17.記憶の錯乱

エピソード文字数 4,420文字

 圭と二人、練習スタジオへと向かっていた。いつものスタジオまでは、電車に乗り五駅。電車内の涼しい空気とF分の一の揺らぎに心地よさを覚え、椅子に座ったままうつらうつらしてしまう。隣に座っている圭が、五駅目で俺の体をゆすった。
「成人さん。着きましたよ」
 圭に促され、ギターを抱えてホームに降り立った。行きかう他のやつらにぶつからないよう、縫うようにして歩き改札を抜ける。
 スタジオまでは、駅から歩いて十分強。案外、歩かなきゃならない。ただ、裏道の住宅街を抜ければ、その距離は三分ほど縮まる。今日も、住宅街の方に足を向け、距離をショートカットする。
 少し歩いた先から、ガラガラと瓦礫の崩れる音が聞こえて来た。歩行者を誘導する、警備員の声。首の長いショベルカーの頭が、少し離れたここからでも見えた。
「工事してるんですねぇ」
 圭が言うとおり、いつも通る道の脇にある、古くなったマンションが解体されはじめていた。白い帆がマンションの下半分を隠し、その上から覗くショベルカーが容赦なく外壁に大きな爪を引っ掛け取り壊していた。
 解体されていく古いマンションを前に、心臓が大きくドクリと妙な音を立てた。舞う粉塵に喉の奥がざらついていく。景色は歪み、微かに眩暈が襲う。
 自分の体なのに、自分の意思に沿わない感覚が徐々に迫りくる。
 なんだ……これ。
 呼吸の間隔が短くなっていく。吐く息は、素潜りでもしたあとのように息苦しさを覚えた。工事中の脇には、簡易で造られた細い道があり、警備員が誘導灯を振って通る人を促している。
 圭は、その脇道を躊躇いなく先に進んで行った。
 その姿に、映像がフラッシュバックする。
 人が倒れている。駆け寄る姿と、飛び散る鮮血。声にならない、悲鳴。
 目の前の光景とは違うその映像が脳内を埋め尽くし、更に息苦しくさせていく。
 呼び止めなきゃいけない。この先に行っちゃいけない。そっちに行っちゃダメなんだ。
 悪夢が、よみがえる。
「圭っ!!」
 叫び声に、圭が立ち止まり振り向いた。
 眩暈は、さっきよりも酷い。ふらつく体を両足で踏ん張り、なんとか堪える。
「この道は、やめよう……」
 ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の音で、数メートル先にいる圭へ声が届かない。
「なんですかぁ?」
 よく聞こえない。と圭が訝しむ。
「圭!! 戻ろうっ!」
 今度は、声を振り絞り叫んだ。俺の足は、そこに留まったまま一歩も動けない。
「どうしてですかぁ? この道通れますよ。こっちのが近いじゃないですかぁ」
 のん気な圭の声が、フラッシュバックした時の映像と重なった。
 映像のリプレイ。記憶のプレイバック。
 以前、同じ事を誰かが言った。
 俺が言った……? アイツが言った……?
 混乱する記憶。迫り来るような危機感。苦しい呼吸に襲う眩暈。
「圭っ。いいから、戻ってこいっ!!」
 必死すぎる呼びかけに、圭は訝しがりながらもこっちへ戻ろうとした瞬間だった。
「あぶないっ!!」
 警備員の叫び声が先なのか。俺が気付いたのが先なのか。
 ショベルカーが容赦なく崩していたマンションの瓦礫の固まりが、半分しかないガードの帆を避けるようにして囲いの外へと降ってきた。
 咄嗟に飛び出していた。
 圭は、真上から降ってくる瓦礫にまだ気付かない。
 圭の傍に走り寄るまでの時間は、まるでスローモーションだった。周りの音は、総て消え。過呼吸の息苦しさと、異様に鳴り響く心臓の音だけがドクドクと耳に届く。
 降ってくる瓦礫から圭の体を護るようにして抱え込み、コンクリートの上に転がった。
 瓦礫の固まりが鈍い音を立て、砕け散るのがわかった。粉塵が舞い、砕けた破片が飛び散る。
 遠くの方で、「大丈夫かっ!」と騒ぎ立てる声が、微かに聞こえていた――――。

