第16話 〈隻眼姫〉と〈勇者〉

文字数 2,841文字

「神居さん。指は、どうなりました?」
「ん」
 神居が見せた右手には、グルグルと包帯が何重にも巻かれていた。
「クソ医者の紹介、ありがとね」
 神木は神居の背後にある建物に視線をやった。カビだらけの薄汚い外装だ。窓ガラスはひび割れ、ドアには亀裂が走っている。いちおう、病院なのだが、一般人には廃墟にしか見えないだろう。院長は医師免許を持っていないが、相手が殺人犯だろうと金さえ渡せばどんな治療でも引き受ける。裏で生きる者たちにとってここは、最高の闇病院だった。
「さすがに、クソ医者は言い過ぎですよ」
「だって、新しい指をくっつけてもらえなかったから……」
「手が腐る前に治療できてよかったじゃあないですか」
「よくない! 麻酔なしで針でチクチクやられるの、クソ痛かった!」
「そんなことよりも、神居さん」
 文句が延々と出てきそうな気がしたので、神木は強引に話題をぶっ込んだ。
「おれたち、しばらく隠れないといけなくなりました」
「なんで?」
「あなたが周回プレイヤーの一人に狙われているからです。でもって、付添人として、おれが選ばれました」
「隠れなくても、逆にぶっ殺せばよくない?」
 相変わらず(したた)かな人だ、と神木は感心する。
「今回は神宮寺さんの指示なんです。組織の深いところが絡んでいると思うので、言う通りにしたほうがいいですよ」
「神宮寺さんか……。なら、しょうがない」
 頷き、神居は神木のズボンから財布を素早く奪い取った。
「あの、何やってんすか?」
「帰りに

買う」
 もう自由にしてくれ、と神木はひらひらと手を振った。
「てかさぁ、神木」
 財布の中の小銭を数えながら、神居が言う。
「あの女は今、どこにいるの?」
「わかりません」
「神宮寺さんは知らないのかな?」
「わかりません」
隻眼姫(せきがんき)〉について神宮寺は何も語らなかった。きいたら居場所に関する情報をくれるかもしれないが、それは、今ではない。
「今度きいてみますよ。てか、あなたがきいてください」
「私とやる前に、死ななきゃいいけど……」
「死んだほうがいいと思います」
「え?」
 神木は神居に背を向け、歩き出した。
 ……〈隻眼姫〉。あいつは死ぬべき人間だ。
 居場所はわからないが、奴が今、何をしているのか予想はつく。目的だけは、はっきりしているから。





 朽ちかけたコンクリート製の建物の中で、男性組員が救済ゲームの終了を告げた。
「〈バーン・オブ・ハイランダー〉。勝者、加賀美(かがみ)瑞樹(みずき)
 プレイヤーの男が大きく息を吐いた。初めてのゲームは、精神にかなり堪えただろう。緊張の糸が切れ、その場に座り込んでしまった。
「加賀美様。叶えたい願いを教えてください」
「あぁ……」
 ゲームマスターを務めた男性組員の声に、加賀美という男は溜息で応える。ゲームマスターは携帯端末でゲーム終了後一時間以内に組織に勝利したプレイヤーの願いを伝えなければいけないという決まりがあった。守れなかった場合、何かしらのペナルティが科されることがある。相手の精神状態がどうであろうと、組員は我が身のために、急かさなくてはいけない。
「加賀美様。あの、きいてますか……?」
 男性組員が加賀美を呼んだ、そのときだった。プレイルームの外から、誰かの足音がきこえた。コツコツと子気味のよいヒールの音だ。たぶん、女だろう。
 靴音は、プレイルームの出入口ドアの前で止まった。錆にまみれた金属製のドアが、ミシミシと音をたててゆっくりと開く。
 荒廃した壁や窓、天井の隙間から差し込む日の光が、そこにいた女性を照らした。百七十センチ近い背丈の、色白で美しい女性だった。身体つきは華奢だが、背筋がピンとしていて姿勢がよい。背中へ流した艶のある黒髪は見事だが、前髪が妙に長く、右目が完全に隠れてしまっている。

 髪がかかっていない左目が、男性組員に固定された。映したすべてを凍てつかせてしまうような、暗くて冷たい色の目だった。
「おい、まさか……!」
 男性組員は、ハッとなった。
 もしも、そこにいる黒髪の女性が、噂できいていた〈隻眼姫(せきがんき)〉なら、今すぐ逃げなくてはいけない。
 何故ならそいつは、組織の組員を一方的に惨殺できる、最悪の資格を有しているから。
「くそッ!」
 男性組員は踵を返す。その瞬間、いつの間にか後ろにいた一人の男とぶつかり、背中から床に転倒した。
「う、うわぁ!?」
 見上げて、男性組員は絶叫する。男の手に握られたサバイバルナイフに、怯えた顔の自分が映っていた。
「う、うわわ……!」
 男性組員は尻を床にこすりつけながら後退。すると今度は、接近していた黒髪の女性の足にぶつかり、悲鳴を上げた。
「お、お前らッ! 仲間たちが言っていた、〈隻眼姫〉と〈勇者(ゆうしゃ)〉かッ!?」
 そうだ、と言うように、男が一歩近づいた。黒髪の女性に似て色白の、整った顔立ちの男だが、雑に刈られたボサボサの黒髪がせっかくの美顔を台無しにしている。
 身長は百七十センチあるかないか。身体つきだけ見たらさほど脅威には感じられないが、手にしたサバイバルナイフよりも鋭い眼差しは殺気で(みなぎ)っており、目を合わせただけで男性組員は心臓が止まりそうになった。

「姫様。モンスターです」
「そうですね。勇者様」
〈隻眼姫〉と〈勇者〉が短い会話をした直後、サバイバルナイフが男性組員の首に深々と突き刺さった。〈勇者〉は、ノコギリで木材を切るかのようにサバイバルナイフを素早く、何度も横に引いた。肉が千切れ、骨が無理矢理削られる痛みに、男性組員は悶絶する。〈勇者〉の手は止まらない。〈隻眼姫〉も、〈勇者〉の首切りを黙って見ている。男性組員の頭部と胴体が切り離されると、室内が一瞬で静かになった。
 返り血で衣服を真っ赤に染めた〈勇者〉は、左手に掴んでいた男性組員の頭部をゴミみたいに投げ捨て、プレイルームの中央でうずくまる加賀美にサバイバルナイフを向けた。
「あれも、モンスターですか?」
 ついさっきクリアしたばかりのゲームに使われたテーブルに寄りかかって、加賀美は絶句していた。何が起こっているのかわからない、といった表情を浮かべている。〈勇者〉は血塗られたサバイバルナイフを揺らしながら、加賀美に接近した。自分も男性組員と同じ目にあうことを察した加賀美は、慌てて立ち上がり逃げようとするが、〈勇者〉の放った足払いでスッ転ぶ。
「ま、待ってくれ! どういうことなんだ一体!? ぼくはゲームをクリアした! なのに何故、こんな目にあわなくちゃいけないんだ!?」
 加賀美は両腕を顔の前で振り、必死に懇願した。
「ゲームをクリアした、ということは……」
 ツカツカと〈隻眼姫〉は加賀美に歩み寄り、前屈みになって、囁くように言う。
「お前もモンスターになってしまった、ということだな」
「意味がわからん!」
〈隻眼姫〉は前髪を指先で横にやって、右目に加賀美を映した。
「お前はモンスターだ。

、〈黒染めの怪物(ドリーム・シェイド)〉なんだよ」
 サバイバルナイフが加賀美の喉元に突き刺さる。悲鳴が上がり、血飛沫が舞った。
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