第22話◇大学受験
文字数 3,260文字
貼り出された数字の一覧を見る。手元の数字の書かれた紙を見て、確認して、また正面の数字を見る。
何度も見返しても、私の数字は、そこには無い。
回りの人々は歓声を上げたり、跳び跳ねたりする人もいる。私は、そのなかでひとり立っている。
模試の成績も良かった。落ちるはずは無かった。試験の日に緊張していたけれど、それが影響していたのか。
見落としていただけかもしれないと、何度も何度も、手元の紙の数字と、貼り出された合格者の数字を見比べる。
私の数字は無い。回りの喧騒が、遠いところから聞こえてくるようだ。まるで私ひとりが、暗い穴に落ちてしまったようだ。
帰ろうと振り向いたら、視界に見覚えのある人物がいた。
木下優希と高瀬翔子。
まるで、恋人同士のように腕を組んでいる。無表情な木下優希に笑顔で微笑む高瀬翔子。高瀬翔子がなにか木下優希に話しかけている。なんて話しているか、遠くてわからない。今の私には、回りの音が、ちゃんと聞き取れない。うわんうわんと響いて、人の声の意味がわからない。
あのふたりは、この大学に合格したようだ。
そのあと、自宅の私の部屋のベッドで、うつ伏せに寝た。寝ていた。
どうやって、家に帰ったか覚えていない。
父さんと母さんに、なんて話せばいいのだろう。
携帯には弓子からメールが届いていた。弓子も同じ大学を受けて、弓子は合格したことが、そのメールで解った。
いっしょに合格発表を見に行かなくて良かった。弓子によけいな心配や気遣いをさせなくて、すんだ。惨めな私を見せなくて良かった。
メールの返事をしようとして、やめた。なんて文章を書いて送ればいいのか、わからなくなった。
合格する人がいれば、不合格になる人もいる。これまでの成績から見ても、合格するだろうと思ってたから、落ちたときにどうするかは、あまり考えていなかった。
私達のいたクラスは、集団でイジメをしていた、ということになっていたから内申の評価が悪い可能性もある。
同じクラスの人達は、どうなんだろうか。
これからどうしようか。4月からどうしようか。
これから就職活動を始めようか、それとも、父さんと母さんに頼んで、また来年、大学受験をさせてもらおうか。
だめだ。今は何を考えても、現実感がない。身体が重くて、頭がぼんやりする。
4月から弓子は、あの大学の大学生だ。
どうやら、あの木下優希と高瀬翔子もあの大学に通うのだろう。
木下優希と高瀬翔子は、あの高校では有名だった。イジメに耐えかねて、暴力に訴えた木下優希。その暴力がやり過ぎにならないように、身体をはって止めた高瀬翔子。
高校2年の夏休みが終わってからの、ふたりのクラス移動。あとで噂から聞いた話では、そのクラスでは、木下優希と高瀬翔子は同情的に迎えられたらしい。高瀬翔子は、もともとイジメてる女子グループの中にいたけど、その女子グループをやめさせようとして、夏休み前の騒動に発展した、ということだ。
口数が少なく、相手を敵と認めたら容赦無く暴力に出る木下優希。彼女は高瀬翔子を含めた同級生に絡んできた大人を、木下優希がひとりで返り討ちにした事件があってからは、怒らせると恐いけど、頼りになる人、という評価になっていた。
高瀬翔子は自分から木下優希の恋人を自称し始めた。ほかの同級生と、冷血雪女の間に立っていることが多くなった。
それは、特殊な種族間の交渉役なのか。例えるなら、宇宙人と地球人の間を取り持つ通訳のようなもので、高瀬翔子が居れば、木下優希は他の同級生とも問題を起こさず、卒業できたようだ。
サーカスの猛獣使い。肉食の恐ろしい熊や虎やライオン、これを調教して芸をさせる猛獣使い。私は木下優希を猛獣のように怖がっていたけれど、あの高瀬翔子はひとつの事件から、木下優希をおとなしくできる、そんな猛獣使いのようになってしまったようだ。
