6.小五月蝿いガキ

文字数 3,974文字

「じゃあ、また」
 いつものスタジオ練習が終わったあと、瞭と省吾に手を上げて歩き出したところへ、突然人影が現れた。猫のようなすばしっこさでサッと現れた姿に、表情は条件反射のように曇った。
「しーげとさんっ」
 曲がり角からひょっこりと顔を出したのは、楽器屋でウザかった中学生の圭だった。
「なんだよ」
 こいつ、何でスタジオの場所まで。
「練習、終わったんですよね?」
 突然の来訪者に思わず怯んでいると、圭のやつは人懐っこい笑みを向けてきた。楽器屋に現れた時、関わりたくないと思っていた少年からまんまと付け狙われている現実に、どう対処するべきか頭を悩ませる。下手に口を聞けば頭にのるだろうと、とにかく今は無視を決めこむことにした。
 ほんの僅かだけ一瞥し、すぐに背を向け歩き出す。
「あっ。待ってくださいよぉ」
 しかし、素っ気ない態度をされたところで諦めるようなやつではなく、勝手に後ろをついてきた。少しばかり足を速めても、わざとゆっくり歩いても。時折、立ち止まり自販機で缶コーヒーを買っていても、やつは付かず離れず、俺の半歩後ろをついてくる。このままいくと、行動範囲が筒抜けになりそうだ。
 買った自販機のコーヒーをやけくそ気味に一気に飲み干すと、缶を握る手に力が入る。
「なんなんだよっ!」
 ストーカーのような圭の行動に苛立ちを覚え、少し語尾を荒げる。
「ファンです」
 満面の笑顔を向けられ、なるほど。簡潔な答、どうもありがとう。って、おいっ!
 脳内のノリ突込みが聞こえているかのように、圭のやつは可笑しそうな顔をしている。
「そういうこと訊いてんじゃねぇだろ。何で、ついてくんだよ」
「えぇっとぉ。成人さんのことを、もっとよく知りたいんです、」
 にこりと最後に笑顔を付け加える。そこいらにいる女どもより愛想がいいときた。自然と頬が引き攣っていく。
 知りたいって何だよ。男と女の関係でもあるまいし。俺にそっちの趣味は、ねぇぞ。
 力を込めて握っていた空の缶を、備え付けのゴミ箱へ雑にねじ込んだ。中は溢れるギリギリ手前で、次に誰かが捨てようとしても無理だろう。
 ついてくる圭を無視して、また歩き出す。どこまで行っても半歩後ろを黙ってついてくる様は、よくいえば奥ゆかしい妻のようだが、どう考えてもただのストーカーにしか思えない。
 ファンというのは、こういうものだったか? 違うよな? こう、もっと遠巻きにキャアキャア騒ぎ、握手してくださいだの、サインしてくださいだの。そういうのが、ファンというやつじゃなかったか? それとも、そう把握してきた、今までの俺が間違っていたのか?
 つぅか、他にやることねぇのかよ。今時の中学生は、こんなことするほど暇なのか? 家に帰って、宿題でもやってろってんだ。
 イライラしながら、タバコを取り出し一本咥えた。すると、さっきまで半歩後ろを黙ってついてきていた圭が、素早く前に回りこみ、背伸びをしてグッと顔を近づけてくる。
「なん……だよ……」
 咥えタバコのままで、応える顔が引き攣った。
 だから、そっちの趣味はないんだって。
 中性的な圭の顔が近づいたことに、頬がピクピクと反応してしまう。思わずたじろぎ見ていると、咥えていたタバコをスッと取られた。
「タバコは、ダメですっ」
「あっ!」
「喉によくないって、言ったじゃないですかぁ」
 咥えていた煙草を口から引っこ抜いたかと思うと、いともあっさり握りつぶす。あまりに華麗なその手捌きに言葉がない。何なら、タバコひっこ抜き塾に通って、毎日のように華麗な手さばきを練習しているんじゃないかと思うくらいだ。
 唖然としたまま圭の顔を見ていると、握りつぶしたタバコの代わりに、またあの三角イチゴミルク飴を差し出された。
「はい。これ舐めてくださいね」
 ご丁寧に包み紙から出して摘まみ上げると、俺の顔を見て「あーん」などと言っている。つい条件反射で、パブロフの犬の如く「あーん」と口を開けたところへ飴を放り込まれた。
 はっ……。しまった。何をやってんだよっ。何が、あーん。だっ。アホかっ。
 圭のペースに飲まれ、自分自身に愕然としていると、放り込まれた飴で口の中が甘い香りと味に支配されていく。目の前では、満足そうに笑みを浮かべた圭が、どや顔でのぞき込んでいた。
 しかし、なぜだかどうにもこの顔が憎めない。
 中性的な女顔だからか? クリっとした目や、ちょっとプリッとした唇に化粧を施したら、その辺の女より可愛く仕上がりそうだと観察してしまう。
 って、だからっ。違うっ、違うっ!! 俺にそっちのけは一切ない。俺は、無類の女好きだ。だから、そんなことなど、断じてあるわけがないっ。
 圭のせいで、脳内はアホくさい思考に縛られていく。自分の性癖を揺るがすようなコイツの行動に動揺していると、当の本人は全く頓着した様子もなく「どこに行くんですかぁ?」と相変わらずの調子で訊ねてくるばかりだ。
