20.ケジメ

エピソード文字数 5,133文字

 スタジオ練習の連絡も兼ねて、抱えているものを話すために平日昼間に瞭を呼び出した。
「成人の部屋に来るの、久しぶりだな」
 相変わらず腰にジャラジャラとアクセサリーやなんかをぶら下げ、瞭が部屋に上がる。
「バンド組んだばっかりの時は、たまり場みたいになってたけどな」
 こんなおんぼろの狭い部屋に男が三人集まるなんて、むさっ苦しい以外のなにものでもないのに。酒やつまみを持ち寄り、好きな音楽の話に夢中になり、Vallettaのこれからを語り明かした。大きな喧嘩をすることもなく、くだらないことでじゃれ合い、どうでもいい話で盛り上がり、時に真剣にお音について話し合う、この三人の関係が本当に心地よかった。きっと、こんなに気の合う仲間に、この先二度と巡り合うことはないだろう。
 昔を思い出し、懐かしさに頬が緩む。
 瞭は、壁際に並ぶギターのうちの一本に一瞬だけ目を止めると、ソファに座りハットを脱いだ。
「女の匂い、しなくなったな」
 タバコを取り出すと、からかい茶化してくる。
「少し前まで、圭が居座ってたからな。女どころじゃねぇよ」
 苦笑いを浮かべ、冷えた缶ビールを瞭へ手渡し、使わなくなった灰皿を引っ張り出して瞭の前に置いてから、ベッドに腰掛けビールを開けた。
「平日の昼間から酒なんて、贅沢だよな」
 シミジミとした言い方の後、口角を上げて瞭もビールを開けた。
 タバコの煙を少しでも外に出そうと回り続ける換気扇が、今日もカタカタと音を立てている。その音を少しの間聞いてから話しを始めた。
「なぁ、瞭。最近の、というか。まー、元々なんだろうけど、省吾の様子を見ていて考えたんだが……。岩元のおっさんも、ここのところグイグイ来るところもあって、正直デビューについて、瞭。お前はどう思ってる?」
 躊躇うように口にした俺の目を、瞭が真っ直ぐ見つめてくる。指に挟んだままの煙草から、緩く煙が立ち上っている。時折スイングしているエアコン間の風が、煙を分散するように揺らした。
「正直に言わせて貰えば、プロになりたいって気持ちが、全くないわけじゃない」
 瞭は躊躇いを見せることなく、はっきりと口にした。あれ以来、デビューについて一切触れることなく、俺の作る音についてきてくれた瞭だけれど考えないわけがない。
 岩元はしつこいし、レコード会社まで来てるんだ。今のところ、デビューするにあたっての悪い条件だって見当たらない。好条件を提示されて、デビューに踏み込まないなんて、欲がなさ過ぎるとしか言いようがない。
「ただ。俺は、最初に約束したからな」
 瞭は俺を見ていた視線を、左手に持つビールへと移す。
「インディーズにしては、かなり売れてるし」
 ビールを見つめたまま、瞭が話し出す。
「ライヴの客入りも毎回上々だ。メシを食うのに困ってるわけでもない。だから、無理は言わないさ」
 自分を納得させるように話す瞭の姿に、胸の中が苦しくなる。このままでいいはずがないと、頭では理解しているからだ。
「でも、省吾は、やっぱりデビューしたいんじゃないかって。瞭がなんて説明してくれたのか知らないが、省吾の中でメジャーって言葉は、確実に大きくなっていってると思うんだ」
「岩元さん。レコード会社の人たちまで連れてきたからな。省吾も、多少は浮かれてるかもな」
 瞭は、少しだけ困ったような顔を浮かべている。
 それから、少しの間沈黙になった。外では、この暑さに蝉だけが喜んだように鳴きまくっている。クーラーが効いてるおかげで、その鳴き声を鬱陶しいとは思わなかった。短い命を懸命に生き、存在を主張するように鳴くやつらを、寧ろ切なくさえ感じてしまう。泣き叫んででもいるかのように、ここに居るんだと羽を鳴らすセミは、まるで俺自身じゃないか。陰に隠れひっそり過ごすことがいいんだと頭ではわかっていても、そうできない音楽への執着に、俺は歌を歌いギターをかき鳴らしてきた。
 泣き叫ぶセミのように、狭い世界で声を張り上げてきた。
「昔、俺のことをスゲー可愛がってくれていたやつがいてさ」