あのふたりも4月から大学生か。
私はどうしようか。私はどうすればいいのだろうか。家にいるけど、父さんと母さんに顔を会わせたくない。会わせる顔が無い。
ポツリと呟く、
「死んじゃおうかな」
それも悪くないような気がする。
--------------------
「接続解除」
楠静香は大学受験に落ちた。ひとつの受験に落ちたくらいで、自殺を考え始めた。
私は卵巣が無くなってからは、その苦痛も無くなったけれど、楠静香は受験当日に生理だった。テストの最中も頭痛があった。これでいつもより集中力が無かった。
当日に頭痛薬でも飲んでおけば、少しはましだったかもしれないけれど。
今の私から見れば、1年勉強してまた受験すればいいと思うだけで、そこまで悩むことでも無いことなんじゃないかな。
同じ遺伝子で元の記憶は同じでも、その後の体験、経験の違いで今の私と平成日本の楠静香とは、もう考えかたが違うみたいだ。
これで楠静香が自殺でもしたなら、私の遺伝子標の評価が下がる。
地上の再地球化が上手くいって、和国が再生しても、そこでクローン再生される遺伝子標は社会適応性が高く、道徳的な遺伝子標が優先される。自殺回数のある遺伝子標は評価が低くなるから、楠静香が自殺すると、私が未来で生まれなおす可能性も、低くなる。
生まれなおす、か。私は未来に生まれなおして、人生をやりなおしたいのだろうか。
この先の楠静香がどう生きるかわからないけれど、キャンパスライフは1年先になるのかな。少しは期待してたんだけど。
夕食時、ウキネに聞いてみた。生まれかわったら何になりたい?
ウキネは肉の香草焼きをかじりながら、考える。
「生まれかわりたい、というのは現状に不満がある、ということだ。それも本人では現状をどうしようも無いから、違う世界に生まれかわって幸せになりたい、とか、好き勝手自由に生きてみたい、という願望だ。システムの硬直化した時代、個人の努力でシステムを変えられない時代では、生まれかわりたいという願望をテーマにした映像作品や物語が流行したこともある」
「そこまで深くはないんだけどね。平成日本の自分の遺伝子標のテスト体とか見てたら、ね」
「自分の遺伝子が、どの時代、どの社会に産まれると、どのように生きるかは、過去世界のシミュレーターにデータは蓄積されているぞ」
「ウキネは、さ。生まれかわれるなら、どんな時代のどんな世界がいいの?」
「敵がいれば、それでいい」
「敵?」
「私の遺伝子は、敵がいれば敵を殺して生きる。殺せる敵がいなければ、同族を殺して自殺する。だから、敵を殺すことが、衣食住を得られる手段として、合法な社会であれば問題無く生きられる」
「殺伐としてるね」
「事実だから仕方がない。私の遺伝子はその方向に特化している。だから、今の環境は私が生きるうえでは都合がいい」
昔見たファンタジーの映画を思い出す。ウキネは、村とか街とかを守る剣士として活躍できる世界なら、英雄なんだろうなぁ。
「シズネは生まれかわりたいのか?」
私は、
私は、生まれかわれるのなら、友達と楽しく遊んで、家族と幸せに、そう考えてた。そう考えてるつもりだった。だけど、口から出た言葉は、
「ミミズがいいな」
「ミミズ、か」
「ミミズは、土だけ食べて生きていける。生きるのに誰も殺さなくていいし、誰かを殺して生きることもない。たぶん、死ぬのも怖くないんじゃないかな。自分が死ぬことも、消えて無くなってしまうことも、怖くないんじゃ、ないかなぁ」
変なことを、言ってしまった。食事中に、ミミズの話なんて、してしまった。
失敗したかなぁ。ウキネに気持ち悪いとか、思われないかな。
「シズネは、優しいんだな」
