第13話 〈ミート・マーケット〉その⑤

文字数 3,169文字

 第十二ラウンドが始まる。
 私は『豚肉』を隠し持ったまま、テーブルに再び現れた〈フードカード〉を取った。『焼き鳥』。これは運も味方になり始めている。
「……お腹空いた」
 ポツリと呟く。本当にお腹が空いたのか、〈フードカード〉を取らず、自分の指をチュパチュパしゃぶっている。
「ボクね。小さい頃ね。パパとママからあんまりご飯食べさせてもらえなかったんだ。それで、お腹が空いたときはいつもこうやって、自分の指を舐めていたんだ」
 唾液が糸を引いてテーブルに落ちた。
「でもね。パパとママが言うんだ。『指をしゃぶる癖をやめろ』って。でも、ボクはやめられなかった。自分の指が、すごく美味しいってことを知っていたから」
「……残り十秒です」
 神木がひきつった顔で時間を告げる。
「うひ、うひひっ……! でもね、パパとママはもっと美味しかったんだぁ。お腹が減っているとね、どんな人でも美味しく食べられるって、パパとママが教えてくれたんだ」
 なんだ、こいつは。完全にぶっ壊れてしまったのか。不幸自慢で同情を誘う作戦だったら通じないぞ。私は味など気にする余裕がないほど貧しい環境で暮らしていたのだから。
「だからね、きっとね、神居さんも美味しく食べられると思うんだ」
 突然、蛇沼の目が私に向いた。ゾッとするような不気味な笑みを浮かべ、舌を伸ばし、先っぽを上下にチロチロ動かす。まるで、獲物を捜す蛇のようだった。
 残り一秒で、蛇沼は〈フードカード〉を取る。
 私は〈ミートカード〉をテーブルに置いた。今回は『牛肉』が一枚、『豚肉』が二枚ある。本来並ぶはずの『鶏肉』は、ジャージの袖に隠した。
「いひ、いひひ……」
 涎をたらしながらカードを選ぶ。『豚肉』。私の残Pが『400P』になり、残『(ゼロ)P』の蛇沼は指を支払いに出すしかなくなった。
「蛇沼様。『豚肉』の『200P』が足りません。指二本で支払ってもらいます」
「いひひ、ひひひ……」
 ニヤニヤ笑いながら蛇沼が神木の傍へ行く。
「どの指にしますか?」
「右手の小指と薬指……」
 指切り器具の金属音がきこえる。指は間違いなく切られた。それがこのゲームのルールだ。
 しかし、蛇沼は悲鳴一つ上げず、すぐプレイルームに戻ってきた。どうやっているのかわからないが、血も出ていない。
「……え?」
 そんな馬鹿な。まさか、嘘だろう。
 貧血とは違う理由で倒れそうになった。理解しているのに、頭が理解を拒んでいる。
 ゴムのような滑らかな断面に、金属質の骨。見開いた目に映るものが、現実のものとは思えなかった。
「か、神木ッ! イカサマだッ! こいつを反則負けにしろッ!」
 神木はゆっくりと首を横に振った。
「蛇沼様の

