63、アルマニャック派(2)

文字数 904文字

「アルマニャック伯ジャン1世の領土はイングランドのアキテーヌ公領に属するガスコーニュだった。だからアルマニャック伯はイングランドに味方したりフランスに味方したりしている」
「歴史は複雑ですね。単純にイングランド側、フランス側と割り切れないところがあります」
「特にラングドック国王代行官職を巡ってフォワ伯のガストン3世とは対立したわ。そしてガストン3世との戦いに敗れて捕虜になり、多額の賠償金を払って領土を割譲することになったの」
「そんなことがあったのですか?」
「その後ジャン1世はイングランドへ鞍替えして賠償金の支払い援助をエドワード黒太子に願い出ているの。でも黒太子が軍事費捻出のためにアキテーヌに重税を課すとジャン1世は抗議して再びフランス側に戻ってきた」
「アルマニャック伯ジャン1世はイングランドに味方したりフランスに味方したりしているわけですね」
「フランス側についた頃アラゴンと同盟を結び、私の父フアン1世とジャン1世の娘マルトが結婚しているの。アルマニャック伯のジャン1世がイングランドとフランス、どちらの側についていたかによってアラゴンの歴史は大きく変わっているわ」
「本当にそうですね」
「新たにラングドック代行官に赴任したアンジュー公ルイ1世、私の義理の父になるのだけど、彼はジャン1世とガストン3世の仲裁を図ったけど、ガストン3世の方に味方していたからジャン1世は苛立っていた。ジャン1世が亡くなった後、息子のジャン2世の時代になっても対立は受け継がれ、アンジュー公が仲裁したわ。そしてアルマニャック伯ジャン1世の孫、ベルナール7世が王族と結びつきアルマニャック派を結成し、フォワ伯が所属するブルゴーニュ派と対立することになったの」

 アルマニャック派とブルゴーニュ派の争いの原因が祖先の代にあったということに驚いた。私がヨランド様とこのような話をした時はまだ争いは表面化してなかったが、その後この争いがフランスの運命を左右することになる。アルマニャック派とブルゴーニュ派の争いについては多くの者が知っているが、アルマニャック伯ジャン1世とフォワ伯ガストン3世の争いについて知る者はほとんどいない。
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