第4話:高専卒業とNEC入社

文字数 1,530文字

 3月20日、東京都内の地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の電車内に猛毒ガスのサリンがまかれ、10人が死亡、5千人以上が重軽症を負った。3月22日、警視庁がオウム真理教関連施設を捜査して教団の幹部と多数と教団員達が逮捕された。5月16日には、オウム真理教の松本智津夫「本名・麻原彰晃」代表を殺人容疑で逮捕した。1995年6月に戸部伸介は、卒業論文を何にするか考え始めた。

 その後、いろいろ考えた揚げ句、戸部伸介は、日本語ウインドウズパソコンの応用についての論文を書くことに決めた。そして、7月から卒業論文の作成に入り、多くの資料を集め始めた。夏休みに入るとクーラーの効いている図書館で卒業論文作成を始めた。9月中旬に戸部伸介は、卒業論文を書き始めた。

 その後、担当の先生に卒業論文を見せると興味深い論文ではあるが個性が強すぎるかもしれないと言われた。しかし、思い切って1995年9月下旬、卒業論文を提出すると、むしろ個性的な論文だと言う高評価をもらえたようで採用された。こうして、卒業できることになった。その後、就職先をどこにするか考え始め、NECを受験することに決めた。

 10月28日、水俣病・被害者・弁護団・全国連絡会議が日本政府・与党の示した最終解決案を受け入れ、事実上の決着。12月6日、乱脈経営で破たんした東京協和、安全両信用組合の不正融資に絡み、東京地検が山口敏夫元労相を背任容疑で逮捕された。12月6日、福井県敦賀市にある動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「もんじゅ」の2次冷却系配管から液体ナトリウムが漏れ、連転を中止した。

 1996年1月1日、大手スーパー各社が元日営業を始めた。2月16日、輸入血液製剤でHIV「エイズウイルス」に感染した血友病患者に菅直人厚相が厚生省を代表して謝罪した。2月初旬に戸部伸介は、川崎のNEC玉川事業所に行き就職の話を聞いた。その後、NECの就職試験に応募した。こうして、1996年1月11日、米国ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立した。

 ソフトバンク社から合弁の経緯が発表された。それによるとソフトバンク株式会社とZD社は、インターネット上で情報検索サービスを提供している米国・ヤフー社へ、1995年11月に2百万米ドルを出資し、同社株式の約5%を取得した。今回、ソフトバンクはインターネット・ビジネスの本格的な展開を図るため、ヤフー社との合弁で日本法人「ヤフー株式会社」を設立することを合意した。

 1996年2月26日、戸部伸介は、NEC玉川事業所に9時半に到着した。その後、試験会場に入り10時半から筆記試験が始まり、11時に終了した。そして、昼食後、14時から個人面接が開始された。戸部伸介は、特にあがることもなく面接官の言われたことに答えた。面接官の1人が、君がNECを希望した理由はと聞かれ「PC-9801」を以前、購入して使った感じが良かったことですと答えた。

 そして、NECには、将来性があるりそうだと感じたからと答えると「PC9801」を使ってくれていたのかと面接官の顔が笑顔に変わった。戸部伸介がNECは、日本のパソコンからウインドウズ・ソフトを利用した世界的はパソコン企業になったと称賛した。こうして、全ての入社試験が終了した。

 就職試験の1週間後、NECから手紙が届き明けてみると内定と書いてあり戸部の両親も喜んでくれた。こうして、戸部伸介は、自宅から約1時間でNEC玉川事業所に通いはじめた。この頃、戸部伸介は、NECの組合に入らないかと同じ職場で同じ高専の2歳、年上の大熊俊範さんに誘われ組合に入った。その組合では、若い人たちの飲み会、小旅行を企画して活動していた。
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