第7話:妙な夢とヤフー株買い

文字数 1,544文字

 10月1日、大手ゼネコンから現金を受け取り、あっせん収賄罪に問われた裁判で、中村喜四郎・元建設相に東京地裁が懲役1年6月、追徴金1千万円の実刑判決となった。10月31日の朝、証券会社の担当者から戸部堅蔵に電話が入りヤフー株の上場が決まったと連絡が入った。そして、全く新しいコンピューター通信関連の仕事を手がける会社であり注目されていると言われた。

 そこで、安値を買えば、大化けするかもしれないと言われた。ヤフー株って、どこかで聞いたことがあると言う気がしてならなかった。それを聞き、戸部堅蔵が担当者にヤフー株を買いたいので下値をチェックして教えて欲しいと伝えた。すると証券会社の担当者が了解しましたと告げた。その晩、寝る前に小学校の6年生の時、社会見学で横浜の横浜開港資料館で倒れた時に夢に出て来たヤッホー株のことを思い出した。ヤッホーと聞こえたのは、もしかしてヤフーだったのかも知れないと言う気がした。

 そこで、何とかヤフー株を手に入れたいと考えた。そして、子供のからのお小遣い、お年玉で貯めた貯金と社会人になってからの貯金を合わせて107万円を持っていた。そこで戸部伸介は、父、戸部堅蔵に自分も20歳になったので証券口座を作って、ヤフー株を購入したいと告げた。それに対して、構わないよと言ってくた。その後、戸部伸介は、会社を休んで、父と証券口座を開いたN証券へ行った。

 そして、戸部伸介が証券口座を開設した。その時、証券会社の担当者が全力で儲けさせると言ってくれた。この話を息子の戸部信介に話すと、彼が面白そうだと言った。そして、戸部信介が100万円と持っているから何とか自分もヤフー株を手にいれたいと言った。その後、1997年11月4日、ヤフー株が新規上場し、初値で1株200万円を記録した。

 翌11月5日に175万円まで下げた。それを見て、戸部堅蔵が戸部伸介にヤフー株100万円では買えそうにないと言った。そこで、戸部伸介は、父、戸部堅蔵に100万円を借してほしいと言うと了解してくれた。そこで、翌日、半休を取り、戸部信介は、父に借りた100万円を証券口座に入金し200万円にした。

 そして、戸部親子は、毎朝、ヤフーの気配値を担当者に電話で聞いた。そして、11月13日の朝、ヤフー株の気配値が164万円と言われ、戸部堅蔵と戸部伸介は、ヤフー株1株ずつ購入した。11月17日、北海道拓殖銀行が営業権を北洋銀行に譲渡すると発表した。これが日本初の都銀・初の経営破綻となった。その後、11月24日、営業不振になった山一證券が自主廃業した。

 12月1日、地球温暖化・防止・京都会議が開幕した。12月11日に地球温暖化・防止・京都会議で先進国の温暖化ガス削減目標を盛り込んだ議定書が採択された。これで京都会議が閉幕した。1998年1月1日、戸部信介は、NECで親しくなった総務課の菅村範子と一緒に元住吉駅近くの住吉神社に初詣に出かけた。住吉神社に到着すると大勢の初詣の客で混んでいた。

 そこて、今年は良い年でありますようにとお参りして、多めのお賽銭を置いてきた。お参り後、っ人が少なくなったところで範子さんが戸部信介に耳打ちする様に小声で今年、結婚しませんかと言った。それを聞いて、戸部信介は、いつ頃が良いかと聞くとゴールデンウークまでには結婚したいと言いので了解と答えた。

 2月19日、日興證券から不正な利益供与を得たとして国会に逮捕・許諾・請求された新井将敬・自民党・代議士が自殺した。3月に入り結婚式場を探し、4月26日、川崎日航ホテルで結婚式をすることを決めて予約した。3月11日、東京地検が日本銀行の吉沢安幸・証券・課長を収賄容疑で逮捕すると松下康雄・日銀総裁が辞意を表明した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み