15.ローディー誕生

文字数 5,717文字

 しばらく歩いて着いた店は、五階建てビルの地下一階にある。キャリーを持ち上げ、階段を下りていく。
 この町と同じで、店内はそれほど広くもない。がっしりとした角の丸い大きな木のテーブルが四つと、その周りに背凭れのついた丸太の長椅子があり、あとはカウンター席が少しあるだけだ。
 天井や壁には、造花のカラフルなハイビスカスの花とレイが飾られ、ウクレレもぶら下がっている。ここはハワイか? そう思わせる店内の装飾たち。
 なのに、料理のメニューにその類のものは一切ない。随分と通い詰めてるが、未だにこの店の目指すところがわからないままだ。
 いつものように貸し切りの店内に入ると、集まっているのはまだ数名だった。瞭と俺の顔を確認すると、先に来ていた奴らが「お疲れ」と声を掛けてきた。
「おつかれー」
 集まっていたのは、ほぼ瞭の知り合いだ。瞭はそのまま、そいつらの居る席へと行く。俺は楽器を店の人に預けたあと、圭と二人で一番奥まった場所に座った。
「ねぇ。成人さん」
「あ?」
「成人さんの友達は、来ないんですかぁ?」
 瞭たちの居る席に視線をやったまま、圭が訊ねる。
「来ないよ」
 応えながら、テーブルの真ん中にある灰皿を自分の方へ引き寄せた。
「成人さんも、僕と一緒で友達居ないんですかぁ?」
 訊ねながら、引き寄せた灰皿を圭が奥へと押し戻すから、タバコを取り出そうとポケットに伸ばした手を止めた。
「そう。お前と一緒で友達いねーんだよ」
 冗談を込め、諦めた煙草に僅かな息を吐き、背凭れに寄りかかった。
「居ない者同士、友達になれてよかったですねぇ」
 圭も、冗談めかして応えるから笑うしかねぇ。圭にメニューを渡し、自分はビールを頼む。時間が過ぎていくと、打ち上げメンバーが少しずつ増えていった。ある程度人が集まり、省吾も合流したところで乾杯をして打ち上げが開始された。
 ジョッキのビールを一気に半分ほど飲み干す隣で、圭は出てきたコーラを飲みながら、未だメニューから食べ物を選んでいる。喫茶店の時よりもメニューの量が増えて、さらに時間がかかりそうだ。
 圭の様子に笑み浮かべながらジョッキに口をつけると、入口付近に岩元の姿があった。その傍にはスーツを着た、見慣れない男が二人立っている。下手に視線を合わせるとろくなことにならないだろうと、二杯目のビールを注文するために店員を呼んだ。すると、その声に反応でもしたかのように、店員のうしろについて岩元たちもやって来た。
「ビール追加で。圭。お前、なんか食いたいもんあったらなんでも頼めよ」
 岩元の存在を無視して店員に注文をする。なんでも頼めと言った俺の言葉に、圭は目をキラキラ輝かせ、嬉しそうにチャーハンと具沢山の中華スープを注文した後、更に唐揚げを追加した。
 普通に、晩飯じゃん。いつもなら酒のつまみが並ぶだろうテーブルに、チャーハンやスープが届くのかと思ったら笑みが漏れた。
 本当に、子供だな。つか、本当は、中学生じゃなくて小学生だろ。
 無邪気な顔をしている圭に、親心のようなものが芽生えていく。
 注文を受けた店員が下がるのを見計らって、後ろに控えるように立っていた岩元が前に出てきた。
「青葉君。ライヴあとで疲れているところに申し訳ないのですが。紹介したい人たちが居るんです。よろしいでしょうか?」
 伺うわりに、既に紹介したいやつらというのが後ろに控えて名刺を手渡す準備をしていた。
「別に構わないよ」
 すぐに運ばれてきた、二杯目のビールを一口飲んでから応えた。
 岩元に呼ばれ、瞭と省吾もここの席に来た。圭は、気を利かせて席をはずそうとしたが、その必要はないとそばにいさせた。
 岩元の後ろについていた二人が前に進み出てくると、頭を下げながら俺たち三人に名刺を差し出す。見れば、大手のレコード会社のロゴが入った名刺だった。
 メジャーになるとしたら、悪くないレコード会社だ。抱えているミュージシャンは、大物が多い。が、ほとんどが自分たちのペースでCDを出しているように窺える。無理やりケツを叩かれて、ハイペースに曲作りさせられ、アルバムを作らされるような会社じゃないだろう。このレコード会社なら、きっと無理なく自分たちの曲作りが出来るに違いない。
 レコード会社の二人からは、見え透いたお世辞を並べ立てる言葉はなく、自分たちが目指し、探している音楽への真摯さを懸命に熱く語られた。話した感じの印象も悪くない。
 デビューする気などないのに、話を聞きながら悪くないなどと思っている自分がなんだかアホらしく思えた。何を真面目ぶって、耳を傾けてんだか。
