16.居候

文字数 6,166文字

 夏は始まったばかりだというのに、その熱気は半端ない。玄関ドアを一歩開ければ、殺人的な熱気に襲われる。そんな暑さにやられてしまいそうな外とは対照的に、クーラーの効いた部屋でギターを抱え作曲に励んでいた。
 回しっぱなしのカタカタと鳴る換気扇の音に時々煩わしさを感じつつも、浮かぶメロディーを書き留めていた。
 ざっと一曲を書き上げたところで喉の渇きを覚え、立ち上がったついでに換気扇のスイッチを消した。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、グビグビと音を立て喉に流し込んでいると、寂れた音のインターホンが鳴った。
 ペットボトルを手にしたまま玄関スコープを覗きみれば、いつものあいつだ。鍵をはずし、ドアを開けると圭が立っている。
「お前。また来たの?」
 アキが絡んできた梅雨前のライヴ以来、圭のやつはほぼ毎日のようにして俺の前に現れてたいた。練習スタジオに顔を出したり、こうやって家に遊びに来たり。
 ローディーなんだから当然でしょ? と言う圭に、そんな事公言したのは間違いだったかもしれないと少しの後悔をするも、それ以上に賑やかなこいつが訪ねてくること嬉しく感じていることは否めない。天邪鬼なだけで、皮肉を言いつつも無駄に明るい圭が訪ねてくることに、嬉しさが心を占める。
 しかし、今日の圭にはいつもの賑やかさがない。なんだか様子が少し違っていた。何が違うって。とりあえず、表面上だけで言うと、やたらとデカイバッグを抱えて、いつもの笑顔がないのだ。
「お邪魔します」
 なんの遠慮もなく部屋に上がりこむのは同じだが、語尾を伸ばすこともない。何かあったのかと、僅かながら眉間にしわを寄せつつも迎え入れた。
 すると――――。
「僕。今日からしばらく、ここにお世話になります」
 お世話になる?
 その意味を理解しようとするよりも先に、圭は持っていた大きなバッグのジッパーを開け、中に納まっているものを次々と取り出し始めた。バッグの中から出てきたものは、衣類や洗面道具などで、まるで旅行に来たような荷物の中身だった。それをチェストの上に置いていく。
「え? おい。お世話になるって……」
「今日からここに住むんです」
 戸惑いながら問うと、勝手なことを言いだした。
 確かに圭と居るのは楽しいが、それとこれとは話は別だ。だいたい、男と一緒に暮らすなんて、俺にそんな趣味はない。
 困惑した表情のまま立ち尽くしていても、構うことなく圭はバッグの中身を空にしていく。
「お前、夏休みが始まるって言ったって。家に帰らないのは、マズイだろーよ」
 呆れかえってみせても、圭の表情はシラッとしたままだった。
「まったくマズくありません」
 きっぱり否定された。
「ちゃんと宿題も持ってきてますし。親にも言ってきましたから」
 住み着く気、満々のようで。遠慮とか躊躇いとかいうものが、一切感じられない。
 こんな外泊を許可する、親の顔が見てぇな、ったく。
「予備の布団なんかねーぞ。まさか、一緒のベッドで……、なんてことはないよな?」
 半ば冗談交じりにして問うと。
「当たり前じゃないですかっ!!」
 スゲー勢いで言い返された。
「僕、ソファで寝ますから。成人さん、夜這いとかやめてくださいね」
 チラリと流し目のような、イタズラな顔をして俺を見る。
