、脳内にエンドルフィンが分泌する量が少ないのか、レセプターの反応が悪いのか。ゆえに、感情をコミュニケーションの道具として使う人類社会では、異物になる。私はこの環境には適応しているが、平成日本では生きられない。逆に、シズネはこの環境では苦労しているだろうが、平成日本では、適応して生きているのだろう」

「そうでもないよ。過去シミュレーターの私の遺伝子標テスト体が、自殺しちゃったから」
「それが、やけ酒の原因か」
「もう、これで過去シミュレーターは見れないんだよね?」
「基本的には、自分の遺伝子標テスト体の記憶しか見れないからな」

「ウキネは自分のテスト体を見たりしないの?」
「見てもつまらん。毎回、似たような結末だから」
「そう? ウキネのテスト体は、恋人もいて、大学に通ってるよ。あっちのウキネもうらやましい」
「なに?」

 ウキネはお粥を掬う手を止めて、眉を寄せている。そうか、過去シミュレーターを見てないから知らないんだ。

「ウキネのテスト体、木下優希は、同性だけど、恋人といっしょに大学生になってたよ」
「……そんなはずは無い」
「本当だよ。見ればわかる」
「そうだな。シズネ、ついてこい」

 ウキネは、お粥を食べ終えて立ち上がった。

 情報室。ウキネは過去シミュレーターと連結する椅子は使わずに、立ったまま、

「現行の過去シミュレーター内の、私の遺伝子標テスト体を画面に出せ」
『遺伝子標テスト体は、同遺伝子標の人物しか見ることはできません』

 ウキネは私をチラリと見て、

「私の権限で、私の遺伝子標テスト体の閲覧権限をシズネに与える。これでいいだろう。確認したいことがあるだけだ。シミュレーターと連結はしない。現状を画面に映せ」

 画面に映像が映る。大学受験のときに行った、平成日本のあの大学。そのキャンパスを歩いている2人がいる。木下優希と高瀬翔子。仲良く腕を組んで歩いている。
 高瀬翔子が笑顔で木下優希に語りかけ、木下優希がそれにぶっきらぼうに応えている。

「ほら、ね」

 そう言ってウキネを見ると、ウキネは、口を半開きにして、固まっていた。驚いてる?

「……ショウノ?」

 ウキネがぽつりと呟いた。ショウノ。高瀬翔子の同遺伝子体のことだろうか。ウキネはテスト体、高瀬翔子のもとになった人を知っている?

「電脳、なぜ私の遺伝子標テスト体が生きている。説明しろ」
『不明です』
「隣にいる女は誰だ?」
『個人情報はお答えできません。シミュレーターに連結して、遺伝子標テスト体の記憶から参照することを、おすすめします』

「おかしなことも、あるものだ」
「なにか、おかしなことでもあるの?」
「私の遺伝子標テスト体は、人類社会の中では20歳になる前に自殺する。これまで、20歳を越えて生きていたことは、1度も無い」
「そうなの? 1度も?」
「あぁ、誰かを殺してから自殺。逮捕されて、少年院の中で自殺。だいたいはこのふたつだ。いったい、なにがあったのか」

「この、高瀬翔子みたいな恋人はいなかったの? 他の過去シミュレーターのテスト体には」
「いるわけが無いだろう。それに、恋人だと? 同性でか?」
「えーと、高瀬翔子が、自称『木下優希の恋人』って、噂を聞いたことがある」

 画面に映るふたりは、そのまま他の女子のグループ5人と仲良く話している。その間もふたりは離れない。高瀬翔子が、木下優希にくっついているように見える。

「信じられんな。時代を変え、何度もテスト体の実験は行われてきたが、私の遺伝子標が20歳を越えて、平和な社会に適応しているのを見るのは、初めてだ」

 ふたりでぼんやりと、画面を見る。大学の中、木下優希は高瀬翔子と並んで勉強している。このふたりは大学でなにを学んでいるのだろうか。楠静香が行けなかった大学。
 画面の中に弓子がいないか探してみたけど、見つからなかった。

「どうやら、隣の女があの世界の私のマネージャー、といったところか。社会不適応遺伝子の面倒を見るとは、物好きなことだ。……幾度となく試せば、1度くらいは記録を更新するか」

「そういうものなの? でもこれでウキネの遺伝子評価が変わるんじゃない?」
「たった1度のことなら、ただの例外だ」

 1度のことなら、例外。それなら、

「電脳、わたし、シズネの遺伝子標の累計自殺回数って何回なの? あぁ、ウキネに教えてもかまわないから」
『シズネ様の遺伝子標テスト体、過去の記録を参照。累計の自殺回数は1回です」
「私の自殺も、ウキネと同じくらい、珍しいことだったみたいね」