 レコード会社の二人が話をしている間、岩元はほとんど口をきかなかった。時折、レコード会社側の人間が訊ねた事に短い相槌を打つだけだ。
 岩元のそんな態度は、やはり何を考えているのか少しもわからず。この二人のように、音楽に対する意気込みみたいなものを感じ取る事ができない。
 一体、この岩元というオヤジは何を考えているんだ。
 しばらく話し込んだあと、レコード会社側の二人が立ち上がる。
「是非、うちからCDを出してください。バックアップは、充分にさせていただきます」
 力強く言い、握手を求めてくる。
 熱くなっている二人に酒も入っている席だからと、丁重にこの場の話を終わらせた。
 愛想のいい表情を残した二人と岩元が席をはずしたあと、炭酸の抜けかけたビールを口にし、息を吐く。傍に座っていた省吾を見れば、解りやすいほどに目を輝かせ、瞭はといえば黙ってタバコをふかしている。
 省吾の様子を見れば、レコード会社の話を聞いて心を躍らせているのは、誰が見てもわかることだった。瞭があの時、なんと言って省吾を説得したのかは知らない。けど、こんな表情を見てしまうと、やはり省吾はデビューしたいのだろうというのがよくわかる。黙ったまま何も言わない瞭だって、本心では、きっとそうなりたいはずだ。
 周囲の喧騒とは裏腹に、沈黙の降りてしまったここのテーブルで申し訳なさを感じ、胃の辺りが重くなっていくのを感じていた。
 その後、瞭も省吾も元の席に移動し、レコード会社の話については一切触れず、ただ打ち上げの場を楽しんだ。
 胃の当りの不快感を誤魔化すように、三杯目のビールを喉に流し込んでいると、別の見慣れた顔が近づいてきた。
「成人さん。お疲れ様でした」
 右手に飲物の入ったグラス、左手にはバッグを持ち、ミニスカートからは、細く白い足が覗いている。さっきライヴハウスで会ったばかりの、アキって子だった。
 アキは、自分が持っている一番だろうと思われる笑顔を俺に向けてきた。
 打ち上げに顔を出すという事は、俺たちの誰かと知り合いか。もしくは、ライヴハウスの関係者ということになる。けど、今まで一度もこういう場に顔を出した事のないこの子がここにいるっていう事は……。
 不審な顔を向けると、アキって子は慌てたようにして話し出した。
「省吾君が誘ってくれて」
 少し前の方に垂れてきた髪の毛を右手で押さえ、弁明しつつも恥らうようにしている。
 省吾かよ。あいつ、なに考えてんだ。
 まともなファンに手を出すのは、ご法度だ。真面目に付き合う気もないのに手を出すと、トラブルのもとになる。余計な感情が絡みつき、その日だけで、はい、さよなら。というわけにはいかなくなるから、手を出すなら後腐れのない女がいい。
 要するに、このアキって子は、面倒な相手なわけだ。
 アキは愛想のいい笑みを浮かべて目の前に立ち、座る様促されるのを待っている。
 面倒だと思っていても、ここまできて断るのも角が立つ。仕方なくどうぞ、と向かい側の席を目で見た。すると。
「ちょっと、ゴメンね」
 可愛く片目をつぶり、目の前の席ではなく圭の前をまたいで俺の隣へと強引に座り込んだ。おかげで圭のやつは、満員電車でおばちゃんに席を奪い取られたように弾かれてしまう。
 強引なやりかたに驚いているのも構わず、アキはニコニコと隣の席を陣取った。
 俺と圭は、当然唖然とした顔をする。けれど、少しも気にせず、持ってきたグラスをテーブルに置き、斜に構えて俺の方へ膝を向けてきた。
 可愛らしい言葉遣いとは裏腹なその行動に、性格の悪さを垣間見た気がして溜息が漏れそうになる。
 弾き飛ばされた圭は横にズレ、恨めしそうにアキって子を見ていた。
 普段は、ライヴに来てくれた時に挨拶をする程度だったし、さっきまでの印象は、控えめでおとなしい雰囲気に感じていたから、案外いい神経をしてそうだと鼻白んだ。
「今日のライヴも最高に素敵でした。私、成人さんの声が大好きなんです」
 そりゃ、どうも。というように、ジョッキを少し持ち上げる。それを合図に、アキも手にしてきたグラスを持ち上げカチリと俺のジョッキに当てると、「かんぱーい」と楽しげに言って口へと運び、「美味しい」と小首をかしげた。
 そういえば昔、ひとつ隣にいるペットが同じこと言ってたな。声を褒められるのは嬉しいが、面倒ごとは御免だ。
 打ち上げ開始から小一時間程経っていることもあって、アキの顔は既に赤らんでいる。ふわふわした感じも見受けられるから、酔ってもいるのだろう。
「Vallettaは、成人さんが曲を作って歌ってるからいいんですよね」