 女でもないのに、襲うかっ。
 圭の目線にタジタジになりながら、荷物を片付けていく姿を傍で見ていた。荷物を総てチェストの上に置き終わると、首だけクルッとこちらへ向ける。
「女の人を呼ぶ時は、言ってください。してる間だけ、その辺で時間潰してきますから」
 オイッ! してる間だけとか、微妙な気の遣い方すんじゃねぇっ。
 圭の言動に、困惑してしまう。
 結局、何を言っても聴く耳を持たず。頑固な圭に項垂れ、俺は肩を落とす。しまいには、家政婦並に働きますからと、得意の縋るような目で見る始末。
 この夏俺は、本当に一匹のペットを飼う羽目になってしまった。

 自分で宣言したとおり、圭は家の事をよくしてくれた。ベッドは常に綺麗に整えられ、冷蔵庫の中身は食料品で満たされ、きっちり三食出される飯もなかなかのものだった。中学男子って、こんなに家事が得意なものだったろうか。
 自分のことをほとんど話さない圭は、もしかしたらそれなりに複雑な家庭環境の中にいるのかもしれない。自分のことは、自分でやらなくちゃいけないくらいの状況にはある気がした。
 圭が来てから、三日が過ぎた。依然、ソファを塒(ねぐら)にしている圭だ。夏だから風邪をひく心配はないだろうが、窮屈そうにして寝ている姿を見るとなんだか可哀相になってきた。
「なぁ。布団、買ってやろうか?」
 昼メシのあと、食器を洗っていた圭の背中に声を掛けた。すると、手にいっぱい泡をつけたまま、キラキラと目を輝かせベッドに座っていた俺に突進してくる。
「本当ですかっ?!」
 ガシッと両手を掴むと、以前、楽器屋の小川店長へしたのと同じようにして手を握り振り回す。
「ちょーーーっ、嬉しいですっ!!」
「わっ、わかったから。手っ、手っ!!」
 泡だらけの手で振り回すから、洗剤や水が床にも飛んでいる。指摘されて慌てた圭が、漸くびしょ濡れの手を離した。
「うわぁーっ。ごっ、ごめんなさいっ」
 謝りながらもその顔は、嬉しさに満ちていた。機嫌のよくなった圭は、Vallettaの歌を口ずさみながら食器洗いに専念している。
 まったく、喜怒哀楽の激しいやつだ。
 子供みたいにわかり易い圭に、心の中がくすぐったくなっていった。その後すぐにネットで布団注文し、購入した。便利なもので、翌日には真新しい布団が届き、圭が顔をほころばせていた。
 そんな圭だが、時々気になる行動をとることがあった。それは、些細な事と言われてしまえばそれまでのような事だった……。
 例えば、風呂上り。テレビを見ながらビールを煽っていると、なんとなく視線を感じて視線をやると、圭がこっちを見ているんだ。一緒の部屋にいるのだから、見られることもあるのは解るが、その視線てやつが、初めて会った時のものと重なる鋭いものだった。
「……どうした?」
 不審がって訊くと、なんでもないですと、すぐに表情を和らげる。そうやって、時折鋭い視線を向けては、何でもないということを繰り返していた。
 他には、やたらと俺の左側に回りこみ、何か小声でしゃべりかけるんだ。音量が小さすぎてよく聞こえない俺は、その都度聞き返すが、必ずと言っていいほど何でもないと返される。
 それらは一見たいしたことではないのだろうが、何度か続くと座りの悪い椅子にでも腰かけてしまったように、こちらも気になりだしてしまう。
 一体、なんなんだ?
