第2話:父の株成功と高専入学

文字数 1,542文字

 こんな騒動があったが、普段通り戻り、学校生活を過ごした。やがて年が明けて、1988年3月にT小学校を卒業し、近くのT中学校に入学した。中学では、サッカー部に入って日が暮れるまでサッカーを楽しんだ。戸部伸介の父、戸部堅蔵は、1965年1月14日にソニー株を20円で1万株を20万円で買った。

 その後、1973年1月16日にソニー株が800円の株価をつけると全株を売った。ソニー株を持っていた8年間でソニー株は、2回の株式分割をした結果、1万株が18750株に増え、利益が1278万円になった。

 そこで、この頃、自動車工場で夜勤の仕事をしていた戸部堅蔵は、株投資で成功し市営住宅を出て長津田の賃貸マンションに入居した。その後、1974年10月11日にソニー株を240円で9万株を2160万円で買い、口座残金を3003万円にした。

 そして、1981年6月8日の朝、証券会社の担当者から電話が入りソニー株の気配値が1330円となった。さらにソニー株を持っていた6年間半の間にソニー株は、2回の株式分割をした。その結果、9万株が140625株に増え、利益が16222万円になった。その結果、戸部堅蔵の証券口座残金の合計が19224万円となった。

 その株投資の利益で長津田駅近くに3DKの賃貸マンションを月12万円で借りて住むようになった。この頃、父が新発売されたPC9801UV11と言うNEC製のパソコン本体を26万円、ディスプレイとプリンターを合わせて48万円で購入した。こうして、飛び一家でPC9801UV11を交代で使った。そして、各自が自分のデータを3.5インチのフロッピーディスクに記憶させるようにした。

 中学2年に上がった1989年5月連休後から横浜市北部にあるT高専電気科を受験したいと考えた。そこで、家の近くの進学塾に入って受験勉強を始めた。こうして、10月になると模擬試験の成績を向上させ、T高専合格が射程距離に入った。12月29日、東証平均株価が3万8915円の史上最高値を更新した。やがて、1990年が明け、1月13日に大学入試センター第1回の試験が実施された。

 3月26日、黒澤明監督が第62回アカデミー賞の名誉賞を受賞した。6月29日天皇の次男、礼宮文仁親王と川嶋紀子が結婚、秋篠宮家を創設。夏には、進学塾の一斉テストで戸部伸介は、今までの最高得点を取り喜んだ。10月1日、東証株価が2万円を割った。これにより1990年12月29日の史上最高値3万8915円から9カ月で約54%下げた。

 その結果、日本の株式市場の時価総額が590兆円の世界一から319兆円に減少し、日本のバブル経済が崩壊した。1991年が明けると1月17日に米軍を主体にペルシャ湾岸地域に展開する多国籍軍がイラク軍に攻撃を開始し、「砂漠の嵐作戦」と命名され、湾岸戦争が起きた。海部俊樹首相が「確固たる支持」を表明した。

 1月24日、日本政府、自民党首脳会議で湾岸戦争支援策として90億ドルの追加支出を決定。2月初旬、戸部伸介は、T高専電気科を受験した。その翌週の合格発表に戸部伸介は、母とともにT高専に出かけた。そして学校に着くと戸部伸介は掲示板に自分の受験番号を探し始めた。
「戸部信介が自分受験番号を見つけると、こぶしを握り締め、やったぞと叫んだ」
「それを見て母が良くやったわねと肩をたたいた」

 その後、入学手続きを終えて、昼前にT高専を出て近くの駅の食堂で昼食を食べた。そして、夜勤の仕事に出る前の父にT高専電気科に合格したことを伝えると、良くやったと言ってくれた。2月24日多国籍軍がイラク、クウェートに進攻した。2月27日にブッシュ米大統領がクウェート解放の完了を確認して勝利宣言をした。
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