12.リハ

文字数 5,592文字

 昼過ぎ。まともな食事もとらないまま、エフェクトボードとギターを一本キャリーに乗せ、もう一本を背負うと、ライヴハウスへと向かった。
 電車を乗り継ぎ降りた町は、週末のせいかたくさんの若者で賑わっている。
 独自のスタイル。奇抜な個性。古着屋が至る所に店を構え、コアなデザインのシルバーショップが点在している。昔からある商店も軒を連ね、威勢のいい掛け声とともにオヤジが野菜なんかを売っていた。
 それを横目に、細い道路を歩いて行き左に折れる。
 レコード店に小さな飲み屋。紛れるように、最近できたばかりのカフェに雑貨屋。小さな上り坂をゆっくり行くと、一軒家の並ぶ住宅街の中に別の建物が見えてくる。
 ライヴハウスの[GATE(ゲイト)]だ。このライヴハウスは、収容人数百人強ほどの小ぢんまりとした箱だが。ここからプロに巣立っていったミュージシャンは、数知れず。大手事務所やレコード会社も、大物を求めて度々ここへと足を運んでくる。
 ステージは、地下一階。その上にあるのは、事務所兼控え室。更に上に上がれば、小さなレコーディングスタジオがある。
 キャリーとギターを抱え、控え室へ行く外階段を上った。ドアを開けて中に入れば、そこにはまだのんびりとした空気が漂っていた。奥に視線を向けると、ライヴハウスを仕切っているタケさんがスタッフと談笑していた。タケさんは、五十過ぎの気さくなおじさんだ。
「ちはー」
 声を掛けて中に進むと、おっ。と言う顔をしてタケさんが近づいてきた。
「どうだ、調子は?」
 タケさんは、愛想のいい笑顔を浮かべ、声をかけてくれる。
「ん、まぁ。いつも通りですよ……」
 今朝見た悪夢の余韻を引き摺っていたせいで、前日のスタジオ練習した時のような意気込みは既になく、少し下がり気味のテンションで応えてしまった。
 スタジオにいた時のテンションが嘘のように、悪夢に縛り付けられ、今は少しも気持ちが高揚してこない。
「どした。なんか、あったか?」
 ワンマンライヴだというのに、テンションの上がりきらない様子に気がつき、タケさんが近くの椅子を引っ張ってきて俺を座らせると、まるで父親のような表情で心配そうに窺っている。
 そうやって心配されてしまうと、どうしても強がってしまう。
 タケさんとは、長い付き合いだった。俺が初めてライヴをしたのは、ここGATEだ。まだまだひよっこで、そのくせプライドだけは高かった俺を、タケさんはあったかく見守ってくれた。元々音楽をやって来た人だから、このステージの音の返り具合や、雇われでやってくるSEとのコミュニケーションの取り方。ステージライトを効果的に使う方法。音楽以外のそういう細かいことも、冗談を交えながらたくさん教えてもらった。田舎に帰る金がなかった時も、いいバイトを紹介してくれたし。まともなもんを食ってないとわかると、さり気なく差し入れをしてくれた。
 親父みたいだなんて言ったら、こんなガキいらねぇって笑われそうだけど、親みたいなタケさんに心配をかけちゃいられないと、無理やり口角を上げて笑みを作った。
「いや、なんでもないっすよ。朝からちょっと腹の調子が悪くて」
 大袈裟に腹をおさえながら、苦笑いを浮かべる。
「おいおい、大丈夫かよー。ライヴ中に便所とか言い出すなよっ」
 タケさんが、からかうようにしてケラケラと笑っている。その笑いに釣られて笑顔を浮かべた。
「今、地下(した)準備してっから。あともう少ししたらリハの声かけるから、よろしく」
 タンと肩に手を置きそう告げると、タケさんはスタッフの方へと戻っていく。
 用意された控え室に入り、中にある椅子に腰掛けた。四畳半ほどの狭い部屋の天井を見上げ、深く溜息をつく。ダラリと両手をタレさげ背もたれに寄りかかり、今朝見た夢を思い出していた。
 よりによって、ライヴ前日に悪夢を見るなんてな……。岩元の奴が、変なこと言うからか。
 今まで、ライヴ前日にあの悪夢を見ることなんて、一度もなかった。少しずつ名が知れていくことに、恐怖を覚えているのだろうか。アイツに知られてしまうと、情けない心が悪夢を見させるのだろうか。
 悪夢を見た後は、いつも身体がダルさを訴える。総てのやる気を吸い尽くされたように、心が空っぽになっていくんだ。あの日のあの色だけが瞼の裏に焼きついて、目を閉じるたびに引きずり込まれそうになる。
 ダラリと座り見上げていた天井から視線をはずし、気だるさをまぎらすようにタバコを取り出したところへ、騒がしいやつが現れた。
「はよー」
 ガツガツと靴底を鳴らし、控え室のドアを勢いよく開けたのは省吾だ。いつも通りのお気楽ハイテンションで入ってくると、隣にある椅子へと腰掛けた。
「やーやー。今日もいい天気だねぇー」
 相変わらず、理解に苦しむノリで天気の話をし始めるもんだから、苦笑いしか浮かばねぇ。
 オヤジかよ。
 横眼で省吾を見ながら、取り出したタバコに火をつけ咥えた。
「瞭は?」
 咥えタバコのまま訊き、両手を頭の後ろで組む。
「なんか、寄り道。そのうち来るでしょ」
 途中で買ってきたのか、コンビニ袋を覗き込みながら関心もなく応えている。
「どれにしよっかなぁ」
 いくつ買ってきたのか。やたらと品物が入っているコンビニ袋の中身は、サンドイッチや菓子パン。
おにぎりにドリンクが入っていた。全てをテーブルの上に出すと、遠足のおやつでも選ぶようにサンドイッチ手にして食べ始めた。
 まるで育ち盛りの子供みたいにかぶりつく姿は無邪気で、似たようなやつがいたなと圭の顔が頭に浮かんだ。
 昨日のスタジオ帰り。岩元とのじゃれ合いにムカついて、圭とは道中口をきかずにいたことが心に引っかかっていた。
 あいつ、今日のライヴ観に来んのか? あれだけ人のケツ追っかけまわしてたんだから、今日がライヴだって忘れちゃいねぇよな?
