22.告白
文字数 3,112文字
一夜明けても、突き付けられた現実をうまく受け入れられず、頭は考えることを拒絶していた。今日すべき事だけを考えようと、瞭に言われていたとおり練習スタジオへと向かう。
一人電車に揺られ過ぎ行く景色を見るともなしに眺め、最寄り駅で降りる。いつもなら、住宅街を抜けるあの工事現場のショートカットの道を利用するところだが、どうしても足が向かず時間をかけてスタジオに向かった。
足取りは重く、古い映画で観たような、重りのついた足かせでもつけられている気分だった。突きつけられた現実に、心は戸惑ったままだった。
受け入れられないまま、スタジオの自動ドアをくぐると、いつものように岩元が待ち構えていた。
「青葉君」
話す気力もなく、岩元の横を素通りする背中に、もう一度声が掛かる。
「君にデビューして欲しいと、心から望んでいる人がいるんです。誰よりも、君のデビューを待ち望んでいる人が」
いつにもない、何かを訴えかけるように感情のこもった真剣な声だった。その声に足を止めた。
誰よりも、待ち望んでいる奴だって?
ゆっくりと背後を振り返ると、小さく頭を下げた岩元がスタジオを出て行った。
誰よりもデビューを待ち望んでいる人がいるんです――――。
岩元の言葉が、耳についてはなれない。
少しの間、その場に佇み岩元が出て行ったドアを見ていた。
受付に声をかけ、廊下を進み。予約していた練習スタジオのドアを開けると、瞭と省吾の姿が既にあった。俺に気がつくと、二人とも手の動きを止める。ドアの傍に立ったままいると、瞭が静かに言った。
「圭君。昨日は、俺の家に泊めたから」
圭を追い出した形になった昨日、瞭のところに泊まった事を聞いて安心した。
「成人、あのさ……」
躊躇いながら省吾が話しかけてくる。
「瞭と圭君から、その……色々聞いて。俺、言葉たくさん知らないからうまく言えないけど。……今まで何にも知らなくてごめんっ。てか、耳の事、気付かなくて、ゴメン……」
省吾が頭を下げるから、らしくないことすんなと肩に手を置き、頭を上げさせる。
「省吾が悪いことなんて一個もないんだし。謝るなら、俺だろ」
「成人だって、謝る事ないよっ」
少しだけ自らを嘲るように笑みを浮かべると、省吾が声を大きくして言い返す。でも、それは怒っているわけじゃない。労わる気持ちの裏返しだ。
省吾が、いつもの笑顔を作る。
「俺は、成人と瞭と三人で音楽が出来ればそれでいいから。それだけで、いいからさ」
省吾のセリフに瞭の口角が、ほらな。というように上がる。
「成人。そういうことだ」
瞭は、笑顔を浮かべ結論付けた。
俺自身さえまだ心の整理がついていないっていうのに、この二人は……。いつだって俺のことを一番に理解しようとしてくれる。
俺の大事な――――友達。
練習を終えて廊下に出ると、自販機傍のボロイ長椅子に、昨日追い返してしまった圭が座っていた。俺の顔を見た瞬間、不安そうな表情を浮かべて立ち上がる。
「帰るか」
圭の頭にぽんと手を置き、ゆっくりと先を行く。圭は、ほっとしたような声で「はい」と返事をしてあとを追ってきた。
遠慮がちに後ろをくっ付いて来る圭に、前を向いたまま訊ねた。
「頼とは……。どういう知り合いなんだ?」
圭は、少し躊躇った後に口を開いた。
「家が隣同士で。僕の兄貴みたいな人」
「そうか……」
頼には、俺以外にも弟がいたのか。世話の焼ける弟ばかりだな。
圭が戻ってきたせいか、瞭と省吾の熱い気持ちのせいか、ほんの少しだが現実を受け入れられつつあるようで、苦笑いが浮かんだ。
「成人さんの事、頼はずっと後悔してました……。成人さんが夢に魘され続けていたように、頼もずっと苦しんでいたんです……」
圭は、わかって欲しいというように縋る目をする。
わかってる。ちゃんと、わかってるよ、圭。頼に今まで辛い思いさせてきたこと、充分にわかってるから。
「僕単純だし、頼は初め何も話してくれなかったから。急にバンドを解散しちゃったのは、成人さんのせいだって思ってた。頼から音楽を奪った成人さんの事、ずっと恨んでたんです……」