 口の中からイチゴの匂いを振り撒きながらも、再び圭を無視して歩きだした。しかし、無視することなど一向に構うことなく、やっぱり圭は後ろをくっついてくる。
 コンビニに寄ると、こいつも入ってくる。雑誌を眺めどうやってこいつを巻こうかと考えていると、店内をフラフラとして時間を潰し、今だっ。とばかりに逃げるように飛び出しても、サッと追いかけてくる。かなり、すばしっこい。
 途中で大きな書店に入ると、こいつも一緒に入ってくる。バイクの雑誌を手に取り眺め、楽器の雑誌を手に取り眺め、広い店内をうろつく俺をつかず離れず追い回す。最終的に、空の写真集を手に取ると、横から覗き込んできた。
「成人さん。こういうのも見るんですか。へぇ~」
 興味津々なその目に、居心地が悪くてすぐに写真集を棚へ戻した。
「あれ? 買わないんですか?」
「お前のせいで、買う気が失せた」
「えぇーーっ。僕のせいなんですかぁ~?」
 のん気な言い方に、イラつくと言うよりは脱力していく。生気を奪われてでもいくみたいだ。
 家までついて来られちゃ迷惑だ、と再び途中にあるコンビニに入った。圭は、そこにも一緒に入ってきた。
 口も利かずしばらくそこにいれば、そのうち諦めて帰るだろうか。窓に向かって漫画を立ち読みしていると、今度は隣に並んで同じように漫画を読み始める。
 十分、二十分と時間が過ぎていく。三十分経ったが、一向に帰る気配などない。無意味な時間が過ぎていく。特に用事があるわけではないが、時間は無限だ。こんなところで立ち読みをしている間に、曲の一つも出来上がるというもの。
「お前。いい加減帰れよ」
「えぇー。ファンを無碍に扱わないでくださいよぉ」
 こんなしつこいファンなら、いらねぇっ。と言いそうになったが、縋るような目で見られてその気持ちが萎えてしまう。
 外は、すっかり暗くなっていた。いい加減、お子ちゃまは帰る時間だ。
 漫画を棚に戻し、冷蔵庫から缶ビールを四本かごに入れ、板チョコを一枚足してレジに行った。
「マルボロ」
 店員にタバコの銘柄を伝えると、後ろの棚からマルボロを手にし確認される。その顔に向かって頷きを返し、店員がバーコードセンサーにかけようとしたところへ横槍が入った。
「あっ。タバコは、キャンセルで」
「は?」
 横からしゃしゃり出てきた圭が、勝手なことを言いだした。
「お前っ。キャンセルじゃねぇよ。余計なこと言うな」
 再度店員にマルボロを頼むと、また横からしゃしゃり出る。
「マルボロ、要りませんからっ」
「お前なぁ~っ!!」
「だって。成人さんの喉が心配なんですよぉっ」
「うるせぇっ。余計なお世話だ。いいからら、マルボロっ!」
 圭に文句を言った後、再び店員にマルボロをレジに通すよう言うが、また邪魔をする。レジ前での小競り合いに、どっちの言葉に従っていいのかわからず、店員はオロオロとしている。
「マ・ル・ボ・ロッ!!」
 迷っている店員を睨みつけ、漸くタバコを買うことが出来た。箱ごと奪い取られてしまっては敵わないと、胸の内ポケットに煙草を捩じ込み、ビールとチョコの入ったコンビニ袋を手に不機嫌なまま外に出ると、圭も膨れた顔でついて出て来た。
「お前。もう遅いから帰れよ」
 溜息をつきながら零すと、不服ながらも圭は渋々頷いている。どうやら時間の概念はあるようだ。
「タバコ。あんまり吸わないでくださいねぇ」
 小うるさいことをいつまでも言ってくる奴の口に、さっき買った板チョコをサッと咥えさせた。
「むぐっ」
「お前。いちいちうるせーよ。ガキは、それでも食ってろ」
 圭は、板チョコを銜えたまま、恨めしそうに俺を見ている。その顔に向かって、早く帰れよ。とばかりに、シッシと手で払うと、口に銜えていたチョコを手に取り礼を言ってきた。
「ありがとうございます」
 以外にも素直なところがあって、らしくない様子に戸惑った。が、ここで甘い顔など、絶対にしてはいけないことくらいは解っている俺だ。
「じゃあな」
 ため息交じりに、軽く右手を上げて背を向け歩き出す。
「成人さんっ。また、遊んでくださいねっ」
 背中にかかる声に、疲れがどっと押し寄せた。
 こんなことが又あるとしたら、生活が乱れて敵わない。違う意味で乱れた生活はしているが、そんな俺でも生活リズムはあるんだ。あんな奴にしょっちゅう周りをうろつかれたら、俺の生態系が崩れてしまう。
 やっと圭を巻いて家に戻り、コンビニの袋からビールを取り出そうとして気が付いた。中には、あの三角イチゴミルク飴が二粒入っていた。
 いつの間に……。
 生態系が乱れる日は、そう遠くないのかもしれない。
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