 些細な疑問を感じながら、それでも毎日は過ぎていった。

 圭が来てからの俺は、すっかりタバコ愛好家ではなくなった。テーブルやベッド脇の棚には、タバコの代わりに三角イチゴミルク飴が常に置かれている。
 こんなに甘い物を毎日口にする羽目になるとは、少し前には想像もつかなかった。飯もしっかり三食食べさせられるし。このまま食い続けたら、マスターと同じメタボリックになる未来も遠くはないかもしれない。
 そんなことを考えて、そういえばずっと喫茶店に顔を出してないなと思い当たる。久しぶりにマスターの顔でも見に行くか。
「圭。メタボリック見に行くか?」
 冗談で言ったが、下手に勘のいい圭は、「マスター元気かな?」と喜んだ。どうやら、マスターの太り具合は、あからさま過ぎるようだ。
 苦笑いを噛み殺し、圭と二人で喫茶店へ向かった。ドアを開けて中を覗けば、二・三組の客がテーブル席に居るだけの暇そうな店内だ。
 マスターは、テレビの野球中継を見ながら、渋い顔をして腕を組んでいる。
「よぉっ。マスター」
 声を掛けると、途端に渋い顔が和らいだ。
「おっ。成人、久しぶりだなー。あれ? また、君一緒なんだ?」
 圭の顔を見て、マスターが相好を崩す。
「はい。僕、今成人さんとルームシェアしてるんです」
 自慢げに言う圭の頭を軽く小突く。
「シェアじゃなくて、居候だろ」
「いいでしょー。シェアでもぉー」
 語尾を伸ばして膨れている。
「いやいや。そこは譲れない」
 家賃も払ってないのに、シェアじゃねぇだろ。
 二人のやり取りを見ていたマスターは笑っている。
「なんにしても、仲が良くていいじゃないの」
 いつものカウンター席へ座ると、圭が左隣の椅子に腰掛けた。
 俺はどうも前から左側に人が居る事に居心地の悪さを感じていて、左に座った圭には右側の席へ移るよう促した。
「圭。お前、こっち側に行けよ」
「えぇー。そっちだとテレビがよく見えない」
 不満顔の圭に、いいから移動しろと右隣へ行かせる。
「成人さん。ここに初めて来た時も、僕を右側に座らせましたよね」
 不満を露にした声とは裏腹に、そう訴える圭の視線は、何かを読み取ろうとするように覗き込んでくる。
「よくそんな細かい事憶えてんなぁ。あんまり口煩いと、小姑みたいで嫌われっぞ」
 圭は、ぷくっと頬を膨らませて不満そうにしている。
「俺は、左側に人が居るのが嫌なんだ」
「どうして?」
「どうしてって……」
 そんなの、深く考えたことなどない。単に、居心地悪く感じてしまうだけのことだ。
「とにかく、右行けよっ」
「うわーっ。自己中っ!」
 まるで省吾みたいな口ぶりで非難された。
 圭は、仕方ないという風に右側の席に腰掛けぶつくさ言っていたが、出てきた海老ピラフがうまかったようで、口いっぱいに頬張るとすぐに機嫌も直っていた。単純でありがたい。
「たまには、外食もいいよな」
 ピラフをハムスターのように頬に詰め込んだまま、圭は大きく頷いた。
 美味い物を与えておけば機嫌もよくなるなんて、本当、ガキでよかったよ。
 飯も食べ終わり、依然流れている野球中継を、マスターと共に眺めいると、ポケットに入れていたスマホが震えだした。ディスプレイを確認すると、相手は省吾だった。
 スタジオ練習の予定変更でもあっただろうか? スケジュールを反故にしていただろうかと考えを巡らせながらすぐに通話に出た。
「もしも――――……」
「成人っ。なぁんでアキちゃんに連絡しないのさっ!!」
 こちらの言葉も遮り、開口一番、省吾の怒鳴り声が耳を刺激した。スケジュール関係だと思い込んでいた俺は、驚いてすぐにスマホを耳から遠ざける。
 なんなんだよ。
 気持ちを整えるようにして、再びスマホを耳に近づけると、省吾は未だ文句を垂れ流していた。
「アキちゃん。成人から一度も連絡が来ないって、落ち込んでるんだからねっ」
 アキ? ああ、あのちょっとばかり自己中で性格の悪そうな女のことか。確かに連絡先を渡されはしたが、掛けるかどうかは俺の自由だ。
 そもそもファンに手を出さないのを知っていて、何を言いだすんだ。まぁ、大体の理由は解るが。