「恨まれるのは、仕方ないさ。事実、俺のせいだからな」
記憶を摩り替え続けた自分に、情けなさが込み上げ自嘲気味に応えると、圭は必死になって言い返す。
「違いますっ。違うって、言ったじゃないですか」
後ろを歩いていた圭は、前に回りこみ俺の両袖を引っ張るようにして訴えかける。
「あれは、事故だったんです。成人さんのせいじゃないっ」
立ち止まり、泣きそうな顔をしている圭の両手を優しく掴んで放した。
圭の口元がごめんなさいと動いた。
「僕。最初は、勘違いしてたから、成人さんに近づいて文句を言ってやろうって思ってたんです」
初めて圭と楽器屋で会った時に感じた鋭い視線。あれは、そういう事だったのか。
「けど、近づけば近づくほど、僕が思っていたこととズレが出て。成人さんだって、悪い人なんかじゃなくて。寧ろ、知って行くほど好きになって。頼と同じくらい、好きになって。成人さんの左耳が聴こえてないって気付いた時だって、僕の方がショックで……」
圭は、自分のことのようにして落ち込んでいる。
「僕、自分が頼を見てきて考えていたことと。成人さんが思いこんでることを確かめたくて。それで、この前一度実家に帰って――――」
「頼に……。会って来たのか」
「はい……」
「頼は、過去の話をする事。初めは、躊躇ってたんです。それでも僕は、乗り越えて欲しかったから。頼にも、成人さんにも乗り越えて欲しかったから」
圭は、両手の拳をきつく握る。このままでいいわけがないと、必死に訴えかけてくる。
「成人さんが自分を庇った事で、左耳が聴こえなくなってしまった事に、頼は責任を感じています」
「責任なんか。片方聞こえないくらい、たいした事じゃねぇのに……」
俺のつぶやきに、圭は複雑な表情を浮かべている。
「僕。頼を助けたいんです。頼に、もう一度音楽やってもらいたいんです。だから、成人さん。お願いします。頼を救ってあげてください」
お願いします。と圭は頭を下げる。
「頭を上げろよ。……頼には、逢いたいと思ってる」
圭の顔に希望の色が浮かぶ。
「頼は、今でも時々ギターを弾きながら歌ってます。僕や、知り合いに気付かれないように、少し離れた公園に行って。一人で歌ってるんです」
頼も俺と同じで、音楽からは離れられなかったんだな。
頼のことを知り、記憶が戻った今。俺に出来る事は――――。
その夜。俺は、あの夢を見た。
先を行く頼を呼び止める俺。オールナイト明けではしゃぐ頼。
頼の傍に走り寄り、その後すぐに受けた衝撃と血に染まるコンクリート。
頼の、揺れる瞳。
真実を見せた夢は、辛いというよりも、悲しみに押しつぶされてしまいそうなほど、悲しさを胸に広げていった。
心に広がった悲しみの膜をゆっくりと押し破るようにして、瞼を持ち上げる。
暗闇の中、天井見上げたまま静かに涙が零れた。
「らい……」
アイツの名前と涙が零れ落ちる。
涙のあとを右手で拭い、首だけを動かし眠る圭に視線を移した。
今まで見続けた悪夢を、この先見ることはないだろう。捻じ曲がった記憶の悪夢とは、さよならだ。
俺の記憶を取り戻してくれた、まだ十三歳の少年に「ありがとう」と小さく呟いた。
今度は、頼を悪夢から救いたい。
目を閉じ、決意を固めるようにして再び瞼を閉じて眠りについた。
一人電車に揺られ過ぎ行く景色を見るともなしに眺め、最寄り駅で降りる。いつもなら、住宅街を抜けるあの工事現場のショートカットの道を利用するところだが、どうしても足が向かず時間をかけてスタジオに向かった。
足取りは重く、古い映画で観たような、重りのついた足かせでもつけられている気分だった。突きつけられた現実に、心は戸惑ったままだった。
受け入れられないまま、スタジオの自動ドアをくぐると、いつものように岩元が待ち構えていた。
「青葉君」
話す気力もなく、岩元の横を素通りする背中に、もう一度声が掛かる。
「君にデビューして欲しいと、心から望んでいる人がいるんです。誰よりも、君のデビューを待ち望んでいる人が」
いつにもない、何かを訴えかけるように感情のこもった真剣な声だった。その声に足を止めた。
誰よりも、待ち望んでいる奴だって?
