9.アイツ

エピソード文字数 5,324文字

 アパートを出て駅前に向かい、少し歩いていくと小ぢんまりとした喫茶店が見えてくる。特に風格があるわけでも、かと言って古ぼけみすぼらしいわけでもない。喫茶ルソーなんて名前が、茶色のサンシェードに書かれているが、店主が哲学に明るいとも到底思えない。全てにおいて中途半端な佇まいの喫茶店は、俺の行き付けだ。木目のドアに手をかけ開けると、ドア・チャイムがいい音色で迎える。
「いらっしゃい」
 小川店長とは又違った、四十代半ばの中年太りのおやじがここのマスターだ。カウンターからこちらを見て、声をかける。店内の客は疎らで、カウンター席は空いていた。ど真ん中の席に腰かけ、マスターの腹に注目する。
 最近、益々前に出てきた気がする。かけてるエプロンが、贅肉で前に突き出されていた。
 あれか。メタボリックシンドロームとか言うやつか? 少し運動した方がいいんじゃねぇの?
 視線だけでマスターへと訴えかけると、それを悟り反撃してきた。
「あれ? 一人じゃないなんて珍しいな。それも、女じゃない」
 皮肉に片方の口角を上げるマスターに、ケッと一瞥をくれた後、着いて来た圭を右隣に座らせた。
 余計な事を言った後は、水の入ったグラスを俺と圭の前に置いた。お冷やを貰った圭は、口を付けた後、目の前にあるメニューの書かれたボードを嬉しそうに眺めている。
「いつもの」
「あいよ。君は?」
 マスターに訊かれた圭が、メニューを見ながら唸り始めた。ボードに穴でも空きそうなほど書かれている文字を目で追い迷い、あれもこれもと目移りしているのか、いつまで経っても決まらない。
「ピラフもいいし、ドリアもいいな。あっ、カルボナーラもあるんだ。ん~、どれにしよう。ん~」
 こういうところまで、いちいちめんどくせー奴だ。まるで、優柔不断な女と一緒じゃねぇか。
 メニューに悩む圭の姿に嘆息する。
 可愛い子ぶってんのかなんなのか知らねぇが、こういう女を飯に連れて行くと、マジイラつくんだよな。いつまでも悩んでろと、置き去りにして帰りたくなる。
「食えりゃあ、何でもいいだろっ。めんどくせぇやつだなぁ」
 カタカタと足を揺すり、未だに悩んで決められない圭へ苛立ちを露にする。
 しかし、当の本人は、俺の苛立ちなど、まったく意に介していない様子だ。
「だって、成人さんとの初めてのご飯ですよっ。真剣にもなりますからっ」
 寧ろ逆切れされ、膨れた顔で言い返された。
 だから……。お前は、女子高生かっつうの。こいつ、省吾よりめんどくせぇ……。
 結局、マスターからカルボナーラがお勧めだ。と言われ圭は素直にそれに従った。
 初めから、そうしとけっつてんだ。
 いつものカレーが目の前に置かれると、黙々とかき込み、食後のコーヒーをすする。
「ここ、成人さんの行きつけの場所なんですか?」
 まだ少し残るカルボナーラを、丁寧にクルクルとフォークへ巻きつけながら圭が訊ねる。いつものと言って注文している時点で、行きつけだというのは解りそうなものだろう。
 何も応えずコーヒーを口にし、タバコに火をつけた。
 俺が何も言わずにいると、暇を持て余していたマスターが、又余計な事を言い出した。
「そうだよ。こいつは、家で飯を食う男じゃないんだ。ここで外食するか、他に行く。家で食うのは、女だけだ。な、成人」
 得意気な顔をして、同意を求めてくるなよ。
 咥えタバコのまま、片方の口角が上がる。肺に吸い込んだ煙を吐き出してから、ケッと小さく洩らし、他人事のような顔をしてタバコを吸い続けた。隣に座る圭は、たばこの煙をパタパタと扇いで散らし、渋い顔を向けてくる。
 また飴でも出すつもりか? 心の中で言い返しながらも、無視してタバコを吸い続ける。
 食後のタバコを邪魔する奴は、豆腐の角で頭を打っとけ。
 体を斜めにし、圭に背を向けて煙を吐き出した。
 店内では、懐かしい音楽が流れていた。古いスピーカーから聴こえてきたのは、アイツと俺が出逢った頃に流行っていた曲だった。
 パンクがかったスタイルで、激しいリズムと心揺さぶる詞は、切なくなるほどの音と言葉を紡いでいた。
 当時、入ったばかりの大学をサボりがちだった俺は、時々路上に出ては一人でギターを抱えて歌っていた。自分で作った曲の他に、このバンドの曲も弾いていた。このバンドに憧れていたからだ。
