25.頼

文字数 5,759文字

 いつものようにキャリーを引き、ライヴ会場のGATEへ向かう。俺の歩く隣では、昔頼が俺にくれたギターを圭が抱えている。このライヴには、Vallettaと頼の未来が掛かっている。
 控え室までの階段を上り、扉を開ける。準備のために、中は少しだけ慌しそうだった。
「タケさん。今日も、よろしくお願いします」
「おうっ」
 笑顔で片手を上げ、任せろっ。と親指を立てる。少しすると、瞭と省吾もやってきた。
 控え室の空気は、いつもと違う。おしゃべりな省吾でさえ、口数が少なかった。みんなの意気込みが、控え室の中に立ちこめている。
 リハも、いつも以上に綿密に行った。楽器の調子と位置。音の返り、MCの長さ。ライトのタイミング。事細かにチェックを入れた。
 リハの済んだステージの真ん中で、客席を見渡した。
 頼が来ることを信じて――――。

 迫る時間。高まっていく緊張感と集中力。ステージの袖で、ケツのポケットに入れた小さなものを手で触り確認する。
 省吾は、ワクワクしたような目で袖口から客席を窺っている。その口からは、アキちゃん。という言葉が愛しそうに漏れた。
 瞭は、ライヴが始まれば結局脱いでしまうハットを、何度もかぶりなおしている。
 十九時。ライヴスタート時間。
 けど、まだだ。まだ、少し焦らす。客の心を。会場の空気を。もっと熱く上気させるんだ。
 BGMは、ノリのいいリズムで流れ続けている。そのリズムに合わせて、瞭の片足がタンタンッと音を立てる。少しすると、傍に控えていたGATEのスタッフから合図が来た。
 ライトダウンしたままのステージに、瞭と省吾が出て行く。客のわき上がる声。
 その少しあとに続いて、俺もステージへ。更にわく場内を見渡す。
 歓喜に震える客たち。一番奥のスタッフ席に目を凝らすと、岩元と圭の姿があった。
 頼は、――――まだいない。
 とめどなく騒ぎ続ける客に向かって、ギターを一度かき鳴らす。それを合図にBGMがふっと消えた。
 瞭がスティックを鳴らす。叩きつけたドラムの音。ベースとギターが絡み合う。
 初めに、得意の曲をスピードに乗せて演奏した。
 控え室で感じていた緊張感は、AメロからBメロに入ってほぐれていき。サビに入った頃には、最高の熱を体に充満させていた。
 ライトの明滅と音の嵐。客の歓声に鳥肌が立ってくる。
 ステージの上で汗を飛び散らす俺は、岩元の顔も圭の顔も既にちゃんと確認できないほど気持ちが高ぶっていた。
 三曲一気に駆け抜け盛り上げる。そして、最初のMC。
「どうも。Vallettaです」
 スタンドマイクに手をかけ、汗を拭いながら客席を見渡す。
「ワンマンは、梅雨前以来で。かなり興奮してます」
 片方の口角を上げ、笑顔を誘う。ライトに照らされしゃべる俺を、観客は食い入るように見ている。
「今日は、新曲もあるんで、最後まで楽しんでって下さいっ」
 この日が卒業で、この日がスタートだ。
 俺たちの集大成とも言える今日のこの日。Vallettaの将来を任せる岩元に、今できる全部を見せ付ける。
 懐かしくも、結成当初に作った曲を引っ張り出して演奏した。当時の懐かしい曲の数々に、客のテンションは更なる盛り上がりを見せる。
 瞭のドラムが、Vallettaの音を腹の真ん中に響かせる。省吾のベースがそれに深みを加える。
 俺の頭の中では、この音に浸りながら、目まぐるしい映像が駆け抜けていた。
 音楽とギター。頼との日々。街で彷徨う俺を探し出してくれた瞭と省吾。
 ライヴのたびに支えてくれたタケさん。諦めずにいてくれた岩元のオヤジ。
 記憶を解放してくれた圭。
 みんなの顔がかわるがわるあらわれ、胸を熱くしていく。傍にいてくれたみんなに、感謝の気持ちでいっぱいになっていく。
 昔の曲を数曲やった後、もう一度MCを入れる。
 呼吸を整えながら、客席を端から端までゆっくりと見渡すと視線が止まった。
 出入り口奥の人陰に隠れるようにして、アイツの姿があった。
 やっと来たかよ……。そんな奥に引っ込んで、何やってんだよ。
 苦笑いを浮かべ頼をまっすぐ見据える。頼もステージを見て、目を逸らすことはなかった。
 新曲も交えた数曲を歌い上げ、三度目のMCに入る。
「昔、憧れていた男がいました。俺は、そいつに追いつきたくて、追い越したくて。音楽にしがみついてきた」
 話し出す声に、客席は静まり返り、言葉に耳を傾けてくれる。
 今肩から提げているのは、頼がくれたギターだ。そのギターを見せ付けるように、奥に立っている頼を、再び真っ直ぐ見た。
 ガリガリの細い体と猫背の背中。強張ったような頬。片手には、カップに入ったビールを持ち、眩しそうにステージを見ている。
「アウトサイダーって言えば、知ってる人もいると思う。そのヴォーカル、頼が作った曲をやります。俺の最大のライバルへ向けて」
 頼、聴いてろよっ。
 俺は、自分の左胸を拳で叩く。お前のここで聴いてろっと、左胸を叩く。
 お前が作ったこの曲を俺が歌ってやる。
 客に向かって、岩元に向かって。メンバーや圭に向けて。
 そして、頼。お前に向けて。
 お前が作った曲を、歌ってやる。

