第31話◇予感
文字数 4,362文字
施設の地上の休憩室。ウキネと星を見上げたこの部屋を展望室と、今は呼んでいる。
べつに外の風景を見るだけなら、壁に映像を映していればいいだけなんだけど。それでも、たまにここでひとりぼんやりと夜空を見上げたり、ウキネとふたりで私の作ったお菓子でお茶したり。
今回はシンプルなロールケーキで。焦げ茶色のチョコレートと、白色のクリームチーズ入りの2種類。
寝椅子に横になって天井を見ると、暗い灰色の雲で星は見えなかった。ここで星が見られる日は、稀だった。満天の星空は過去の映像記録にしか残っていない、過去の遺物でしかない。
あの灰色の雲のせいで航空機は役に立たない。ジェット機のエンジンを壊して、電子機器に異常を起こす。無線を妨害し人工衛星との通信も妨害する。
ヘリならかろうじて飛べるけれど、レーダーが使えないし視界も悪い。雲の下なら飛べるんだけどね。
鳥も蝶もいない灰色の風景。灰色に塗り替えられた空と大地。
まったく、滅ぶなら人間だけで消えたらいいのに。道連れにされた動物と植物と青い空がいい迷惑だ。
『その鼻に命の息の通う者、みな死ね』と、神様が言ったので、言ったとおりにやりました。そういうことなのかもしれないけれど。
「今日は星は見えないな」
あ、ウキネ来た。シロがいつものコーヒーセットとポットを持って来てる。
ウキネがコーヒー好きで、私もいつの間にかコーヒー好きになった。昔はお菓子には紅茶だったんだけど。
シロがボゥイにコーヒーセットを渡して、
「あとは、お願いします」
と、言ってどこかに行ってしまった。マネージャーはいつも私達にくっついているはずなのに、どうしたんだろ?
「ウキネ、シロはどこに行ったの?」
「施設の中を調べさせている」
「なにかあった?」
「食べながら話すか」
ボゥイがコーヒーを淹れるのを横目に見ながら、ロールケーキを切ろうとして、
「あ、ナイフ忘れた」
しまった、フォークは持ってきてたのに。仕方ないからフォークで切ってみようか。それとも、取りに行ってこようか。
「これを使うか」
ウキネが黒い革の細長い包みを手にしている。ボタンを外して中身をを引き抜いて見せてくれたのは、ナイフだった。
黒革のケースに入ったナイフなんて初めて見た。ウキネが右手に持つナイフは頑丈そうな握りで、刃の部分は厚みがある。包丁ぐらいの大きさで、絶対に果物ナイフやケーキナイフじゃない。分厚くて頑丈そうな、サバイバルナイフ、というものだろうか。
「なんでそんなもの持ってるの?」
ウキネはそのナイフで、ロールケーキを切りながら言う。
「最近、どうにも嫌な感じがして、な」
「嫌な感じ?」
「なんというか、ざわざわ、とする。よくないことの予感、又は予兆だ」
ロールケーキはきれいに切り分けられて、並べられる。ウキネはハンカチ? でナイフについたクリームを拭って、黒革のケースから出した茶色いチョークのようなもので、ナイフの刃を擦り始めた。
「嫌な予感って、なにがあるの?」
「さて、あるかどうか。的中率は半々というところだ。かつては、ナメクジが地雷を使ったとき、トカゲの罠で軍人がやられたとき、とち狂った軍人が私を殺そうとしたときも、こんな予感はあった。なにかありそうだ、と警戒して何もなかったこともある。念の為にシロに施設の内部を点検させている」
「じゃあ、半々の確率で、なにか嫌なことが起きるんだ」
「そういうことだ。気をつけてくれ」
「そう言われても、なにに気をつけていればいいのか、わかんないよ」
ウキネは茶色いチョーク、たぶん砥石でナイフを研ぎながら、
「私は預言者じゃないから、具体的になにがあるのかはわからん」
「はぁ、とりあえず、私も護身用になにか持ったほうがいいかな。スタンガンとか」
「シズネは、なるべくボゥイと離れないようにしておけばいいか。いざとなれば守ってもらえ。そのためのマネージャーでもある」
「施設の中にトカゲかナメクジが入り込んだりとか?」
「その可能性は低いが、無いとも言い切れん。奴等が自走戦車を乗っ取ろうとすることは度々あるが、今回は諦めるのが以前に比べて早いのが気にかかる。もしくは、いままでに無い兵器や戦術でも発見したか」
ナイフを研ぎ終えたウキネは左手でロールケーキをつまみながら、右手でナイフをくるくると回す。器用に順手、逆手、また順手、刃を上にしたり下にしたり。研いだばかりのナイフの刃がキラキラと光る。
「半々って言われても、ウキネが言うと怖いよ。本当になにかありそうで」
クローン再生しながらだから、見た目は10代。でも中身は300歳オーバー。それだけ長い人生経験を持つウキネの予感に身震いする。
「半分くらいは当たる。残りの半分は外れたか、警戒してるうちに、知らぬ間に危険を回避していたかは不明だ。危機感知は人間に限らずたいていの生物の持つ能力だぞ。珍しくは無い」
「私にはわからない。虫のしらせ、とかいうの? なにも無いよ」
「訓練する方法はある。武術的なもので。あとは、命の危機を感じる状況を自力で回避し続けることでも身につく。過去にはそれで絶望した武術家もいる」