 朦朧とする意識の中、僅かに声が届く。
「――――げとさんっ! 成人さんっ!!」
 必死で俺を呼ぶのは、圭の声だ。
 どうした? なんで、そんなに慌てているんだ? 泣いてるのか? 男のくせに泣くなよ。お前に泣かれると、俺どうしていいかわかんねぇじゃねぇかよ。
「揺すらないでっ。離れてっ」
 聞き覚えのない声が、圭の行動を止めている。
 体が宙に浮く。周囲は、騒がしくしゃべり続けている。
 何で、こんなにみんな慌ててるんだよ……。少し落ち着けよ。これじゃあ、圭のやつが何人もいるみたいじゃねぇか。圭のやつが……何人も……。
 意識は、少しずつ遠のき。思考は、途切れてはつながり。周囲の音は、聴こえては遠のく。
 苦しかった呼吸も、バクついていた心臓も、今は落ち着いている。
 そう。もう、大丈夫だ。
 だから、……少し。少しだけ……、眠らせてくれ――――。

 霧に霞むような意識の中、形式的な会話が耳に届いた。
「外傷は、かすり傷程度です。ですが、念のため意識が戻りましたら、脳の精密検査を行いますので」
「よろしくおねがいします」
 かすり傷。精密検査。
 誰か怪我でもしたのか。
 訊きたいのに声が出ない。なら、そばで話すやつらの顔を見ようと試みる。けど、瞼が重過ぎて持ち上げられない。そういえば、体も動かない。
「僕のせいです……。僕が、成人さんのいう事をすぐにきかなかったから……。成人さんが戻れって言ったのに……」
 圭が鼻をすすりながら話している。
 お前、また泣いてんのかよ。
 圭のぐずる声を聞きながら、さっき傍で話していた会話を思い出していた。
 そっか。怪我って、俺のことか。どうりで、体が動かないはずだよな。目が開けられないのは、薬でも効いてるせいか。
 かすり傷って、俺、結構丈夫にできてんだな。頭は、少しくらい打っとい方がマシになりそうな気もするけど。
 それにしても、酷く、眠むい。
「圭君のせいじゃないさ。気にすることはない」
 瞭? お前も傍にいるのか?
「そうだよ。圭君が責任感じる事ないんだよ」
 省吾まで。随分と大袈裟な状況になってるみたいだな。
「それにしても、大事に至らなくてよかった」
 瞭は、ほっとしたように呟いている。
「瓦礫は、当たらなかったはずなのに。成人は、どうして気を失ったんだろう」
 省吾が呟いている。
「僕を呼び止める前、なんだか様子はおかしいなって思ったんですけど……」
 圭の言葉に、三人は無言になる。そこへ、けたたましい音を立ててスマホが鳴り響いた。
「うわっ!!」
 鳴り出したのは、省吾のスマホらしい。
「省吾。お前病院内だぞ。電源切っとけっ」
「ご、ごめんっ!!」
 瞭に叱られ、スマホを手に慌てて病室を出て行ったようだ。そうして、室内はまた静かになる。
「ねぇ、瞭さん」
 圭が、傍にいる瞭へと問う。
「成人さんて、昔何かあったんでしょうか……」
「どうして」
 瞭に問い返され、圭は押し黙っている。
「人は、それぞれ色んなものを抱えて生きてるものさ。圭君だって、そうだろ?」
 瞭の質問に、圭の返事は聞こえてこない。
「成人にだって、何かしらの過去はある。それが、どういった類のものか俺は知らないが。あいつなりに悩み続けているのは、ここ数年傍にいてわかっていた。けど、それを話さないってことは、成人の中でまだケリがついていないってことなんだろうよ」
 圭は、ただ黙って瞭の話を聞いている。
「なぁ、圭君。ああみえて、不器用なやつなんだ。だから、成人の事。色々とフォーローしてやってくれよ。な」
 瞭がそういうと、今度は、うん。とか細い声が聞こえてきた。
 二人の話し声を靄の中で聞きながら、俺はまた深い眠りへと落ちていった。