 いや、このバンドのヴォーカルに憧れていたんだ。
 ギターは、中学から始めていた。普段から聴いていた曲も、ギターを弾くために耳コピーしていた曲も、全部が洋楽だった。
 その頃周りでは、アイドルや日本のバンドに現を抜かしている連中が多かったけれど、俺は日本の曲に興味なんて少しもわいたことなんかなかった。どれもこれも、俺の耳にはチープに聴こえていたんだ。
 そんな俺の心を唯一惹きつけた日本のバンドが、今店内で流れている『アウトサイダー』だった。ヴォーカルの(らい)は、今でも俺の憧れだ。たった三枚のアルバムだけを残して、突如解散した伝説のバンドだ。
 あんなに日本の曲を小ばかにしていたというのに、頼が作る音と詞の世界に、俺はあっという間に引きずり込まれた。マニュアルにないコードの数々に驚き、心を惹きつける詞の世界とその姿に心を奪われた。頼のようになりたいと本気で憧れていた。
 そんな時、偶然友達に連れていかれたライヴで、俺はアイツのことを知る。
 賑やかな街にある、大きなライヴハウスだった。その日、六組ほどのわりと有名なバンドがセッティングされていた。
 アウトサイダー以外、洋楽にしか興味のなかった俺は、ドリンクを出すカウンターの傍でたれ流されている音楽を一人聴くともなしに聴いていた。
 三組目、四組目と進む中。そろそろ、ここに居る事にも飽きて帰ろうかと思い、ビールで膨れた腹を抱えて、友達の姿を前方へ探しに行った時だった。
 犇めき合い、音にノル客たちを掻き分け、半ば無理やり前へと進んでいき、やっと友達の姿を探しあてた。
 今まで流れていた音楽を少しも真面目になんて聴いていなかったし、MCで何か言っていたのも聞いていなかった。
 けど、音が変わったことに。その場の空気が変わったことに。俺の耳は、一瞬で惹きつけられた。
 何が起きたっ?!
 金縛りにでもあったように俺の体はその場に釘付けになり、すぐそばの舞台から迫りくるように流れ出した音楽に惹きつけられるように視線を向けた。
 その場の空気を総て掻っ攫うような音をかき鳴らし、アイツは目の前のステージに立っていたんだ。
 ステージに現れ歌うアイツの姿に、心を奪われた。
 たった二曲だけのシークレットゲスト。一曲一曲が長く、苦痛を感じながら聴いていたさっきまでの他のバンドとは比べ物にもならない。あいつは、そんなスゲー音楽を二曲かき鳴らし、あっという間に演奏し終えたあと、たくさんの歓声を背負いステージから姿を消した。
 衝撃的な瞬間だった。
 その日から、アイツに感化された俺は、毎晩のように路上に出ては、自分の作った曲を弾き歌い続けた。頭の中にアイツの姿を思い出して、心を高揚させていた。アイツのようになれたら、と夢見るように歌い続けたんだ。
 そうやって、路上に通い詰めてしばらく経ったころだった。
「いい声してんな」
 俺の弾き語りを聴いていた客に紛れ、その声が聞こえてきた。
 顔を上げたそこには、シークレットで歌っていたアイツがいた。二度目のアイツとの出会いに、驚きと嬉しさで舞い上がる。
「聴かせてくれよ」
 目の前に立ち尽くし、アイツに促されるまま、ギターを弾き歌った。幸いにも、アイツは俺の声と、俺の作る曲をやたらと気に入ってくれた。それからは、度々アイツと会い、作った曲を聴いてもらい、アイツの曲も聴かせてもらっていた。
 あんなにすげー曲を作る男と、こんなに親しくなれるなんて、夢を見ているようだった。
 ただ、ギターはへたくそだ。とよく笑っていたけれど。
 四つ年上のアイツは、俺のことを弟のようにして可愛がってくれた。自分のライヴにもしょっちゅう呼んでくれたし。甘っちょろいギターしか弾けない俺に、色んなテクニックを教えてくれた。
 うまくなりたかったら、もう少しいいギターを使えよ。と自分が愛用していた一本をくれたんだ。
 俺は、来る日も来る日もアイツとつるみ、ギターを弾き歌い続けた。いつか、アイツと肩を並べてステージに立ちたい。日本人の中で唯一、憧れ続けている頼へ近づきたいと歌い続けていた。
 けれど、出来上がったのはこんな俺だった。
 あの時、望んでいた姿はこれなのか? デビューという形は、否定し続けているものの。アイツがいた同じステージに立つ事はできている。