ゆっくりと背後を振り返ると、小さく頭を下げた岩元がスタジオを出て行った。
誰よりもデビューを待ち望んでいる人がいるんです――――。
岩元の言葉が、耳についてはなれない。
少しの間、その場に佇み岩元が出て行ったドアを見ていた。
受付に声をかけ、廊下を進み。予約していた練習スタジオのドアを開けると、瞭と省吾の姿が既にあった。俺に気がつくと、二人とも手の動きを止める。ドアの傍に立ったままいると、瞭が静かに言った。
「圭君。昨日は、俺の家に泊めたから」
圭を追い出した形になった昨日、瞭のところに泊まった事を聞いて安心した。
「成人、あのさ……」
躊躇いながら省吾が話しかけてくる。
「瞭と圭君から、その……色々聞いて。俺、言葉たくさん知らないからうまく言えないけど。……今まで何にも知らなくてごめんっ。てか、耳の事、気付かなくて、ゴメン……」
省吾が頭を下げるから、らしくないことすんなと肩に手を置き、頭を上げさせる。
「省吾が悪いことなんて一個もないんだし。謝るなら、俺だろ」
「成人だって、謝る事ないよっ」
少しだけ自らを嘲るように笑みを浮かべると、省吾が声を大きくして言い返す。でも、それは怒っているわけじゃない。労わる気持ちの裏返しだ。
省吾が、いつもの笑顔を作る。
「俺は、成人と瞭と三人で音楽が出来ればそれでいいから。それだけで、いいからさ」
省吾のセリフに瞭の口角が、ほらな。というように上がる。
「成人。そういうことだ」
瞭は、笑顔を浮かべ結論付けた。
俺自身さえまだ心の整理がついていないっていうのに、この二人は……。いつだって俺のことを一番に理解しようとしてくれる。
俺の大事な――――友達。
練習を終えて廊下に出ると、自販機傍のボロイ長椅子に、昨日追い返してしまった圭が座っていた。俺の顔を見た瞬間、不安そうな表情を浮かべて立ち上がる。
「帰るか」
圭の頭にぽんと手を置き、ゆっくりと先を行く。圭は、ほっとしたような声で「はい」と返事をしてあとを追ってきた。
遠慮がちに後ろをくっ付いて来る圭に、前を向いたまま訊ねた。
「頼とは……。どういう知り合いなんだ?」
圭は、少し躊躇った後に口を開いた。
「家が隣同士で。僕の兄貴みたいな人」
「そうか……」
頼には、俺以外にも弟がいたのか。世話の焼ける弟ばかりだな。
圭が戻ってきたせいか、瞭と省吾の熱い気持ちのせいか、ほんの少しだが現実を受け入れられつつあるようで、苦笑いが浮かんだ。
「成人さんの事、頼はずっと後悔してました……。成人さんが夢に魘され続けていたように、頼もずっと苦しんでいたんです……」
圭は、わかって欲しいというように縋る目をする。
わかってる。ちゃんと、わかってるよ、圭。頼に今まで辛い思いさせてきたこと、充分にわかってるから。
「僕単純だし、頼は初め何も話してくれなかったから。急にバンドを解散しちゃったのは、成人さんのせいだって思ってた。頼から音楽を奪った成人さんの事、ずっと恨んでたんです……」
「恨まれるのは、仕方ないさ。事実、俺のせいだからな」
記憶を摩り替え続けた自分に、情けなさが込み上げ自嘲気味に応えると、圭は必死になって言い返す。