涙が、出そうになった。
「そう、かな」
声が震えないように、気をつけて答えた。
何度も見返しても、私の数字は、そこには無い。
回りの人々は歓声を上げたり、跳び跳ねたりする人もいる。私は、そのなかでひとり立っている。
模試の成績も良かった。落ちるはずは無かった。試験の日に緊張していたけれど、それが影響していたのか。
見落としていただけかもしれないと、何度も何度も、手元の紙の数字と、貼り出された合格者の数字を見比べる。
私の数字は無い。回りの喧騒が、遠いところから聞こえてくるようだ。まるで私ひとりが、暗い穴に落ちてしまったようだ。
帰ろうと振り向いたら、視界に見覚えのある人物がいた。
木下優希と高瀬翔子。
まるで、恋人同士のように腕を組んでいる。無表情な木下優希に笑顔で微笑む高瀬翔子。高瀬翔子がなにか木下優希に話しかけている。なんて話しているか、遠くてわからない。今の私には、回りの音が、ちゃんと聞き取れない。うわんうわんと響いて、人の声の意味がわからない。
あのふたりは、この大学に合格したようだ。
そのあと、自宅の私の部屋のベッドで、うつ伏せに寝た。寝ていた。
どうやって、家に帰ったか覚えていない。
父さんと母さんに、なんて話せばいいのだろう。
携帯には弓子からメールが届いていた。弓子も同じ大学を受けて、弓子は合格したことが、そのメールで解った。
いっしょに合格発表を見に行かなくて良かった。弓子によけいな心配や気遣いをさせなくて、すんだ。惨めな私を見せなくて良かった。
メールの返事をしようとして、やめた。なんて文章を書いて送ればいいのか、わからなくなった。
合格する人がいれば、不合格になる人もいる。これまでの成績から見ても、合格するだろうと思ってたから、落ちたときにどうするかは、あまり考えていなかった。
私達のいたクラスは、集団でイジメをしていた、ということになっていたから内申の評価が悪い可能性もある。
同じクラスの人達は、どうなんだろうか。
これからどうしようか。4月からどうしようか。
これから就職活動を始めようか、それとも、父さんと母さんに頼んで、また来年、大学受験をさせてもらおうか。
だめだ。今は何を考えても、現実感がない。身体が重くて、頭がぼんやりする。
4月から弓子は、あの大学の大学生だ。
どうやら、あの木下優希と高瀬翔子もあの大学に通うのだろう。
木下優希と高瀬翔子は、あの高校では有名だった。イジメに耐えかねて、暴力に訴えた木下優希。その暴力がやり過ぎにならないように、身体をはって止めた高瀬翔子。
高校2年の夏休みが終わってからの、ふたりのクラス移動。あとで噂から聞いた話では、そのクラスでは、木下優希と高瀬翔子は同情的に迎えられたらしい。高瀬翔子は、もともとイジメてる女子グループの中にいたけど、その女子グループをやめさせようとして、夏休み前の騒動に発展した、ということだ。
口数が少なく、相手を敵と認めたら容赦無く暴力に出る木下優希。彼女は高瀬翔子を含めた同級生に絡んできた大人を、木下優希がひとりで返り討ちにした事件があってからは、怒らせると恐いけど、頼りになる人、という評価になっていた。
高瀬翔子は自分から木下優希の恋人を自称し始めた。ほかの同級生と、冷血雪女の間に立っていることが多くなった。
それは、特殊な種族間の交渉役なのか。例えるなら、宇宙人と地球人の間を取り持つ通訳のようなもので、高瀬翔子が居れば、木下優希は他の同級生とも問題を起こさず、卒業できたようだ。
サーカスの猛獣使い。肉食の恐ろしい熊や虎やライオン、これを調教して芸をさせる猛獣使い。私は木下優希を猛獣のように怖がっていたけれど、あの高瀬翔子はひとつの事件から、木下優希をおとなしくできる、そんな猛獣使いのようになってしまったようだ。