 俺は歌った。心に届けと歌った。
 祈るように、願うように歌い進むうちに、眩しそうにしていた頼の瞳が、優しくなった気がした。強張っていた頬が、緩んだ気がした。
 気持ちが届いた気がした――――。

 興奮が冷めぬままアンコールを二曲やり、ライヴは終わりを告げた。
 ライトの消えたステージに残るメンバー。緩くかかるBGM。客のはけた場所に残ったのは、GATEのスタッフたちとタケさん。圭と岩元のオヤジ。
 そして、頼――――。
 機材を片付けている俺の傍へ、圭がはしゃいだように駆け寄ってくる。
「成人さんっ! お疲れ様でしたっ」
 ライヴの興奮で頬を紅くし、抑えられない感情のまま目を輝かせている。
「僕が今まで見た中で、一番で最高のライヴでしたっ! 絶対、絶対。いっしょーー、忘れませんっ!!」
 傍に来たタケさんも、その言葉に頷いてくれる。
 恥ずかしげもなく褒め言葉をかけてくれた事に、嬉しくも歯がゆい。圭の頭に手を置き、さんきゅう。と礼を言う。
「圭。先に控え室、戻ってろ」
 俺が促すと、タケさんが圭をつれて出て行った。頃合を見計らい、岩元が俺のそばに来る。
 何も言わず差し出された右手と笑顔。表情を崩す事のない岩元の笑い顔に、右手を握り返した。
 返事をするようにガッチリと交わした握手に、俺たちの未来を託したんだ。
「打ち上げ会場で、待っていますね」
 俺とメンバーにそう告げ、岩元もここをあとにした。
 楽器を片付ける音と、スタッフの忙しく動き回る音以外、ここは静かだった。流れているBGMもいつの間にか止まっていた。
 おしゃべりな省吾も口を開くことなく、ベースを片付けている。瞭は、タオルで汗を拭い、スネアをケースにしまいながら俺と頼を見守っている。
 客席の一番奥に目を据えたまま、俺は立ち尽くす。壁に寄りかかったままの頼は、飲んでいたビールのカップを近くのドリンクカウンターへ置き、ゆっくりとこっちへ向かってきた。
 近づいてくる頼に訊いた。
「ちゃんと聴いてたかよ」
 頼は、右手を軽く持ち上げ、「あぁ」と小さく返事をした。
「ライヴ見に来るなんて、久しぶりだよ……。それも、成人のライヴを見ることなんて、ないからな」
 ずっと話すことを忘れていたかのように、頼の声は掠れていて、一つ一つ確認するように口から漏れる。
「成人は、こんな風に歌うんだって思いだした」
 目を伏せ、手持ち無沙汰のように右手を一度開きまた握る。
「俺が知っていた頃の。へたくそなギターを弾いてたお前は、もうどこにもいなかったよ」
 視線を宙に泳がせ、昔を思い出し、懐かしむようにわずかに笑う。
「このステージには、誰よりも自信に満ち溢れていて、真っ直ぐ音楽を愛している男がいた」
 視線を俺に向ける頼に、言ってやった。
「頼だって同じだろ?」
 俺に負けないくらい、音楽が好きなくせに。歌わずには、いられないくせに。音楽の楽しさを教えてくれたのは、頼、お前だぜ。
 頼は苦笑いを浮かべると、自分の足元を見つめた。
 そのまま、躊躇うようにして訊ねてきた。
「……耳は、どうだ……」
 俯いたまま、頼は顔を上げずにいる。後悔を滲ませるその声に、言ってやった。
「二個あるうちの一個が聴こえないくらい、どうってことねぇよ」
 こんなもん、たいした事じゃない。会話を聞き逃したら、聞き返せばいい。音の返りを確認するイヤホンは、右につければいい。
 たったそれだけの事だ。
 たったそれだけの事に、俺たちは……。
 俯いたままの頼が話し出す。
「俺は、ずっと悔やんでた。あの時、路上で成人に声を掛けたこと自体が、間違いだったんじゃないかって……」
 何……言い出すんだよ……。頼と出会ったから。頼が俺を見つけてくれたから。だから、俺は今も音楽を続けられてるんじゃないか。
「お前に怪我をさせて、逃げるように姿を消して。そのせいで更にお前を傷つけた。この世界を去るくらいじゃ、償いきれないと思ったよ。けど、お前が音楽を続けてるって知った時、正直ほっとした。そのことを知って、楽になったんだ。自分だけ楽になって、安堵して、そのまま逃げ切ろうとした。何もなかったことにしようとしたんだ……」
 後悔を滲ませた頼の声が、震えるように消えていく。
 少しばかりの沈黙が降りた。
