3.語れない理由

エピソード文字数 3,548文字

 岩元が現れるようになったのは、ほんの数か月前のことだった。ライブハウスにスーツというのは、目立つもので。音楽関係者だというのは、一目瞭然だった。
 ライヴ後、シールドを束ね、エフェクターをしまっていると、省吾が纏わりついてきた。
「なぁなぁ、成人っ。また来てたよ、あのスーツを着たおじさん。あれって、スカウトマンじゃないの?」
 勝手にスカウトマンと決め付け、嬉しそうにはしゃいでいる。強ち間違ってはいないが、そう言ったことに関わりを持ちたくない俺は、省吾のテンションに引きずられることなく、黙々と片づけを続けていた。
「スカウト? 興味ないね」
「そうかも知んないけどさ……」
 切り捨てるような言い方に拗ねた顔をして、省吾も荷物の片付けを始めた。瞭は、そんな俺たちのことを一瞥しただけで何も言わない。
 俺たちは、バンドを組んだ時からメジャーになるつもりがない。今のままでも、充分にやっていけているからだ。
 ライヴをやれば、この辺りの狭いライヴハウスは常に満員御礼。入れなかった客の不満を抑えるのが大変なくらいだ。かといって、ドデカイ箱でやる気もない。
 自主制作のCDは、作れば売れていく。渋谷にある大手の音楽ショップの片隅で、作ったCDはメジャーのやつらと同じフロアに並んでいる。
 コアなファンは、ライヴの時に受付でCDを手にし、人伝に聞いたやつらがCDショップで買っていく。
 そこそこ。いや、結構。インディーズにしては、名の知れたバンドだ。だから、いずれこういうオヤジが現れるのも予想はしていた。
 けど、メジャーになる気はないんだ。なるわけには、いかない……。
 そもそも。縛られた世界で、縛られた曲を作って歌うなんて、何の意味があるっていうんだ。自分たちの思いが入ってない歌なんて、歌いたくもねぇ。与えられ、型にはまった曲を音楽だなんて、言えるわけもない。岩元のところがそんなやり方をするかどうかはわからないが、そういった話はよく耳にするし、デビューした他のバンドのやつらから愚痴を聞かされたことも多々ある。事務所のやり方についていけず、メンバー同士に蟠りができ、ギクシャクとして、結局解散してしまったバンドも数知れない。
 やりたい音楽のことだけじゃない。俺は、メディアに露出するわけにいかないんだ。インディーズで売れてきているというのに、矛盾した考えなのはわかっている。メジャーにならなくても、名前が売れていけばイヤでも露出は増えていくもんだ。そんな事は、百も承知だ。
 けど、これ以上この顔を世に知らしめることはできない。メジャーになってしまえば、自分たちの意見など通るかどうかも判らず、顔だけで売り出されてまうことだってあるだろう。それは絶対に避けたい。自主制作で三枚出したCDジャケットにも、中のライナーにも、俺たちの顔は一切写っていない。敢えて、そういう作り方をしている。
 ただ一人の目に触れさせないために。
 活動を続けていけば、いつかはアイツの目に触れるかもしれない。そんな恐怖に迫られながらも、俺は音楽を止められずにいた。
 俺から、ギターや歌を取ってしまったら、本当に何も残らなくなる。あの部屋の片隅に散乱したゴミのように、廃棄され消えていくだけだろう。

「青葉君」
 諦めの悪い岩元のオヤジが、未だ立ち去ることなく長椅子に座る俺を見ている。
「何度言われても、答えは同じだ。他のやつらを探せよ」
 コーヒーを一気に飲み干し、山になり今にも溢れ返りそうになった屑篭へと投げ入れる。放物線を描きゴミ箱へと吸い込まれた缶は、他の缶に当たりさびれた廊下に乾いた音を立てた。山になっていた空き缶が、いくつか床に零れ落ちて耳障りな音を立てる。
 それを拾うことなく立ち上がり、又薄汚れたスタジオ内へと戻った。
 岩元のオヤジは、無言のまま俺の背中を見つめていた。