「違いますっ。違うって、言ったじゃないですか」
後ろを歩いていた圭は、前に回りこみ俺の両袖を引っ張るようにして訴えかける。
「あれは、事故だったんです。成人さんのせいじゃないっ」
立ち止まり、泣きそうな顔をしている圭の両手を優しく掴んで放した。
圭の口元がごめんなさいと動いた。
「僕。最初は、勘違いしてたから、成人さんに近づいて文句を言ってやろうって思ってたんです」
初めて圭と楽器屋で会った時に感じた鋭い視線。あれは、そういう事だったのか。
「けど、近づけば近づくほど、僕が思っていたこととズレが出て。成人さんだって、悪い人なんかじゃなくて。寧ろ、知って行くほど好きになって。頼と同じくらい、好きになって。成人さんの左耳が聴こえてないって気付いた時だって、僕の方がショックで……」
圭は、自分のことのようにして落ち込んでいる。
「僕、自分が頼を見てきて考えていたことと。成人さんが思いこんでることを確かめたくて。それで、この前一度実家に帰って――――」
「頼に……。会って来たのか」
「はい……」
「頼は、過去の話をする事。初めは、躊躇ってたんです。それでも僕は、乗り越えて欲しかったから。頼にも、成人さんにも乗り越えて欲しかったから」
圭は、両手の拳をきつく握る。このままでいいわけがないと、必死に訴えかけてくる。
「成人さんが自分を庇った事で、左耳が聴こえなくなってしまった事に、頼は責任を感じています」
「責任なんか。片方聞こえないくらい、たいした事じゃねぇのに……」
俺のつぶやきに、圭は複雑な表情を浮かべている。
「僕。頼を助けたいんです。頼に、もう一度音楽やってもらいたいんです。だから、成人さん。お願いします。頼を救ってあげてください」
お願いします。と圭は頭を下げる。
「頭を上げろよ。……頼には、逢いたいと思ってる」
圭の顔に希望の色が浮かぶ。
「頼は、今でも時々ギターを弾きながら歌ってます。僕や、知り合いに気付かれないように、少し離れた公園に行って。一人で歌ってるんです」
頼も俺と同じで、音楽からは離れられなかったんだな。
頼のことを知り、記憶が戻った今。俺に出来る事は――――。
その夜。俺は、あの夢を見た。
先を行く頼を呼び止める俺。オールナイト明けではしゃぐ頼。
頼の傍に走り寄り、その後すぐに受けた衝撃と血に染まるコンクリート。
頼の、揺れる瞳。
真実を見せた夢は、辛いというよりも、悲しみに押しつぶされてしまいそうなほど、悲しさを胸に広げていった。
心に広がった悲しみの膜をゆっくりと押し破るようにして、瞼を持ち上げる。
暗闇の中、天井見上げたまま静かに涙が零れた。
「らい……」
アイツの名前と涙が零れ落ちる。
涙のあとを右手で拭い、首だけを動かし眠る圭に視線を移した。
今まで見続けた悪夢を、この先見ることはないだろう。捻じ曲がった記憶の悪夢とは、さよならだ。
俺の記憶を取り戻してくれた、まだ十三歳の少年に「ありがとう」と小さく呟いた。
今度は、頼を悪夢から救いたい。
目を閉じ、決意を固めるようにして再び瞼を閉じて眠りについた。