「興味ない」
 完結に言い切ると、グッと押し黙るような空気が伝わってきた。
「……興味ないって。打ち上げの時は、楽しそうに話してたじゃん」
 一瞬、怯んだものの省吾はまた食って掛かる。
 楽しそうって。それは、アキだけの話だろ? こっちは、別に楽しかったわけじゃねぇよ。圭とまったり飯を食っていたのを邪魔されて、寧ろ静かにしていてくれってところだ。
 怒りに任せて言葉を吐き出し続けている省吾をこれ以上煽っても仕方ないと、言いたいことを言いきるまで黙って話を聞いていた。
 怒りをすべて吐き出したのか、省吾がようやく言葉を止めた。
 わざわざアキの代弁をするかのように連絡をしてきて、散々ぶー垂れた省吾は、アキの気持ちを汲み取り、連絡をし。更には、俺にアキを勧めた。
 明るくていい子なんだとか。素直なところもあるとか。顔だって可愛いとか。スタイルも抜群だとか。
 唇を尖らせてそんなことを言っているのだろうと想像すると、子供かよと突っ込みたくもなるが、省吾の純粋な気持ちもわかるから、安易に踏みにじるわけにもいかない。
 しかし。相手が自分を見ていないにしろ、俺に勧めるってのはどうなんだ。
 好きな子の願いを叶えてやりたい気持ちは、わからなくもないが、生憎、そんな気は少しもない。
「俺の気持ちは、どうなるんだよ」
 敢えてこちら側から疑問を投げかけると、さっきと似たような押し黙る空気が流れてきた。
「好きでもない相手と付き合う、俺の気持ちはどうなるんだ?」
 再び訊ねると。小さく吐く息が聞こえてきた。
 省吾だってわかっているのだろう。こんな風にしたところで、自分が少しも幸せではないことも、俺を困らせているということも。
「ごめん……成人。アキちゃんから泣きそうな声で頼まれたら、いてもたってもいられなくて。だって、アキちゃんの口からは、成人の名前しか出てこないんだよ。一緒にいるのは僕なのに、一度も僕のことを訊いてくれないし。成人、成人って。そのうちに泣きそうな声を出しちゃってさ……。そしたら、何だか僕もわけが解らなくなって……。ごめん」
 自分の浅はかさを嘆くように、省吾が黙り込んでしまった。
「自分の気持ちを俺で代弁しないで、アキって子にぶつけてこいよ。まー、玉砕したら、なんか食いもんでも奢ってやるよ」
 ケタケタと笑い声をあげて雰囲気を明るく変えると、省吾は少しだけ落ち込んだような笑いを零した。
「そうだね。俺、自信がなくてさ。アキちゃん、成人のことしか見てないから、つらくて。けど、自分の気持ちも伝えないで、何やってんだろうな」
 一旦間を空けると、スーッと深呼吸する音が聞こえてきた。気持ちを切り替えようとしているようだ。
「てか、玉砕とか言うなよなぁ~。まだ、わっかんないだろぉ」
 いつもの調子を取り戻した省吾が、間延びした語尾で言い返してくる。
 省吾の膨れた声にケタケタと笑っていると、圭が隣で不思議そうな顔をしながら、いつの間に頼んだのかプリンを頬張っていた。
 俺の周りはガキばっかりだと、苦笑いがもれた。
「省吾の気持ち。ちゃんと伝えた方がいいんじゃないのか?」
 受話器の向こうの省吾が、頷いた気がした。
「変な電話して、ごめん」
「別にいいさ。食い物、何がいいか考えておけよ」
「だから、玉砕するって決めんなよ」
 笑いながら言い返す省吾に、同じように笑い声を返した。

 腹ごしらえを済ませ、家に戻る道すがら。圭のやつは、チョロチョロと俺の周りを動き回っている。
「落ち着けよ」
 笑いながら注意を促すと、俺の左側でピタリと止まり何かを言った。
「ん? なに?」
 よく聞き取れなくて訊き返す。
 すると圭は、ゆっくりと前に回りこみ、やっぱり。と一人納得顔をしている。そのまま、クルッと前方を向き、先を歩いて行った。
 なんだ? 何がやっぱりなんだよ。
 何かを悟ったような顔をした圭を訝しみ、眉間にシワを寄せながら、またチョロチョロと動き回っている背中を見て歩いた。
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