64、アルマニャック派(3)

文字数 1,126文字

「アルマニャック家はジャン1世の子のジャン2世、孫のジャン3世と続いたわ。そして1390年、ジャン3世はマヨルカの領有権を主張してナバタ近郊の戦いでアラゴン王フアン1世の軍に敗北したの」
「え、アルマニャック伯ジャン3世は前に同盟を結んでいたアラゴンと戦ったのですか?」
「ええ、その頃にはマルトは亡くなっていて、父はバル公ロベール1世の娘ビオランテと結婚して1384年には私が生まれたの」
「同盟を結んで政略結婚をしても、その後また戦争が起きることもあるのですね」
「そうね。特に領土を巡る争いでは敵味方は簡単に入れ替わってしまうわ」
「アラゴン王フアン1世というのはヨランド様のお父上ですよね」
「もちろんそうよ。王妃に宮廷を牛耳られてアラゴンの財政を傾け、不真面目王と呼ばれていた父が軍隊を率いて戦争に行ったなんて意外だった?」
「いえ、そんなことはありませんが・・・アラゴン王フアン1世様は芸術への造詣が深い方という印象でしたので・・・軍隊を率いて戦争に行くというのは・・・」
「ふふふ、私もそう思っていたわ。宮廷で贅沢していた父が軍隊を率いて戦争に行ったなんて信じられなかった。それにそうした記録はアラゴンには詳しく残っていなかったの。フランスに嫁いで宮廷の図書室の記録を調べていた時に偶然発見したわ」
「アルマニャック伯ジャン3世が敗北したということはアラゴン軍はかなり強かったのでしょうか?」
「そうね、アラゴンの軍隊は勇猛果敢な兵士が多数いることで有名なのよ。それでもあの父が熱心に軍隊の訓練を行ったとは思えない。優秀な指揮官がいて、ただ父は王という立場だから軍隊を率いて戦争に行っただけだと思うの」
「そうですね・・・あ、いえ、そんなことはありません」

 アラゴン王フアン1世が軍隊を率いて戦争に行ったという話は意外であった。しかもアルマニャック伯ジャン3世を敗北させている。

「1年後の1391年、ジャン3世はパルマ領主であり妹ベアトリス・ド・アルマニャックの夫であるカルロ・ヴィスコンティの支援に行くためにイタリアに向かったの。ジャン3世の軍はピエモンテのアレッサンドリアを通過する際に従兄弟で対立していたジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの軍隊に攻撃されて敗北し、ジャン3世は戦死した」
「・・・・・」
「兄の死でアルマニャック伯を継いだのがベルナール7世、彼はベルトラン・デュ・ゲクランの指導を受けて軍人として成長したわ。この先の宮廷の争いではきっとこのベルナール7世が中心になるわね」

 当時はまだアルマニャック派とブルゴーニュ派の争いはそれほど表面化されてなかったが、ヨランド様が言った通り、その後ベルナール7世が中心となって争いは激しくなっていった。

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