26.役者

文字数 3,965文字

 打ち上げでは、岩元と今後の事について少し話をしたが、心が浮かれ、酒も入っている状況での話し合いは、大きな未来を夢見て語るだけになってしまい、細かい事は後日事務所を訪ねることになった。ただ、レコード会社は以前来てくれたところで、俺も含めメンバーは納得している。
 こうやって、小さな飲み屋で和気藹々と打ち上げをすることは、この先少なくなるかもしれない。大人の事情が絡んでくることも、ある程度は許容していかなければならないだろう。そう思っても、以前のように総てを毛嫌いし、無理だと鉄の壁を作ることはない。俺も少しは大人になったのか、岩元さんの笑顔を見たせいか。何にしても、過去を吹っ切り、前を向いていくと決めたことで、背を向けるんじゃなく、少しずつでも向き合い、解決していく大切さを知ったんだ。きっと、岩元さんだって協力してくれるだろう。
 省吾が楽し気に声を上げて笑っている。瞭が煙草をふかし、口角を上げながら気取ってビールを飲んでいる。圭は俺の隣で、定食かよという料理を口へ運んでいる。
 こんな奴らのそばにいる俺は今とても幸せで、もう何杯目になるかわからないビールを勢いよく煽った。
 心地よくアルコールの回った思考で、圭と二人でおんぼろアパートへ帰った。
「今日。泊めてもらってもいいですか?」
 伺う様にして訊ねる圭に、当たり前だと笑顔を向ける。終電もなくなったこんな時間に、帰れなんて言うわけがない。寧ろ、俺としては泊まるのが当たり前だとさえ思っていた。
「お前に買った布団。そのままだよ」
「ありがとうございます」
 圭は、嬉しそうに礼を言う。
 途中のコンビにで、喉の渇きを潤すために、ペットボトルの麦茶を買った。圭は、アイスも籠に入れる。まだまだカギだ。
 レジに籠を置くと、朝ご飯と言って、サンドイッチとおにぎりも追加している。ちゃっかりしている。
 コンビニ袋を提げて部屋に上がると、電気をつけた途端、圭が声を上げた。
「うっわーっ!! ゴミ処理場?」
「えっ……」
 圭の言葉に部屋を見回し、大袈裟なほどに驚いた。圭がいなくなってからも、部屋は充分きれいにしてきたつもりだったが、これでもまだ散らかっているのだろうか。
 ポリポリと頭をかき、自分の部屋を見渡し、「まいったなぁ」と顔を顰めていると、圭が面白そうな顔をして振り返る。
「嘘ですよ」
「てんめぇ~っ」
 からかった圭の体を床に押さえつけ、四の字をかけた。
「うあっ!! ごめんなさいっ! もう嘘つきませんっ。ギブですっ! ギブ!!」
 近くにあったテーブルの足を、ロープ代わりにしがみついている。
 深夜にこんな騒ぎを起こしても、流石におんぼろアパートだけあって、苦情などきやしない。いや、普段から昼夜問わずギターをかき鳴らし、女を連れ込み、好き放題やっている強面ミュージシャンに逆らう住人は、ここには住んでいないようだ。それに、どんなに傍若無人にふるまっても、家賃の滞納だけはしたことがないんだ。
 騒ぎまくる圭の体を解放して、頭を軽く小突いた。圭は、四の字をかけられた足を床に座ったままさすっている。
「ちゃんと、綺麗にしてるんですね」
 少し寂しげに顔を歪ませ呟いた。コンビニの袋をテーブルに置いてからベッドに腰掛け、圭の顔から少しだけ目を逸らす。
「夏休みの宿題。ちゃんと提出できたのか?」
 逸らした視線のまま訊くと、圭が可笑しそうに笑っているのが解った。
「だからぁ~。コアな成人さんに、宿題とかいう言葉。似合わないっ言ってるじゃないですかぁ」
 圭は、また可笑しそうにしている。
「僕、頭良いんですよ。前にも言ったでしょ? 宿題なんて、あっという間ですよ」
 テーブルに置いたコンビニ袋から麦茶やサンドイッチを取り出し、冷蔵庫へしまう。アイスを食べるのかと思ったら、どうやらそんな気分でもなくなったのか、そのまま冷凍庫へ入れてしまった。
「あ、歯ブラシ、そのままですね」
 寂れた洗面所で歯を磨くと、畳んであった布団を広げてジーンズを脱ぎ、そのまま潜り込んだ。俺も歯を磨き、パンツ一丁になって電気を消し、ベッドに寝転んだ。
 ナツメ電球の灯りの中、圭は鼻の頭まで潜り込んで目だけを動かしている。薄闇の中。圭の目が立てかけてあるギターへと注がれた。
「頼のギター。成人さんが大切にしてくれているの知って、僕すんごく嬉しかったんですよ」
 圭は、とても愛しそうにギターのシルエットを見ている。同じように、俺もギターへ視線を向けた。
「あれは、頼が俺を認めてくれた証だからな」
 懐かしい記憶に表情を綻ばせていると、圭は少し考えるようにしてから、おもむろに布団から這い出した。そして、頼がくれたものとは別のギターの前にしゃがみこんだ。
「成人さん」
「ん?」
 俺は、片腕を枕にして横を向き圭の様子を窺う。
「僕も、成人さんに認めて欲しいです」
「認めて欲しいって?」
「これ。下さい」
「はぁっ?」
 圭は、目の前のギターを指差した。
「頼が成人さんにギターをあげたみたいに。成人さんが僕にギターを下さい」
「下さいって。お前、簡単に言うねぇ」
 苦笑いを浮かべ、俺もベッドから抜け出した。
 圭が指差すギターを手に取り、簡単にチューニングをする。それから、酔って歌う省吾の真似をして弾き語った。
「ペットのクセにぃ~。ギターをよこせと、鳴きやがるぅ~」
「なんですかそれぇ~」
 ふくれっつらの圭に向かって、笑いながら続きを歌った。
「男のクセして、女顔~。可愛い顔して、図太い神経~。小姑みたいに口がへらねぇ~」
 益々、圭のふくれっつらが酷くなる。
 おもしれぇ。
「優柔不断で、大飯ぐらい~。チョロチョロ チョロチョロ 犬みてぇ~」
「ペットじゃないですってばぁ~」
 文句を言いながらも、可笑しそうに笑いだした。
「そのくせぇ、つまらねぇところで遠慮してー、変なところでぇ、気を遣うー」
 膨れていた圭の顔が緩む。
「転がり込んできたペットは~。いつしか友達に~。俺を助けてくれた、大切な友達に~」
 緩んでいた顔が、涙目になって歪んでいった。そんな圭の顔を見たら、照れくささと、喉の奥が熱くなり、無理やり歌を終わらせた。
「ペットの名前は。けいぃ~っ。サンキューッ」
 ジャーンと最後にかき鳴らし締めくくった。
「なんですかそれ……」
 グズッと少し鼻を鳴らして、圭が笑っている。
「そんな歌。プロでやらないで下さいよぉ。絶対に売れないですからぁ」
 圭の皮肉にクッと笑い、頭をクシャクシャにしてやる。
「こんな歌。二度と歌わねぇよっ」
 乱れた髪もそのままに、圭はケラケラ笑っている。
「ほらよっ」
 弾いていたギターを、圭に差し出した。
「えっ」
「欲しいんだろ?」
「でも……。いいんですか?」
 俺が頷くと、手に取りガバッとギターを抱きしめた。
「おいおい。そんなに抱きついたら、ネックが反っちまうぞ」
「えっ!」
 慌ててギターを体から放し、慎重にスタンドへ立てかけると、ニコニコと眺めている。
「ちゃんと練習しろよ。お前、頭はいいか知らないが、ギターのセンスは全くないからな」
 楽器屋で初めて圭を見た時、試し弾きをしていた音を思い出し笑ってしまった。
「あぁーーっ。バカにしないで下さいよぉっ。絶対にうまくなってみせますから。そんで、成人さんの事も、頼の事も追い抜いちゃいますからねっ」
「おお、おお。威勢のいいライバルが出現したな」
 意外と強敵になるかもしれないな、と純粋な圭の表情を見ていた。
 その夜。圭は、瞼が重くなるまで、ずっとそのギターを眺めていた。

