66、アンジュー公家(2)

文字数 972文字

「私の義理の父ルイ1世・ダンジューはフランス王ジャン2世の次男として生まれ、シャルル5世の弟であった。他に弟としてベリー公のジャン1世とブルゴーニュ公のフィリップ2世がいたわ。アンジュー公家、ベリー公家、ブルゴーニュ公家はみなここから始まったわ」
「今の争いや混乱はこの時代の兄弟の争いから始まったのですね」
「その通りよ!ジャンヌ、あなたは本当に頭がいいわ。王家に生まれた義父ルイ1世・ダンジューもまた様々な争いに巻き込まれ、それは私の夫ルイ2世・ダンジューの代まで続いたわ」
「大変だったのですね」

 フランス宮廷の争いはアルマニャック派とブルゴーニュ派が有名だがそれだけではなかった。一族の間の複雑な対立や争いがシャルル王子の運命も大きく変えてしまう。

「義父のルイ1世・ダンジューは1364年にラングドック代官に任命されて、いがみ合っていたアルマニャック伯ジャン1世とフォワ伯ガストン3世を仲直りさせようとしたけどうまくいかなかった。ジャン1世の子ジャン2世とガストン3世が1375年に所領争いを起こした時には義父が仲介に乗り出し、ようやく両者は和睦したわ」
「ジャン2世というのはアルマニャック伯ベルナール7世の父ですね」

 アルマニャック派はベルナール7世が中心になってブルゴーニュ公ジャン1世と対立している。

「義父はアルマニャック伯とフォワ伯の仲介には成功したけど、ラングドックの統治はうまくいかなかったわ。1374年には飢饉で人々が飢えに苦しんでいた時に、傭兵対策として市民の同意なしに徴税したの。傭兵は各地をさまよって略奪したりして問題になっていたわ。でも市民の怒りは爆発して1378年にニームで、1379年にはモンペリエで反乱が起き、徴税役人が殺害された」
「傭兵の問題は今も解決していません。戦いがなくなり仕事を失った傭兵の集団は各地で略奪を繰り返しています」
「義父のルイ1世・ダンジューは市民に対して重罰で対処しようとしたけど、シャルル5世は1380年にラングドック代官を更迭、弟のベリー公ジャン1世と交代させたわ。同じ年にシャルル5世は亡くなり、幼いシャルル6世がフランス王に即位、義父とベリー公とブルゴーニュ公、ブルボン公ルイ2世が摂政を務めることになった」

 この時に摂政となった4人の中で、後にブルゴーニュ公が力を持つようになる。
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