 話題を急に変えると、瞭が戸惑いの表情を浮かべた。その顔に向かって、情けない表情を作ってしまう。今まで誰にも話してここなかった過去を、瞭にちゃんと話すことができるだろうかと、心はまだ怯えていた。
「その頃、大学で少しだけ仲良くしていたやつがいて。そいつに無理やり連れて行かれたライヴで、俺はアイツと出会ったんだ」
 アイツ? と問う瞭に頷き話を続けた。
「俺のことを弟みたいに可愛がってくれていたやつなんだけどさ。ステージでギター弾いて歌うアイツの姿は最高で。惹き込まれるってこういうことを言うんだな、って初めて感じたよ」
 アイツが登場したシークレットライブで、初めて感じた引き摺りこまれる感覚と高揚感。
 秘密基地でも見つけたみたいに心がわくわくと競りあがり、弾けていくようなその時の感情は、未だ他のバンドに感じたことはない。
「犇めき合うたくさんの人と雑音が入り混じるライヴハウスの中で、アイツがかき鳴らしたギターの音と声だけが耳に飛び込んできたんだ。総ての音を掻き分けて、アイツの作り出す音だけが、俺の聴覚を占領した」
 あの日のライヴハウスで聴いた、アイツの音楽が耳の奥に蘇る。
「それ以来、大学もサボって音楽に明け暮れていた。夜が来るまでの間は、作詞と作曲に時間を費やし。月が昇ればアコギを抱えて街に繰り出し歌い続けた。そんなある時、偶然にも俺はまたアイツと会うことが出来たんだ。いや、偶然じゃないか。アイツが俺を探し出してくれた気がする。瞭が俺を見つけてくれたように」
 ――――いい声してんな。
 アイツの言った言葉が蘇る。
 ――――へたークソ。
 ガキみたいなに笑うアイツの顔。あの頃を思い出せば、自然と口角が上がった。
 ほんの少し浮かべた笑みを見て、瞭が訊く。
「もしかして。俺が言ったのと同じように、ギターがヘタとか言われたのか?」
 勘がいいな。
「そう。瞭は、アイツとおんなじことを言ったんだ」
 苦笑いを浮かべてビール一気に煽った。空になった缶をクシャリと握りつぶし、冷蔵庫から新しい缶を取り出した。瞭も要るかと振り返ると、まだあるというように缶を振っている。
「アイツは、俺に色んなことを教えてくれた。下手糞だって言われたギターのことなんかは特にな」
 壁際のスタンドに立てかけてあるギターに目をやる。
「あのギター。アイツが俺にくれたものなんだ」
 瞭も同じようにギターを見る。
「時々、ライヴに持ってきてたよな」
「ああ」
「やけに可愛がってる気がしたから、何か特別な想いがあるんだろうなとは思ってたよ」
 そう、あのギターは特別なんだ。アイツが俺を認めてくれた証だから。
「もう一度アイツに再会してから、俺は今の圭のようにいつも後をくっついて歩いてた。アイツがライヴをやるって言えば、必ず見に行って。自分からローディーみたいなことも進んでやった。アイツの喜ぶ顔が見たくてさ」
 懐かしさに頬が緩み、胸の奥は熱くなっていく。
「アイツといると、毎日が新鮮で、楽しくて。本当に充実していた。けど……俺は、アイツから音楽を奪ってしまったんだ」
 黙って話を聞いていた瞭が、息を呑むのがわかった。
「前日の夜から明け方までの、デカイ箱でやるオールナイトのライヴだった。アイツの組んでいたバンドも参加していて。夜通し歌うアイツの音に、俺ははしゃぎ、騒ぎまくっていた。テンションは、最高に上がっていたんだ。その帰り道だった。駅までのほんの十分程度の道のりだ。明け方の会社に向かうサラリーマンが行きかう中、自販機で買ったビールを二人で飲みながら歩いていた。何も考えず、ただライヴの余韻を引き摺ったまま。俺は、バカみたいなテンションではしゃいでいた」
 本当に、バカみたいに。
「解体工事中のビルが見えた。瓦礫の崩れる音が朝の賑やかになり始めた街にやけに響いてたな。おんぼろのちっちゃいビルをさ、ショベルカーがガンガン崩してるんだ。粉塵が舞ってて、若い警備員が横に造られた細い道を通る奴らを誘導していた。その道を通って、駅に向かうはずだったんだ……」
「まさか……」
 俺は、小さく頷いた。
「同じなんだ、この前の事故と。同じだったんだ……。俺の上に降って来た瓦礫をアイツが――――」