 いつの間にか、圭が観に来る事を当たり前のように考えていた。
 チョロチョロと煩く纏わり付いてきていた奴がいないと、案外調子が狂うもんだ。
 少しするとジャラジャラと音を立て、ハットをかぶった瞭がやって来た。その顔つきは、やたらとご機嫌だ。いい玩具でも手に入ったか。
 クラッシュシンバルとハイハットを床に置くと、スティックを取り出し鼻歌交じりに省吾へと近づく。瞭の登場を気にも留めず、サンドイッチにかぶりついてる省吾の頭を、(おもむろ)にスティックで小突き遊び始めた。
「やぁ~めぇろよぉ~」
 モゴモゴと、口いっぱいに詰め込んだパンを飲み込みながら、省吾がふくれっ面で抗議する。そんな省吾を面白がって、更に小突き回してから、腰に巻いていたホルスターへ手を伸ばした。
 瞭の腰から華麗に取り出されたのは、三十八口径のレプリカ銃だった。
 へぇ、よくできてんじゃん。
 得意気に取り出した瞭は、その銃口を省吾へと向ける。
 よくできたマグナム銃は、来る時にあったレトロな玩具屋で見つけたのだろう。さながら次元大介のような顔をして、斜にかぶったハットから不敵な笑みを見せている姿は、なかなかに決まっている。
 次元を気取った瞭を横目に、長くなった灰を灰皿代わりの空き缶へと落とした。その間マグナムは、容赦なく省吾のこめかみにつけつけられたままだ。
「世の中平和だねぇ~」
 貪り食ってる省吾に一言言って、カチリとシリンダーを回す。
「ちょっと、ちょっとぉ~。それ、BB弾とか入ってないだろーねぇ」
 レプリカとはいえ、かなり良くできた代物に対し、よく解ってない省吾がガキの安い玩具といっしょくたにしてBB弾なんて言うから、瞭の頬がピクリと引き攣った。
 あ~あ。地雷踏んだよ。
 苦笑いを浮かべて、二人のやり取りを眺める。
 地雷を踏まれた瞭は、凶器のマグナムを持っているというのに、未だサンドイッチを頬張り続ける省吾へヘッドロックし始めた。
 素手かよ。なんのための銃なんだか。
 じゃれあう二人を見て、自然と笑みが零れる。
「ぐぇっ」
 バタバタと暴れながらも、仕返しと言わんばかりに省吾が銃口へ人差し指を突っ込んだ。
「バカッ! 省吾。暴発したらどうすんだっ」
 さっきまで次元になりきっていた瞭が、あえて真面目腐って言い返した。
「だからっ、玩具だろぉーっ」
 首を絞められつつも、省吾は人差し指を銃口からはずさない。
「玩具って言うなっ」
「玩具、おもちゃ、オモチャッ! ぐえっ……」
 玩具を連呼され、ヘッドロックが更に絞まる。
「お前ら小学生かよ」
 二人の姿にケラケラ笑っていると、傍観してんなよ。と言わんばかりに、瞭がヘッドロックしたままの省吾を引き連れ、俺の上になだれ込んできた。
「うわっ!!」
 二人の体重に圧し掛かられ、椅子から転げ落ちる。三人でドタバタと床の上を転げまわっているところへ、控え室のドアが開いた。
「お前ら……、本当に仲良いよな」
 ドアに手をかけたまま、タケさんが呆れた顔のあとに苦笑いを浮かべている。
「それだけ仲良いいと、兄弟みたいだよな」
 その言葉に、瞭と二人で声をそろえた。
「こんな弟いらねぇよっ」
 省吾に向かって二人揃ってあげた声に、タケさんがゲラゲラと豪快に笑った。
「なんだよそれー。俺だけお荷物みたいじゃん」
 床に転がっていた省吾が起き上がり、むくれた顔で抗議する。
 瞭は、さっきまで騒いでいたとは思えないほど澄ました顔をして立ち上がると、手に入れたマグナムがかなりのお気に入りになったようで、クルクルと回してはサッとホルスターへ差し込みポーズを決めている。未だ、次元気取りだ。俺も椅子に座りなおし、省吾の不満顔に笑いを噛み殺していた。
 そうしていると、タケさんからとどめの一発。
「あれ、省吾。お前は、グリコのおまけだろ?」