「ただの確率か。シズネ、無限匹の猿という話を聞いたことがあるか?」
「知らない。猿が無限に沸いて出てくるの?」
「思考実験というか、確率の説明なんだが。無限匹の猿に無限個のタイプライターを与える。猿はでたらめにタイプライターを打ち込むのだが、その中の1匹は、無限分の1の確率で、聖書を一字一句間違えずに書き上げる、という。可能性としては、限り無くゼロに近いことでも、確率としてゼロになることは無い」

 それは、気の遠くなるような話だ。それでも、過去シミュレーターも無限回繰り返せば、無限分の1の確率で、なんでもありになるのだろうか。
 私の遺伝子標テスト体が、アイドルになったりとか、総理大臣になったりとか、芸術家になったりとか、カルトの教祖になったりとか。
 そうなると、過去シミュレーターで自殺するという体験は、私にとってはかなり珍しいことらしい。
 よりによって、マイナスの方の。

 ウキネにとっては、どうなんだろうか。300年生きて、初めて見るという、人類社会で成人まで生き延びている遺伝子標テスト体は。
 木下優希という、個人については。

 ウキネの顔を見ると、口の端が少し、ほんの少し上にあがっているような。画面の中の木下優希を見る顔が、ちょっと優しい顔をしているように見える。

「ウキネ、笑ってる?」
「ん?」

 ウキネは片手で、ウキネ自身の頬を触る。

「私は、わらっていたか?」
「気のせいかな、笑ってるように見えたんだけど」

 笑顔というよりは、ほんの少し微笑んでいるようにも、見えたんだけど。

「300年生きれば、珍しいものを見ることもある、ということか。シズネはこの過去シミュレーターに、まだ興味はあるか?」

 私が、いや、楠静香が飛び降り自殺したあとの平成日本。

「たまに見る分には、暇潰しにいいんじゃない?」
「そうか。ならば、シズネに私の遺伝子標テスト体の閲覧許可を出しておこう。好きにしていいぞ」
「いいの?」

 それは、ウキネの同遺伝子個体のプライベート覗き放題ということ。食事もお風呂も、トイレもエッチなことも。

「別にかまわん。シズネのテスト体が居なくなったのだから、シズネが過去シミュレーターを見るのなら、私のテスト体を使うしか無いだろう」

「ほんとにいいの? ウキネの知られたく無いようなこと、見られたくないことまで、見ちゃうことになるけれど」
「見られるのは私ではなく、私のテスト体だ。それがシズネの気晴らしの役に立つなら、好きにしろ」

 そういうものだろうか。私だったら、お風呂とかトイレとか、人にじろじろ見られるのは嫌だけれど。それとも、ウキネが私を気遣ってくれているのだろうか。そんなに酷い顔色になってたんだろうか。
 上官として、下士官の面倒をみてるだけなのかも知れないけれど。

「あの、ありがとう。ウキネ」
「気にするな。礼なら、また菓子でも作ってくれ」

 そう言って、ウキネは情報室を出て行った。ウキネ、いや、木下優希の大学生活に興味はある、だけど、今は頭が痛い。
 今日は部屋でおとなしくしていよう。体調が戻ったら、木下優希の記憶を覗いてみようかな。その前にお菓子の新しいレシピでも探そうか。

 なんだ、ここでも楽しそうなことってあるんじゃないか。もしかしたら、この世界こそが、私が適応できる世界なのかもしれない。
 ビルから飛び降りたときの風景を思い出す。そのときの感情、無力感、絶望、疲労感。
 考えてることにも悩むことにも疲れて、枯れた。生き続けることから、何も無い死に逃げた。あの気分を思い出せば、今の私は、あのとき死んだ私が生まれ変わったようなもの、だろうか。

 生まれる時代を間違えた。シミュレーターの過去世界での遺伝子標テストだから、仕方のないことなのか。

 さようなら、楠静香。
 

 
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登場人物紹介

シズネ。和国軍人として徴兵された少女。和国再生施設の防衛用人型兵器のパイロット。平成時代の日本人、高校二年生、楠静香。特技、お菓子作り。趣味、映画鑑賞。

ウキネ。和国軍人、乙一級。和国再生施設、軍司令。クローン再生を繰り返し三百年、軍人として務め続ける。シズネの上官。

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