 メジャーにならないと決めたことには、理由がある……。それは、瞭や省吾に会い、今のバンドを組むずっと以前のことだった。
 あの日、あの時。俺が起こしてしまった出来事で、大好きな奴から大切なものを奪ってしまった。
 以来。俺は、後悔に苛まれ続け、毎日自堕落な生活を送っていた。暗い部屋に閉じこもり。ベッドの上だけが住処のように、そこからほとんど動く事もなく。時々、便所へ行き。時々、水を飲み。近所の安い飲み屋で酒を煽り。たまに、よくわからない女を連れ込んで抱き。タバコだけを吸い続ける生活だ。
 唯一、外界と繋がっていたのは、水とタバコを買いに出た時と、飲み屋に酔いつぶれに行った時だけだった。あとは、女が話す外の世界の事を、相槌さえ打たずにただぼんやりと聞いていた。
 女を抱いている時以外は、ベッドの上で何もせず、天井の目地を眺め続ける。生きてんのか、死んでんのか、本当にわからない毎日だった。
 けれど、そんな中途半端な引篭もりも長くは続かなかった。
 どんなに悔やんでも。どんなに後悔しても。心が求めていたものは、たったひとつだけだった。
 食べ物を受け付けない胃の辺りをさすり、ガリガリになった体でアコギを抱えて夜の中に紛れた。誰とも口をきかずに過ごしていた薄暗い自分の部屋と変わらず、溢れ返るほどの人が居るこの街中でも、俺は誰と口をきく事もない。人は、ただ俺の前を、横を通り過ぎていくだけだ。
 街に現れた薄汚れた見知らぬ男は、まるでその辺に廃られているゴミや、犬の小便やゲロのたまり場になる電柱と変わらないちっぽけな存在だった。
 閉店後にシャッターの下りたショップの前に座り込み、使い古されたアコギを抱える。ポロンとひとつ鳴らした音は、あっという間に喧騒へと飲み込まれた。
 すっかり音の狂ったギターをチューニングし、もう一度爪弾いた。そうして、またその音はかき消される。繰り返される、空しくも思える行動。それでも、音を奏でようと爪弾いた。
 こもりきりで、数ヶ月ギターに触っていなかったというのに、指はしっかりと弦を押さえてメロディーを奏でる。体は、音楽を少しも忘れていなかったんだ。
 声は、まだ出ない……。
 ずっと、誰とも話さなかったせいか、しゃべる事さえ困難に思えた。歌うには、まだ少し時間が必要かもしれない。
 出ない声を無理強いすることなく、メロディーだけをただ奏でていった。目をつぶり、行きかう人波の映像を脳から排除し、煩いほどの喧騒を鼓膜から遠ざける。自分が作り出す音だけに耳を傾ける。

 何年か前、大学に通いながら音楽の世界に希望の光を感じていた頃。初めてアイツと出逢い、声を交わした時の第一声が耳の奥に甦る。
 大学に通いながら、夜になるといそいそとギターを抱え、道行く人たちに自分の音楽を垂れ流していた。地べたに座り込み、一人声を張り上げ歌っていた。咥えタバコのアイツは、履きこなれたジーンズのポケットに両手を引っ掛け、そんな俺の前に現れた。
――――いい声してんな……。
 ガリガリの猫背で、目元が隠れるくらいの前髪から力強い光を放った瞳をのぞかせ、口元に笑みを湛えながら可笑しそうに話しかけてきた。
「ギターは、へたくそだな」
 そう、口の端を吊り上げ笑った。
 一人路上でギターを弾き歌っていた俺は、奇跡の出会いに時間が止まったのを憶えている。

 四つも年上のアイツは、俺よりずっとずっとガキみたいな顔をして笑いかけてきた。目を閉じたままでいると、今でも瞼の裏にアイツの笑い顔が浮かび上がる。耳の奥で、楽しそうに笑うアイツの声があふれる。
 悔やんでも悔やみきれない、あの時の事。一生、俺に纏わりつくだろう出来事だ。思い出すだけで、心臓が握りつぶされるほど苦しくなる。
 さっきまで笑っていたアイツの顔は、瞼の裏で血まみれになって歪み、苦しい記憶を呼び起こす。
 どうしてあんなことになってしまったんだ。どうして……。
 あの衝撃的な事故の日から、後悔を背負ったまま只管(ひたすら)にギターを弾き続けた。毎日毎日、夜の街へと出掛け、時々、食べ物や水を口にし、言葉を取り戻したあとは、喧騒に負けないくらいの声を上げて歌い続けた。
 アイツから音を奪ったのに、結局、音楽から離れる事ができなかったんだ。
 チラつくアイツの苦しげな顔に目をぶり、ギターを弾き、やみくもに歌い続けることで、抱えた後悔をどうにかしようともがき続けていた。過去に目を背け、後悔というサークルの中を、壁に沿いグルグルと何周もし、抜け出すこともできないまま、覚束ない足取りでふらついていた。
 ギターに縋り歌う事で、いつまでも同じ場所から動き出せない自分を誤魔化していたんだ。
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