第15話◇夜空の星
文字数 5,901文字
灰色の大地、小高い丘に上って夜空を見上げる。灰色の雲の薄い部分を透かして、星が瞬く。
大きな岩、私の身長より少し低いがその上は平らで5、6人はそこで横になることができる大きさだ。
スピリットの演劇台と、子供の頃は呼んでいた。岩の蔭に潜む甲虫が、近付く私達に気づいて逃げてゆく。離れたところにいる甲虫が、夜の眠りを妨げられたことを抗議するように、チリチリ、キリキリ、と鳴き声を上げる。
「よっと」
岩の上に触手をかけて、下半身を持ち上げて岩の上に立つ。振り向いて、メルフに触手を伸ばす。
「つかまって」
メルフは他の者にくらべて、少し小さい。岩の上に上るのを手伝う。メルフは小さくうなずいて、触手を伸ばして私の触手に絡ませる。思わずイタズラ心が湧いて、メルフの触手を力まかせに引っ張りあげる。
宙に浮いて、高く飛ぶ。メルフは驚いて2本の触角がピンと伸びて硬直する。落ちてきたメルフを4本の触手を伸ばして、やさしく受け止めて、抱きしめる。
「もうっ、おどかさないでっ」
触角をピンピンとふりながら、伸ばした触手で私の頭部をペチペチと叩く。ごめんごめんと謝りながら、そんなメルフが愛しくて触手で抱きしめる。
「ほんとに、もう」
そんなことを言いながら、メルフは私の
上半身に頭部をすり寄せてくる。
2人並んで、星を見上げる。街から少し離れたこの丘には、甲虫の鳴き声と、シダの葉が風にたゆたう音しか聞こえない。
体表面を澄ませば、星の降る音も聞こえてくるかもしれない。
「綺麗ね……」
「あぁ」
今日の雲が薄いことに、感謝する。この丘のスピリット達が、私達を祝福してくれたのかもしれない。メルフと2人で星を見るのは、今晩が最後かもしれないのだから。
「ねぇ、アルドノ」
メルフが私の名を呼ぶ。メルフの柔らかな声を、忘れないように記憶に刻む。
「何? メルフ」
「帰ってきて。必ず、帰ってきて」
「……約束は、できない」
私は明日、悪魔のいる地に向かう。悪魔の地に行って、無事に帰ってきたものは、ほとんどいない。おそらく、私も死ぬだろう。だけど、逃げることはできない。天使の命令は絶対だ。
私達を産み出したと言い伝えられる天使。私達に旧世界の道具を与え、使い方を教え示した天使。私達にマナンを与えてくれる天使。
もしも私が逆らえば、同胞にマナンを供給するのを、止めてしまうかもしれない。そうなれば、どれだけの数の仲間達が餓死するかわからない。その中にメルフがいることも、あり得るのだ。私ひとりが命惜しさに、逃げることはできない。
メルフが私に身体を預けて、静かに泣き出した。私はメルフを抱きしめる。泣き虫メルフ。身体が小さくて、幼いころからそれをからかわれては泣いていた。幼なじみの私は、そんなメルフを、いつも庇っていた。
「メルフ、泣かないで」
「アルドノがいないと、私、生きていけない。アルドノがいないと、私ひとりで、お腹の子供を育てられないわ」
「メルフ、聞いてくれ。もし私が悪魔の地で死んでも、私はスピリットになってこの丘に帰ってくる。そのときには、メルフに私のことは見えないだろうけど、スピリットになった私は、この丘でメルフのことをずっと見守っている。だから、私が帰ってこなくても、けっして後を追って死ぬようなことはしないでくれ」
そう、メルフのお腹には子供がいる。私とメルフの卵が、静かに眠っている。
身体が小さいかわりに、頭のいいメルフは、旧世界の道具に詳しくなった。旧世界の遺産を研究して、本来の使い方や効率のよい使い方を調べて、簡単なものなら修理できるようになってしまった。
旧世界の遺産は、私達には使い方のわからないものも多い。1度壊れてしまえば、どうしようもない。それを修理してもう1度使えるようにできたのは、メルフが初めてだった。
そして頭のいいメルフは、先のことを考え過ぎたのか、未来のことを考え過ぎたのか、同年代の中で、真っ先に雌になってしまった。
私達はつがいになってから、つがいとしての役割が決まってから、片方が雄に、片方が雌になる。
つがいになる相手もまだ決まってないのに、雌になってしまったメルフは異例だった。
『アルドノのことを考えてたら、身体が、雌になっちゃった。どうしよう?』
ある夜に私を訪ねてきたメルフは、泣きながら、恥ずかしそうに言った。
メルフの頭の良さには、部族の大人達も期待していたから、誰がつがいになって子を残すかも、みんなは気にしていた。
だけど、メルフが雌になってしまったのなら仕方ない。翌日、私はメルフを連れて部族長のもとに行き、私がメルフのつがいになる、と宣言した。メルフが最年少で雌になってしまったのなら、私とメルフは部族の中で最年少のつがいになった。