 学校に遅刻しないよう、空が白み始めた頃に、圭は一人ゴソゴソと起き出した。その音に、俺も目を覚ます。
「けい……? もう、行くのか……」
「あ、はい。起こしちゃって、すみません」
 大きく欠伸をしてベッドから抜け出し、立てかけてあるギターをケースにしまい、圭へと差し出した。
「ありがとうございます。大切にします」
「おう」
 綺麗に畳まれた布団。その様子に、最後の別れでもないのに寂しさが募る。
「布団。お前がいつ来てもいいように、しまっとくからよ」
 ぶっきら棒に言うと、大きく頷き返事をする。その顔が嬉しそうで、俺の顔もつい緩む。
 スニーカーを履き、ギターを背負ってドアノブに手をかける。圭がその姿勢のまま振り返った。
「成人さん」
「あん?」
「頑張ってくださいね。僕、応援してますから」
「おぅっ」
「岩元さんが、きっとVallettaを大きくしてくれますよ」
「ああ」
 あれだけ俺たちのことを追っかけまわしてたんだ。そうしてもらわなきゃ、困る。
 いつが最後になるかなんて、わかんねぇけど。Vallettaが自分たちの音楽をしていけるように、岩元には最後までずっと背中を押し続けてもらいたい。
「岩元さんね。成人さんを見つけたとき、鳥肌が立ったって言ってましたよ」
 へぇー。圭の奴、岩元とそんな話をするほど仲良くなってたのかよ。
「頼を見つけた時と同じくらい、鳥肌が立ったって」
「頼を見つけた時? えっ!」
 圭は、いたずらな笑顔で言い残し、ドアを開けて出て行く。
「けいっ!」
 閉まったドアをもう一度開け、歩く背中に叫んで呼び止めても、圭は知らんふりで行ってしまった。
「頼を見つけた時と同じって。じゃあ、もしかして。頼が言ってた必死な事務所の人って、岩元のことだったのかよ」
 どおりで。やられたな。
「初めから、みんな知り合いだったって事かよ」
 今頃気付いた自分の鈍感さに、一人クツクツと笑いが止まらなかった。
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