 なのに、この焦燥感と空虚感。
 掴みきれない何かと、喉元につかえる何かが、俺の足を度々留まらせる。
 瞭と省吾。二人と握手を交わし、抜け出したはずのサークルは、ただ範囲を広げただけなのかもしれない。結局、同じサークルの中を、クルクルと回り続けているだけなのかもしれない。
 こんなことやめちまえ。中途半端な位置で、憧れの頼にでもなったように錯覚するな。横暴で傲慢なお前が、頼と同じわけがない。
 だいたい、お前。人前に出られる立場かよ。
 あんな事があって。
 あんな事をして。
 アイツが今、お前の傍にいないという現実を解っているのか? よくも、のうのうと生きていられるよな。
 自分自身を責め立てる、息苦しい感情。その一方で、音楽とともに生きてきた自分を、必死になって護ろうとしている。
 矛盾……。
 解っていて、今日まで続けてきた。いったいどこへ向かっているんだ。どこへ行けばいいんだ。
 なぁ、こんな俺を、今お前が見たらなんて言うかな。
 殴られ、蔑まれ。あの、何でも見透かしたような真っ直ぐな目で、見据えてくるのかもな。
 けど、あの時。俺に何も言わなかったアイツが、心の中でどんなことを思っていたのかなんて、もう二度と解るはずもない……。
「……――――さん……」
 俺は、今もあの時の映像が。血にまみれたアイツの姿が、忘れられない。
「……げとさん――――……」
 思考を遮る声がする。
 カップに残っていたコーヒーは、すっかりぬるくなっていた。そのカップを握ったまま、トリップしていた俺に、圭が呼びかけていた。
「大丈夫ですかぁー?」
 顔の前で大袈裟に手を振り、間の抜けたような声で訊いている。
 現実に引き戻され、冷めてしまったコーヒーを残して席を立った。
「ごちそうさん」
 マスターに声を掛け、二人分の会計を済ませて外に出た。

「ごちそうさまでしたっ」
 外に出て直ぐ、圭がニコニコと礼を言う。
 いくら勝手に現れたからといって、中学生に払わせるわけにはいかねぇだろうよ。
 それに――――。
「掃除。してもらったからな」
 圭はふわりと笑顔を浮かべ、嬉しそうにしている。そのまま圭を引き連れて歩き、ポケットに捩じ込んだタバコを取り出し咥えた。ライターを手に取り、火を――――。
「ダメですって!」
 咥えていたタバコを、サッと横から奪い取られてしまう。
 忘れていた……。こいつ、俺の喫煙反対者だった。
 行き場を失ったライターを、又ポケットへと捩じ込み溜息を吐く。三度目ともなると、いい加減頭にくることもなく、寧ろ呆れてものも言えなくなっていた。
 チラッと隣を歩く圭を見ると、勝ち誇ったように満足げな表情をしている。
 ったく。その辺の女より、小うるさい。
 そんな圭が差し出すのは、やっぱりあの三角のイチゴミルク飴だった。
 またか。そう思うも素直に受け取り口に放り込むみ、飴の甘酸っぱさでタバコへの未練を断ち切ろうと試みる。
 圭という存在が煩わしく思える反面、チョロチョロと人懐っこくそばにいられると、世話焼きのペットを一匹飼ったような気分にもなっていた。
 飴を渡され、素直に禁煙している自分自身に、なんだか無性に笑いが込み上げてきた。

 圭を引き連れ電車に乗り、若者が溢れる街に降り立った。人波を潜り抜け、スクランブル交差点を渡り、大型レコードショップを目指し歩いて行く。
 相変わらずの人の多さに辟易としながら、通り過ぎ行く沢山の人間を見るともなしに眺めて歩く。
 こいつらは、どこから湧いて出て来るんだ。ま、俺も同類か。
 たくさんの思考が犇めき合う街で、若者たちの頭の中を勝手に想像し、時折顔を顰めてしまう。
 何を考えているのか。
 何を思っているのか。
 どこへ行きたいのか。
 どこへ向かっているのか。
 こいつらは、どれくらい自分というものを理解して生きているのだろう。
 どれくらい、他人を理解したつもりで生きているのだろう。
 俺のように迷いの中で、生きてはいないのか?
 迷い続け。もがき続け。いつまでも出られない小さな世界の中で、自分自身を探してはいないのか?
 陰に入る思考が、この人波で彷徨っていく。
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