第6話:リクルート事件と凶悪事件

文字数 1,583文字

 3月6日、野村謹券が総会屋親族企業への利益提供を認めた。3月14日、野村證券の酒巻英雄が社長が辞任し、5月30日には、酒巻・前社長が警察に逮捕された。3月24日、リクルート裁判で受託収賄罪に問われた藤波孝生・元官房長官に対して、東京高裁が1審の無罪を破棄し、懲役3年、執行猶予4年、追徴金4270万円の判決を下した。

 リクルート事件とは、1988年6月18日に発覚した日本の汚職事件。リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルート・コスモスの未公開株が賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート関係者と収賄側の政治家や官僚らが逮捕された。その後、政界・官界・マスコミを揺るがす大不祥事となった。

当時、第二次世界大戦後の日本最大の贈収賄事件、企業犯罪と言われた。具体的には、1984年12月から1985年4月にかけ江副浩正リクルート社の会長が自社の政治的、財界での地位を高める目的で有力政治家、官僚、通信業界有力者にリクルート社の子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を賄賂として譲渡した。

 5月27日、神戸市須磨区で小学6年の男子生徒の切断された頭部が発見された。6月28日、中学3年の男子生徒を殺人・遺体遺棄で逮捕された。さらに女児4人が相次いで殺傷された事件についても同生徒を殺人・殺人未遂などで再逮捕した。この事件は、1997年2月~5月、神戸市須磨区で当時14歳だった中学3年の男子生徒が児童5人を襲い、そのうち2人を殺害した少年による事件である。

 少年は、酒鬼薔薇聖斗「さかきばらせいと」を名乗る犯行声明文を報道機関に送りつけるなどした。この少年は、1997年2月10日の16時35分ごろ、神戸市須磨区の路上で小学6年の女児2人「いずれも当時12歳」の後頭部をハンマーで次々と殴り、そのうち1人に約1週間のけがをさせた。
 3月16日の12時23分頃、須磨区の路上で小学4年の山下彩花さん「当時10歳」の頭を八角げんのう「ハンマーの一種」で殴り、7日後に死亡させた。さらに同日、12時35分頃、須磨区の歩道で小学3年の女児「当時9歳」の腹部を刃渡り約13センチのくり小刀で刺し約2週間のけがをさせた。

 同年5月24日、14時過ぎ頃、須磨区の路上で会った小学6年の土師淳さん「当時11歳」を通称・タンク山の山頂にあったケーブルテレビアンテナ基地局近くに連れて行き、両手で首を絞めるなどして殺害した。翌25日に遺体を切断し、同27日未明までの間に遺体の一部を自分が通っていた中学校の正門前に置いた。

 1997年5月27日6時40分頃、神戸市須磨区の市立中学校の正門前に切断された遺体の一部が置かれているのを同校関係者が見つけ110番した。兵庫県警の調べで遺体は24日から行方不明になっていた近くの小学6年、土師淳さんと判明。遺体のそばには警察への挑戦状とも受け取れる手紙が置かれていた。その手紙には、以下の様に書いてあった。

「さあゲームの始まりです」
「愚鈍な警察諸君」
「ボクを止めてみたまえ」
「ボクは殺しが愉快でたまらない」
「人の死が見たくて見たくてしょうがない」
「汚い野菜のともには死の制裁を」
「積年の怨念に流血の裁きを」

 兵庫県警が土師さんの事件について殺人・死体遺棄容疑で捜査を進める中、1997年6月4日、地元の神戸新聞社に手書きの犯行声明文が届いた。「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り、「ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである」と新たな犯行を予告するような内容が書かれていた。

「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への報復も忘れてはいない」と、犯行動機が学校への恨みであることもにおわせた。警察に対しても「命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ」と挑発した。
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