あのふたりも4月から大学生か。
私はどうしようか。私はどうすればいいのだろうか。家にいるけど、父さんと母さんに顔を会わせたくない。会わせる顔が無い。
ポツリと呟く、
「死んじゃおうかな」
それも悪くないような気がする。
--------------------
「接続解除」
楠静香は大学受験に落ちた。ひとつの受験に落ちたくらいで、自殺を考え始めた。
私は卵巣が無くなってからは、その苦痛も無くなったけれど、楠静香は受験当日に生理だった。テストの最中も頭痛があった。これでいつもより集中力が無かった。
当日に頭痛薬でも飲んでおけば、少しはましだったかもしれないけれど。
今の私から見れば、1年勉強してまた受験すればいいと思うだけで、そこまで悩むことでも無いことなんじゃないかな。
同じ遺伝子で元の記憶は同じでも、その後の体験、経験の違いで今の私と平成日本の楠静香とは、もう考えかたが違うみたいだ。
これで楠静香が自殺でもしたなら、私の遺伝子標の評価が下がる。
地上の再地球化が上手くいって、和国が再生しても、そこでクローン再生される遺伝子標は社会適応性が高く、道徳的な遺伝子標が優先される。自殺回数のある遺伝子標は評価が低くなるから、楠静香が自殺すると、私が未来で生まれなおす可能性も、低くなる。
生まれなおす、か。私は未来に生まれなおして、人生をやりなおしたいのだろうか。
この先の楠静香がどう生きるかわからないけれど、キャンパスライフは1年先になるのかな。少しは期待してたんだけど。
夕食時、ウキネに聞いてみた。生まれかわったら何になりたい?
ウキネは肉の香草焼きをかじりながら、考える。
「生まれかわりたい、というのは現状に不満がある、ということだ。それも本人では現状をどうしようも無いから、違う世界に生まれかわって幸せになりたい、とか、好き勝手自由に生きてみたい、という願望だ。システムの硬直化した時代、個人の努力でシステムを変えられない時代では、生まれかわりたいという願望をテーマにした映像作品や物語が流行したこともある」
「そこまで深くはないんだけどね。平成日本の自分の遺伝子標のテスト体とか見てたら、ね」
「自分の遺伝子が、どの時代、どの社会に産まれると、どのように生きるかは、過去世界のシミュレーターにデータは蓄積されているぞ」
「ウキネは、さ。生まれかわれるなら、どんな時代のどんな世界がいいの?」
「敵がいれば、それでいい」
「敵?」
「私の遺伝子は、敵がいれば敵を殺して生きる。殺せる敵がいなければ、同族を殺して自殺する。だから、敵を殺すことが、衣食住を得られる手段として、合法な社会であれば問題無く生きられる」
「殺伐としてるね」
「事実だから仕方がない。私の遺伝子はその方向に特化している。だから、今の環境は私が生きるうえでは都合がいい」
昔見たファンタジーの映画を思い出す。ウキネは、村とか街とかを守る剣士として活躍できる世界なら、英雄なんだろうなぁ。
「シズネは生まれかわりたいのか?」
私は、
私は、生まれかわれるのなら、友達と楽しく遊んで、家族と幸せに、そう考えてた。そう考えてるつもりだった。だけど、口から出た言葉は、
「ミミズがいいな」
「ミミズ、か」
「ミミズは、土だけ食べて生きていける。生きるのに誰も殺さなくていいし、誰かを殺して生きることもない。たぶん、死ぬのも怖くないんじゃないかな。自分が死ぬことも、消えて無くなってしまうことも、怖くないんじゃ、ないかなぁ」
変なことを、言ってしまった。食事中に、ミミズの話なんて、してしまった。
失敗したかなぁ。ウキネに気持ち悪いとか、思われないかな。
「シズネは、優しいんだな」
涙が、出そうになった。
「そう、かな」
声が震えないように、気をつけて答えた。