8.招かざる客

エピソード文字数 4,061文字

 シャワーを浴びたあと、手荒にガシガシとタオルで頭を拭き室内を見渡した。ほんの二、三十分の間に、室内はさっきとは打って変わった状態になっている。空き缶やタバコの吸殻は、跡形もなくなくなり。ゴミ箱の傍に散乱していた廃棄物たちもなく、ゴミ箱自体が綺麗になっている。
 ベッドはきちんと整えられ、久しぶりに全開になった窓からは、心地よい五月の風が入り込んできていた。
「カーテン、新しくしません?」
 そう訊いてきたのは、さっきまで電話で呼ぼうと頭に思い浮かべていたどの女でもない。
「換気扇、直してもらったらどうですかぁ? カタカタ煩くないですかぁ?」
 かといって、それ以外の女というわけでもない。
「タバコの臭い、染み付いちゃっててダメですねぇ」
 布団に染み付いたニコチン臭に渋い顔をして、部屋の中をバタバタと行ったり来たりしているのは、ここの所俺の周りをチョロチョロしていた圭だった。
「つか、お前さぁ」
 何か言おうと口を開きかけると、わざとなのか、天然なのか。それを遮るように又一人で話し始める。
「成人さん。お金持ちなんですよねぇ?」
 話を遮って何を言い出すのかと思えば、何を根拠にそんな事を言っているのかわからないが、問いただす暇も与えずしゃべり続ける。
「お金持ってるのに、何でこんなおんぼろアパートに住んでるんですかぁ? インディーズじゃ売れっ子なんだし。エントランスドドーンのオートロックビビーンな良いとこのマンションに住んだらいいじゃないですかぁ?」
 なんだ、そのドドーン。やビビーン。は? 漫画じゃねぇんだ。いちいち効果音つきで話すなっ。
「住めりゃあ、何でもいいんだよ」
「でも、この貯金。もったいなくないですかぁ?」
 そう言ってやつが手にしているのは、紛れもなく俺の預金通帳だった。
「お前っ。いつのまにっ。勝手に見んなっ!」
 やつの手から、引っ手繰るように通帳を奪い取る。
 まったく、油断も隙もねぇな……。
 呆れた顔で圭を見ると、奪い取られた通帳にはもう興味をなくしたのか、今度は立てかけてあるギターをマジマジと見ている。いくつか並ぶギターは、殆ど女が貢いでいったものだった。ただ、一番左端に立てかけてあるギターだけは、別もんだ。あれには、特別な思い入れがある。ここに来た女にも、誰にも触らせることはない。
 並ぶギターの前にしゃがみ込んで眺めていた圭が、徐にそのギターへと手を伸ばした。
「さわんなっ!」
 圭がビクリと顔を強張らせ、動きを止めたが険しい目つきで睨みつける。
「それには、触るな」
 静かにくぎを刺すとスッと立ち上がり、すぐに何を考えているのかわからない、のほほんとした表情にかわった。
「えぇー。こんなにいっぱいあるんだから、ひとつくらい触ったっていいじゃないですかぁ」
 ぷくぅっと膨れて、ギターの前に両手を広げて立ちはだかると、未練タラタラの目をしてギターを振り返る。
 ったく、どんな言い分だ。いっぱいあるからなんだってんだ。
 だいたい。
「何でお前がここにいるんだよ」
「なんでって。成人さんのファンだから」
 ギターに向けていた顔を俺に向け、満面の笑みを浮かべている。
「だあぁぁーっ。そういうことじゃねぇだろっ。誰にここの場所を訊いたんだよっ」
「あぁ。店長さんです。小川店長さん」
 当然のように笑顔を浮かべそう言うと、またギターを見つめている。
 店長、口軽っ!

 つい三十分ほど前――――。
 シャワーを浴びる前に、女へ電話をしようとスマホを手にしていた。タオル片手にディスプレイをスクロールし、機嫌よく掃除しそうな女を選んでいると玄関でインターホンが鳴った。
「宅急便でーす」
 こんな稚拙な罠に何故はまってしまったのか。自分を呪うも、もう遅い。
 確認もせず、何の疑いもなくドアを開けると、そこには予想もしていなかった相手。圭が立って居た。
「――――はぁ?!」
 目を丸くし、突如出現した来訪者に俺が洩らした第一声はそれだけだ。驚愕している俺の思考が回転する前に、圭のやつはサッと玄関に入り込み靴を脱いだ。
 そうして、部屋を見回した後の第一声がこれだ。
「うわっ!? ごみ処理場?」
 失礼極まりない言葉を言い放ちやがった。 当然のその言葉にムカッときたわけだが、シャワーを浴びようと手にしていた左手に持つタオルを見て圭が訊ねる。
「シャワー浴びるんですか?」
「ん? あぁ」
 訊ねられた事に、つい怒るタイミングを逃してしまった。
「じゃあ、浴びてきちゃってください。その間に、僕ここ片付けておきますから」
 そう言って、今まで見たどの女よりも機嫌よく掃除を始めた。なんだかよく解らないまま、俺はシャワーを浴びに行き、そして今に至る。