 頼は、胸に閊える何かを消化しようとでもするように、何度も小さく呼吸を繰り返していた。視線はどこかぼんやりとして、見つめている先の向こうに昔を見ているようだった。その姿は、今までの白紙の時間を埋めようとしているようにも見えた。
 その視線が現実のこの時間を捉えるように焦点を結び、頼は一度俺を見てから、ステージに残されたままのギターへと目を注いだ。
「この世界に、俺を引っ張り込んでくれた人がいてさ」
 ゆっくりと頼が話し出した。
「小さいライヴハウスでくすぶってた俺を、デビューまで引っ張り上げてくれた事務所の人がさ。その人が、成人を傷つけて逃げ出した俺のところに、何度もやって来るんだよ。プロに誘ってくれたときみたいに、何度も何度もやって来るんだ。もう一度ステージに立てって……。なのに俺は、お前に会う事を怖がって、逃げ続けてきた。何もなかったことになんかできない現実を、つきつけられるのが怖かった。認めてくれたその人に、背を向け続けた」
 頼は、寂しそうに呟いた。
「あの時、俺の目の前で血を流して倒れた成人の姿が、頭に焼きついて離れなかった。眠るたびに、そのときの夢を見るんだ……。なのに、こそこそと圭にまで隠れるようにして公園で歌って。女々し過ぎる自分を笑い続けたよ」
 自分をあざ笑うように、口の端を吊り上げる。その顔が、以前の自分と重なった。同じように苦しんでいた時間と重なった。
「気がつけば、いつも傍にいた圭さえ居なくなって。俺は、とうとう見放されてしまったんだなって、哀しすぎて無性に笑えた」
「圭は、見放したんじゃない……」
「あぁ。現に、お前を連れてやって来た……」
 公園で会った時のことを振り返るように、頼が目を穏やかに細めた。
「あんなところで歌っている姿をお前に見られたことが、情けなくてしかたなかった……」
 小さくなった頼の背中を思い出す。背を丸め目、夜の公園で哀し気に声を張り上げていた姿は、確かに力なくて切ないものだった。だけど、情けないなんて言って欲しくない。情けないことなんかあるかよ。好きな音楽やってる頼の、どこが情けないって言うんだ。あの頃のように、いつだって自信に満ちていた態度と声で、ついて来いと俺を引っ張り上げてくれよ。
 舞台に戻って来いよ。こんなことくらいで、頼に潰れてなんか欲しくないんだよ。
 縋るような目をしていただろうか。頼が目を伏せるように少し視線をはずした。
「成人が来た少し後になって、可愛がってくれていた事務所の人も来て、お前と同じようにライヴのチケットを置いて行きやがる。同じチケットなんて二枚あっても仕方ないのにな」
 俯き加減のまま、頼が鼻をこすった。
「その人。昔からずっとお節介でさ。お前のこともウザイくらいに話して聞かせるんだよ」
「俺の事を?」
 頼は、目を伏せるしぐさで肯定する。
「俺がいつまでもこんなことしていたら、未来のある芽を枯らせてしまうって言われたよ。それがさ、スゲー必死なんだよな……」
 その人のことを思い出したのか、可笑しそうに少しだけ頬を緩めた。
「こんな俺相手に、スゲー真剣で必死だからさ。その必死さにいい加減根負けした。いつまでも臆病風ふかしてる場合じゃねーって」
 俯いていた顔を上げ、頼が俺の目を見る。その目は、よく知る自信に溢れていて、音楽が好きで。何より、歌うことが総てのような力強い目だった。
「お前たちVallettaの音楽を聴けてよかったよ。成人。お前がまだ音楽を好きでいてくれてよかった」
「頼――――……」
「もう一度、ステージに立つ。お前らのデビュー、潰してやるくらいの曲作って、聴かせてやるよ」
 頼が憎らしいほどの笑顔を浮かべ、自然と釣られて笑みを浮かべた。
「らいっ」
 ケツのポケットに入れておいたものを取り出し、頼に向かって放り投げる。
「まだ、禁煙中なんだろ?」
 頼は飴を受け取ると、片方の眉を吊り上げ苦笑いを浮かべている。
「成人のケツに入ってた飴なんか、食えるかよ」
 更に憎らしい顔とセリフを吐き、イチゴミルク飴を握ると背を向けた。
 出て行く頼の後ろ姿に、絶対戻ってこいと叫んだ。
「戻ってきたお前を、俺たちがすぐに追い抜いてやるからなっ」
 最後のセリフが聞こえていたかはわからないが、頼は右手を上げてライヴハウスを出て行った。
 二人のやり取りを、瞭と省吾が穏やかな表情で見守っていた。
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