 その時の光景を思い浮かべた瞬間、脳の中に記憶している映像がまた俺とアイツを入れ替えた。浮かんだ映像に、呼吸が一瞬止まる。
 黙り込んでしまった俺を、瞭が黙って見ている。
 その視線に気付き、気を取り直して続きを話した。
「バカみたいにはしゃいで先を行っていた俺を見ながら、アイツは少しあとを歩いていた。なんだろうな。ああいう時って、嫌な予感みたいなのが働くんだろうな。いきなりさ、アイツが叫ぶんだよ。成人って。スンゲー真剣な顔しちゃってさ。でも、俺ふざけてんのかと思って。続けざまにアイツが戻って来いって言っても、きく耳持たなくてさ」
 冷えた缶を額に当て、頭を抱えるように俯く。
「気がついた時には、俺の体は突き飛ばされてて。突き飛ばされた俺のすぐ傍に、血まみれになったアイツの体が転がってて。意識を失いかけたその目が、俺をジッと見てるんだ。ただ、俺のことをジッと……」
 熱を下げるみたいに額に当てていた缶を離し、ビールを一口喉に流し込んだ。
「その事故のせいで、アイツは両耳の聴覚を失った。かろうじて、右は少し聴こえるらしいけど。音楽やってる人間には、そんなの気休めだろ? 俺は、アイツから音を奪った。音楽を奪ったんだ。その事故からすぐに、アイツは俺の前から姿を消した。俺は、罪悪感で死人みたいな生活をしてたよ。けど、俺はズルくてさ。アイツから音楽を奪っておきながら自分ではその音楽を捨てきる事ができなかったんだ。俺は、最低な奴なんだよ……」
「それで。せめてデビューは、しないってことか……」
「デビューしてメディアに露出してしまったら。アイツの目に触れてしまうかもしれない。臆病な俺は、そうやって逃げる事しかできないんだ……」
 情けない自分自身を嘲笑い、残ったビールを一気に飲み干した。瞭は何も言わず、黙ってビールに口を付けている。外からは相変わらずセミの主張が聴こえていて、まるで泣き声のような音に俺の心も泣き出しそうになっていた。
 初めて誰かにアイツとのことを告白して、心の箍(たが)が外れてしまったのか。強がって張りつめていた気持ちが緩み、背中が情けなく丸まる。
「瞭……」
「……ん?」
「俺が居なくてもいいなら、岩元のオヤジに言って、省吾と二人だけでデビューして――――」
「――――何言ってんだよ」
 自分を嘲るような表情で口を開くと、瞭が静かに遮った。
「水臭い事言うな。お前と一緒だから今日まで続けてきたんだ。省吾だって一緒だ」
 瞭は、タバコを灰皿にもみ消すと、真っすぐ俺の目を見てきた。
「岩元さんだって、あのレコード会社の人たちだって。三人でやってる俺たちに目を止めたんだ。なのに、成人が抜けるんじゃ意味がないだろう。大体、Vallettaの曲を作ってるのは成人なのに、お前がいなくなったら、話になんねぇじゃねぇか」
 瞭は、可笑しなことを言いだすなと顔を顰める。
「俺は、贅沢なんて言わない。さっきも言ったけど、今のままで充分だ。好きな玩具だって、余裕で買えてるしな」
 腰にぶら下がる玩具に手を触れ、口角を上げる。
「けど、省吾は……」
「このこと、省吾にも話すぞ。アイツだって、三人でやっていくことを望んでいるはずだ。必ず解ってくれるさ」
 瞭は、残ったビールを飲み干し、もう一度タバコに火をつける。そのタバコをゆっくり吸い終わると、ソファから立ち上がった。
「あさってのスタジオ練習、一時からだからな。遅れるなよ」
 ハットを手に持ち、玄関先へと向かう。何も今までと変わりはしない、という顔で瞭が戸惑うことなく俺を見た。
「圭君にも、さっきの事話してやれよ」
 ハットをかぶり、瞭が言う。
「あぁ、そうするよ」
 瞭は頷き、その方がいい、と右手を軽く上げてここを後にした。
 瞭に過去の出来事を話したことで、心にズッシリと澱のように固まっていた物が軽くなった気がした。けれど、記憶の中ですり替わるアイツと俺に、意識は度々持っていかれる。
 血まみれになっている自分の映像が、何故浮かぶのかがわからずに、胸の中にもやもやとした違和感が充満していた。
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