散々からかわれて、身体中から火が出て燃えそうなほど恥ずかしかったが、後悔はしていない。
私が雄になるまでは時間がかかったが、やがて身体が雄化して、メルフとの間に子供ができた。そのメルフと卵を残して、悪魔の地に行かなければならないとは。
幼い頃には戻れない。私もメルフも部族の中で果たさねばならない役割がある。
私とメルフは星の瞬きの下で、身体を重ねた。いっそこのまま溶け合って、ひとつになってしまえばいいのにね、とメルフが囁いた。
翌日、私達は悪魔の地へと向かった。天使より支給された車両に乗り込む。私と同じ、今回が初めての遠征が、私を入れて5人。
天使の命令で悪魔の地に行ったことのある先輩が3人の計8人で、2両の車両に別れて移動する。
「お前達は運がいい、かもしれない」
車両の中で、支給された銃を触りながら先輩が言う。
「どういうことですか?」
悪魔の地に行くのが、運がいいこととは思えない。
「天使の命令では、たいていが、悪魔の城まで行ってこい、だ。これだと、たいていは悪魔がやって来て、悪魔の軍勢にバカスカ撃たれる。運が良ければ、走って逃げられる。俺みたくな」
先輩は携帯食の包みを破りながら続ける。
「今回は、悪魔の地で、箱を開けろ、だ。運良く悪魔に見つからなければ、行って、箱開けて、帰ってこられる」
私達が、生きて帰れるかもしれない。その話に、車両の中の空気が軽くなったような気がする。
先輩は携帯食、黄色のブロック状の物体をパキンと割って食べはじめた。いつも私達が食べている液体状のマナンでは無く、固形化させたマナン。1度身体に取り込んで、ふやかさないと食べにくい。私達も先輩のまねをして、携帯食を小さく割って食べる。
「もしも、悪魔に見つかったら、お前達は箱を開けて、この車両に乗って逃げろ。残った車両と俺たちが囮になるからな」
「先輩は一緒に逃げないんですか?」
「全員で逃げきれるなら、逃げるけどな。全滅するよりは、誰かが囮になったほうが、逃げきれる可能性がある。こういうのはな、順番なんだ。俺も、俺の先輩が命を捨てて、逃がしてくれた。だから、今度はおれの番なんだよ」
「私達も闘います!」
「うるせぇよ、『今頃、赤ん坊が生まれてるかもしれないなぁ』とか考えてる奴を、俺は絶対、死なせねぇぞ」
先輩の言葉に、車両の中のみんなが、私を見て笑う。そんなに顔に出てたのだろうか。
あたりの草が少なくなってきた。いよいよ悪魔の地だ。悪魔はこの地を悪魔のための世界へと作りかえているという言い伝えだ。天使がそれを押さえているから、悪魔はこの地から外に出られない、私達はそれを街の年寄りから聞かされている。
だから、私達は天使の手伝いをしなければならない。悪魔が街まで来ないようにするために。
天使に支給された箱を開ける。箱の中からは羽根のある虫が20匹ほど、外に向かって飛び立った。あの虫が悪魔の地でなにをするかは、誰も知らない。メルフなら、解るだろうか。
「よし、さっさとひきあげるか」
先輩の声に私達は車両に乗り込もうとした。しかし、悪魔は見逃してはくれなかった。
轟音が響き大地が揺れる。巨大なものが地面に落ちて、地響きをたてる。
青い金属の肌をした、2本足2本触手の異形が空から舞い降りた音と震動。私は、初めて見る悪魔の巨大な姿に、固まってしまった。
「ボサッとすんな!さっさと逃げろ!」
先輩の声に、意識が戻る。そうだ、車両に乗り込み逃げろと指示されていた。車両に向かって走ると、すれ違ったドールン――私と同じ、今回初遠征の同世代の一人――が、私の銃を奪って悪魔に向かって走った。
「アルノド! メルフを頼んだ!」
「ドールン!」
私達、新兵4人は車両に乗って、逃げた。先輩達とドールンを囮にして。車両の上部ハッチを開けて後方を見る。悪魔が連れてきた戦闘車両、その数は30ほどだろうか。
先輩達の車両を囲み、無慈悲に砲撃をはじめた。車両が炎を上げて、爆撃の震動に大地が揺れる。あれでは、だれも生き残れはしないだろう。
全速力で走る車両の中で、私達は泣いた。リンドは泣きながら、悪魔を呪う言葉を口にしながら運転を続けた。
私はドールンのことを思い出していた。幼い頃によくメルフにイタズラをして泣かせていたのは、ドールンだった。そのドールンからメルフを守っていたのが私で、ときにはドールンと殴りあいの喧嘩もした。
ドールンはメルフに気があったのかもしれない。あのとき、幼く不器用なドールンはその気持ちを上手く表せずに、メルフをからかっていたのかもしれない。