「家にまで、勝手に来んなよ」
 ギターの前にしゃがみこんでいる圭へ、低い声で呟いた。
 ファンというくらいだから、憧れている人物に近づきたい気持ちはわかるんだが、それにしたって度を越えている。
「えぇー。でも、僕が来て助かったでしょ?」
 立ち上がり、綺麗になった室内を見回すと、満足げな顔をしてから俺を見る。
 確かに部屋は綺麗になった。
 だが、しかし――――。
「こういうの、迷惑なんだ。掃除してくれたことには感謝するけど、もうここ来るのはなしだ」
 綺麗になったテーブルの上にある、灰皿と一緒に置かれたタバコへ手を伸ばす。百円ライターで火をつけ咥え、肺いっぱいに吸った煙を吐き出してから圭を振り返った。
 すると、その目には大粒の涙が浮んでいた。
「っ?! えっ、おいっ! はぁっ?」
 女みたいに涙を浮かべたやつの顔に、咥えていたタバコをポロリと落とし、意味不明な言葉を洩らした。口から零れたタバコは、風呂上りの素足の上にまんまと落ちる。
「あぢっ!」
 慌ててバタバタと足を振り、床に転がるタバコを拾って灰皿にもみ消した。
「泣くことねぇだろうよ……」
 ガキみたいに涙を零す圭に、罪悪感を覚えてしかたない。まるで、弱いものいじめをしてしまったような感情に陥る。
 つか、俺が悪いのか?!
「だって、成人さん……冷たい……」
 グズグズと鼻を鳴らし、潤んだ瞳のまま訴えかけてくる。
 だからっ。その女みたいな泣き顔で俺を見るなっ!
 こいつは一体なんなんだ? なんてー、生き物なんだ? こんな女みてーな野郎には、今まで出会ったことがない。
 その辺のふざけた野郎だったら、有無も言わさず首根っこ引っ掴んでとっとと追い出すところだ。逆に女だったら体で落とすか、二度と俺の前に現れないように脅すところだ。
 だが、こんなどう対処していいのか解らない生き物に、今までかつて遭遇した事のない俺は頭を抱えた。
 両手で頭を押さえ、パンツ一丁でその場に蹲る。Vallettaのファンが見たら、情けなくて嘆き悲しむ姿だろう。
 どうしたもんかと蹲り頭を抱えていると、惚けた声が降りかかった。
「成人さん、どうしたんですかぁ? 頭痛いんですかぁ? あっ、わかった。お腹空いたんでしょう?」
 はっ?! お前のせいだろうがっ!!
 キッと睨み返すも、やつの視線は既に別の方へと興味を惹かれている。
 やっぱり、わからん。さっきまで、ボロボロと涙流して泣いてなかったか? なのに、何でもうこいつはケロッとした顔してんだよ。
 宇宙人か? こいつは宇宙人なのか? 俺は、未知との遭遇をしているわけか?
 コクーンか? ETか? マーズアタックか? 音楽を流したら、頭爆発して吹っ飛ぶか? だったら今すぐ大音量で流したいくらいだ。この現状を、木っ端微塵に吹き飛ばして欲しい。
 項垂れる俺のことなど放って、圭は勝手に冷蔵庫を覗いている。
「なぁーんにも入ってないんですねぇ。水とビールだけ」
 もう、何も応える気になれず、項垂れたままベッドに腰掛ける。もう一度タバコを咥え、随分ときれいに入れ替わった空気に紫煙を吐き出した。
 開いた窓から緩く入り込む風が、その煙をまた綺麗な空気に換えようとする。
「僕、スーパーで何か買ってきましょうか?」
 さっき来るときに大きなスーパーあったんで、と言いながらも、圭は吸ってるタバコに顔をしかめている。この煙草もゴミと一緒に処分してしまえばよかった、と思っているに違いない。
「いいよ。んなのは……」
 肺いっぱいに煙を吸い込み、溜息とともに吐き出した。
「お前さ。俺のファンなのは判るんだけど。もうちょっとファンらしくできねぇのかよ」
「ファンらしく?」
 秋葉にいる萌萌少女みたいに首をかしげ、どういうことですか? と圭は訊ねる。
 その姿に、メイドカフェにでも行け。と言いたくなった。きっと、俺なんかよりも人気者になるだろう、と苦笑いが漏れる。
「普通、ファンというのは。遠巻きに眺めて憧れてるのが関の山なんだよ。こんなところまで押しかけてくる奴なんているかよ」
「えぇー、そうなんですかぁ?」
 本当に解っていないのか、圭は不思議そうな顔で首を傾げている。その姿は、萌萌少女から、ペットの犬へと変わった。飼い主に向かって、愛らしく首を傾げるような仕草が、犬そのものといってもいい。犬好きのせいで、圭のそんな姿を見て不覚にも可愛いと思ってしまった。
 不覚にもだっ。 くそっ。
 つぅか、男に可愛いと思う自分が許せねぇっ! こいつは、犬じゃなくて人間なんだ。
 圭に対して抱いてしまった“可愛”いという感情を急いで打ち消した。
 余計な事を考えるのをやめて、クローゼットからジーンズとTシャツを引っ張り出し、着替えて出掛ける準備をする。チェストの上に置かれた鍵を手にし、タバコとライターをポケットに捩込んだ。
「出掛けるんですか?」
 圭の問いには応えず、玄関に行きスニーカーを引っ掛ける。すると圭は、慌てて開け放たれた窓を閉め、俺のあとを着いて家を出た。
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