53、フィリップ4世(4)

文字数 1,000文字

 フィリップ4世の治世で忘れられない出来事としてはテンプル騎士団の解体がある。

「1307年10月13日、フィリップ4世はフランスに呼び出したテンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーを含むフランスのテンプル騎士団のメンバーを一斉に逮捕したわ」
「ボニファティウス8世を捕縛しようとしたアナーニ事件は1303年、ボニファティウス8世が憤死してクレメンス5世が教皇になったのが1305年だからそのすぐ後ですね」
「そう、フィリップ4世は自分の思い通りになるクレメンス5世が教皇になったからこそ、テンプル騎士団員の逮捕という思い切ったことができたのよ。恐ろしいことだわ」

 ヨランド様の声が変わった。ほほ笑みは消え、男の人のような太く低い声になっている。

「アラゴン王ハイメ1世は、5歳の時に父ペドロ2世が亡くなり、そのころは人質としてフランスに住んでいたのを教皇の口添えでアラゴンに戻り、モンソンで育てられることになったの。モンソン城はテンプル騎士団の拠点の1つで、そこでハイメ1世は少年時代を過ごして帝王学や軍事学をみっちり学んだわ。成長したハイメ1世は領土を広げて征服王と呼ばれるようになった。アラゴンの歴史の中で最も有名な英雄よ。ハイメ1世が立派な王になれたのは、テンプル騎士団の城で育てられたということが大きい、つまりアラゴンにとってテンプル騎士団は大切な存在なのよ。そしてハイメ1世の娘、イザベルがフランス王フィリップ3世と結婚して生まれたのがフィリップ4世だった。フィリップ4世は母の祖国アラゴンにとって大きな恩のあるテンプル騎士団を解散させた、何も知らなかったのか、知っていてもそんなことは気にも留めなかったのか、わからないけど・・・」
「・・・・・」
「フィリップ4世はテンプル騎士団員に対して拷問による異端審問を行い、教皇クレメンス5世に働きかけてテンプル騎士団を解散させ、フランス国内の資産を没収したわ。そして1314年にはモレーなどの幹部が処刑された。異端として生きたまま火あぶりにされたのよ」
「恐ろしいことです・・・」
「ジャック・ド・モレーは殺される時にフィリップ4世と教皇クレメンス5世に呪いをかけたわ。2人とも同じ年に亡くなっているのよ。呪いはそれだけで終わらない。後の世代のフランス王と教皇も呪われ、それは私たちの時代まで続いている・・・」

 ヨランド様の声はいっそう低く鋭いものにとなった。

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