私達は交替で運転し、悪魔の地から逃げ出した。先輩達のおかげで、私達は生きて逃げることができた。
街まであと1日、そこで一旦車両を止めて外に出た。ここまで悪魔は来ないはずだ。
私が外に出て、まわりの様子を伺う。
「大丈夫だ、なにも問題は無い」
車両に声をかけると、3人が降りてきた。久しぶりに、外で食事をすることにした。
さして会話も無く、携帯食を食べ終えた。それでも、外の空気のおかげで、少し気が晴れた。
リンドが銃をもって立ち上がる。
「俺は、悪魔を殺す。絶対に殺してやる」
憎々しげにリンドが言い、残る2人が頷くが、あの悪魔の巨大な姿。連れていた多数の戦闘車両。その攻撃力を思い出すと、あの青い鋼の悪魔をどうすれば殺せるかが、解らない。何も思いつかない。
「そのためには、これしか思いつかない」
リンドの言葉に残りの2人は、私を右と左から掴んで、押さえつけてきた。
「なんだ? なにをする!」
「すまん!アルノド」
リンドが私に銃を向けて、撃った。
私が目を覚ますと、隣りにはメルフがいた。私が目を覚ましたことに気がつくと、泣きながら私にしがみついた。何度も何度も、私の名前を呼びながら。
私達が遠征に出ている間にメルフは卵を産み、5つの卵から4人の赤ん坊が産まれていた。産卵にも孵化にも立ち会えなかったのは残念だが、メルフも無事で、私は4人の子の父親になっていた。
私の身体は下半身の一部が、無くなっていた。時間をかけて養生すれば再生するから、しばらくは安静にする必要がある。
私は悪魔との戦闘中に、流れ弾で負傷したことになっていた。
何日かして、私のところにリンドが訪ねてきた。私に話がある、ということで、メルフには席を外してもらうことにした。私も聞きたいことがある。リンドが口を開く。
「ずいぶんと可愛らしい子供達だ。メルフのように賢い顔立ちじゃないか」
「余計なおせじはいい。リンド、何故、私を撃った?」
「そんなに触覚を立てるな、今生の別れになるかもしれないのに、喧嘩はごめんだ」
リンドは私の寝床に近づいてくる。わたしはまだ、寝床から起き上がれない。頭部だけ伸ばして、リンドを見る。
「俺たちはまた悪魔の地に行くことになった。アルノドは負傷したから、留守番だ」
リンドがニヤリと笑って言う。
「リンド、俺をそうやって悪魔から遠ざけるつもりか?」
「そうだアルノド。だが、お前のためじゃない。悪魔を倒すためだ」
「どういうことだ?」
「メルフは天才だ。メルフなら旧世界の遺産から悪魔に通用する兵器を見つけられるかもしれん。その兵器を、俺たちが使う方法を見つけられるかもしれん。だが、メルフは繊細だ。アルノドが死んでしまえば、狂うかもな。メルフにがんばってもらうためには、アルノドに死なれては困るんだよ」
「そのために、俺を負傷させたのか?」
「そうだ、そのケガなら天使の命令でも、遠征はできないだろうからな」
「ふざけるなよ、リンド。先輩達とドールンを犠牲にして生き残り、今度はお前達を見殺しにしろと言うのか!」
「俺はマジメだ、アルノド。俺は死んでもお前とメルフを守ってみせる。それで悪魔を倒せるならな。だから、アルノド、お前はなにがなんでもメルフを守れ。メルフが俺達の希望なんだ」
リンドが本気なのは分かった。だが納得はいかない。私だけがみんなに守られて生き残るなど。
「勘違いするなよ、アルノド。俺はお前を守るんじゃ無い。俺達の未来を守るんだ。悪魔に怯えずに生きられる未来のために」
私はなにも言えずに触覚を倒した。
「気にやむなよ。俺が死んでも、俺はスピリットになって、悪魔にとりついてやる。それで、お前か、お前の子供達が悪魔をぶっ倒すところを、一番近くで見せてもらうさ」
リンドは明るく笑って立ち上がる。
「じゃあな、アルノド。メルフと子供達をしっかり守れよ」
「分かった。命に代えても、守ってみせる」
「バーカ、お前が死んだらダメなんだよ」
リンドは外に出ていった。悪魔の地に向かうには、ずいぶんと気軽な様子で。
私は生かされた。同胞が命を捨てて生かしてくれた。ならば、私の命は同胞のために使わなければならない。
メルフの仕事を手伝い、メルフが知り得た旧世界の遺産の知識を、子供達に伝える。
いつか、リンドの望んだ悪魔を殺す方法を見つけるために。
私達の未来のために。
子供達を抱き締めながら願う。この子達が、天使の命令で悪魔の地に送られることが無いように。
悪魔の地に行くときは、天使の命令では無く、私達が悪魔を殺しに行くときであるように。
◇◇◇◇◇
粘菌状生命体の日記より抜粋