「なんで絶望するの? 命の危機を回避できるようになるのに」
「危険予知を極め過ぎて未来予知になったんだ。それで2000年先の未来を見てしまって人間という生き物に絶望した、という話だ。たしか、肥田式強健術の創始者だ」
「そんな人がいるんだ」
未来を見て絶望、か。人類の文明の終着点、この灰色の世界を見てしまったのなら、その人の未来予知は当たっている。私は絶望というよりは、呆れてしまったけれど。
「そこまで極める者は稀だろうが、本来なら人の持つ才能の1種だ。安全を優先する文明の中で失われた能力のひとつだ」
「安全を求めて、文明の果てに誰もいなくなるんだ」
「命を大事にするのは正しいが、ただ危険から遠ざけた結果、個人として命の危機に鈍くなり、種族として種の存亡にも鈍くなった。安全に守られたからこそ、なにが危険かが感じとれなくなった。命を守って、人権を守って、人の命は地球より重いと考えた結果だ。『地獄への道は善意で舗装されている』ということだ」
あぁ、なんとなく解ったかも。リストカットとか自傷行為が流行したのも、半端に残った本能が命の危機を求めて、やってたんじゃないかな。いかに生きるかを求めて、自殺紛いの行動をする。
本能が生存を願っても、文明は本能を否定する。そして、文明は生存を願う気持ちを、ぐるっと1週回って否定してしまった。
なんだ。人が文明的な生活を求めたときから、人類の自滅は始まってたんだ。
日本も、第二次世界大戦で戦争した理由の根っこは日本人の命を守るため、だった。明治維新で海外から人権とか、命を大事にする概念を輸入したせいで、今までしてきたことができなくなった。
昔から日本の農村にあったもの、姥捨て山や子殺しができなくなった。法律で禁止された。
避妊の道具が民間にほとんど無い時代、村で取れる食料や資源の量に合わせて人口を調整していた。小さな村で飢饉となれば、余剰人口を山に捨てたり、殺したりしていた。そうして、村で生きる住人を守っていた。
それなのに、ある日そのやり方を法律で禁止された。人の命は大切で、子供は守るものだと。結果、日本の人口は増えて、食料が足りなくなり日本は飢餓に落ちる。
人が増えて食料も資源も足りなくて、餓死する人が増えても、これまでの人口調整の仕方は法律で禁止されたので、年よりや子供を山に捨てたり、殺したりできなくなった。それで足りない分を他所の国からぶんどってくることにした。それが戦争のはじまり。
自国の子供の命を大事にするために、他所の国の人を殺して、奪うことを選んだ。
子供の命を大切に守ろうとしたら、戦争になった。人はそういう生き物らしい。これが鬼子母神なら、教え諭してくれる釈迦がいたんだけど。
助かる方法はあっても、人は自らそれを手放したのだから、自分達でどうにかしろ、ということなんだろうか、お釈迦様。
56億7千万年後に答え合わせしてくれる約束だったけど、人類はそんなに長くは持たなかったよ。
まぁ、人間なんて滅亡してもどうでもいい。和国の復興なんてしない方がいい。たとえ未来に和国が再建されても、そこに私とウキネはいない。
それならずっとこの施設で、ウキネとお菓子を食べてコーヒーが飲めれば、それでいい。
ウキネはチョコレートのロールケーキを、手で摘まんで口に入れる。私が見てるのに気がついて、
「なかなか、うまいな」
と、言う。
「そう? 甘すぎないかな?」
「そんなことは無い」
「ウキネの好みがわかんないなぁ。甘すぎるのは苦手なのかと思ってた。なにが好きで、なにが嫌いなの? 次に作るのに参考にするから。レモンケーキみたいに酸味のあるのとかはどう?」
「私はシズネの作ってくれたものに相伴するだけだ。私は食べ物に特に好き嫌いは無い」
「うーん。いつかウキネに、すごく美味しい、また作ってくれって、言わせてみたいな」
「この施設では、過去の世界の食事は情報から再現は可能だ。乙級なら無制限で過去のメニューを食べられるから、私がすごく美味しい、と言うのは難しくないか?」
「じゃあ、過去の世界には無い、オリジナルの新しいお菓子でも挑戦してみようかな」
「楽しみにしておこう。あぁ、ひとつ思い出した。パパイヤは駄目だ」
「ウキネ、パパイヤ嫌いなの?」
「嫌いでは無い、だが、食べると下痢をする」
「ん、わかった。でも」
つい、笑ってしまう。パパイヤで下痢って。
「おかしいか?」
「ふふ、だって無敵のウキネの唯一の弱点が、パパイヤってのが、あはは、可愛いなって」
「別に私は無敵では無いが」
私は、うくくく、と笑いながらウキネを見た。怒ってもいない、いつもの表情の無い顔。だけど、いつもより少し、ほんの少し顔から首にかけての筋肉が弛んでいるように見えた。
フォークはあるけど、ウキネのまねしてロールケーキを指でつまむ。白い方。口に入れる。うん、まぁまぁだ。
灰色の雲を透かして、星が見えないか探しながら、砂糖で少し甘くしたコーヒーを飲む。そんないつもの、のんびりとした時間。
こんな日々が、ずっと続けばいい。
フォーーーーーン
フォーーーーーン
突然、施設の中に警報が響き渡った。
平穏を引き裂き遮る無機質な警報が。