 ケロリとした顔で告げると、省吾はむくれた顔を更にむくれさせた。
「タケさんまでー。ひどいよぉ~」
 さっきまで悪夢のせいで滅入っていた気分が、嘘みたいに晴れていた。こんな時、こいつらとバンドを組んでいて良かったって思うんだ。

「下。準備できたから、リハに入っていいぞ」
「うぃー」
 三人でぞろぞろと控え室を出て、外階段を下りていく。ライヴハウスの周りには、既に数名の熱心なファンがいた。
 控室からの階段を下り、ライブハウスの地下へと降りる一階の階段傍まで行くと、一人が俺の顔を認めて話しかけてきた。
「成人さん。今日も頑張ってください。楽しみにしてます」
 髪の長い二十歳そこそこの女が、差し入れ。と言って有名どころのプリンを差し出してきた。
「さんきゅ」
 特にこれといった会話もなく、礼だけを言って受け取ると女が頬を染めた。その表情を一瞥して思うのは、アイドルまがいに捉えられていることにいい気はしないという感情だけだった。顔じゃなくて、歌を聴いてくれよと心の中で思いながら、受け取ったプリンの箱をすぐ後ろから来た省吾へ見せると歓喜の声を上げた。
「うわぁーー。プリンだー」
 ガキのように喜び、プリンに飛びついている。
「アキちゃん、いつもありがとうー」
 ニコニコと、本当に嬉しそうな顔で礼を言っている。
 あの子、アキっていうんだっけ。昔からよく見かける顔だけど、名前を覚えるのは、苦手なんだよな。
 ポリポリと頭をかき、瞭と二人で先を行く。省吾はアキって子と話込んでいるのか、遅れて地下のライヴハウスに入ってきた。
「おっせーよ」
 シールドを繋ぎながら曲順を書いたセットリストの紙を、足元に置かれている目の前のスピーカーへと貼り付ける。
「だって、せっかくアキちゃんが差し入れくれたし。それに常連さんじゃん。ファンは、大事にしなきゃでしょ」
「はいはい」
「はいはいって……。アキちゃんがファンなのは、成人なんだよ。もっとサービスしてあげたらいいのにっ」
 省吾は、持ってきたベースの音を確認しながらブツブツと文句を言っているが、瞭が叩くドラムの音にかき消されてしまった。省吾の愚痴を聞き流し、喉の調子を整えつつ、今日やる一曲目から演奏し歌い始める。
 合間に入れた新曲は、歌詞が若干あやふやになりそうだから、あとでメモでもしてマイクスタンドに貼り付けておくか。
 照明と音の返り、MCの確認も済ませると時刻は十六時。ライヴまで約三時間。セッティングした楽器をステージに残したまま、再び地上に上る。
 外に出ると、リハ前に地下へ下りた時よりも、待ちの客が増えていた。ライヴハウスのスタッフが少しだけ困った顔をして、早々に集まり始めた客へと注意を促している。
 近隣は、ごく普通の民家ばかりが立ち並び、ライヴのない間は静かな場所だ。それが、いざライヴが始まるとなると、待っていた客が騒ぎ、家の回りにたむろするもんだから、苦情が結構来るんだと、タケさんがよく愚痴を溢してる。
「たまらないでくださーい」
 スタッフに言われダラダラと足を動かし、少しだけ近辺から遠ざかる客たちに紛れ、アキって呼ばれていた常連の女が目についた。
 さっき省吾に言われたからというわけでもないが、僅かに笑顔のサービスをしてから控室へ上る階段へ向かう。
 ほんの少し笑いかけただけで彼女の頬は上気し、この上ない喜びを浮かべた表情になった。
 ファンは、大事にか。
 苦笑いとともにステップを駆け上がる。
 控え室のドアを開け、椅子に腰掛け一服し、大量の煙を吐き出した。瞭と省吾も同様にタバコの煙を燻らしている。そのうちに、この狭い部屋はあっという間に靄に包まれてしまった。
 圭の渋い顔と、三角のイチゴミルク飴の甘酸っぱさが過ぎった。
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