 省吾と瞭の腕を少しも理解もせず、そんなことを言ってくるアキの話を、ビールを飲みながら黙って聞いていた。
「私、成人さんのこと。Vallettaの初ライヴから知ってるんですよ」
 得意げな笑顔を浮かべ、上目遣いをしている。自分の売り方を心得ているのだろう。そうしていれば、今まではどんなヤローにも好かれてきたに違いない。
 浅はか過ぎる安易な仕草に、頭が悪そうだと思うが、とりあえず口にはしないでおいた。せっかくのビールが不味くなる。
「初めてVallettaのライヴを見た時は、本当に衝撃的でした。他のバンドを見に来てたのに、すっかり成人さんにはまっちゃったもん」
 確かに、他のバンドからこっちに興味を持ってもらえるというのは、ありがたいことだ。ほとんど客のついていない初ライブから知っているとなると、貴重な存在ともいえる。
 瞭たちに誘われ、組んだバンドValletta。初めてのライヴは、興奮で頭に血が上りすぎて、何度も一人で突っ走りそうになったっけ。対バンは、みんなそこそこ有名で客の入りもよかった。けど、俺たちの番が来てステージに立つって時に、客は申し合わせたようにその場からいなくなった。
 出来たばかりのバンドへの、洗礼とも言うべき出来事だ。残ったのは、物珍しさと冷やかしの客だけだった。
 けど、客が一人だろうが二人だろうが、そんなことなど関係なく。その場に留まってくれた客たちに、曲を聴いてくれるやつらに、必死に自分たちの音楽をぶつけたんだ。
 あの時、このアキって子もそこに居た一人だったんだな。あの頃を思い出し、感慨深さに酔いしれる。
「今度、スタジオ練習を見に行ってもいいですか?」
 しばらく昔話に花を咲かせていたアキは、打ち上げに参加したことで、ただのファン以上の存在に格上げしたと勘違いでもしているようだ。
 目を輝かせて肯定の言葉を待つアキに、さっきまで不満を堪え黙っていた圭がすかさず割り込んできた。
「ダメダメ。ファンが練習に顔出すなんて、ダメッ」
 無理やり圭を弾き飛ばしておきながら、その存在を忘れていた相手からいきなりダメ出しをくらったアキが驚いて振り返っている。
 自分のことを棚上げにしてそんなことを言いだした圭に、俺は苦笑いを浮かべていた。
「君。一体、何っ?」
 アキは圭に向かって訝かしい顔を向けると、急に話に割り込んできたことに怒りを覚えて睨みつけている。
 関係ない人は話に入ってくるなとばかりに、釘でも刺すように数秒睨んでから、再びこちらへ向き直った。
「成人さん。この子一体なんなんですか?」
 圭に向けた視線とはまた違う、納得のいかない顔で訊ねるから、少しだけ考えて応えた。
「ローディー」
「えっ? ローディー?」
 アキは、驚き呟いた。
 アキの向こうにいる圭も一瞬驚いたが、すぐに自慢げな表情に変わった。
「Vallettaって、いつからローディー使ってるんですか?」
 これだけ長くファンをしてきたのに、ローディーの存在を知らなかった事が悔しいとでもいうようにアキが訊ねる。
「最近な」
 たった今決めたと心の内で応えつつ、ジョッキのビールを空ける。アキはといえば、納得のいかない顔のまま黙り込んだ。
「だから。練習見に来るなんて、ダメだからね」
 隣からの念押しに、膨れた顔をしてアキはまた圭を睨みつけている。
 けれど、何かを思いついた様子ですぐに気を取り直すと、自分のバッグからペンと、今日受付で配っていた他のバンドの宣伝チラシを取り出した。それを裏返すと、徐に番号とアドレスを書き出す。
「私の連絡先です」
 アキは、連絡先の書かれた紙を綺麗に半分に折りたたむと、笑顔の熨斗をつけて差し出してきた。
 それからスッと立ち上がり、来た時と同じようにグラスとバッグを手に持つと、圭に一度牽制するような視線を送りつつ、体を押しのけて席から出ると、俺には笑みを向けその場を離れていった。
「なんだよ。あの子ぉ」
 不満そうな声を洩らして唐揚げを頬張ると、むしゃむしゃと敵でも懲らしめるように咀嚼し飲み込んだ。
「成人さん。あんな子に騙されちゃダメですよっ」
 アキの背中を見送りながら、圭が不満そうな顔をしている。
 わかってるさ。ファンに手は出さねぇよ。
 アキが戻った先には省吾がいて、酔いの回った顔でデレデレと笑いかけている。俺なんかより、省吾の方がよっぽどアキをまともに相手している。省吾にしときゃーいいのに。
 もう何杯目になるかわからないビールを飲み干し、チャーハンを貪り食う圭を眺めていた。
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