 次に目を覚ました時、周囲には朝方の明るい日差しが差し込んでいた。瞼を持ち上げ、目だけで病室内を窺うと、傍には看護師がいて腕時計を見ながら点滴の調整をしていた。
「あの……」
「あ。目、覚まされました」
 看護師は、笑顔を浮かべ気さくに話しかけてくる。
「昨日、事故にあって運ばれて来たんですよ。今日は、午後から検査がありますからね」
 サクサクと今日の予定を話す看護師に、圭のことを訊ねた。
「あ、彼? 凄く心配してましたよ。あとから、お知り合いの方二人も来てました。とても、大切に思われてるんですね」
 大切に。
 看護師にしてみれば、患者に向かってよく言う、何気ない言葉だったのかもしれない。けれど、今の俺には、大切というその言葉は胸の中に温かみを持って広がっていった。
 看護師は、笑顔を残し病室を出て行った。
 一人になった病室で、昨日の事をゆっくりと思い出していった。
 圭と二人、スタジオへ向かっていた住宅街の裏道。いつもは、静まり返っているはずのその通りには、大きな音が響いていた。
 工事中の古いマンションに向かって、高く伸びるショベルカー。瓦礫の崩れる音と粉塵の中、誘導灯を振って、警備員が通り行く人を促していた。
 工事用に設けられた細い道を、先に圭が歩いて行く後姿を見ながら、足が前に出なくなった。襲ってきた眩暈と、得も言われぬ不安感に、心が落ち着きをなくしていった。
 圭を呼び止めなくちゃいけない。このまま先へ進ませるわけにはいかない。襲われる不安感は、あの悪夢と重なったせいだ。
 しかし、圭と叫んでも、工事の音に邪魔をされ声が届かない。そのうちに、目の前の光景とは別の映像が脳に流れ込み、時々見るあの夢の中のような閃光と、激しい恐怖を呼び起こす。
 呼吸が速くなり、過呼吸が襲った。前を行く圭の姿が、誰か別のやつにすり替わる。
 いつも見る夢の中では、先を行くのは俺自身だった。俺の背中に向けて、誰かが叫んでいるんだ。
 待て、と。行っちゃだめだ、と。
 なのに、あの時。圭の背中を見ながらフラッシュバックし映像には、別の誰かがいた……。
 あれは、誰なんだ。
 ショベルカーも、瓦礫の崩れるさまも夢と同じだった。夢の中では、アイツが俺を呼び止めた。圭のようにいうことを聞かず先を行った俺を、アイツが呼び止めたんだ。
 なのに、フラッシュバックしたその映像は違っていた。呼び止めていたのは、アイツじゃなかった。
 大丈夫だ。とのんきに前を歩いていたのは誰だ? 前を行くやつを呼び止めていたのは、一体――――。
 記憶が食い違う。いつも魘(うな)されていた悪夢とは、別の映像が今までの記憶を曖昧にさせていく。昨日の光景といつも見る悪夢。閃光と共に、突如入り込んだ映像が交錯する。
 今まで自分が記憶していたものは、一体何だったんだ。
 無理に思い起こそうとすると、はっきりとしない記憶にまた眩暈が襲ってきた。歪んでいく記憶の映像に吐き気がし、それ以上考える事ができなくなる。
 結局。夢とは異なる映像がなんなのかわからずに、俺は再び眠りに落ちた。
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