であることは事前に把握しておりました。幼い頃、耐え難い空腹を抑え込むため、自分で自分の手足を食したのです」
「なっ……!」
「なので、イカサマには該当しません」
 ガシャン、と音をたてて排出穴から〈ミートカード〉が出てくる。蛇沼は三本の指でそれをつまみ、裏向きに並べた。
「支払いが済みましたので、ゲーム続行です。神居様が〈バイヤー〉側なので、一枚選び取ってください」
「うひひっ! どうしたの神居さん? 蛇ちゃん肉屋はオープンしているよ」
「こっ……!」
 このクソガキ。そんな奥の手を隠していたのか。
 蛇沼の現在の持ちPは(ゼロ)だが、支払う指は両手両足合わせて後十八本もある。しかも、こちらと違って切っても血が出ない。ケロッとした表情から、痛みがないこともわかる。つまり奴は、義手義足の残っている十八本分の指を、Pに換算して『1800P』をノーリスクで使えるということだ。
 ……無理だろ、こんなの。ふざけるのも大概にしろ。
 残『400P』で、どうやって『1800P』を(ゼロ)にすればいいのだ。
 しかも、読み合いで負けたらPを回復される。こっちが負け続けたら指を切って血を流す。あっちはどれだけ指を切っても痛くないし血も流れない。
 何をどうやったら蛇沼に勝てるのか、私は、わからなくなった。
「神居様。残り十秒です」
「くっ……!」
 いや、まだ負けると決まったわけではない。最後まで諦めるな。
 私はカードを取る。『鶏肉』。『100P』マイナスで『300P』。蛇沼は(ゼロ)が『100P』になる。
「公開してください」
 私は『焼き鳥』と『鶏肉』で相互関係が合い、追加でPが失われない。蛇沼も、『角煮』と『豚肉』でマイナスなし。
 問題は次だ。次から私は、どうやって蛇沼と戦えばいい?
 第十三ラウンドが始まるまでのわずかな時間。私は指を切り落とされた痛みを忘れるほどの集中力でもって考えた。
 蛇沼は、ここまで何を使い、どうやって私のPを削ったのか。
 よく思い出せ。奴の言動、そのすべてを……。
『いいよ。神居さんが好きなほうを選んで』
 ゲーム開始時、蛇沼は私に〈マーケット〉と〈バイヤー〉の選択権を譲った。もしかすると、それには、ゲームを五回クリアした実力者の(おご)りとは違う、別の理由があったのではないだろうか。
 例えば、どちら側から始めても、ゲームを有利に進められる能力を持っていた、など。論理(ロジック)でも、観察力とも違う、確実にゲームを有利にできる特殊な能力を持っていたのだとしたら……。
『う~ん……。じゃあ、これにする』
 第一ラウンドの蛇沼は、勘でカードを選んでいたように思える。しかし、(のち)のラウンドから、何故か手が早くなった。
 カードに直接触れたことで何らかの能力を発動させ、〈フードカード〉と〈ミートカード〉を見分けられるようになったのだと思われる。
 しかし、第七ラウンドから、何故か手が遅くなった。〈フードカード〉だけはこれまで通り先取していたが、〈ミートカード〉だけ取るのが遅かったのだ。
 ……第七ラウンドの前に、蛇沼は何かやったのか。それとも、

何かやったのか……。
 おぼえていることは、私が指を切ったこと。血をべったり付けて〈ミートカード〉を並べた。その後で、蛇沼は長考するようになった。
 でも、〈フードカード〉だけは長考せずに取っていた。〈ミートカード〉との違いは、血が付いているかいないかだ。私が触れたすべての〈ミートカード〉に血が付いていたため、欲しいカードがどこにあるのかわからなかったのだとしたら、血が正解ということになる。
『クソがッ!』
 蛇沼は能力が使い物にならなくなり、ブチ切れた。
 では、具体的にそれがどういった能力なのか、という話である。
『臭い臭い! お姉さん、血が腐っているんじゃない?』
 

だ。蛇沼は第一ラウンドで〈フードカード〉と〈ミートカード〉の絵柄を確認後、各種カードのにおいを記憶したのだ。
 〈焼き鳥〉には〈焼き鳥〉のにおい。〈鶏肉〉には〈鶏肉〉のにおい。……たぶん、それぞれ共通するにおいがあるのだろう。それがインクのにおいなのか、紙のにおいなのか、蛇沼がどのようなにおいを嗅いでいたのかわからないけれども、各種カードを判別できていたことは間違いない。
 しかし、どれだけ優れた嗅覚を持っていようと、カードに別の

が付いてしまうと判別できなくなるらしい。
 それとも、

だったから自慢の嗅覚が鈍ったのか。
 どんな動物にも好みのにおいがあるものだ。お気に入りのにおい、好物のにおい……。主人の命令を無視したくなるほど魅力的なにおいが目の前にあったら、我慢強い動物でなければ、そっちを優先して嗅ぎ取ってしまうだろう。
 例えば、蛇沼の場合は、血のにおいが好きなのかもしれない。
 まさかとは思うが、日常的に人間の血を飲んでいる? ……いや、吸血鬼じゃあるまいし、それはさすがにないだろう。
 とにかく、蛇沼の持つ武器は判明した。
 痛覚のない手足と、人並外れた嗅覚。
 武器さえわかってしまえば、必要なのは対策だけだ。
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