1、ピエール枢機卿の墓参り

文字数 799文字

 私は若くして亡くなった弟、ピエール枢機卿の墓参りを毎年の習慣にしていた。ピエールは幼い頃から神童と呼ばれるほど頭がよく、7歳の時からパリ大学コレージュ・ド・ナヴァールで学び、15歳の時には教皇クレメンス7世によってメス司教に叙階された。ちょうど教会大分裂のさなかで、教皇ウルバヌス6世は別の人物をメス司教に任命していた。複雑な状況の中でピエールは司教、そして同じ年に枢機卿に任命されたのだが、彼自身には野心はかけらもなく、その禁欲的な生活が評判になるほどだった。私は弟のピエールを誰よりも愛し、誇りに思っていた。だが弟はアヴィニョン教皇庁に仕えていた時、18歳の誕生日を迎える直前に突然亡くなった。1387年7月2日のことだった。詳しい死因は家族には何も伝えられていない。私は弟は何者かに殺されたと直感した。弟の死の真相を知るために生涯結婚しないで独身でいる決意をし、シャルル6世の宮廷に入って王妃イザボー・ド・バヴィエールの侍女となり、末のシャルル王子の世話をして、洗礼式には代理母として参加した。その時のことは今ではもう遠い昔のことのように思える。

 1430年は私にとって特別な年になった。兄ワレラン3世の孫が子供のいないまま亡くなり、私がサン=ポル伯とリニー伯を相続することになった。子供のいない私は甥のピエールにサン=ポル伯領を、一緒に暮らしていたジャンにリニー伯領を分与することを決めていた。でもジャンは有名なジャンヌ・ダルクを捕虜とにして、城の中で私がジャンヌの世話をすることになった。私はジャンヌ・ダルクの中に弟のピエールと同じ純粋で穢れのない魂を感じた。

 アヴィニヨンで弟ピエールに会い、同時にジャンヌ・ダルクを安全なところにかくまうため、手助けをしてくれる人を探すつもりであった。でも私にはそれができず、ジャンヌを救うことはできなかった。アヴィニョンで私の生涯は終わっていた。



 
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